ノート

2014-08-27(水)

時代

代ゼミが大幅に校舎の数を減らすそうだ。実に27校中、20校を閉鎖するという。とにかく生徒がいない。これが現実だ。
かつてのように誰もが大学進学を望む時代ではなくなった。高度経済成長も終わり、一方で大学の数は増えた。さらに少子化の波は否応にも目の前に来ている。
よほどのメリットがなければ、大学進学も望まないということなのだろうか。階層化が進んでいる。大学に対する考え方も変化している。
一部の大学は確かに卒業した後の価値を認められるだろうが、そうでない多くのところは、むしろ金と時間の浪費ということになるのか。
国立理系に傾くのは、まず親元で手に職をという悲鳴に近いものを感じる。
私大文系に強かった代ゼミが行き着くところは、まさに業務縮小につきるのだろう。
従業員はもとより、講師の処遇が心配である。
400人規模のリストラで、職員はどこへ転職すればいいのか。
一つの時代が過ぎた。
確実にそう思う。
小田実や吉川勇一などいったベ平連を支える講師を抱えた時代もあった。人気講師を多数擁して、全国模試を数十万人規模で実施していたのである。センター入試のデータリサーチも中止、全国模試も中止となれば、データが完全に雲散霧消する。つまり羽のない鳥そのものになる。
すでに業務停止に近い。
選ばなければどこかの大学に入れるということは、どこに入っても意味がないということになるのか。数少ないブランド大学だけが生き残るのか。それもこれも、複雑な現代社会の課題である。
一つの時代が確実に終わった。
あらためてそう強く感じる。

2014-01-11(土)

私のいる文章

評論家、森本哲郎が亡くなった。
かつて何度か講演を聴いたことがある。
本も読んだ。
その中で一番印象に残っているのが『私のいる文章』である。
朝日新聞の記者を辞めた直後に出版された。今となっては随分昔の本だ。その中で氏は、どうしても「私」で始まる文を書きたかったと記した。
新聞記者の書く文に「私」はない。5W1Hを正確にまとめることをつねに要求される。
そういう日々の生活に疲れたのだろう。自分はこう思うのに、そのことをなぜ書いてはいけないのか。
ただそのことだけを考えて仕事を続けたのだという。
やがてついに決断する時がきた。
どうしても「私」はこう思うと書きたい。その願いが頂点に達した時、辞表をまとめた。
それ以降はアフリカやエジプトへの憧憬も含めて、彼の文には私があふれた。
さて現在の私たちに語るだけの「私」はあるのだろうか。そのことがとても気になる。
元々自己主張をあまりしないという国民性の中で、ますます発言への意欲が弱まっているのを感じるのは、私だけだろうか。ネット上にはたくさんのブログがあり、人々はSNSなどを使って、つねに呟いている。しかし活字を読まなくなったというより、その力を失いつつある現状の中では、あまりにも非力である。
森本哲郎が希求した「私」をけっして失ってはならない。そのことを彼の訃報にさいして、あらためて強く感じた。

2013-11-30(土)

スマホ

電車の中はスマホの洪水である。
極端なことをいえば、殆どの人がスマホの画面を見ている。明らかに異様な光景だ。
本を読んでいる人が極端に少なくなった。
あれだけ、書店には本があふれているというのに、この風景はいったいどうしたことか。
何の記事を見ているのだろう。
本当のところはよくわからない。メールをしている人もいれば、ツイッターを覗き込んでいる人もいる。ゲーム派もいるに違いない。
先日、ある会社であまりにも社員同士のコミュニケーションが減っている現状を憂い、社長がスマホをやめた社員に5千円を毎月配布すると決めたというニュースを報じていた。
昼休みも、皆がスマホの画面をみているだけで、会話がなくなってしまったというのだ。怖ろしい話である。しかし実話である。
かなりの社員がこの制度に応募し、その後は随分と人間関係が円滑になったという話を聞く。
シェアからいえば、俗にガラケーと呼ばれる以前からの携帯電話の方がまだ使用者は多いという。しかし逆転するのは時間の問題だろう。
業界は通信料を高めに設定できるスマホに、熱心だ。
その証拠にガラケーの新製品は、極めて少なくなった。
公衆電話を探して、広い駅の構内を右往左往していた時代はなんだったのだろう。待ち合わせにも苦労していた過去が、ふと懐かしくなることさえある。
この先、人はどこへいくのか。
ラインというアプリは確かに便利だが、四六時中、友人と繋がっていなければならないストレスはかなりのものだという。
いっそ、そんなものを捨ててしまって生きていければとも思う。情報が一人歩きをする時代に、どう折り合いをつけて生きていくのか。
厄介な問題ばかりが増殖している。

2013-10-02(水)

プリンター騒動記

夏、ついにプリンターが壊れた。
元はといえば、自分が悪いのである。
あまりに交換用インクが高いので、少し安めのいわゆる互換インクを使った。青が詰まった。他のはなんでもなかったのに、これで8年も使ったプリンターが完全に動かなくなった。
色は出るのである。しかし縞模様になってしまってつかいものにならない。随分長い間、重宝していたのである。
4色のインクジェットプリンターだから、それほどに性能がいいというわけではない。しかし実に見事に動いた。年賀状はもちろんのこと、息子は演奏会のお知らせなども数百枚単位で刷っていた。
どうしようもない。
仕方がないので、ヘッドと呼ばれる部分を水につけたり、ぬるま湯につけたりして掃除をしてみた。しかしもうダメである。
買い換えるより他に方法がない。ポイントはこのヘッドが長い間に使用不能になるというところにあるのだ。もちろん、ヘッドはどこにも売っていない。取り置き期間を過ぎている。一部の業者にはあるようだったが、とんでもなく高い。
こうしたトラブルを避けるために、キャノンなどは毎回ヘッド付きのインクに交換する機種を売り出している。これはプリンターの価格よりヘッドつきのインクの方が高いという代物だ。
エプソンも同じようである。とにかくインクで儲けようという会社の方針が見事である。一色ごとならまだしも、何色も同時に入っているカセットだと、一つの色がなくなっても買い換えなくてはならない。
電器屋へ何度も通い、その度にため息をついた。今後、いくらインクを買い続ければいいのか。昨今写真をいい色で印刷しようと思ったら6色はあたりまえである。
ネットで調べていたら、とんでもないインクを売っている業者もあった。大容量の交換インクがつけられる機種があるというのだ。これは東南アジアでは圧倒的な人気機種だそうである。
通常のインクの10倍以上の容量が入っている。しかも値段がとんでもなく安い。だがそれもインク詰まりが発生するという記事もあり、どれが本当か正直いってよくわからない。
いずれにしても、プリンター本体は安くていい。とにかくインクで儲けようという各会社のコンセプトは当分の間、変化することはなさそうだ。
ぼくがどの会社のどの機種にしたのかは、秘密にしておく。

2013-06-29(土)

野心のすすめ

林真理子の本を立ち読みした。
今までに全く読んだことのない人である。
週刊誌でよくみかけはするが、直木賞の選考委員もやっているとは驚いた。
新書のタイトルは『野心のすすめ』というものだった。
正直、幻滅した。
本を読んでここまでがっかりするのは久しぶりのことである。
一週間に数冊、本を読む。これは随分以前からの習慣である。どのようなものでも、その時点で気になったものを読み散らかしていく。これといった方向性がある訳でもない。
立ち読みにせよ、なぜこの本を手にとったかといえば、野心という言葉に惹かれたからだ。最近あまり耳にしない表現である。
しかし著者のいう野心とは、ブランド品のバッグをもつことであり、ファーストクラスの飛行機に乗ることを意味するようだ。
随分、この言葉も値打ちが下がったものだ。
そういうことを常に考えていれば、彼女がいうところの一流の人と付き合えるようになるそうである。
上をみないで、格安の洋服を着、ファミリー・レストランで食事をしているようでは、未来はないと言いたいらしい。
高度経済成長、バブルの時期を終え、さらに一昨年の大震災を経験した身としては、何を今更という気がしないでもない。
経済の成長よ再びと、世間では声高に叫んではいるが、遙か彼方の遠吠えにしか聞こえない。
しかしこんなことを言っているから、今以上の生活ができないのだと言われれば、それまでである。
ここからは議論にならない。
久しぶりにとんでもない本を立ち読みして、気分が悪くなった。こういう感性で、人の心を揺さぶるどんな小説が書けるのか。はなはだ迷惑千万な話である。

2013-04-15(月)

奈良再訪

つい十日ほど前、京都と奈良を訪れた。
京都では、哲学の道と平安神宮の桜に酔った。一生分の花を見たという実感が今ある。当分、どの桜を見てもあれだけ圧倒されることはあるまい。今後あるとすれば、吉野と弘前の桜か。弘前は雪の季節に訪れたことはあるものの、桜が咲き誇る城をまだ目の当たりにはしていない。この二つだけは今後の楽しみにとっておくことにしようか。
さて奈良ではどうしても法隆寺に行きたかった。女性的な曲線を誇る京都の寺もいいが、どこか凜とした奈良の寺には、また別格の趣きがある。
いつも近鉄特急で奈良に着くと、JR奈良までの道のりを歩くのが楽しみの一つでもある。道の両脇にさまざまな店があり、古都の佇まいを強く感じる。今まで毎年出向いているので、それほど気にしていなかったが、一年ぶりに歩いた感想は、あまりにも店が変わったということである。馴染みの飲み屋もなくなっていた。後には全国どこででも見かけるチェーン店ばかりが入っている。
道路を狭くして歩道をその分広げる工事をしたようだ。
アスファルトだけでなく、そこに敷石のようなものも張った。それはいいのだが、あまりにも店がいれかわっていて、さらには大きなマンションの工事までが進んでいるのには驚いた。
餅飯殿の通りに入るあたりに建設中のマンションにはいささか興ざめもしたのである。確かに便利な場所であるには違いない。たくさんできた店もどこか安っぽく、これが奈良の町だろうかとつい疑ってしまいたくもなった。
奈良が京都と同じになる必要はない。もっと鄙びていてもいいのではないか。東大寺の周辺だけが賑わう奈良という図式を、もう少し続けて欲しいものである。だがこれは所詮旅人のエゴイズムかもしれない。
奈良町をあのままにしてなんとか生き抜こうとする奈良の人たちへのオマージュをもこめて、ここは静かに暮れなずんで欲しい通りの一つなのである。フジタホテルの隣にあれほど美しいしだれ桜のある寺があるとは知らなかった。
これも今度の旅の収穫である。

2013-02-24(日)

ビジネス英語

アメリカへ行ったのは、もう15年以上も前のこと。
英語力がいかに大切かを実感した。
帰ってきてから、NHKの英語講座を聴き始めた。もっと話したい、もっと聞き取りたいと思ったからだ。
あれから途中、講師がかわった時以来ずっと聞き続けている。
杉田先生の番組ぐらい、ずっと続いてるのは珍しいのではないか。長寿番組というのはこういうのを言うのだろう。
とにかく厭味のない人だ。ことさらに自分をひけらかすということもない。それでいて、センスもあり能力もある。
こういう人がいてくれるということがどれほどありがたいことか。
通算にすれば15年を超えた。
ここいらで一度、休んでもいいかと思い始めた。
最初の頃はまとめて、テープを回した。日曜日に続けて再放送をしてくれたからだ。その後、MP3に変換してくれるラジオを買って録音した。少し雑音が入るのが玉に瑕ではあったが。
さてここしばらくは、もっぱらインターネットのお世話になった。ものすごいフリーソフトがあり、わずか数秒で45分間の講座がパソコンに収まってしまう。
こういう時代になったのである。あまりにも便利すぎて最初は驚いた。その間、ぼくの英語も随分お役にたった。
仕事でもかなり使った。
昨今では海外旅行にでかけた時くらいのものである。
これからはもう少し、別のことに時間を使ってもいいと感じるようになった。
もちろん、気が向いたらまた再開したい。それまでの間、杉田先生はずっと放送を続けてくれるのだろうか。
アメリカのビジネス最前線の情報は今や、日本とかわりがなくなった。そのことでもまた不思議な感慨にとらわれるのである。
本当に安い講師料しか払わなかったのに、随分と豊かになれた。心から感謝したい。
言葉は道具である。しかし良質の道具を持たなければ、またいい仕事もできない。あたりまえのことだが、言葉はまさに生きているのである。

2013-01-27(日)

小林秀雄

今年のセンター試験には小林秀雄の「鐔」という文章が出題されたそうだ。最近の入試にはほとんど彼の文章が登場したことはない。
つまりもう過去の評論家だったということだ。
とにかく難解なのである。評論とはいえ、多分に随筆的である。直感に頼った構成なので、じっくり読まないと真意が理解できない。
そのせいもあったのだろう。過去のセンター試験に比べて、平均点が低いのだという。
今の受験生にとって、彼ほど難解な批評家はいないのではないだろうか。かつて入試には随分出題された。
確か、東京都の教員採用試験の時の問題も小林秀雄だった。
スタンダールだったか、フローベールだったか。文中の作家の名前を書くという問題もあった。
今年は小説の問題に牧野信一のものも出たという。
過去に出題されたものを除き、さらに良問をつくろうとして、試験官は呻吟したのだろう。
結果として、受験生も国語力のなさを露呈することになった。
どちらにとってよかったのか。それもわからない。
センター入試の平均点が過去に比べて低いという厳粛な事実だけが残ったということなのかもしれない。
中原中也や大岡昇平との関係や、骨董の話など、どれを読んでも面白い。再び、彼の著作を手にする人が増えるのであろうか。

2012-12-03(月)

大学祭

大学祭というものに参加した記憶がない。多分部屋の中で鬱々としていたのだろう。
時代の気分が明るくなかった。だからそんなものはどうでもよかった。自分とは全く違う世界であり、遠くの場所にあった。何人来場者があるとかいう話を聞いても、何も感じなかった。
昨今は大学祭でアルコールを出すかどうかということまで話し合うらしい。禁止をするところもあると聞いた。スタッフジャンパーを着込んだ学生が校内をパトロールする大学もあるとか。
さらに事故が起きた時点でアルコールの販売を中止するところもあるそうだ。
なんだかばかばかしい話のような気もするが、当事者は真剣そのものである。
大学生そのものが随分と幼くなったと感じるのはぼくだけではあるまい。この国全体が幼児化しているのかもしれない。自分の限度というものをしらずに、大量の酒を飲み、醜態を演じるなどというのは愚の骨頂である。しかしそれが大学生の日常なのだとすれば、それはもう学問をする資格もないということだ。
少子化は大学の中身をますます幼いものにしている。
かつて近くの大学の学園祭を一度だけ見学したことがある。あまりに拙い展示だったので、がっかりした。
学ぶ力が弱まれば、自分で思考するという営為も衰弱する。これは理の当然だ。
となれば、大学祭もなにもない。レジャーランドの延長か、学芸会もどきそのものだろう。
哀しみさえ感じる。
試みに学力とは何かと考えてみる。それはまさに自分で問いをみつけ、探す能力に他ならない。その一番の基本が手に入らないとしたら、これほどに悲しいことはない。
いやそこまで難しく考える必要はない、ただの祭りなのだと割り切ってしまえば、それでもかまわないだろう。
しかしあまりに寂しくはないか。
模擬店だけが並ぶ大学祭にはやはり違和感を感じるのだ。

2012-09-28(金)

誘拐

水曜日の深夜、怖ろしい番組を見た。中国での誘拐事件を扱ったものだ。
「我が子よ帰れ」という名前のボランティア団体が、幼い時に誘拐された女性の実の親を探すというものだった。現在3万人の会員でこの活動をしているのだという。
なぜこのような団体があるのか。まさにそこがこのテーマの根の深さに通じる。番組によれば年間2万人近い人が誘拐されるのだという。その大部分は福建省に売られていくそうだ。
理由の第一には一人っ子政策の暗黒面がある。どうしても息子の嫁が欲しい。しかし生むなら男という社会の背景の中で、嫁になる女性を探すのは容易ではない。その必要性に乗じて誘拐した子供を売買する組織まであるという。
子供を突然奪われた夫婦は、ストレスから仕事に就けなくなり、離婚にいたるケースも多いそうだ。福建省の村では互いに村の中の秩序を守るため、外から来た人たちに対して秘密主義を貫くため、なかなか誘拐された子供を見つけるのが難しい。
捕まれば最高刑は死罪である。しかし警察の腰も重いという。
ドイツで制作された番組だったが、終始信じられないことばかりであった。中国はたくさんの人口をかかえ、貧富の差も増していると聞く。さらには拝金主義が蔓延し、金銭のためなら手段を選ばないという風潮もある。
そうした中で、幼児誘拐という人間の基本的人権を守らない犯罪の罪深さを見せつけられ、声もでなかった。

2012-08-19(日)

