落語の国の精神分析

ある大学の入試問題に、精神分析家、藤山直樹の『落語の国の精神分析』が出題されていました。
以前読んだ記憶があるものの、その大部分を忘れていたのです。
あらためて、じっくりと文章を読むにつれ、事実を正確に描写するというのはこういうことなのだと実感した次第です。

落語には何かを演じようとする自分と、見る観客を喜ばせようとする自分の分裂が存在する。
それは「演じている自分」とそれを「見る自分」の分裂であり、世阿弥が「離見の見」として概念化したものである。(問題文より)

落語という話芸のユニークさはこうした分裂のありかたに、もっと言えば、そうした分裂を楽しんで演じている落語家を見る楽しみが、落語というものを観る喜びの中核にあるのだと思う。(問題文より)

多くの観客の前で噺家は期待の視線にさらされます。落語家はつねに孤独です。観客の立場にたって、自分を冷静に見ながら、なおかつ登場人物の中に自分自身を投影していかなければいけないのです。
演者はネタの中に出てくる人物たちにその瞬間同化します。登場人物たちがお互いに何を語るのか知らないというのが基本の設定です。
それでいて、噺家本人はその全てを掌握していなければならないのです。

つまり観客の前で自己分裂を続ける存在こそが、噺家そのものなのです。

その他者性こそが落語の命なのでしょう。そこに観客は不思議な味わいを感じます。ギャグもくすぐりも生きてくる。落語家はお客でもあり、登場人物でもあり、そして他ならぬ彼自身でもあるのです。
だからこそ苦しく難しいのに、悪魔的な魅力にひかれ、翻弄されていくのだと思います。

難問でした。
解答は全て100字前後で説明するものです。
ちなみに第一問は「落語家の自己はたがいに他者性を帯びた何人もの他者たちによって占められ、分裂する」とはどういうことか説明せよ、というものです。
さてぼくの解答は何点とれたのやら…。

ニーバーの祈り

今日、宇宙飛行士・山崎直子さんの本を読んでいたら、この祈りの言葉に出会いました。 今まで全く知りませんでした。 肺腑をつくいい表現ですね。 これからは肝に銘じて生きていかないと。 やっぱり読書はいい。 高校生の時、担任でもあった英語の先生が教えてくれたそうです。 アメリカの神学者ラインホルド・ニーバーがかなり以前から流布していた言葉を説教で使ったのだとか。 アメリカでは有名な言葉です。 山崎さんは失意の時、この祈りによって何度...

かるがも寄席

11月中旬の予定です。 今年は毎月1回ぐらいのペースで噺をしてきました。 これくらいがちょうどいいかな。 30分位の長さの落語が、ぼくにはしっくりきます。 あまりに短いと物足りない気がして…。 我が儘ですかね。 長めのは、ほとんど枕なしで本題に入ります。 最近やった中では「船徳」「幾代餅」「寝床」「不動坊」「ねずみ」がそうした部類に入るのかな。 今回も30分を少しオーバーしてしまうかもしれません。 「宿屋の仇討ち」を予定...

手帳

またこの季節がやってきました。 最近は、毎年11月頃に書店で買い求めています。 以前は職場で手渡される手帳を使っていました。 基本、どれでもかまわないのです。 しかし手になじんだ厚さや大きさがあるような気もします。 今は薄くて軽いのにしています。 あらかじめ決まっている予定を、新しいページに書き込んでいく時の感覚も好きです。 後ろに住所録がついていますが、はずして使っていません。 というのもスマホ全盛の時代だからかな。 ...

山の人生

柳田国男の文章の中で一番好きなのがこれです。 晩年の回顧録『故郷七十年』の中にあります。 こんなことが本当にあるのかと最初読んだ時に思いました。 とても信じられない。 十三になる男の子ともらってきた同じ年くらいの女の子。 男は山の炭焼き小屋で一緒に育てています。 どうやっても炭は売れず、空手で戻ってくると、飢えきっている子供の顔も見られずに昼寝をしてしまう。 眼が覚めると、小屋の口いっぱいに夕日がさしていました。 秋の末の...

寝床寄席

9月になりました。 久しぶりにヴィータホールで落語会をやります。 マイクがいいから、喋っててもいい気分。 ただし、うまくいくかどうかは、その日の調子次第です。 今回のお題はずばり「寝床」。 これから真面目にお稽古します。 今まで高座にかけたのは2回だけ。 うまくいったようないかないような…。 後半は割合にスムーズですけど…。 前半は仕込みに時間がかかるかな。 うまく笑いに繋げられれば、いいんですけどね。 とにかく噺は...