震災格差

あれから1年半。震災の爪痕は重かった。仙台荒浜地区をたまたま訪れる機会があった。市内で食事をしている限りは何もわからない。津波がくるはずもない土地だからである。
海岸沿いまで走る。遠くから見ている限りはわからない。仙台港近くまで寄った。
国土交通省のダンプカーがひっきりなしに走っている。さらに海岸まで車を走らせた。
最初に見えてきたものは慰霊碑だった。折り鶴が夏の太陽にさらされて色褪せている。海岸沿いにあった海水浴のための施設は全て破壊され、コンクリートの洞穴そのものだ。
さらに驚いたのは、砂浜にずっと植えられていた防風林の松がほとんどないことだった。まばらにあるところはいい方で、途中からぐにゃりと折れている。
海岸沿いにびっしりと並んでいたという説明をうけても信じられない。これが太平洋岸全ての風景なのだろう。
小学校の跡地まで歩く。両側にあったという家並みは、全て夢の跡だ。土台のコンクリートがわずかに残っているだけ。玄関に続くところだけが、それらしく見える。
はるか向こうには廃墟になったガソリンスタンドんぽつんとたっている。
校舎は外形だけをとどめている。その隣の体育館は屋根まではがれて、解体工事を待つだけの姿であった。
いったい何軒の家がここにあったのか。形だけはのこっているものの、一階部分が完全に洞穴のようになっている家も多い。
だれも住んでいない家があちこちに点在している。
これでは住みようがない。
コミュニティが完全に破壊されてしまった。ここに住んでいた人たちは今どこにいるのだろう。子ども達はどこへいってしまったのか。
津波は海岸の防波堤を越え、2キロ近く先の東部道路と呼ばれるところまで、高さ20メートルの勢いで走り続けたという。
どうしてもそんな風景を想像することはできない。
荒浜地区には何百人かの遺体がその後あがったそうだ。
もうだれもこの土地を買うものはいない。あたりまえの話だ。
市が工場を誘致しようとしているらしい。そんなに簡単にいくものなのだろうか。
近くには大きなビール工場もある。震災後は、夥しい数の缶ビールが漂い続けていたとか。
一歩、市内に入るとそこは別世界である。何も震災以前と変化はない。この落差は何か。
震災格差とはまさにこのことである。
東北は一つだというキャンペーンで語れない。これが実感だ。
放射能問題との落差もある。
どこから手をつければいいのか。
家を建てるにも、手間賃が高騰して、以前よりかなり大変だという。
一年待ちは常識だそうだ。
百聞は一見に如かず。
言葉にならないというのはこのことを言うのだろう。
軽々な発言は許されない。人間は自然には勝てないということだ。

2012-07-07(土)

個性

授業でたまたま、個性の問題を扱った。個性的であることは大切であると多くの場所でささやかれている。しかしよく考えてみると、個性的といわれるものの殆どは、その民族が持っている行動様式の中にあるという考え方もある。
前任校には英語が得意な生徒も多かった。彼らは普段日本語で会話をしているが、時に英語で話すことがある。するとその瞬間から、パーソナリティに大きな変化が現れるのである。
一言でいうのは難しいが、かなり微妙な言い方で周囲の気配を探っていた個人が、突然自己を主張するようになるのである。簡単にいえば、イエスとノーをはっきりと表明し、さらにはその理由を朗々と述べ立てる。
日本語を使っていた時とは明らかに違い、大人びて見えさえするのである。この違いにはいつも大いに驚かされた。
日本人同士の中で、自分を主張しすぎることはかなり難しい。「空気を読む」という表現に言い表されているように、まさに周囲の人間とうまく協調しながら生きていかなければ、すぐに「出る杭は打たれる」という状況になる。
あれほど個性的な学生が欲しいと叫ぶ企業でさえ、いざ就職活動となると、協調性のある生徒を第一に選ぶ。本音はまさにそこにあるのである。それを知っている学生たちは、内定をとるために、曖昧な表現の中に逃げ込むことも多いはずだ。
また会社説明会に集まる学生達の恰好に、それほどの違いはない。黒いスーツにネクタイというスタイルこそがまさに定番といっていい。
キャラが立つという表現で、自分をなんとかアピールしようとする人々も、それが狭い領域での許されたものであるという自覚をどこまで持っているのだろうか。
個性的であれという呪縛は、案外人を息苦しくさせている。グローバル社会になったと叫んでいる日本人も、いざ身の回りにいわゆる「個性的」な人物が出現すると、思わず天を仰ぐのではないか。

2012-03-10(土)

1年が過ぎて

あれから1年が過ぎた。先日、布団に入りながら、何気なく携帯の受信メールをずっと読んだ。特に大地震前後の記述を読んでいると、あの時の緊迫感が蘇ってくる。
ぼくにとっては卒業式につながる大切な日々であった。なんとか3年間の担任業務を終え、入試も一段落し、さてこれから卒業式の準備をしようとしてそれまで自宅学習にしていた卒業予定者たちを一同に呼び集めた日に、あの地震が起こったのである。
あれが1日前ならば、3年生はほとんどいなかった。
偶然というのは、そういうものなのかもしれない。全校生を校庭に集め点呼をとった。電車がどのようになっているのかとか、どこでどのような地震が発生したのかということなどを次々と収集し、確実に自力で家に帰れるものだけを帰宅させた。
しかしターミナル駅へ行っても電車やバスがなく、仕方なくまた戻ってきたものが大半だった。
ああいう形で学校に泊まったのは初めてである。非常用の毛布を倉庫から運び出し、食事を提供した。
家に戻ったのは翌日の午後遅くだった。
家族の安否も最初はわからず、その後原発の事故が予想以上に大きかったことを知った。あの直後から町が暗くなった。電車も寒かった。無尽蔵に使っていた電気が、あれ以降届かなくなった。
津波だけだったならば、それはそれで不幸なことだが、ここまで後をひく悲惨な状況にはならなかったかもしれない。原発とそれに伴う強制移動がその後の生活を劇的に変えた。
昨日、朝日新聞に載っていた山崎正和の文章には日本人が再び無常感を恒常的に宿すようになったとある。まさに真に大切なものが何であるのかを、必死に考えたこの1年だった。
現在の状況はあと何年かけて解決できるのか。10年、あるいは20年か。福島県に人は戻らないかもしれない。一度その土地を出てしまえば、そこで生活を築き上げざるをえない。子供たちは帰りたがらないだろう。友達もかわる。それが人間だ。
どこまでこの国は変化していくのか、誰にも予想がつかない。一つだけよかったのは、非常時に外国人を排斥しなかったことだ。かつての関東大震災の頃からみれば、日本人は大きく成長した。
ただし、ここからの道のりははてしなく遠い。除染も、がれきの撤去も考えるだけで気が遠くなる。
それでもじっと我慢しながら、黙々と一つの作業を続けていく以外に方法はないのであろう。それが人間の営為であるといえば、それは確かにそれまでのことなのだが。
とはいえ、さてと再び、空を見上げたくなるのも正直なところなのである。

2012-01-08(日)

デフォルト

今年のキーワードは何か。確実なものはなくなった。かつて不確実な時代と叫んだ学者もいたが、その頃の「不確実」よりも今はなおいっそう混迷の状態が深くなっているような気がする。
デフォルトを望む若者も多いという。いっそのこと、全て元に戻してしまえというある種のなげやりな気分があるのも事実だろう。
年金、医療、介護などの社会保障をどうしていけばいいのか。財政の裏打ちがないままに今年も発進してしまった。国の借金は膨らむ一方だ。その財源になる国債をこのまま乱発していけば、長期金利があがり、だれも引き受け手がいなくなる。消費税に関しての行方が気になるところだ。
ユーロもドルもひどく危険な領域をさまよっている。
どこの国でも若者たちは不況の影響か、その進路をはばまれ、容易に正社員になることすらできない。臨時雇いの仕事でなんとかその日を生き抜いているのが現状だ。
今のまま、年金を払い続けても確実に自分の手元に残る保証すらない。国民年金の不払いは増える一方である。
どこにも出口がない。いきおい、デフォルトを望むという心理になるのもむべなるかなというところだろう。
しかしどこまで戻ればいいのか。
現在、高齢者と呼ばれる人たちは、高度経済成長の恩恵をある程度受けてきた。その中身をよく知っている。就職すれば、会社がなんとか生活の面倒をみてくれた。確実な会社というものの横顔を知り抜いている。だからこそ、子どもたちの世代にも、そうした形での就職を望むのである。
だがそれもままならぬ時代である。企業30年説が囁かれ、既に消えてしまったり、合併を余儀なくされた会社も多い。
生きづらい時代である。穏やかに滑り落ちていくのならば、少しは我慢もできるだろう。だがそうではない。誰もが想像もできなかったところへ、地球規模で落下している。
ここから抜け出る方法はあるのか。
確実なものはもうなにもない。
どこかの公園に集まり、一斉に点呼をとって逃げる時代でもない。とにかく直感をフルに稼働させる以外に手がないのではないか。
時代は確実に閉塞している。しかしそこからの出口はみえない。評論家然として、安楽椅子に座っていられる状況ではなくなった。
本当の意味で、五感を研ぎ澄ますことがますます大切である。環境を守りつつ、どうやって自然と共生していくのか。人のぬくもりを維持するための方策とは何か。
本当に考えなくてはならないことばかりである。最後は祈ることになるとしても、それまではとにかく日々をもがきながら生きていく覚悟が必要となるであろう。

2012-01-01(日)

折節の移り変わるこそ

『徒然草』の中には季節をみごとに表した章段が多い。その中でも正月を描いた短文にはことさらおもむきが感じられる。

晦日の夜、いたう暗きに、松どもともして、夜半すぐるまで、人の門叩き走りありきて、何事にかあらん、ことことしくのゝしりて、足を空にまどふが、曉がたより、さすがに音なくなりぬるこそ、年のなごりも心細けれ。
亡き人のくる夜とて魂まつるわざは、このごろ都には無きを、東の方には、猶することにてありしこそ、あはれなりしか。
かくて明けゆく空の気色、昨日に變りたりとは見えねど、ひきかへ珍しき心地ぞする。大路のさま、松立てわたして、花やかにうれしげなるこそ、また哀れなれ。

まさにここに叙述された通りである。
昨日と何も変わっていなくても、どことなく正月の風景には風情があるものだ。子供の頃はなおさらそうだった。今のように元旦から営業している店などはなかった。
それだけに一層正月の味わいがあったように思う。
メディアも今のように多様ではなかった。
季節感も変化した。人間もかわる。
しかし全てのものが生々流転の理を受け入れて進んでいく。
これだけはかわらない。
その最初の一日がまた始まった。
おりふしの移り変わることこそが、あはれなのだ。そこにしか真理はない。
一年の最初にあたって、実に当たり前のことを再び実感せざるを得なかった。兼好はすごい人だ。

2011-11-05(土)

太陽がいっぱい

今までに何度もみている映画をあげろと言われたら、必ずこの作品が入る。なぜか。もちろんサスペンスとしても面白い。他人になりすますという物語はたくさんあるが、幾つもの難題を一つ一つ主人公が乗り越えていくというところが見せ場でもある。
その中でもやはりサインの練習をするところが一番だろうか。もちろんパスポートも偽造するが、ヨーロッパではホテルに泊まるのにも、預金を引き出すのにもサインは必須だ。殺してしまった相手のサインをプロジェクターで拡大しながら、壁に貼った紙に向かって何度も挑むところは出色である。
アラン・ドロンはこの映画で世界的名声を得た。彼の出自はよく語られるが、決してめぐまれたものではない。肉親の愛情を知らずに成長し、外人部隊などにも入隊した。「若者のすべて」で彼を見いだしたのは、ルキノ・ヴィスコンティである。貴族的な風貌をたたえ、つねに階級を意識していた監督によって見いだされたというところに、この俳優の哀しみがある。
「太陽がいっぱい」を子細に見ていくと、ヨーロッパの持つ階級社会の構造がよく見えてくる。その中をたくみに生き、なんとか上流社会に食い込もうとしたのがアラン・ドロン演じる主人公だと言えなくもない。それだけに最後の場面、海岸で太陽がいっぱいだと呟く後に描かれる劇的な大どんでん返しには、思わず息をのむ。
結局2人の男を殺し、大金をせしめ、それを殺した男が愛していた女に遺産として残すという画策をしてまで、最後にたどり着こうとした成功は、木っ端みじんに砕け散ってしまうのだ。
ナポリの風景が美しい。主人公が市場をぶらつくシーンは殊に印象的だ。魚の頭だけが切られて落ちていたり、エイの顔がアップにされているところなどで、殺した男の死に顔が自然と浮かび上がってくる。このあたりの映像処理は見事というしかない。
相手の女が次第に、主人公に愛情を持ち始める場面なども、女心の複雑な内面を見事にみせる。マリー・ラフォレの鋭角的な演技が次第に柔らかくなっていくくだりは、まさに心の変容を活写しているといえよう。
最後はニーノ・ロータの音楽だ。ヨットのシーンとあわせて、南イタリアの光と風をあますところなく伝えている。
しかしこの作品の成功は、やはり階級意識を忘れては成り立たない。ヨーロッパの持つ背後の暗闇に首だけ突っ込んでみたものの、やはり敗北するという結論に、この作品の真実が宿っているのではないだろうか。ただの若者の暴走だけでは、厚みのある映画にはならなかっただろう。何度見ても飽きない映画には、やはり何かがある。

2011-09-25(日)

蟻族と鼠族

中国という国はちょっと想像もつかないところがある。今日も鼠族のルポをテレビでやっていた。少し前にあった蟻族の話は知っていたが、まさか鼠まで登場するとは。
中国で就職することは、今や至難の業なのだろうか。日本でも労働環境は大変厳しいが、しかし中国の比ではない。毎年100万人とか200万人とかいう大学卒業生が就職できないのだという。
仕方がないので、派遣社員になり、なんとか生活をする。その結果給料が少ないため、住まいを確保するのがやっとだ。それも何人かでシェアをするいわゆる蟻族の誕生である。
シェアといえば聞こえはいいが、蚕棚のようなものを連想すればいい。二段、三段ベッドが置かれただけのスペースで彼らは生活をしている。
なんとか正社員への道をと念じて、就職試験を受け続けても、なかなか目標にたどり着けない。
これよりさらに劣悪なのが地下に潜る鼠族である。かつての防空壕などを利用してそこに部屋をつくり、蟻族よりもさらに安い部屋代で住む。地下なら相場の3分の1程度の月200~400元(約2500~5000円)で済むからだ。北京市だけで100万人。全国をあわせると500万人はいるそうだ。
市当局は早く整理したいのだろうが、性急にことを進めれば、混乱を招きかねない。彼らはだいたいが地方の農村から出てきた人々だ。なんとか首都で一旗あげたいと望んではみたものの、夢破れ、生活のみならず、健康もそこなっていく。
人間としての尊厳さえも失っていく姿には空恐ろしささえ感じた。10数億の人々が住む中国において貧富の差は広まるばかりだ。政府は経済の過熱をおさえるのにやっきで、そのためもあって就職がますます厳しくなっている。
その一方、投機目的のためのマンションは増えるばかりだ。値もどんどんと釣り上がり、普通の人々にはもう手が出ない。いつかどこかで、このバブルが破綻し、ババをひく人があらわれるまで、マネーゲームは続くのだろう。
蟻族や、鼠族に全く未来は見えないのである。

2011-07-03(日)

理不尽

時代小説の醍醐味はひょっとすると、理不尽という2文字に凝縮されるのではないか。最近ふっとそんなことを思った。一つは宮部みゆきの『孤宿の人』を読んだからである。これは失脚した勘定奉行を預かった讃岐のとある藩を舞台にしている。
本来なら切腹を命じてもいい大物を死罪にしなかったのは、時の将軍が怨霊を怖れたからである。そのため、藩は実に厄介な人物を幽閉しなければならないという難しい状況に立ち至る。
そこに藩の重臣によるお家騒動、毒殺騒ぎがおこり、話は重層化していく。さらには落雷が守護神の神社を燃やし、漁民達の不安は最高潮に達する。
その後に起きる打ち壊しにも似た火災。全ては勘定奉行が幽閉されていることから起こる凶事だと信じこませることで、藩の存続を願う江戸留守居役。
最後に、勘定奉行は自ら死を選ぶが、それは悪霊である自身の乱心からであると周囲に納得させ、さらに将軍もそれを追認せざるを得ない。そのことによって藩は見事に難役を果たし、取り潰しを免れる。綱渡りのような日々の中で、数人の医者や重役、さらには市井の民がみごとな働きをする。
そのなかでも「ほう」という名の少女はそのあどけなさ故に最も美しい花を咲かせるのである。
この女の子の描写が実にみごとだ。堪能した。
これと同時に読んだものの中に、最近封切られたばかりの『小川の辺』がある。藤沢周平のこの作品にも理不尽の2字が生きている。まさに主命がそれだ。実の妹の夫を斬り殺せというのがその内容である。それも理非曲直を説いて、藩の方針を修正させた男をである。これも武士の世界の現実である。正しいからといってすぐにそれが受け入れられるわけではない。男は結局脱藩する。
妹、田鶴に剣術を教えたのは父親だった。彼女もすぐれた使い手である。ひょっとすると、妹と立ち会わなければならないという場面もありうる。主人公は悩む。
ぎりぎりの状況に立たされた人間はどのような行動をとるのか。最後まで安心できずに、読者は読み進まなければならない。
この窮境を救ったのは兄弟同様に育った新蔵であった。
これも理不尽な話である。
現代にもこうしたことは数々あるだろう。理屈でわかってはいてもそれを行うことが、多くの人々にとって害になるという状況もありうる。
上司の命令が理不尽な時、自分の立場を慮って黙してしまうことがないわけではない。
その時の行動はどうあるべきなのか。
時代小説の形をとってはいるものの、これはまさに現代の構図そのものだ。封建の世を描きつつ、内容はあくまでも現代に通ずる豊饒さを持っている。

2011-06-04(土)

安藤忠雄

NHKが過去に放送したものをまとめた彼のDVDを見た。3時間の大部である。実に見応えがあった。現場を歩きながらインタビューに答えるシーンもあれば、自分がかつて設計した建物を解説する場面もある。さらに自分のオフィスで若い人とああでもないこうでもないとセッションをしているところなど、見ていて飽きなかった。
驚くことにボクシングをしている場面まで写されていた。彼がプロボクサーだったことを知っている人はそれほど多くないだろう。
住吉の長屋は安藤の代表作だが、わずかな敷地に中庭をつくり、コンクリートで古い木造の家に挟み込ませるというアイデアの卓抜さは実にユニークだ。隣の部屋に行くのに傘をささなければ、雨の日には移動できないなどというのは実にばかげている。そこにまた面白さを感じた人が多いから、代表作として生き残っているのだろう。
大阪茨木市にたてられた光の協会も、足場に使った材木をそのまま床に敷いている。予算がなかったのである。天井さえ作れないかもしれないと覚悟したそうだ。その時の様子は、ぼくの読書ノートでも紹介している。夏暑くて冬は寒いと牧師がこぼしていた。これも面白い。
勉強はできなかった。だから遊んだ。近所の工事現場で大工さんが建物をつくっているのを見て、とにかく面白いと思った。やってみたかった。世界をまわった。勉強していないから、なんでも無手勝流に吸収できた。最初は独立してもなんの仕事もなかった。だから勝手にプランを練った。この時代が一番楽しかったという。
全部独学だそうだ。コルビュジェの建築に出会ったのも天啓だろう。アカデミズムの中で学ぶということは、多くのものを得られる反面、野性味を失うことと同義なのかもしれない。
それは彼の周囲にいる事務所のスタッフに強く感じることだった。一言でいえば、線が細い。野武士のようにハスキーな声で次々と指示を出す安藤との対比があまりにもシンメトリックなのである。
建築を志すものには見えない。もちろん優秀な人々なのであろう。だからこそ、安藤との対比が際だつ。
直島のプロジェクト、六甲の集合住宅、大山崎山荘美術館、サントリー美術館。次々と彼のコンクリート群は完成していく。上に蓮池を置き、その下に寺をつくった真言宗本福寺水御堂には驚かされた。
最近は木造の建築も手がける。どれもこれも連戦連敗だったと彼はいう。負けたっていい。チャレンジすれば必ず何かが残る。その残ったわずかなものが、ぼくの財産だ。
最後はまた10坪の建築に戻る。そして消えていく。それまで格闘する。そう言い放つ目は強いものだった。魅力的な人だ。
いろいろな批判もあるに違いない。それでも微妙なカーブの中にうつる光の美しさはたまらない。小さい頃は川でよく遊んだという。だから水に対する憧れが強い。怖さも知っている。あちこちに多用している水のオブジェは美しい。人は水があると安心するのだという。
DVDを見ながら、何度も唸った。

2011-03-26(土)

旅人は

卒業式を終え、離任式を終え、一段落がついた。
年々歳々花相似たり、歳々年々人同じからず、というのがどうやらこの世の真実だ。しかし花は確かに似てはいるが、それも厳密にいえば同じものではない。つねに流れて過ぎ去り変化していく。
それがこの世なのだろう。
落語の稽古をしていると、ああいい表現だなと思うものによく出会う。その一つがこれだ。

旅人は雪呉竹の群雀泊まりては発ち泊まりては発ち

もちろん泊まると止まる、発ちと立ちが掛詞になっている。「ねずみ」とか「抜雀」などという噺の導入には必ず使われる太田蜀山人の句だ。
人もまた旅人である。学校を宿に喩えるのはおかしいが、学校という宿に少しだけ泊まった群雀たちは、また次の場所に向かって発っていく。
そう考えると、なんの不思議もない。同じところにとどまっていたのでは新しい出会いもないし、発見もない。
皆が次の場所に向かって発つというのは、悪い光景ではなかろう。
コマンスメントという単語は卒業とも訳す。これはフランス語のコマンセ、つまり始めるという単語の名詞形である。
卒業が始まりというのは実に愉快ではないか。
また新しい人や風景との出会いを求めて進む。集まり散じていく。その繰り返しが旅人の宿命である。
たとえ雀に喩えられてもよい。そこにかすかな命脈があれば、それを頼りに生きていくことだ。その結果として、集大成として人生の軌跡が描かれる。
春はいい季節だ。花が一斉に咲き誇る。
その季節の到来を今しばらく待つことにしよう。

2010-11-07(日)

鬱病とオタク

先日何気なくテレビを見ていたら、諸富祥彦という心理学者が出てきて、いろいろなことを話していた。
日本人の5人に1人は鬱病になる可能性があるそうだ。彼の研究室にはプロのカウンセラーがたくさん訪れ、様々なアドバイスを受けて帰るという。
なかでも一番面白かったのは、オタクと呼ばれる人々は鬱になる可能性が大変少ないという話だった。とはいえ、勿論あまりに受身的な趣味ではだめで、さらに通常の社会生活を続けているという背景も大切だとか。
映画を見たり、音楽を聴くだけというのではなく、その感想をなんらかの形で記録するとか、あるいはネット上に発信するなどというのがいいらしい。つまりアクティブなオタクである。
もちろん何かを収集するというのも、一つの型としては考えられる。しかしその際も似た趣味の人と同好の会を立ち上げるといった能動的な活動が必要だという。
いずれにしても常に自分の時間の中に濃厚な趣味の要素があり、それがあることで、つねに自覚的に自らの生が意味あるものとして捉えられているということが大切なのである。
そのために、似た趣味の人間と出会いコミュニケーションを重ねるという可能性も切り開けるのだろう。家に引きこもるだけのオタクをここで連想してはならない。
すなわち、あくまでも社会に出ていくタイプの人々には、鬱という状態は程遠いのである。
鬱病になりたくなかったら、積極的に趣味を開拓し、社会へ自己を投企していくための方法論の一つとして活用すべきなのではないか。
オタクという響きからくるマイナスのイメージを、ここで十分に払拭できるはずだ。

2010-10-02(土)

芸は一代

つい先日、古今亭志ん五師匠が亡くなった。61才だったという。ガンだ。古今亭はなぜか早死にする人が多い。彼の師匠志ん朝もガンで早く逝った。
志ん五師匠の芸は俗に与太郎が一番といわれていたが、後半はむしろ人情噺に新境地を開いていた。寄席に行っても、いつもすっとあらわれ、わずかな時間さらりと笑わせて消えた。
個人的には何度も稽古した「無精床」への愛着が強い。この映像を何度見ただろうか。今年の2月に某所ではじめて高座にあがることになり、そのためにほとんど毎日映像を見た。
最初のまくらの部分が実にばかばかしく、それもこれも師匠だった。
芸はその人一代のものである。亡くなれば全てが消えてしまう。
昨今噺の難しさだけを感ずる中で、どうしたらいいのか呻吟している。どうしたら自分の味というものが出てくるのか、全くわからない。形から入って形を出るとよく言われるが、そんなに簡単なものではない。というか、そんなことができていれば、とうに誰もが名人になっている。
若手の噺は確かに面白くない。なぜか。
理由はいろいろとつくだろう。しかしそれがわかったからといって、うまくなるというものでもない。
かつて圓生と志ん生は九死に一生を得て、満州から東京に舞い戻った。それから飛躍的に芸がうまくなったと言われている。
あの圓生でさえ、本当に売れ出したのは、亡くなる前だった。子供の頃から噺家として寄席に出入りし、名人と呼ばれるまでになった人だ。これが芸というものの怖さなのだろう。
はじめたばかりの青二才が呟くようなことではない。
最近は怖さを感じることが多くなった。その場しのぎの瞬間芸ならばなんとかなるかもしれない。「時分の花」とでも呼べば呼べるのだろう。しかし「まことの花」への道のりのいかに遠いことか。
芸は結局、己を知る作業の延長上にしかない。だからこそ厳しくまた魅力にあふれているのだ。楽屋落ちで済んでいるうちは、なんの進歩もないのである。

2010-07-17(土)

井上ひさしとつかこうへい

この数ヶ月の間に、大きな劇作家が二人も亡くなった。ぼく自身に大きな影響を与えた人達だった。
井上ひさしの作品は初期のテアトルエコーの頃から観ている。恵比寿のホールであのどぎついシャレと語呂合わせに打ちのめされた。
これはどこかにも書いた記憶があるが、なんといっても記憶に一番残っているのが『珍訳聖書』である。この本は今でも手元にある。新潮社がシリーズで出した劇作集のひとつである。
エンディングだけで何度あっただろうか。重層的と言えば、それまでだがどこまでいっても芝居に終わりはなかった。
後にこういう作品を入れ籠構造のものだということを知った。
客はどこまでつきあったらこの芝居が終わるのかわからない。そのうち、終わりというものがあるという当たり前のことすら疑い始めるのだった。
自分たちがそれまで知っていたあらゆる既成概念を打ち破ると言う意味でも、ぼくには画期的な作品だった。
その後、こまつ座に軸足をうつした頃から作風は大きく変化した。初期の言葉遊びが終わり、より深い人間ドラマになった。
『きらめく星座』がなかでもいちばん心に残っている。銀河系の中で水を含んだこの惑星の中に人間として生まれたこと、この世に存在するということそのものが奇跡だと呟くすまけい演じる男の横顔を忘れることはできないだろう。
だから人は生きなければならないという井上の強いメッセージは、『イーハトーヴォの劇列車』の中に出てくる思い残しキップにも色濃く反映されている。
こまつ座の稽古場には何度も訪れた。ゲネプロにも行った。思い出はたくさん残っている。プロの芝居の作り方というものを目の前でみせてもらった。役者達が演劇というものをどれほど愛しているのかということも知った。貴重な時間だったと思っている。
井上ひさしの文学はずっと残るだろう。もちろん彼の芝居はこれからも上演され続けるに違いない。それだけの足腰の強さを持っている。天皇の戦争責任にまで言及した後期の作品など、これからもその時々に話題になることであろう。

つかこうへいがわずか62才でなくなってから一週間近くが過ぎた。この人の作品に出会わなかったら、今の自分はないような気もする。芝居を観て、これだけ強烈なインパクトを与えられたという経験は今までにない。それはどこか遠くで行われているものではなく、まさに同じ時代の同じ時間に起きている現実そのものだった。
それだけに色褪せるのもはやかったに違いない。
ものすごい毒だった。しかしそれが心地よかった。『熱海殺人事件』は何度も観ている。しかし時がうつるにつれて、その感覚は微妙にずれていった。やはり最初に紀伊国屋ホールで観た時の衝撃ははかりしれない。
大げさにいえば、こういう風に世界はできているのだと思った。あれだけ黒ずんだ台詞を大量に投げつけながら、人間に対する愛情を吐露した芝居をぼくは知らない。
在日韓国人故のつらさという一点に収斂させることには無理がある。もっと広く時代の感性を背負っていた。
もう二度とああいう感覚を持つことはできないに違いない。今上演しても面白くはない。つかはその後もさまざまなバージョンを練り上げていったが、初演を超えることはなかった。
たくさんの俳優を本物にしたという意味で、彼の功績は大きい。つかの演出ではじめて育った役者達のなんと多いことか。
三浦洋一があっと言う間に鬼籍に入り、その後も数人が続いた。あの頃のあの熱さはなんだったのか。懐かしさで胸がいっぱいになる。
これからもあの時の熱を検証し続けていく覚悟が必要だろう。

2010-05-30(日)

日本辺境論

内田樹の『 日本辺境論 』を題材にして国語表現の授業をやった。毎回、生徒が食指を伸ばしそうな新書を紹介している。
今回のテーマは日本人論だ。
日本人はとにかく日本人論が好きである。いくらでもあげることができるだろう。『甘えの構造』『菊と刀』『縮み志向の日本人』『日本人とユダヤ人』『スカートの風』。
どれも今や古典となっている。
その中で昨年出版されたこの本は、あっと言う間にベストセラーになり、新書大賞を獲得したと聞いた。
『下流志向』でのヒット以来、向かうところ敵なしのようにも見える。
さてその内容はどこから書いたらよいものだろうか。
一番感心したのは、日本語というか、文字の成立そのものについての記述だ。日本語は漢字という表意文字とひらがなという表音文字を縦横に駆使し、今ではあらゆる概念を全て表現できるといってもいい。
フィリピンやベトナムでは、英語を使わないと複雑な哲学的概念を示すことはできない。英語ができなければ、知的な職業にもつけない。ちなみに日本ではそんな状況にはない。
さらに韓国では文字を全てハングル化してしまったために、過去の漢字が入った文献を若い人達が読めなくなっているという。
明治に入って、あらゆる外来語は日本語に翻訳された。それは進んでいる国からきた考えを、遅れたこの国へ広く伝搬させるために、不可欠のことだったのであろう。
漢字二文字の訳語はほぼ、この時期の人々によって翻案された言葉と呼んでさしつかえない。
日本はつねに辺境にあり、遅れた国であるというある意味でがんじがらめになった思考から未だに脱却できていないと内田は言う。
新しい思潮があれば、すぐにそれを取り入れ、自分たちのものにしようとする。しかし、自分たちが最前線に立つことになると、完全に言葉を失ってしまう。
そこに辺境国家たる所以があるのだという。
その証拠に日本人の感性を縦横に駆使した作家達、司馬遼太郎、藤沢周平、池波正太郎などの小説はほとんど外国語に翻訳されていない。
いくら訳出したとしても、それらを扱おうという出版社がないのである。
村上春樹のようなある種、無国籍的文学には飛びつく外国人たちも、根のところにしっかりとこびりついた日本人的感性をまとったこれらの代表作家たちのものは、扱おうとしないのである。
吉行淳之介、島尾敏雄、吉本隆明、江藤淳など、みな同様である。
つまり日本人的感性を理解できないということか。
また日本独自の師弟関係に横たわる不思議な空間についても、興味を抱いた。確かに自虐的な本である。それ故にまた読まれるというあたりが、どうやらまさに日本的な所以なのかもしれない。
生徒も日本人論には興味を示した。
世界のだれにも理解されないことに酔いしれる日本人という構図は、いったい何を語るのか。辺境にあることで自足していられるほど、もう世界は広くはないとも思うのだが…。

2010-05-15(土)

ラジオ深夜便

放送20周年完全保存版『こころの時代』(上下)を読んだ。ラジオ深夜便というのは今やNHKの看板番組である。深夜から早朝にかけて、眠れない夜を過ごす人や、早起きの人のために「こころの時代」というコーナーが新設されてからはや20年。
生きる知恵を持っている人や、人生の困難に立ち向かう人々の横顔など、そこではさまざまな話題が取り上げられてきた。リスナーの数も大変多いという。テレビの持っている雑多な感触とは違う、実に落ち着いてのどやかな風景が繰り広げられているのである。
今回の特集号はその中でもことに支持のあった放送を選んで編集したものだそうだ。
これを読みながら感じたことは、人には実に多様な生き様があるのだなとあらためて考えさせられたということにつきる。
その中でも戦争と病気が人の運命を大きく変えるという事実を思い知らされた。特攻隊の仲間を送り出し、自分だけが生き残ったとずっと思い悩んでいたという作家、神坂次郎。
老子の考えに触れ人生が劇的に変化したと語る詩人、加島祥造。
ソ連に無実の罪でスパイとして抑留され、その後ソ連国籍まで取り、ソ連女性と結婚までして、時が過ぎるのを待ち、ついに半世紀を経て日本に生還し、日本で生きていた妻子と出会ったという数奇な運命をたどる蜂谷弥三郎。
45才の時、トラクター事故で両腕を失った大野勝彦。彼は乗り切れない試練などないと述懐する。
元大阪道頓堀商店会会長でお好み焼き屋チェーン社長、中井政嗣。非行歴を持つ少年少女を雇い続け、彼らに裏切られても根気よく店長などにまで抜擢し続けてきたその人間観には、驚かされた。
10億円以上の莫大な負債を背負い、そこからタクシー運転手として過ごした10年間の体験を元にして書いた『タクシー狂躁曲』『血と骨』などで作家として活躍している梁石日。
伏見工業高校ラクビー部総監督、山口良治の教育論も熱かった。
いずれも劇的な人生を送ってきた人々ばかりである。
人間は一度しか生きられない。だからこそ誰もが失敗をしたくはない。これは当然だろう。しかしことはそれほど単純ではない。どうしても自分では御しがたい事態が起こり、それ以降の生活が余儀なく変化させられていくということはあるものだ。
しかしそこからが本当の力を示す時なのかもしれない。
この本を読みながら、生老病死とよく言われる人の苦しみはどのような時にもついてまわるものだと感じた。それとどうやってつきあい、そしてこの地上に安寧の時間を得るのか。そこに人の生き様があらわれる。
この番組が多くの人に支持されている秘密の一端を垣間見たような気がした。多くの人に読んでもらいたい本である。

2010-03-17(水)

F1とF2

テレビの世界では視聴者を層に分けて分類している。
それを簡単に示すと以下のようになる。

C層 4-12歳の男女 (CはChildの意味)
T層 13-19歳の男女(TはTeenagerの意味)
F1層 20-34歳の女性(FはFemaleの意味)
F2層 35-49歳の女性
F3層 50歳以上の女性
M1層 20-34歳の男性(MはMaleの意味)
M2層 35-49歳の男性
M3層 50歳以上の男性

これを見て今のテレビが誰のために作られているのか考えてみると面白い。明かに購買層を強く意識していることがわかる。広告をもっとも効果的に打ち、その効果の出る層が、簡単にいえばテレビのターゲットなのだ。あるいはお金を使ってくれる人々がテレビ番組の対象ということがいえるかもしれない。
今まではF1層が完全にテレビの客だった。彼らを対象にした番組を作り、そこに登場するタレント達に流行の服を着てもらえば、十分にペイできた。
そのために破格の広告料を払い続けてきたのである。
もちろん、高齢者にも可処分所得はある。しかしそれとテレビが直結しないのは、そこに登場する風景があまりにも彼らの世界とは乖離していたからだろう。
大型の液晶テレビが普及し、人々はその画面の美しさに魅力を感じることとなった。さらには外国の風景などをまるでそこにいるかのような気分で味わうこともできる。この種の番組を好む層は明らかにBSへ流れた。
今までのように賑やかなだけのバラエティ番組に飽き飽きした層は、こうした静かな風景を眺め、心を癒されている。ただしそれが消費行動につながるのかといえば、単純にはいかない。
テレビ局は今までと同じF1層への浸透をさらに続けようとしている。化粧品、飲料、食品。さらにはその上の世代F2も彼らのターゲットである。
男達はどうなのか。あるいは熟年層は。あまりにも自分たちの見る番組がないと嘆く必要はない。元々テレビ局は彼らを相手にはしていないのだ。だから何も見るものがなくてつまらないと呟いても無駄なのである。
昨今はワンセグもあり、YOUTUBEに代表されるようなテレビ補完型メディアもある。NHKのオンデマンドの存在もある。
テレビ局も広告代理店も、どの層が最も消費するのかということだけにもっぱら熱意を持ち続けている。しかしその裏側で、大きなあくびをかみ殺している層もまた確実に存在するのである。

2010-03-15(月)

そうか、もう君はいないのか

城山三郎が亡くなって数年が過ぎた。最後にまとめられた本『そうか、もう君はいないのか』には万感の思いがこもっている。この作品はテレビドラマにもなった。
夫婦というものは、縁あって一緒になった男と女でしかない。
しかし長い時間をともに暮らす中で、まさに運命としかいえない愛情の形をみせる。むろん子供が授かるということもあるだろう。あるいは喧嘩をすることも。時には一緒に旅もするに違いない。
そのあらゆる場面に、戦友としか呼べない姿が垣間見える。
城山三郎のこの著書にも、実に見事な夫婦像が描き出されている。暖かで包容力のある奥様だったようだ。
どちらかといえば細かくてせっかちなご主人を陰日向になって支えた。その様子が文章のあちこちから匂い立ってくる。
中に「妻」と題した詩がある。
その一番最後のところに、「五十億の中でただ一人おいと呼べるおまえ」という表現が出てくる。
男からみたまさに実感だろう。
「律儀に寝息を続けてくれなくては困る」という一節もまた感慨に満ちている。
大学教員と作家という二足のわらじを脱いだ時、ほっとしたと同時に責任の重さも感じたとある。妻子なくして持てない感情ではないだろうか。
著者が座右の銘にしていた箴言の中にイタリアの経済学者パレートのものがある。
「静かに行く者は健やかに行く。健やかに行く者は遠くまで行く」
奥様をガンで亡くした後の作家の寂しさは想像にあまりある。
この本を読みながら、江藤淳のことをふと思い出した。

2010-02-03(水)

真田太平記

1ヶ月近くかかって、全12巻を読み終えた。文庫本でも1冊550ページはあるから、ものすごい量の小説である。1万枚に近い原稿枚数だそうである。
天正から元和にかけての40年間はまさに激動の時代であった。武田、織田、豊臣、徳川と群雄が割拠した時代である。
その中で父真田昌幸を中心に二人の子、信之と幸村がどのように生きて死んだかのかを活写している。
忍びの者といわれる人々に対してもその視線は実にあたたかく優しい。女忍びのお江、頭目の壺屋又五郎。さらに佐助。
主題は何かと問われれば、人は死ぬために生きているという人間観につきるのではないか。逆にいえば、人はどのように死ぬのかという一点に己の美学を示すのかもしれない。
大阪夏の陣において、完全に破綻した豊臣方のために死んでいく真田幸村の実に堂々とした姿は一幅の絵を見るようである。見事だ。
すべての登場人物が、それぞれの生と死を思うさま演じているというところに、この小説の醍醐味があるのではないか。
これだけの長編を読んだのは、吉川英治の『新書太閤記』以来かもしれない。しかしあれからかなりの年数がたっている。
これからもこれだけ長いものに挑むことはそうそうないに違いない。読了した今、実に多くの人間と同じ時間を生きたような錯覚にとらわれている。その幸せは誰にもわかるまい。
読書の楽しみはまさに同じ時を密かに共有できることにつきるかもしれない。よくぞ9年間もの長い歳月をかけて完成したものだと、ただ驚くばかりである。
池波正太郎は多くの読者を今も獲得し続けている。人間に対する愛情と透徹した眼の確かさにその理由があるのだろう。
楽しく心躍る1ヶ月間であった。
心から著者に感謝したい。

2010-01-03(日)

ネット時代

藤原新也の本『渋谷』が映画化されたそうだ。この本を読んだのは随分以前のことである。渋谷を往き来する少女たちにインタビューを試みた本である。淡々とした筆致がかえって彼らの日常を丁寧に描き出していた。
いつだったか、ぼくも読書ノートにまとめた記憶がある。
さて彼が今日の朝日新聞にコラムを書いていた。妙にそのことが今も気になる。
その内容の骨子は以下の通りである。
ブログを書いている人の多さ。ツィッターと呼ばれるごく簡単な近況報告をしている人々の数。その中心になっている層が、個人情報の管理にうとく、ほぼ自分を公衆の面前にさらけ出していることに気づいていないという楽天的な現実。
さらにはインターネットの普及につれて、個人の関係がますます薄らぎ、そこに息苦しさを覚えている人が増えていること。あるいは逆に肉体性を回復しようと、つねに実質を持った個人と出会うことを意識して行動している人もまた少なからず存在しているという事実。
こうしたことがさりげなくまとめてあった。
考えてみれば、ブログで日記を発信するということは実に暢気な行為ではあるが、一面怖ろしいことでもある。そこでは思想性、趣味、パーソナリティまでが知らず知らずのうちに明らかにされているのだ。
そのことを発信者たちはどの程度の自意識を持って書いているのか。
インターネットは基本的に無償のメディアである。記事を書いて原稿料をもらうという行為とは全く異なる。
昨年は雑誌の廃刊が目立った。本も売れない。今や1万部売れたら、確実にヒットと言われる。販売額の伸び悩みは深刻である。必ず売れる作家は何人もいない。このままいくと、大量の在庫を抱えて倒産する出版社が出てくるに違いない。
ネットは確実に人々の生活をかえた。ものを買うのも今やネットの方が安い。店舗展開をしている量販店よりも明らかに安価なのである。CDも売れない。ダウンロードやレンタルという方法論が主流を占めている。
ことほどさように、文化もネットを頼っていくのであうか。新聞をとらない家も以前より増えているという。
紙の上に印刷され、推敲された文字と、デスクトップの上に踊る文字との間には、どのような違いがあるのであろうか。その信頼性の甲乙はどちらに軍配があがるのか。
とにかく以前より際限のない複雑な時代に入ったことだけは間違いがないだろう。
人の行動がそこではどういう方向性をたどるのか。
人と繋がれない不安だけが増殖していくのか。
今後も注視し続けていく必要があるようだ。

2009-12-08(火)

シルミド(実尾島)

韓国修学旅行から帰って、関連の本を何冊も読んだ。中には『シルミド』のような衝撃的な内容のものもあった。この話は読んでいてつらく、しかし現実はこうなのだろうと十分に予想されるものでもあった。
今回の旅行で軍事境界線まで行けたことは、大きな収穫だった。
事件の発端は1968年に発生した北朝鮮からの侵入者による青瓦台襲撃未遂である。31人の北朝鮮兵士が国境を越え青瓦台に1kmまで迫った。北朝鮮軍が米軍監視下の中、青瓦台付近まで侵攻したというのは信じられない事実である。大半の兵士は銃撃戦の最中に死に、そのうちの一人は生きて北朝鮮軍に戻り、英雄となった。韓国に残った一人は現在、牧師をしているという、これも分断国家の実像そのものである。
しかしここからがまさに歴史の事実だ。
その直後、すぐに韓国軍も全く同じ計画を練ったのである。これが両国のおかれた現実だったのだろう。
この時の大統領、朴正煕の怒りは傍で見ていられないほどだったという。その直後に反攻の計画を練らなければ、KCIAの威信が丸潰れだったということもある。
というより、そこまで大統領に擦り寄らなければ、中央情報局のトップ達の首そのものが危なかったということもあるだろう。
つまりは彼らは自らの保身のために、同じような計画を策定した。これも生きている政治そのものだった。
その時は金日成の居留地がわからず、そのことにも朴大統領は怒ったと言われている。
特別なルートを使って米国CIAに頼み、スパイ衛星などを使ってやっとのことで探し出したそうだ。その後はまさにシルミド(実尾島)と呼ばれる無人島での特別訓練が続いたのである。
結局この作戦は苛酷な訓練の後中止され、たくさんの悲劇が生まれた。後に映画化され、韓国人の4人に1人は見たと言われている。映画では死刑囚などを集めたとされているが、実際は志願兵だった。
その時のKCIA長官は密かに殺されてもいる。これが真実というものなのだろう。南北4キロにまたがる軍事境界線は全く人が立ち入らず、自然がそのままになっているという。夕方から朝まで対峙して警備し続けるのが、両軍の今の姿である。
大陸の冬は乾いて寒い。身が切られるというのはあのことだ。
一晩中境界線を警備し続ける兵士にはどちらかといえば、裕福な家庭の子弟をあてるのだという。そうでないと、北朝鮮に亡命してしまう怖れもないわけではない。
金大中の太陽政策以降、南北の対話は進んでいる。とはいうものの、韓国の首都ソウルは、あまりにも北朝鮮国境から近い。そのことは車で走ってみればよくわかる。
近くて遠い国同士がいつになったら統一するのか。あまりにも両者の意識が隔絶しているようにも見えるのもまた紛れもない現実なのである。

2009-10-01(木)

女ともだち

遙洋子の『女ともだち』という本を読みながら、いろいろなことを考えた。俗に女の敵は女だというが、本当に同性の親友を得るということは難しい。
とくに女性は夫を持った時点で大きくかわる。相手の男性がどのような性格の人であるのかによって、交友関係が規定されるのである。
つまり主婦と独身の女性はなかなか親友になれないともいえよう。どうしても相手の夫に対して気兼ねをしてしまう。生活する時間帯も違う。するとその時から、もう歯車が狂いだすのだ。
それでもとにかく友達をつくろうと思ったら、「遊ぼう」と声をかけることだと彼女はいう。どちらかが誘う。それに一方が応じる。しかし3度声をかけて、3度とも断られたら、相手には友達になろうとする意志がないと判断するべきだと、彼女の友達だった木原光知子はよく言っていたという。
全編を通して、とにかく木原光知子の章は面白い。彼女はとことん相手のためにつくす。将来のことを考えて、多くの実業家を紹介してくれた。さらには無理のきく料亭の経営者にも会わせてくれた。パーティの仕切り方も教えてくれた。
そして、いつも奢ってくれたのである。しかし3度奢られたら、1度は奢れ、さらに仕事を今度は回してくれと呟いたという。
そしていったん友達になったら、絶対に裏切らない。友達の味方は自分の味方、友達の敵は自分にとっても敵であるという凛とした生き方をしろと説いた。
ある台風の晩に、いつも行くレストランへ二人で行ったこともある。他には誰も客がいなかった。きっとこんなことだろうと思い、万難を排して彼女は遙洋子を誘い、出かけたのである。
それがいつも世話になっている料理店への心遣いなのだった。
またはじめて彼女がレギュラー番組を持った時、木原はホテルの靴屋へ誘い、どれでも好きなのを買えといって祝福してくれたという。友達は頭とハートを両方持っていなければいけない。頭がいいだけの友達は将来必ず裏切る。ハートだけでもダメといつも言っていたそうだ。
さらに師と仰ぐ上野千鶴子との話も面白い。
元々、彼女が本を書くきっかけになったのは今から10年も前に出版された『東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ』がきっかけだった。この本は傑作だ。社会学を何も知らなかった遙はよく耐えて勉強したと思う。
それ以来、彼女はほんのわずかの時間、胸に飛び込むようにして、上野の言葉を待つ。
しかし親を亡くした後の悲しみを訴えた時、上野はただ抱きしめただけだった。いつも言葉で彼女を支えてきた上野だからこそのあたたかさなのだろう。
友達をつくるのは難しい。それは自分をみつめる行為そのものだからである。つねに自分が試されているのと同義なのである。

2009-09-12(土)

投資と浪費

香山リカの最新刊『しがみつかない生き方』を立ち読みした。かなり好評だという。
その中で最も愉快だったのが、第10章「勝間和代」を目指さないである。なるほど、ああいう女性になろうとすれば、どこかで無理が生じるに違いない。「起こっていることは全て正しい」などと言われてしまうと、もう何も反論はできなくなる。
そんな勝間本もまた売れている。
立ち読みしかしていないが、この人の勢いにはどこかうそ寒さが潜んでいるような気がしてならない。
さまざまな苦労を自分の力だけで、跳ね返してきたということはよくわかる。しかしそれを全ての人に押しつけるというのはどうか。本人にはそんなつもりはさらさらないのかもしれないが、メディアはしたたかである。
利用できるキャラクターなら言葉は悪いがしゃぶりつくす。
テレビで見ている限り、本人もそれほど悪い気分でいるようにも見えないので、これは互いに折半というところか。
ところで今朝の新聞をみていたら、勝間和代が投資と浪費の境目について書いていた。
高いスーツでも靴でも、それがその人を以前よりも一段格上げするものであれば、浪費とはいえないという。もちろん、何かの資格をとってスキルアップするための費用も、投資の範疇に入るだろう。
一番の浪費はなんといっても酒食である。バー通いも、頻繁な宴会も、それが関係の構築に大いなるメリットとなれば投資となる。
しかし反対に日常をひきずって、たんに愚痴を言い合う場であれば、それは浪費以外のなにものでもなかろうというのだ。
華美な服装もどこまでが必要なものかを瞬時に判断する能力がなければ、今のような時代には捨てられてしまう。
なるほど、その通りかもしれない。生き馬の目を抜く時代なのである。彼女が起きていることは全て正しいと言い切る所以である。
一方、香山リカの本によれば、ふつうの幸せを手に入れるには、私が私がという自慢競争をやめること。お金、恋愛、子どもにしがみつかないこと。物事の曖昧さ、ムダ、非効率を楽しむこと。そして他人の弱さを受け入れることとある。
非効率を楽しめと耳元で囁く精神科医と効率重点主義で一途に突っ走れという会計士の勝負は、さてどちらに軍配があがるのだろうか。
どちらも無理という人も当然いるだろう。
しばらくは様子見というところか。

2009-08-12(水)

風の通る道

風水などに興味があるという訳でもない。しかし風が通るということにはちょっと関心がある。一般に風通しがいいという表現がある。これはなにごとにも通じるようだ。
つい先日、ある医者のところで知人がこんな話をきいてきた。とにかく家の中では風が通るように暮らさなくてはいけないのだそうだ。漢方の医者だけに面白いことを言うと思った。
これはもちろん家だけの話ではない。夫婦、友人、あるいは自分自身のことにも通じる。つまり人はつねに風が抜ける状態にいなくてはならないということなのである。
ものをためすぎれば、必ずどこかに置く。すると風が抜けなくなる。自分の気にいったものだけを周囲にうずたかく積んでしまうと、やはり風は通らない。すると心に不満が鬱積する。本当に必要なものは実はそれほどにはないのだ。
あとは捨ててしまってもいいものばかりである。
人の関係も同じだろう。友人がいくらいるからといって、あらゆる人と関係を密にしておくことはできない。疎遠になるものは自然と離れていく。それでいい。無理をすることはない。
夫婦も同様だ。いつも風通しをよくしておけば、それだけで居心地がよくなる。コミュニケーションと言い換えてもいいだろう。
互いのいる場所をきちんと把握し尊敬しあうということが、大切である。
人生を旅になぞらえる人がよくいる。風通しのいい旅をしていれば、心はいつも同じ場所に閉じこもることがない。
さわやかな気分でいるために、心がけることは、まさに風の通り道を自分の中にも外にもつくっておくことだ。
それが自然にできる人もいるだろう。努力しなければうまくいかない人もいる。とにかくものを持たない。心にためない。
そういう暮らしができるかどうか。そこに風の通る道の真価が宿っているのではないか。

2009-07-22(水)

さびしい王様

北杜夫の書いた童話『さびしい王様』のことをふと思い出した。登場人物の名前をいまだに覚えている。正式名称は実に長いのだ。
シャハジ・ボンボン・ババサヒブ・アリストクラシー・アル・アシッド・ジョージ・ストンコロリーン二十八世が彼の本名である。
こういう話の展開は、悪賢い王様の手下がいて、王様は手もなく丸め込まれてしまうと相場が決まっている。
完全に無力な帝王として君臨するだけである。おそらくこの童話の原型は『はだかの王様』なのだろう。ここにもさびしい王が登場する。
ストーンコロリン28世もまさしく、革命がおとずれるまでは、傀儡そのものであった。
ちなみにこのシリーズにはいくつかの作品がある。『さびしい姫君』と『さびしい乞食』がそれだ。
しかしなんといっても一番いきいきしたタイトルは『さびしい王様』だろう。なぜか王はいつも孤独の影におびえている。
試みに歴史上の王を思い出してみれはよい。西洋でも東洋でも、最後はろくな死に方をしていないではないか。
発狂するものもあれば、暗殺されるものある。布団の中で多くの家臣にかしづかれながら、静かに息を引き取ったなどという為政者は、そう多くない。
頂点にのぼるものはみな孤独だ。そしてそれに耐えなければならない。これが宿命なのだろう。
シェークスピアをもちだすまでもなく、『ヘンリー八世』や『リチャード三世』『マクベス』『リア王』の死に様はものすごい。権力を奪ったものは必ず次の権力者に奪われるのだ。
比叡山を焼き討ちした信長は光秀に滅ぼされ、その彼もわずか三日の天下を保ったにすぎない。その後を襲った秀吉もやがて家康に滅ぼされる。あれほど、秀頼の行く末を頼んだにもかかわらず、家康はすぐにそれを無視した。
話はかなり飛ぶが、今回の衆議院解散もまた同様である。
総理大臣の椅子が、どれほど座り心地の悪いものであったかを、今頃彼はしみじみと感じていることだろう。応援演説の依頼もほとんどないという。まさにさびしいはだかの王様そのものではないか。
歴史はつねに繰り返す。
盛者必滅、会者定離とはうまいことをいったものだ。

2009-07-21(火)

十善戒

かつて最澄は仏道修行をする人のために十の戒めを説いたと言う。
どれも誠にあたりまえの話ばかりである。
先日、とある法事に出かけた時も、年老いた住職がこの言葉の意味を説明していた。聞いていても胸に痛い。全てが自分に返ってくる。

不殺生(ふせっしょう)むやみに生き物を傷つけない
不偸盗(ふちゅうとう)ものを盗まない
不邪婬(ふじゃいん)男女の道を乱さない
不妄語(ふもうご)うそをつかない
不綺語(ふきご)無意味なおしゃべりをしない
不悪口(ふあっく)乱暴なことばを使わない
不両舌(ふりょうぜつ)筋の通らないことを言わない
不慳貪(ふけんどん)欲深いことをしない
不瞋恚(ふしんに)耐え忍んで怒らない
不邪見(ふじゃけん)まちがった考え方をしない

これだけ守れたら、もうその場で仏になれそうな気さえする。
ところで吉本隆明の『禁忌論』に面白い記述がある。
なぜ禁忌なのか。なぜしてはいけないのか。それは誰もが望むからだというのである。まさにアンチテーゼにこそ、真実が宿っているというわけだ。
その考え方からこの戒めを読んでみると、なるほど、どれも誘惑に満ちている。特に在家の信者に対しては別に五戒と呼ばれるものもある。
ほとんど十善戒と同じ内容だ。

不殺生戒(ふせっしょうかい)生き物を殺してはいけない。
不偸盗戒(ふちゅうとうかい)他人のものを盗んではいけない。
不邪淫戒(ふじゃいんかい)自分の妻(または夫)以外と交わってはいけない。
不妄語戒(ふもうごかい)うそをついてはいけない。
不飲酒戒(ふおんじゅかい)酒を飲んではいけない

多くの人間はみなここにある戒めを守れそうもない。それだけの魅惑に富んでいる。だからこそまた存在理由があるのだろう。
現代の世相を俯瞰してみれば、全てこの戒めのどれかに抵触している。悲しいけれど、これが人間なのだ。
十善戒、五戒にさらなる重みが増す所以である。
ちなみに他の宗教にも同じような戒めがある。キリスト教しかり、イスラム教しかり。
そうしてみると、人間の原型は誠に相似たものだといえる。
哀しくて、やがて面白きかなを結論にするのでは、あまりにもふざけすぎているだろうか。

2009-07-02(木)

始皇帝とマイケル

つい先日、始皇帝稜についてのテレビ番組を真剣に見てしまった。今はCGがあるので、実にリアルな映像が見られる。彼の一生とあわせて90分間、テレビの前を動けなかった。
ポイントは彼の墓である。兵馬俑に代表される施設も墓の一部ではあるが、なんといっても小高い始皇帝稜の中がどのようになっているのかということには、並々ならぬ興味がある。
司馬遷の書き残したものの中でなんといっても有名なのは、その墓の中にあるという水銀の海や川についての記述だろう。
自分の墓の周囲に全中国を模した地形を形作り、海と川にあたる部分に水銀を流し込んだというのである。
当時、水銀は不老不死の薬ともいわれた。事実、彼はその効能を信じ、丸薬にして飲み続けたと言われている。その結果、死期をはやめ、さらには幻覚までみるようになった。
中国全土を支配し、万里の長城まで築いた男が最も怖れたものは自分の死であった。実に皮肉な話である。
即位してすぐに自分の墓の造営にあたらせたというのもよく知られた事実である。また建築に関わった人足達を全て生き埋めにし、どこが秘密の地下宮殿に至る入り口なのかもわからないようにしたそうだ。
さて、現代に入って地中の様子はさまざまに研究されている。それによれば司馬遷が著した通り、その部分だけ、異常に水銀の濃度が高いという。全ては事実なのであろう。また一歩でも中に忍び込もうとすれば、どこからか矢が飛んでくる仕掛けまであるという話だ。盗掘はされていない。
発掘はいつ頃のことになるのか。
それにしても始皇帝の孤独は痛ましいほどのものであった。誰も信じられず、天地をのろった。やがて訪れた死。宦官趙高の思惑通り、次の傀儡皇帝は即位したものの、これ以後、秦は乱れにみだれる。

話はかわる。マイケル・ジャクソンの急死だ。
黒人として生まれたマイケルは最後の最後、整形手術の果てに白人となった。もうどこも手術できないところまで進み、医者も仕方なくオペをするふりをしたとまで伝えられている。その代償として鎮痛剤や抗生物質の大量摂取、さらには睡眠薬を相当飲まなければならなかった。
次々とスキャンダルに見舞われ、誰を信用していいのかわからない。
常人には想像もできないほどの収入と借財。ネバーランドに青い鳥はいたのだろうか。色濃く孤独の影だけが滲む。
考えてみれば、少し大袈裟かもしれないが、彼こそが現代の始皇帝かもしれない。誰も信用できず、自ら身体を傷め、そして死に至る。その死亡年齢がこの両者はほぼ同じである。これもたんなる偶然か。
プレスリーやジョン・レノン以上に伝説上のアーチストになることだけは確かだろう。
錯乱状態の中で海に矢を射たのは始皇帝であった。マイケルは何を願っていたのであろうか。孤独は死を早める。
つまりは無間地獄に落ちていく早道を、二人とも確実にたどったということになる。

2009-06-13(土)

異邦人

このところカミュを読み直している。つい先日調べていたある評論家の文章がどうしても心に残り、もう一度読みたいと思った。シジフォスの神話をゼミでやったのはもう数十年も前のことである。
武藤先生の授業だった。哲学のゼミであった。『シューシュポスの神話』というフランス語直訳のタイトルの本を、端から丹念に読んでいった。10人足らずの授業で、回し読みをしていった記憶がある。
あの頃、何が理解できたのか、それさえも今はおぼつかない。
大学にあった数多くの演劇団体はサルトルかカミュの芝居ばかりをやっていた。彼らの芝居がおそらく時代のキーワードだったのではないか。『出口なし』と大きく描かれた看板や、『カリギュラ』というおどろおどろしい文字を毎日見た。
カミュはやはり面白い。『異邦人』のあの無色な世界は、それ以降の時代を象徴していたといえよう。随分早く時代の先端を読み取っていたと今になってはっきり思う。
アルジェリアの砂漠の暑さもみごとに描写されているが、裁判になってからの無関心に今はいっそうひかれる。
マリイという女の生々しい肉体がそこではあぶり出されるように浮き出てみえる。彼女がある意味で司祭とともに、主人公ムルソーの内面を強く描き出す装置たりえているのではないか。
4発もの弾丸を撃ち込んだ主人公は、しかしその前に友人同士の喧嘩を仲裁してもいる。
人間はいつだってあらゆるものに変化する。そうした内面を持ったものとして、描かれた『異邦人』は現代そのものではないか。
あらゆる無差別殺人も動機なき殺人も、この小説には既に存在しているのだ。『ペスト』を今は大切に読んでいる。『転落』も『追放と王国』もこれからの大切な友になる予感がする。

2009-05-29(金)

幽霊

昔から幽霊は女と相場が決まっている。魂魄この世にとどまりて、恨みはらさでおくべきかなどと手を陰の形にして、恨めしそうにあらわれる。源氏物語などには生き霊などというのも登場するが、代表的な幽霊はみな死んでからあらわれるようだ。それも全て女である。
それだけ女の人というのは、嫉妬の感情や、恨みというものに近いと考えられてきたのだろう。我慢を強いられる場面が想像以上に多かったに違いない。男にも似たような気分は濃厚にあっただろうが、なぜか幽霊となると、女と相場が決まっている。
昨年、少しまとめて怪談噺を読んだり、聞いたりした。この分野ではなんといっても江戸時代の噺家、三遊亭圓朝の右にでるものはいない。
『怪談牡丹灯篭』や『怪談乳房榎』さらには『真景累ケ淵』などがある。どれも異様な話ばかりだが、長さからいえば、やはり累ケ淵か。
新吉が豊志賀という浄瑠璃の女師匠と、偶然暮らし始めるところから話は始まる。しかし別にいい女ができ、彼女が邪魔になる。ここから話は一気に展開していく。豊志賀の死の一節はよく演じられるところだ。
個人的には牡丹灯篭の方がストーリーが巧みで面白い。
萩原新三郎という浪人者と武家の令嬢お露との間に起こる恋愛を元にしている。既に死者であるお露が、夜ごと新三郞の元を訪ねるところが話の発端だ。
彼女を一歩も家に入れないために用意した、効験あらたかなお札をはがす段は何度聞いても面白い。その後 新三郎の下働き、伴蔵とお峰夫婦がこれも護身のための金無垢でできた海音如来を、新三郞を騙して手にいれる。このあたりから話はますます面白くなり、やがてお峰の暗殺にいたる。主筋にからむ因果話が栗橋宿にまで及び、やくざな医者、山本志丈の登場とあわせて、どこまでも飽きさせない。
元をたどっていくと上田秋成などの作品にもぶつかるという。彼の小説『雨月物語』には怨霊が跋扈している。『浅茅が宿』「白峯』などは時に授業でも扱ったりする。
さらに言えば、小泉八雲もいる。耳なし芳一は壇ノ浦の合戦で討ち死にした平家の怨霊に苦しめられる。これは男も女もない。
さらにたどれば、番町皿屋敷のお菊とか、四谷怪談のお岩などいくらでも幽霊はいるのだ。
ところで男の幽霊はいないのだろうか。試みに少し探してみた。するとなぜか落語にはかなり登場する。しかしこれがいずれも間抜けな幽霊ばかりで、実に愛嬌がある。笑いのとれる幽霊なのである。
『へっつい幽霊』などという噺は、まさに幽霊と人間が丁半博打をするというとぼけた内容のものである。
さらに『死神』などという人間の死生観に触れた妙な幽霊も登場する。その中でぼくが一番好きなのは、やはり『不動坊火焔』ではないだろうか。講釈師だが、巡業先でなぜか急死してしまう。
そこで残った借金を支払うかわりに、寡婦となったお滝さんをもらうという男が、この不動坊火焔の幽霊と言い争うというとぼけた噺である。
美人のお滝さんをとられた同じ長屋の連中が、近所に住んでいる噺家を不動坊火焔の幽霊に仕立てて、さんざんにもてあそぶはずだったが、そこは落語である。反対に悪態をつかれて、とんでもない目にあうという愉快な展開となる。
こうしてみると、幽霊と男はどうもあまり縁がなさそうだ。落語にばかり出て笑いをとるというのがその証しなのかもしれない。
だが『お菊の皿』などという噺ではちょっと女の幽霊も笑いをとったりする。いずれにせよ、これから彼らの季節がやってくるということか。
怪談噺の第一人者だった林家正蔵(彦六)ももういない。
次の名人はさて誰になるのだろうか。

2009-05-16(土)

都々逸五題

かつて柳家三亀松をよく聞いた。子供の頃の話である。今となっては懐かしい。もうあんな芸人は出ないだろう。女の口調で旦那に話しかける時の風情が実に秀逸だった。色っぽかった。三味線を片手に都々逸をいい喉で披露してくれた。

誰の似顔か羽子板抱いて髷を気にする初島田
四国西国島々までも、都都逸ぁ恋路の橋渡し
お酒呑む人花なら蕾今日も咲け咲け明日も酒

もう少し長生きしてくれたら、もっと味わいを感ずることができただろう。それが悔しい。芸は一代のものである。その時の出会いが全てだ。
噺の中にも都々逸はよく出てくる。

明けの鐘ゴンとなる頃三日月形の櫛が落ちてる四畳半

これは「棒鱈」という噺の中で歌われる。大変色っぽい歌だ。こういう情緒が残っている限り、救われたなという気分になる。わからないという世代がいても、もうかまわない。それはそれでいい。

三千世界の烏を殺し主と朝寝がしてみたい

これは「三枚起請」のマクラなどによく使われる。高杉晋作の作と伝えられている歌だ。
噺と都々逸はともに粋をその芯に据えている。江戸っ子たちの美学だったのだろう。野暮は徹底的に嫌われる。くどいのはいけない。粋とはいさぎよさに通ずる。同じことを繰り返すのもいけない。
そうした意味で説明は許されないのだ。全ては直感の世界に委ねられる。
こうした文化が数百年前にあったということに今更ながら驚かされる。今も古い町を訪ねていく人たちのなんと多いこと。
彼らは新しいものの洪水に疲れ果ててしまっているに違いない。

2009-03-15(日)

『細雪』の世界

『細雪』の世界が懐かしくなって、久しぶりに読み返した。戦前から戦中にかけての芦屋での生活がみごとに描き出されている。
いつの頃からか、源氏物語の影響も語られるようになったが、そんなことを気にせずに読んでいると、谷崎の『陰翳礼賛』とあわせて、彼の大切にしようとしたものが、彷彿としてくるのである。
軍部ににらまれ、発行することも許されなかったというのは有名な話である。防空壕の中でも執筆したらしい。戦後になって全てを書き上げ、やっと上梓することができた。
はじめて読んだのは学生時代のことだった。中央公論の名作全集の中に入っていた。青い表紙の姿形までをはっきりと覚えている。あの時はなんとなく手にしたのだが、蒔岡四姉妹の生活が仄見えて、爽快だった。
関西の人々の生活、言葉、ものの考え方がとくに新鮮だったように思う。後になって映画化もされそれも見たが、やはり文字のインパクトの方が強かったように感じる。
今回、読み直してみて、雪子と妙子に焦点をあてつつ、谷崎はやはり時代、生活というものを実にみごとに活写していると実感した。
女性というものは近くに寄らなければ寄らないほど、その聖性が保たれるとはよく言われることだが、雪子の造形にはことにその感が強い。
時にじれったいほどのお嬢様ぶりも、しかしこういう人は存在したのだろうとあらためて納得させられてしまう。妙子にふりかかる災難は、まさに運命としか言えないものであり、それでも蒔岡の姉妹の中に入ると、それなりにしっくりと絵になるところが、不思議でもある。
作品中、何度も平安神宮の桜を見にいくシーンが登場するが、その最高潮はやはり最初の場面であろう。みなが贅をつくした姿で、人々の視線にさらされるところは、これ以後二度と見られない最後の予兆に満ちている。
美は崩れゆくものの予感に支えられて、はじめて真実になるのかもしれない。
内村鑑三の『後世への最大遺物』を持ち出すまでもなく、文字を残すということは、生きる者にとって、かろうじて果たせる後世への最大の贈り物である。その意味で、谷崎潤一郎が残してくれたこの綾の織物は、珠玉の逸品であるといえよう。
『吉野葛』『芦刈』など彼の他の作品にもまして、いとおしいと思うのも当然なのである。
次に読むのはいつのことか。それを思うのもまた楽しみである。文学の気品を味わうということの喜びに満ちた作品であるのはいうまでもない。
文学の可能性を永遠に感じさせる名作である。

2009-01-31(土)

日本人のかたち

司馬遼太郎の『この国のかたち』を読んでいたら、気になることがあった。それはテゲという表現だ。テゲというのは大概と書く。沖縄ではこれをテーゲーとのばして発音する。薩摩ではテゲテゲとも言う。
司馬に言わせれば、テゲであるべき人物は人格に光がなくてはいけない。私心のないことが一番大切で、さらにいえば難に殉ずる精神と聡明さが必要である。
日本人の心の中には天下というものがまずあるらしい。そしてその下に大きな虚がある。つまりなんにもない存在としての虚だ。そこに人物があらわれ、天下を一時預かる。だから人々がついていく。西郷隆盛などという人は、まさに壮大にテゲが破裂したような人だったのかもしれない。
日本人はなぜかこの型が好きなのだと司馬遼太郎はいう。なるほど、大きくて壮大な暗闇がそこにあるというだけで、どうもぼくたちは安心しきってしまうような傾向がある。
上に立つものは、ただ虚であればいい。そこに向かって人々が勝手に歩き出す。そうした構造が日本という国の屋台骨をつくってきたのかもしれない。
これはひょっとして天皇制にも通ずる大きなテーマであろう。しかるに現代は大きな暗闇がなくなり、したがってテゲもなくなった。上に存在している人々は、誠に私利私欲の塊である。隙あらば財産を殖やすか、自分の子供を後釜に据えようと狙っている。
これでは誰もついてはくるまい。
ところで山県有朋にはテゲはなかった。
だから児玉源太郎は同郷の先輩を忌避した。
人間の関係は誠に玄妙である。加減乗除がそのまま正解を出すわけではない。
そんなことを考えていたら偉大なるくらやみ、広田先生のことを思い出した。彼にははたしてテゲがあったのかどうか。正解は漱石しか知らない。

2009-01-10(土)

諸行無常

平家物語の一節を読みながら、この作品が今の時代にまでその命を保っていることにあらためて驚きを覚えた。
それもこれも最初の一文があまりにも、人生の真実を捉えているからではないだろうか。
諸行は無情であり、盛者は必衰であるという。
現在のこの国の状況をみていると、まさにこの数百年前に示された本の通りである。昨年の9月以降、世界は不思議なほど階段を駆け下りてしまった。
それほどに急がなくてもよいのにと思う間もなく、状況は一変したのである。雇用の不安がこれほど声高にマスコミに登場する場面は今までなかった。
それも世界規模でである。かつて数兆円という黒字を誇っていた企業が、あっという間に赤字決算を出す。目の前でまるでマジックをみせられているかのようだ。
どうしてこのようなことになるのか。経済の仕組みがいくら理解できても、やはり納得できない人は多いのではないか。
まして門外漢のぼくのような人間にとって、ただ首をひねる以外に術はない。
日本は戦後経済成長の波に乗り、GNP大国になった。しかしその内実はなんともお寒い話である。あまりにも他国に甘えすぎたのかもしれない。
世界のことを忘れて、ただひたすらに走り続けた結果がこれである。諸行無常とはよくいったものだ。あっという間に世界はかわる。盛者必衰も同じである。
我慢をしなくてはならない時代が続くのだろう。
日本人の心はこの間に大きく変化してしまった。かつてのように、倹約を唱えてもそう簡単にことは運ばないに違いない。
しかし無常も悪いことばかりではない。マイナスと捉えてしまえば、それはそれでつらいことだが、やがて明るい春もやってくる。そう信じることだ。オイルショックも経験した。
その後の不況もあった。そのたびにゆっくりとではあるが立ち上がってきたのである。かつてのように一足飛びに回復するということはもうあり得ないだろう。
自分の身の丈にあった生き方をしなくてはなるまい。しかし冬の後には必ず春がくる。雇用調整、生産調整の時期をしのいで、今はなんとか生きていくしかない。
喜びはほんのわずかな春の息吹の中に探す以外にはみつからないだろう。時間は容赦ない。その間にも人々は確実に年老いていく。
それでも若者達はまた未来を見つめて生きていく。それが人の世だ。盛者は必衰だろう。しかしほどよく自分の道をわきまえた人間にとって、現実はまた豊饒である。
ささやかな自然の変化に目を向ける時だ。
言葉を残すことに力を傾ける時だ。
諸行は無常である。だからこそ生きる価値もあるのはないか。

2008-11-29(土)

からだのままに

南木佳士の本を久しぶりに読んだ。『からだのままに』である。彼の本は以前から好きである。この人の持つ不思議なまでの広さに共感する。最近も小説を書き続けているのだろうが、ぼくは随分ご無沙汰している。
さて『からだのままに』は彼のエッセイである。医者になってからずっと信州の佐久総合病院にいる。ここには彼が『信州に上医あり』に描かれた院長、若月俊一先生もいた。その彼も鬼籍に入ってから、随分と年月がたつ。
南木佳士はかなり重篤な患者ばかりを診すぎたせいもあるのだろう。
死亡診断書を三百枚くらい書いたあたりから、完全におかしくなった。人の死期ばかりを見続けるというのは尋常な神経でできることではない。
他者に起こることはおまえにもおこるという神の声を聴くことが増えた。そして、パニック障害を引き起こしたのである。仕事ができなくなった。休職である。
やがて少しづつ症状は快方に向かうが、それ以降、外来の軽度な患者を診つつ、今日に至っているという。
真面目に人間の現実を見続ければ、当然誰だって、健常ではいられなくなる。昨日まで息をしていた人が、翌日には冷たくなって全く動かなくなるのだ。厳しい事実である。
その隙間をなんとか覆うために小説を書き出したのだという。
精神安定剤と睡眠薬を飲み続けていた日々はどんなものだったのだろう。
好きだった煙草さえ、今はもう吸わないという。吸う気力がもうないと彼は書いている。
山歩きをはじめて、少しづつ、自然というものの持つ圧倒的な力に癒されていったとも書いている。
みんな、今日死ぬかもしれない朝にも、自分が死ぬとは思っていない。なぜなら、死のその時までは生きているのだから。
この言葉は誰の心をも揺さぶるのではないか。
南木佳士はいい小説家だ。

2008-11-02(日)

歌声喫茶

丸山明日香『歌声喫茶灯の青春』(集英社)という本を読みながら、いろいろと思い出すことがあった。なんで今頃、歌声喫茶なのかという疑問も当然あるだろう。
今、歌を皆で歌うということが中高年の間でちょっとしたブームなのだという。昨日の朝日新聞にも大きく歌声バスツァーの記事が載っていた。
いつもなら渋滞をいやがるお客達が、喜んでその間も歌をうたい続けるそうだ。解散するときも、また次には必ず参加すると明るい表情で挨拶をしていく。歌というものの持つ力がそうさせるに違いない。
新宿「灯」から派遣された指導者と楽器演奏者がバスに同乗し、30曲近くを歌いながら、一日のツァーを行うそうだ。
丸山さんの本は、どのようにして彼女の母親里矢さんが初期の歌声喫茶をつくり、その後どう発展消滅していったかの軌跡をたどった本である。
なかには当時の写真もあり、またボニージャックスや上条恒彦への取材、さらには草創期のスタッフ達との邂逅といった、娘からの視点をふんだんにおりまぜたドキュメンタリーになっている。
試みにともしびでネット検索をしてみたら、今も全国にかなりの店があり、それぞれが常連客をしっかりつかんでいることに驚かされた。
灯といえば、ぼくの思い出にもつながるところがある。兄がよくここのちいさな歌集を家に持ってきた。それは本当に小さな本で文庫本の半分くらいの大きさであったろうか。
そこに歌詞だけが大きく印刷されていた。
家から数分歩くと、大きな煉瓦塀の建物があり、蔦がからまっていたような記憶もある。そこから毎日、アコーディオンの音が聞こえてきた。そしてあふれるような歌声。毎日、その建物の横をとおりすぎると、いつもうたごえが聞こえたものだ。
あれは昭和30年代の前半だったのではないか。
最初のともしびは西武新宿駅近くの5坪の店からはじまり、やがてはビルになるまで成長したという。その後、内部で意見の対立が起こり、解散した。
ぼくの知っている店の場所ではない。当時、新宿にはコマ劇場の近くにもう一つ姉妹店があったようだ。
共産党のうたごえ運動の流れもあったのだろう。様々な思潮の中でうまれた店である。ロシア民謡や労働歌、あるいは童謡やシャンソンにまでそのレパートリーは広がっていった。
吉祥寺にも灯はあった。ぼくと妻の友人がそこで結婚式をあげたのは、今から何年前だったか。こういうところでも式はあげられるのだなと感心したことを、つい昨日のことのように思い出す。
新宿の灯は現在も大変活気に満ちているそうだ。注文すれば、歌集から楽譜、CDまで手に入れることができる。
当時は紫煙うずまくなかで、全員が熱唱したのだろうが、今は完全禁煙というのも時代の流れなのに違いない。
一度覗いてみたいと思う。
子供の頃の自分に出会う旅というのも悪くはない。
ちなみに最近のリクエスト、ベスト1はアメイジング・グレースだそうだ。これも時代ということなのだろうか。

2008-10-06(月)

自動車が売れないという話を聞いた。巷にはたくさんの車が走っている。それなのに売れないというのはなぜなのか。特に若者に売れないというのである。
以前は憧れに近いものが確かにあった。しかし今、車の話をしている青年の姿をそれほど見かけないような気もする。書店に行けば、自動車の雑誌はあるが、さてどれくらい売れているのか。それすらもわからない。きっと販売部数は激減しているのだろう。
今の若者にとって車は生まれた時から家にあった。途中から買ったというものでもない。いわばテレビと同じ存在なのである。もちろん、車種はかつてのそれと違うだろう。形も違う。機能も当然進化している。だが走るという最も基本的な性能は少しもかわりがないのである。
ある地点から、別の地点へ人間を運ぶという意味においては、どの車も似たよりよったりである。ただ大きいか小さいか。価格が高いのか低いのか。車内の広さは、静かさはどうかというところが比較されるだけだ。
明らかに車は憧れの対象ではなくなった。言葉は悪いが下駄の延長になってしまったのである。ならば、安くてそこそこ恰好もよく燃費のいい車の方がありがたいということになる。
かくして、セダンの時代は終わり、ステーションワゴンの時代へと様変わりをしたのである。
かくいうぼく自身、車には乗るが、極端なことをいえばなんでもいい。とにかく走ればなんでもいいのである。かつて高校生の頃、はじめて自分で運転した自動車の感触が忘れられない。
おもむろにギアを入れ、クラッチから足を離しながら、アクセルを少しづつ踏み込んでいく時の独特の音。緊張感。あんな時代はもうやってこないだろう。
今はほとんど全ての車がオートマチックである。遊園地のゴーカートとほとんど何も変わらない。踏めば走る。
あらゆるものから憧れが失われていく社会とは寂しいものである。中国やインドが消費にめざめ、日々変化していくのを横目で睨みながら、欲しいものが欲しいと呟いている昨今なのである。
車にかわるものはあるのか。それが知りたい。

2008-09-07(日)

家族の肖像

昨日、ふとしたことでデパートの中の写真館の前を通り過ぎようとした。するとその入り口に家族の肖像が掲げられていたのである。それも今年、去年などというのではなく、昭和の20年代から、今日までのものだった。
そのご家族は毎年決まった日に、そのデパートの中にある写真館で家族の写真を撮っていたらしい。
最初は若夫婦二人だけである。それが数年の後、子供が生まれ、またその後にもう一人生まれ、都合、娘さんが二人になった。
それから10数年、二人の娘さんは成長し、今度は一人だけ、そこに男性が加わる。どうも長女の旦那さまのようである。
その後、今度は妹に、ご主人が加わる。
やがて数年していよいよ孫の誕生だ。
ぼくは毎年、1枚だけ撮影された写真を丹念に眺めていた。なんという平和な一族だろう。毎年、同じ日に写真を撮ろうとするだけの心のゆとりをもてるということはなんと幸せなことだろうか。
子細にみると、父親の表情にはあまり大きな変化はない。しかし母親は次第に福々しくなっていく。これは女性の心の中がいかにみたされていったのかということを十分に想像させる。
さて平成18年にはいよいよひ孫の誕生であった。
ところが平成19年から先がない。ここでどなたかが亡くなったのか。常識的に考えれば、やはり父親だろう。いや父親では既にない。ひ孫からみれば、それは途方もなく遙かな先祖ということになる。
これが家族というものなのかもしれない。
写真も初期のものはセピア色だが、おそらく最近のものはデジタルなのかもしれない。技術の進歩は怖ろしい。
とここまで書いていて、ふとマルシア・ガルケスの『百年の孤独』を思い出してしまった。次々と生まれる子供達の名前が皆同じで、それぞれの生き方にも大きな変化はない。ただ生まれて死んでいく。血筋は残る。
不思議な味わいの小説だった。
人間の一生はおそらく、蝉が地上にあらわれて数日で死んでいくのと似たようなものなのだろう。
それならばせめて鳴かなくては損なのかもしれない。一期は夢よただ狂へとかつて中世の人々はうたった。
まさに夢のような人生を日々生きている。

2008-08-23(土)

ピオリア

会話を聞いていると時々、この町の名前が飛び出てくる。ピオリアではみんなどう思うだろうとか、ピオリアではこのギャグが受けるだろうかとか。
どこなのか知らないが、ちょっとだけ興味を持ったのは事実である。いろいろ調べてみると、どうもニクソン大統領がウォーターゲート事件でホワイトハウスに缶詰になっている時、この町の名前を連発したらしい。
それくらい気になる町とはさてどのようなところなのか。
地図で探してみる。
するとイリノイ州中北部の都市だということがわかった。ピオリアは平均的なアメリカの町の代表と見なされてきたらしい。本当に何かがあるのだろうと、評論家達はピオリア詣でをしたとか。筑紫哲也氏も行ったことがあるらしい。
しかしそこにあったのは一面の小麦畑だけだったとか。それでも、play in Peoria という表現は「政策などが一般受けする」の意味で今も用いられている。
平均的なアメリカといえば、多分WASPを連想する人も多いだろう。敬虔なキリスト教信者で、白人でというイメージが多分一番ぴったりくるのが、このピオリアという町なのに違いない。
さてそこで日本でこういう最も平均的な町があるだろうかと少し考えてみた。
全く思いつかない。敬虔な仏教徒がいて、大和民族がうまく定住しているなどというところはどこにもないだろう。なおかつ所得ランクも日本の平均をうまく捉えている町など、想像することすらできない。
つまりそれくらい、日本から平均はなくなったということなのだろうか。格差社会だけが原因ではあるまい。老齢化し、元気を失ってしまった町のなんと多いこと。
考えようによれば、ピオリアのような町を持ったアメリカという国は、やはりすごいところなのかもしれない。一度機会があったら訪ねてみたいものだ。

2008-07-13(日)

子供と親

吉本隆明の『真贋』という本を読みながら、いくつかのことを考えた。その一つは彼も随分年をとったということである。当たり前といえば、それまでだが、かつて固有時との対話を書き、エリアンの手記を著した時代から、はるかに時間が過ぎている。
今でもエリアンの手記はぼくの好きな詩のひとつである。
さて時代はかわり、吉本ばななの父親という役割も終え、彼は随分と肩の荷が下りたのだろう。軽い表現をあたりまえのように発してひるむことがなくなった。
これが数十年も前だったら、許されなかったに違いない。そういう場所に吉本はいたのである。共同幻想論の著者がこんなことをいうのかという物珍しさも確かにある。彼は意識して軽くなろうとしているのではないか。
最近、老年期についての著述が多く、ぼくも数冊は読んでいる。その中で、この真贋という本が飛び抜けてよく書けているという訳でもない。
しかしここには小説の毒ということが端的に示されている。こんなことは以前なら書こうとはしなかったに違いない。読書というものは、無前提にいいものだと皆が信じていたからである。そこには多分に教養主義の匂いも宿っていただろう。
だが彼の意見を聞いているうちに、なるほどと半ば納得させられた。つまり文学というものはすばらしい一面も持ってはいるが、同時にたくさんの毒をはらみ、それによって人間がよくない状態になりやすいというのである。
単純に読書イコール善ではないのだ。本をたくさん読むということは、それだけたくさんの毒が身体にまわっていくことを意味する。
面白い視点である。読書をむやみに勧めるのはもうよそう。ふとそんなことも考えた。
もう一つは子供時代がいかに大切かということである。日本人はむしろ親子が甘えあって生きていった方がいいのではないかという指摘も興味深かった。
三島由紀夫などはあまりにも特殊な環境で育てられたたために、後年、それをなんとかとりかえそうと、無理をし続けた。太宰治にもそうした面がみられる。まだ太宰の場合は乳母が存在したが、三島にはそれが全くなかった。
乳幼児から前思春期までの過程における母親の役割の重さを、あらためてしみじみと考えるヒントになった。
全体をつうじて散漫なところもあるが、肩ひじはらずに今の気分を述べているという構図が、まさに吉本の現在ということになるのだろう。
不思議な味わいの本をまた一冊読んだ。

2008-06-15(日)

ぴあ

今日のニュースによると、ぴあがかなり大胆なリストラをするとのこと。出版関連企業は元々財務体質の弱いところが多い。しかしそれにしてもぴあよ、おまえもかの感なきにしもあらずだ。
ネット普及の影響だろう。わざわざチケットぴあに頼るということも少なくなった。それぞれの企業が独自にシステム開発をしている。
雑誌の発行はぼくが学生だった頃のことである。
当時はシティーロードという類似雑誌もあった。
たまたま友人と似たような情報誌があったらさぞ便利だろうという話をしていた矢先、この2冊が発刊された。あの時は本当に驚いた。まさに時代の感覚をうまくつかんでいたからだ。
芝居も映画もスポーツも、あらゆる文化が一時に花を咲かせ、学生達はそれを謳歌し始めていた。高度経済成長の真っ直中であった。
たしか学生が数人で始めたと記憶している。
マイクロソフトも学生発のベンチャー企業である。その意味でぴあも似たようなところからの出発だったのだろう。当時はこの2冊に情報を載せてもらわないと、集客をすることが難しかった。そのうち数年して、シティーロードが脱落、ぴあの独擅場になった。
やがてチケット販売のシステム作りに成功し、公共の場所の一角にはこのコーナーができた。しかしいい時代は長く続かない。
企業30年説というのは本当かもしれない。まさかここまでネットが普及するとは思ってもみなかっただろう。
かなりのシステム変更をせまられたようだ。
財務体質も赤字に転じている。社員数の4分の1近くが早期退職するとか。まさかこんなことになるとは彼らも想像しなかっただろう。
ぴあに入るということは、この国の文化活動を背後から支えるという意味もあった。その自負を社員達は持っていたはずだ。
また数人規模の学生ベンチャーに戻るとは思えないが、前途は多難である。
一つの時代が終わったということなのか。あるいはまた次の時代の幕開けということなのか。
そんな簡単に幕引きというわけにはいくまい。ここからの復活を強く願っている。

2008-06-01(日)

溜めの存在

『反貧困「すべり台社会」からの脱出』 (岩波新書)という本を読んだ。湯浅誠というNPOの事務局長をしている人が書いたものだ。ワーキングプアという言葉がマスコミに登場して久しい。あるいはネットカフェ難民などという言葉もある。
昨日もテレビのニュースに、アパートに住み自分が作った食事をとって糖尿病をなおしたいという人が出ていた。弁護士などが親身に相談にのっていたが、はたしてうまくいったのだろうか。
ぼくたちは自己責任という言葉にのり、そうした境遇におかれた人には、なんらかの欠陥があるとつい考えがちだ。しかし現実には、生まれた時からどうしようもない状態にいる人の存在まで、想像できないというのが本当のところだろう。
親に愛され、学校を無事に卒業するということさえままならない人たちが、多数いるのだ。あるいは自助ということをたたきこまれすぎて、自殺する直前まで福祉課の窓口を訪れない人も多いという。
さらには生活保護を受けようとしても、体よく窓口で追い払われてしまうという現実もある。
行政の窓口で応対する人たちのひどさは、一言ではいえない。最近では訴訟にすらなっている。あるいは警察と同様に監視カメラで、逐一その様子を撮る必要があるのではないかとさえ、言われているのだ。
筆者は「もやい」という名の組織で事務局長をしている。その経験を元に、最後の最後まで諦めずに生きていくための方法論を語っている。
毎月の家賃が払えない人たちは、日当をその場でもらえる仕事につき、ネットカフェなどを転々とする。食事代や、清掃代を払うと、一日単位で借りられる宿舎もあるというが、実態は蚕棚のようなものだ。それでも段ボールにくるまれて寝るよりはいい。
保険もなく、年金もなにもない。ただ毎日をあてもなく生きていく以外に方法はない。定職に就きたくても、保証人すらいない。アパートも借りられないし、生活保護の申請など考えたこともない人さえいる。
筆者はいう。こうした時代には溜めが大切だと。溜めとはその人の周囲にどれだけの人的、物的な包囲網があるのかということだ。親がだめでも親戚や知人が一時的に救ってくれるということもある。
あるいはものを貸してくれるということもある。そうしたクッションとしての溜めがどれくらいあるかで、滑り台社会から墜落せずにすむのだ。
いい関係を構築できない人たちは、結局落ちていくしかない。厳しい社会の現実をつぶさに見るのはつらかった。いつの時代にも同じような状況はあっただろう。
しかし現在のそれは根が深くて、むしろ広いような気がする。

2008-05-10(土)

コミュニケーション力

斉藤孝の『コミュニケーション力』(岩波新書)という本を読みながら、沈黙の意味を考えた。最後はたくさんの言葉より、沈黙なのかもしれない。一番の力を持っている。これは間違いがない。
あるいはアイコンタクト。目の強さということをしきりに思った。少しくらい遠くに離れていても、目でまず合図を送ってから、ボールを蹴る。これがサッカーのテクニックだ。僕たちの日常生活でも、まず目を見て話すということができれば、自分が相手を気にしているのだということを伝える重要な手段になる。
さらには身体のやわらかさ。
野口体操を持ち出すまでもなく、身体がある程度柔らかい状態にあれば、同じ話をしても伝達のスピードは格段に速いという。とくに笑顔が出ている状態や、相槌をごく自然に打てる関係があると、話はポイントを押さえながら、先に進む。
斉藤さんは聞き手の身体が硬い時には、一分程度体操をして柔らかく解きほぐしてから、講演を始めるとか。すると、今までの冷えた場内の雰囲気が、一気にあたたまるという。
授業においてもそれは同じだろう。教える側のテンションの高さは、すぐ相手にも伝わる。さらにはいつも上機嫌でいるということもコミュニケーションのためには大切であると述べている。
ぼくが一番興味を持ったのは「偏愛メモ」を持ってエンカウンターをするというゲームの話である。自分の好きなものやことを紙に書き、それを互いに覗き込みながら、出会いゲームを行うと、あっという間に互いの緊張がほぐれ、仲良くなるそうだ。
これなどは新しい出会いをするたびに実践してみる価値が大いにありそうである。
ぼんやりと話をするというのではなく、互いの興味のありかをみつめながら話を進めるという方法は面白い。
さらには「ところで話はかわるけど…」などといって話の腰を折るのではなく、自然に話を滑らし、展開していくテクニックを身につけたいとするテーマも面白かった。人間は誰かと通じ合っていなければ、とても生きてはいけない悲しい存在である。それだけにこの力を持つということが、どれほど大切なことであるのかということがよくわかった。
実際に使えそうなところから、まず試みてみたいものである。当たり前の話も多いが、参考になることも多々あった。

2008-03-30(日)

家族間通話無料

ドコモが4月1日から家族間通話を無料にするらしい。その前から他の会社はやっていた。ソフトバンクやAUに流れた客をなんとかつなぎとめようとするため、必死である。一説にはこれで800億の減収とか。しかしその陰でこっそりとiモードの料金を上げるから、トータルでは200億の減収となるらしい。
このあたりはただ転んでも起きないということか。あるいは端末の安値販売をやめれば、その分販売奨励金を使わなくてよいという判断もあるのだろう。いずれにしても代々木にエンパイアビルもどきを建てた頃の勢いはもうどこにもない。
いわば消耗戦の時代に入ったということだろう。株価も随分下がっているという。今まで儲けすぎたのだから、そろそろ適正な配置につけという神の采配かもしれない。
しかし家族割引といってもなんとかMAXといった特殊なものだけが対象なので、宣伝しているほどの効果があるのかどうかはよくわからない。
さてここからはぼく自身の話である。
いつからだったか、もう忘れたが家族間メールがただになった。これも大変ありがたい。ほとんど家族としか連絡をとらない身としては、これで随分お金を使わなくなった。さらには半額サービスも始まった。これも実際は半額にはならないが、それでも随分と安くなったことに間違いはない。
さて今度の家族間通話無料だ。元々家族間ぐらいでしか使っていないぼくとしては、これでお金を使うところがなくなった。iモードなんてほとんど向こう岸の世界である。
乗り換え案内すら使わないのだ。ということはこれでまったくお金を使うところがなくなった。
元々発信機ぐらいの意味があればよかった、ぼくの立場からみると、ありがたいのかありがたくないのかよくわからない。それでも緊急用にはやはり欲しい。
ということは自分の電話料をただ家族のためにプールし続けるということになるのかもしれない。今のところ、そんな風に暢気に構えている。毎月の電話料を聞かれると、実にささやかなものだ。それで十分だと思っている。
一日に数百通もメールをし続けている生徒の話などを聞くと、まるで別世界のお伽噺のようである。それも現代の側面ということか。聞くところによれば、アフリカ南部のジンバブエでは物価があっという間に10万%も上がったとのこと。
想像しようにも、まったく無理である。
とにかく世界は広い。不思議な世の中を今生きている。

2008-03-11(火)

私の履歴書

日本経済新聞を読んでいて一番面白いのは、裏面の左端にあるコラム、私の履歴書である。どんな時でもここだけは読む。功なり名を遂げた人物ばかりが登場する。まさに人に歴史ありだ。さまざまな過去の経験、苦労を重ねて今日を迎えたのだということが、しみじみと実感できる。
どんな人も一朝一夕で今日の地位を築き上げた訳ではない。長嶋茂雄の記事も渡辺恒雄のも面白かった。しかし最近では作曲家遠藤実のものが頭の隅にこびりついている。
その彼が、日経に書いた本をさらに増補して『涙の川を渉るとき』という自伝を出した。
つい何気なく読み始めてしまったら、とまらなくなった。かつて松本清張の自叙伝『半生の記』を読んだ時も、これほどに苦労をした人がこの世には本当にいるのだなと感心したものだ。
しかし遠藤実も彼と双璧かもしれない。ほとんど白いご飯を食べたこともなく、幼少年時代を過ごした。大根飯といえば、聞こえはいいが、米はほとんど入っていなかった。
友達の食べ残しをもらい、いつも満足な服を身につけることもなかったという。しかしそれでも曲がらずに生きてきたのは、やはり父母の愛情の賜物だろう。特に母親の苦労は想像を絶する。子供時代の彼は、母が授業参観で学校に来るのを拒むこともあった。あまりにも汚い身なりで、恥ずかしくてしかったがなかったのである。
母は子供にそう言われ、それでもつらさをみせなかったという。その時の母の心中を考えると、言葉が出ないと遠藤は言う。
中学にも満足に行けず、紡績工場に勤めたり、農家の年季奉公もした。満足な食事も与えられず、いつも最後に風呂に入り、早朝から働く。日々の単調な生活の中で、何も希望が見いだせないまま、歌を口ずさむことが唯一の救いだった。
それが結局は流しのギター弾きから、作曲家になる道につながったのだ。ギターのコードも知らず、作曲の方法論も知らず、農家の作男の仕事を半ば放棄して、東京へ赴く。やがて一人の女性と知り合い、下積みの生活がさらにずっと続くのである。
様々な人との出会いがあればこそと簡単に人は言うが、それはまさに地を這うような生活であったろう。2人で1畳の部屋、そして2畳の生活。少しづつ少しづつ這い上がっていった。
後半にはそれこそ、自分のふるさとの風景を歌にしていった経過が綴られている。北国の春などという歌は、まさに彼の原風景と呼ぶにふさわしい。
人に歴史ありという言葉が、やはりこの人にはぴったりだろう。いい本を読んだ。巻末にあるたくさんの曲名を見ると、ヒットしなかった作品がいかに多いか、よくわかる。数千曲の中のいくつかが本当にダイヤモンドに似て光って見える。

2008-02-28(木)

主婦の友

最後まで残った婦人雑誌「主婦の友」もついに休刊となった。かつては正月号特別付録の家計簿とともに、この国を席捲していた雑誌がとうとう消えてしまう。かつて四大婦人誌の一角を占め、その販売部数でも最高位にあった。
ぼく自身、そのうちの一つに数えられる雑誌社を訪ねた記憶がある。たまたま口利きをしてくれる人がいて、編集部に顔を出したのである。その頃はまさか婦人誌がこれほどに早く消えてなくなるとは思いもしなかった。
つまり主婦がいなくなったのである。この国からいわゆる専業主婦が消えていった。さらには中流意識を支えていた層が二極分化し、専業ではいられなくなったのである。
夫のリストラや定年、子供のフリーター化など、数え上げればきりがない。女性達の意識の変化も見逃してはなるまい。
かつてのような良妻賢母型の女性像は随分と弱くなった。自己実現を社会の中で図るという女性が増えた。職業を持ち、男性と対等に生きていくという人々が主流になったのである。
以前は夫の給料だけで、生活も可能であった。家計簿をつけ、やりくりをし、さらには子供の教育にも腐心しながら、女性達は立派に家庭を守り続けたのである。
さらにいえば、中流の上をねらうことも可能だった。今ではなにが中流なのかもわからなくなってしまった。そもそもそ婦人という表現を使いたがらない。どこかに古くさい匂いがある。
何かを我慢するという考え方もはやらない。可能な人は欲しいものをすぐ手に入れ、それを消費することもごく当たり前になった。
いずれにしても総合婦人雑誌がねらった女性たちの群像は雲散霧消したのである。
今ではより専門分野に分割された内容の雑誌しか売れない。なんでもあるということは、なんにもないということと同義なのである。
時代はかわった。
今回の雑誌休刊は転進ではなく、廃刊そのものを意味する。
ところでぼくの古くからの友人が、同社の写真部にいる。彼はどうしているだろう。少し心配になったのも事実である。

2008-02-09(土)

おひとりさまの老後

社会学者、上野千鶴子の本が売れているのだという。噂では50万部の売れ行きとか。この国には老後の心配をしなければならない人が確実に増えたということなのだろう。それも一人で老後を迎えなければならない人が…。
店頭でちょっと立ち読みをした。なるほど、いろいろな視点から書かれ、まとまっている。ただし元気な老人でなくてはこれだけのことをきちんとやり通すことは難しいだろう。
よほど自立した女性に限る内容のようにも思えた。多くの一人暮らしの人たちはどのように感じるのだろうか。八十才を過ぎて一人で生きていかなければならない女性達が今、想像以上に多いのだ。
結婚せずに老後を迎えた人たちや、伴侶と死に別れ、一人で生き続けなければならない人たちが、試されているのである。
子供はもう頼りにならないということか。それだけ施設が充実してきたということなのか。あるいは介護保険が整備され、一人でも生きられる時代になったということなのか。
葬儀の仕方から墓のあり方まで、随分と変わってきたなというのが実感である。寺というものに頼らない時代に入りつつあるということか。宗教に対する考え方に変化が訪れたということなのか。
死生観にも潮流のうねりが見受けられる。
親子の関係も他者との関係も、全てが個人主義の時代を迎え、根本から地殻変動を起こしつつあるに違いない。
人は必ず老いる。その時どういう行動をとるのかということを若い時代から考えなければならない世の中になったということなのだろうか。その時までのんびり待ち、あとは成り行きにまかせるという生き方はもうできないのか。
かつて松原惇子はおひとりさまたちがマンションを買い求める話を書いた。その彼女の近著『ひとりの老後はこわくない』にもこの本と似たような章がある。
あの頃に始まった一つの流れが、ついにここまでやってきたのかという感想を率直に持たざるを得なかった。
というか、こういう本がたくさん出版されるということが、まさに現代を象徴しているということなのに違いない。

2008-01-09(水)

小皇帝の涙

NHK特集「激流中国」を興味深く見た。タイトルは「小皇帝の涙」。一人っ子政策を続ける中国にとって、教育は最大の課題である。親は激烈な学歴社会を生き抜くため、子供の教育に命をかける。
この番組は雲南省の小学校5年生のたった一つのクラスにカメラを据え、現代中国が抱えている問題を赤裸々にしようとする試みだった。
一番驚いたのは、すべての基準が成績であることだ。学級委員を決めるのも、遠足の班分けもすべて成績が基準である。それ以外のものさしはない。
かつてリストラにあった親は子供を職安に連れて行き、失敗をしたら、おまえの将来はこうなると耳元で呟く。
子供は日々の生活に疲れたと泣いて先生に訴える。親をよんで話し合いをするが、双方ともに引くことはない。
親たちは一様に子供を愛している故の行動だと主張する。親たちも日々競争を強いられている。負けたらこの国では生きていけないと言う。
子供たちは、その意見を聞いているうちに言葉少なになっていく。
教育の目的は何か。高い学歴を手にしないと、大学を出ても、100万人が職に就けないというのが、今の中国だ。労力を惜しんだために、一生を棒にふってもいいのかといわれれば、子供は沈黙する以外に手はない。
さて現在ぼくの周囲にもたくさんの中国人生徒がいる。そこでこの話をしてみたところ、全く番組の内容の通りだということがわかった。彼らも山のような宿題を抱えて、毎日を過ごしてきたと口々に主張したのである。
しかし今は全く違う環境におかれて、むしろとまどいさえ覚えているようだ。教師の日が存在することでも明らかなように、中国での教員の地位はかなり高い。付け届けも盛んなようである。
あらゆることが現在の日本とは違うのかもしれない。しかし少し前の日本の様子も大同小異ではなかったか。
あるいは現在も私立の小中学校を中心とした受験戦争がなくなった訳ではない。
しかし学歴がそのまま職業に全て連動するのかといえば、それはかなり疑問な点もある。そうした意味で少子化と一緒になって、この問題はさらに複雑な展開をみせている。
一方、中国は今まさに日の出の勢いである。
数十年たって、今とはまた違う物差しが適用される時代がくるのだろうか。あるいは現在のままの価値観がさらに先鋭化していくのか。
それはまったくわからない。
いずれにせよ、同時代を生きている隣国の若者たちが、想像を絶する環境の中で生きていることは、紛れもない事実なのである。

2007-12-21(金)

閾値

難しい言葉である。しかし最近よく見かけるようになった。しきい値ともいう。生物学の表現らしい。ある刺激によってある反応が起こる時、刺激がある値以上に強くなければ、その反応は起こらない。その限界値のことと辞書にはある。
つまり生物がある反応を始めるその寸前の値のことを言うのだ。例えば痛みを感じるという行動は、ある地点を超えてはじめて表現される。その数値が低ければ、なんの反応もない。
このことがぼくたちの日常にどんな意味を持つのか。
例えば、こんなものがあればいいなあ、とイメージを浮かべたとしよう。電車の中でもテレビがみたいと仮定してもいい。するとどうしても欲しくて欲しくて仕方がないと感じる以前に、もうあるメーカーはそうした商品を売り出してしまう。
最初は単体で、そのうち機能を携帯電話の中に入れてしまうかもしれない。ワンセグという技術はそのために生み出された。
ここがどこか知りたい。自分の今いる場所が明確になればいい。するとメーカーはGPS機能を単体で売り出すことも考えるだろう。さらにはそれを携帯に入れてしまう。
このようにして、ぼくたちが本当に欲しいと思う以前に、誰かがもうそれを作り出して現実のものにしてしまうのだ。
するとどうなるのか。十分に欲しいと思い詰める(閾値に到達する)以前に自分の手元にあらゆるものがもたらされるということになる。さらにバーチャルなものは常にリセットが可能である。そこでは命さえもが、すぐに再生可能だ。
つまり我慢は必要ない。
閾値が高まりを見せる以前に、あらゆるものがぼくたちの前にあらわれるのだ。
このことはある意味で、すばらしいことなのかもしれない。しかし同時に悲しいことにもなりうる。
なにもかもが真に欲しいと思い詰める以前に手に入ってしまう時代だ。閾値に到達するまで寒風にさらされるという体験を、誰もが持てなくなった。
人は今、大きな試練の場に立たされ続けている。
これからぼくたちはどこへ向かって進むのだろう。忍耐力のなくなった若者達をやさしい集団とみるのか、打たれ弱い人たちの群れとみるのか。
これはある意味で、未来への大きな分岐点ともいえよう。

2007-12-01(土)

団塊の世代

面白い表現である。命名したのは堺屋太一だったか。『油断』という本も面白かった。ガソリンがとんでもない高値になりつつある今、あの『油断』という小説の持っていた意味を考えてもいいだろう。備蓄できる原油の量があの時は問題だった。
現在は備蓄はできても、その価格が異常に高い。世界的な供給不足ということのようだが、そんなに単純な構図とも思えない。というより、世界を野望が駆け巡っていると考えるのが常識だろう。
さて話を元に戻して、団塊の世代の話である。ぼくは彼らより数年遅れて生まれた。だから団塊のしっぽのまたその先というあたりになるのかもしれない。
いよいよ彼らの退職が始まった。膨大な退職金がこの国を潤すという人もいれば、みな貯蓄にまわしてしまい、どこにもそんな余裕はないという人もいる。
どちらが正しいのか、これから数年の間には判明するだろう。さて退職後の生活である。『毎日が日曜日』を書いたのは亡くなった城山三郎だった。あの頃はなるほどそんなこともあるのかと思っただけだったが、確かに毎日が日曜日になってから、人々は何をして生きていくのだろう。
いくら蕎麦打ちが好きだからと言っても、毎日というわけにもいかない。都心の散歩にも定期のなくなった身には、交通費がかかる。ボランティアを積極的にしていこうとする人々はどこかで、また別の生き甲斐をさぐれるかもしれない。
健康な心と肉体、そして社会との絆が定年後のキーワードであるという。ビートルズを聴き、Gパンをはき、さらには全共闘運動にも参加した世代である。
長い会社勤めで牙を抜かれてしまったのかもしれないが、しかし残滓はあるとみるべきだろう。是非さまざまなところで手本をみせて欲しい。それが後から続く世代への最大の贈り物ではないか。
海外移住も面白いし、自分史執筆もいい。しかしどこかで社会との接点を持ちつつ生きるという方向を探ってもらいたいものだ。
後に続く世代としては、その背中を見てまた学ぶところが大きいのである。頑張れば必ずよくなると信じることのできた幸福な世代の人たちである。
生まれた時から、なにもかもが揃っていた今の世代とは全く違う心性を抱いているに違いない。その彼らが地域に戻って、あるいは別の場所で何をしていくのかを見守りたい。金銭感覚にも学べるところがあれば、大いに学びたい。
かつてのバブルの主役も彼らだった。そして日本の屋台骨を支えてきたのも彼らだった。そうした意味で後の世代に対する責任は重いのである。ぼく自身のことを考えた時も、このことは全く同じベクトルの強さを持つ。そのこともまた重い命題になりつつあるのだ。

2007-11-25(日)

路地

日本の風景はこの数十年で大きく変わった。特に都市と呼ばれるところの激変ぶりはどうだろう。まず駅がかわった。
少し前まで、駅はどこかうさんくさいところだった。改札口を出て、少し歩けばすぐに飲み屋街があった。疲れた男達の叫び声も聞こえた。それに駅そのものが汚かった。
ところがここ十年ほどの劇的な変化には目を見張るものがある。駅そのものがファッションビルになり、さらには圧倒的な商圏になった。今ではだいたいのものが駅の中にある。
それに驚くほど美しくなった。きれいな内装に彩られた店が軒を並べる。おしゃれな飲食店が地下鉄の駅の中にも次から次へと出現した。都会の全てが覆われて、リニューアルされた。日本はかわったのだ。
古いものは全て消えていった。
路地も消えた。散歩をしようとしても古いヨーロッパのような町並みを維持してこなかったこの国には、何もない。下町と呼ばれる場所を年老いた人々の集団が、必死に歩いている姿を見かけるたびに、この国には何が残ったのだろうと考えることさえある。
かつて詩人の一人は、アスファルトを一枚めくれば、そこには赤土が堆積していることを忘れてはならないと呟いた。
しかしそんなことはもう過去の話だ。土という土は全て舗装され、実に快適である。雨が降ってもまったく濡れずに会社までたどりつける人も多い。
つまりそういう国になった。
その結果、路地を歩く楽しみは半減した。
アンダルシアやトスカーナの古い街を歩いていて感じるのは、とにかく彼らは覆わなかったということだ。全てを覆い尽くして過去を現在にしてしまったのは、もしかしたらこの国の人たちだけなのかもしれない。
今、どこの地方でも必死になって文化財を守ろうとしている。それが唯一の観光資源であることに気づいたのは、近年のことである。
京都も奈良も倉敷も、そういう努力の果てにある。
路地での生活を書き続けたのは、死んだ中上健次だった。だが彼のイメージに浮かぶような路地はもうない。
もっと整然とした、それでもないよりはいいというレベルでの場所だろう。
それでもあるだけまだましである。ますます消えていく懐かしいスポットを、慌ててガイドブックを頼りに探さなくてはならないということははたして幸せなことなのだろうか。

2007-10-27(土)

捨てる

数年前、捨てる技術について書かれた本がベストセラーになったことがある。片付けることの極意は捨てることにあると承知はしていても、それを実行にうつすのはなかなかに難しい。
全てのものに自分の匂いが染みついているからである。過去の記憶が一つ一つのものに宿っている。
そうしたものを全て過去の闇から引き出しつつ、どこかで価値判断をせまられる。どちらがより重要で、どちらがもう必要のないものであるのか。
そこには当然他者の記憶がついてまわる。その全てについて、瞬時に軽重を問わなければならないのである。
しかし人は全てのものを持ち続けて生きていくことはできない。極端なことをいえば、衣類も靴も装身具もそれほどには必要がない。写真にしたところで、全てをいつまでも守り通せるものではない。
その人間がこの世から消え、やがてその次の代になった頃、全ての記憶は次第に薄らいでいくのである。
寂しい話ではあるが、徒然草で兼好法師が語った通りである。
となれば、残すものはわずかにして、捨てなければならない。それが生きて前に進むということの意味ではないのだろうか。
かくいうぼくにも捨てなければならないものはたくさんある。
今日の朝も本の整理をした。
どの本にも思い出がある。どこで買ったのかも思い出せる。やっとの思いで手に入れた分厚い広辞苑は、新刊が高くて買えず、古本屋へ行った。今でもその店の佇まいをよく覚えている。
しかし捨てなければならない。もう辞書をひくこともなくなった。今はすべてパソコンで済ましている。
古い文庫本も捨ててしまおう。
そうしなければ、先へ進めない。まだまだ捨てなければならない本がたくさんある。幸い、まだ読めそうなのは引き取ってくれるボランティアの団体がある。
午後も同じ作業を続けた方がいいのか、あるいは日をあらためた方がいいのか。
何度も読みたくなる本など、そうあるものではない。本というものの持つ宿命に思いを馳せると、もの悲しくもなる。鳴り物入りで売られた本も、案外命は短いものだ。
そこへいくと古典と呼ばれるものはすごい。何かがあるのだろう。また読み返したいと思う。
捨てるものは本だけではない。あらゆる身の回りのものを少しづつ処分していかなければならない。
それが前に向かって生きていくということだ。
昔の写真をみていると、歳月の持つ容赦ない厳しさを感じる。だからこそ、また捨てなければならないのだろう。
実に不思議な縁ではないか。

2007-10-08(月)

ダウンロード

久しぶりに英語講座のテキストを買って驚いた。なんとインターネットで放送と同じ内容が聞けるというのである。今まではテープやMDに録音して聞いている人が大多数だったろう。この試みはどうも今年になって実験的に始められたらしい。
よく調べてみると、高校講座などもストリーミングで放送されているものもある。いつでも聞きたいときにコンピュータをつけクリックすればよい。これには大変驚いた。
もちろん雑音もなく、実にクリアな音である。ダウンロードはできないようだが、フリーのソフトを使えばそれも不可能ではない。
いまはやりのオーディオ機器につないで、電車の中で再生することもできる。
いつかこういうサービスがあればいいとは思っていたが、ぼくのしらない間に、そうした試みが始められていたのだ。
まだあくまでも実験段階ということで、英語の番組はひとつだけである。この試みが成功すれば、可能性は一気に広がるだろう。
ラジオ視聴が困難な場所や、音質の問題が全てクリアできる。
さらに驚いたのは、テキストがダウンロードできるようになったという点である。これにも本当に驚いた。自分が必要なページだけを印刷して手に持つことができるのだ。冊子をいちいち持ち歩かなくてもいいのである。
それも店頭で売っているものより価格が低いという。さらには放送した内容をまとめた音源もダウンロードできるらしい。
なるほど、こういう時代になったのかとしみじみ思った。
これだけの環境が整っていれば、真にやる気のある人間であれば、随分とレベルはあがるだろう。
放送大学しかりである。今や、大学院もある。
しかし書店で本の山を見るたびに、この知の膨大な頂きにのぼることの困難さだけが目の前に見えてくるのも事実だ。
格差社会はいわゆる実学的な知に走る傾向を持つ。そこではまず金銭になる学問が一番の人気である。これも一つの現実だろう。だが膨大な世界に船を漕ぎ出す勇気も時には必要なのではないだろうか。
そのための一助に、こうした新しい取り組みがなればいいと心から思う。
来年はさらに多くの番組がネット配信されればいい。これこそが新しい時代の象徴なのかもしれない。

2007-09-23(日)

お墓とマンション

最近、電話でのセールスが頻繁にある。以前からもあったが、待っていて売れる時代ではないのだろう。その頻度がますます上がっているような気がしてならない。
畳屋さんや、リフォーム会社の売り込みもある。車のディーラーもある。もうそろそろ買い換えてはどうかというのだ。
しかし圧倒的に多いのがマンションの販売だろう。なかには投資目的でどうかなどというのも混じる。
これだけたくさんのマンションが売り出されているのである。当然売れ残りの物件は増える一方だろう。とくにちょっと不便な立地のところや、価格的に高いものなどは、そう右から左へと売れたりはしないに違いない。
それにしてもである。寝入りばなをやられると、冷静ではいられなくなる。
また最近とみに多く感じるのが墓地のセールスだ。さらには石材だけというのもある。もうありますからというと、だいたいすぐに引き下がる。これはマンションとは事情が違う。引っ越すということが、あまり想定されていないからだ。
どちらにしてもついの住処という考えではもういけないのだろう。
徒然草を待つまでもなく、いつか墓もくずれ、訪ねる人もいなくなる。訪れるのは月の光と風だけということになるのである。
マンションも事情は同じだ。50年はもつといわれて建てられた建築も30年たてば、時代の要請とは自ずと異なったものになる。
建て替えがいつの間にか、話題に上り始めるのである。都心にいくつも建てられている超高層マンションなどにはどのような未来があるのだろうか。
そこに住む人がいなくなり、廃墟のようにして、それでも起ち続けるのだろうか。奇妙な光景が100年後に現出するのかもしれない。
墓とマンションの電話セールスを受けるたびに、結局そこが人間の終着点かもしれないと、いつもある種の不思議な感慨をいだくのである。
確かに棲むという意味においては似たもの同士なのかもしれない。

2007-08-28(火)

地域格差

久しぶりに長逗留をした。地方の実態をつぶさに見た。もちろん農業や商業の内容がどうであるのかまではわからない。しかし人の目は案外と事実を貫き通してしまうものである。
8月の半ば、また商店街から書店が去った。その前日何気なしに覗いた時、どこか元気のない店だなあと感じた。今までは週刊誌も漫画も、雑誌も書籍もたくさんおいてあったのに、どこか品揃えが薄っぺらいのである。
翌日、また同じ商店街を歩くと、張り紙があり、移転したとのこと。新しい店はバイパス通りにほど近いところであるという。旧商店街は今や壊滅状態である。
シャッター通りとはうまい名前を考えたもので、本当に生き残っているのは古くからある仏壇屋と菓子店、それに小さな食堂くらいのものだ。
通りが賑わいをみせていたのは、今から30年前のことである。唯一残されたデパートにはほとんど客がいない。それでもスーパーとはまるで違う品揃えで、なんとか生き残りをかけている。以前はダイエー傘下に入り、なんとか延命を図ったようだが、さて今はどうなっているのか。
100円ショップにかなりの場所を貸し、その他にもテナントをいくつか入れている。
デパ地下にあたる一階部分が唯一元気な食料品売り場だが、ここも閑散としていて、寂しい。
そして東京と違うのは、若い人の姿が極端に少ないことだ。とくに大学生くらいの年齢の人がほとんどいない。
高校生までの姿は多く見るものの、その上がいない。みなどこかへ出ていってしまうのだろうか。
近くにある大学を訪ねても見た。ここも夏休みで静かなのは当たり前としても、生徒集めにはかなり苦労しているようだ。大学の入試データをみると、その様子がよくわかる。
都心にある大学でさえ、少子化の影響をまともに受けているのが昨今の現状である。地方にある大学はよほど、就職に有利でなければ、地元の生徒を集めることはできないだろう。当然賃金の問題もある。
アルバイト代も東京からみると、1時間あたり200円から300円は安い。もちろん物価の問題もあるから一概には判断できないのは当然である。
駅前の寂れ方も尋常ではなかった。古くからある商店街は、自然消滅ということになるのか。
これでは地域格差を論じる以前に、恨めしさだけが増幅されるのではないか。
もちろん、青い空もある。美しい河もある。だがそれだけで生き残れないのもまた現実なのではないか。都会に見捨てられたという思いが強くなるのもまた致し方のないところである。
金も人も情報もものも、みな大都会に集中する。この現代の格差をどう考えたらいいのか。ネット社会は確かに情報の共有を進めた。しかし街を流れる空気と勢いの皮膚感覚には、あまりに隔たりがある。
そのことをあらためて、感じた一週間だった。

2007-07-30(月)

現代史

小田実がなくなった。参議院選挙の翌日というのも、なにか不思議な因縁を感じさせる。
ベ平連の活動をしていた友人に頼まれて、脱走兵をかくまっている家へ行ったことがある。あれは高校を卒業した直後だったか。あの頃は毎日のように戦死した米兵の柩がアメリカへ運ばれた。
日本国内で脱走した人の数もかなり多かったのでははないか。ベトナム戦争の最前線基地は沖縄だった。
あの頃から小田実の名前は忘れられないものとなった。
『なんでも見てやろう』は多分、ぼくたちの世代にとってかなりの衝撃だったのではないか。フルブライトの奨学金をもらいつつ、世界をあてどなく放浪する姿に憧れた。どこかの大使館に行って、東大の学生証を見せると、金を貸してくれた話は痛快だった。
たくさんの著書の中で今でも一番強く覚えているのは、なんといっても『現代史』である。河出書房の本だった。装丁もはっきり記憶している。うすっぺらい紙の箱に入っていた。
内容は閨閥でできあがった体制や、家組織の中へどうやって学歴だけで潜り込んでいくのかというものだ。
考えてみれば格差社会の図式をどう自分の頭脳だけで、つぶしていくのかというゲームともとれる内容だ。脳髄だけが武器の全てである。
詳しいストーリーは何も覚えていない。しかしこの国をつくっているのは、数代にわたって厚く築かれた閨閥なのだということが、これでもかというくらい、描かれていた。明治維新から何世代にもわたって営々と築かれてきた名門と呼ばれる家々。
その中の一員として自分が位置を占めるためには何をなすべきなのか。
あの時の衝撃はまだ若いだけに、とても強いものだった。主人公は単身その中に挑んでいくものの、やがて傷つき破れる。その様子が詳しく示されていた。
あの当時の作家は高橋和巳にしても、ひどく息苦しい環境にいたと思う。その中で、小田実だけは代ゼミの寮長などをしながら、予備校で授業をし、ベ平連の事務局長にあたる吉川氏などと、軽いフットワークをみせていた。
どんなに重いテーマでも関西人特有のねばっこさで吹き飛ばしていくのが、この人の魅力だった。
しかしどんな人でも病気には勝てない。一つの時代がまた終わった。
今深く、そう思う。

2007-07-24(火)

かんばん方式

今回の新潟県中越沖地震で一番驚いたのが、なんといってもその被害の大きさだった。人間は実にはかないものだと思う。自然の力はぼくたちの想像のはるか外にある。
さらに、ああこういうこともあるのかと感じたのは、機械工場の操業停止だった。機械の位置がずれてしまって、仕事にならないというのは容易に理解できる。工場用水も確保できないだろう。
しかしそれ以上にびっくりしたのは、このピストンリングを生産している工場が動かなくなったために、いくつもの大手自動車メーカーが何日にもわたって、生産をストップさせたことだった。
俗にいうトヨタのかんばん方式の影響である。必要な時に必要な量をきちんと納入するというこのシステムは、倉庫を持たないという意味で画期的なものである。これがあるから、日本の各メーカーは余計な在庫をかかえこまず、倉庫代も必要としないですんできたのである。
しかしまさか新潟で起こった地震が、遙かに離れたあのトヨタの工場を止めてしまうなどとは思ってもみなかった。
国内のピストンリングの大半は、この工場で作られていたのだという。ということはここがとまれば、エンジンは動かなくなるというわけだ。そうしたことが全ての何万種類という部品に及ぶとしたら、これは想像を絶することではないか。
航空機の場合はどうなっているのか知らないが、部品点数は車の10倍はあると言われている。
この事故のせいで、かんばん方式をトヨタがやめるとも思えない。しかしなんらかの手は打つのだろう。それがどのようなものであるのかを知りたい気もする。
リスク分散は工場の分散化でということになるのだろうか。それとも国外生産を増大させるということか。
この期間に本来何台の車が生まれるはずであったのか。それを考えると、今回の地震の持つ、もう一つの側面も見えてくる。
あまりにシステムが行き渡りすぎることの怖ろしさを、同時に感じた数週間であった。

2007-07-07(土)

百冊の本

先日ふとしたことで、授業中に夏休みの読書の話をした。せっかくの機会だから大いに本を読みたまえとぶったのである。しかるにどんな本を読んだらいいのかわからないと質問された。
実にもっともな疑問である。試みに本屋を覗いてみれば、何千、何万という本が所狭しと並べられ、さてどれを読んだらいいのかさっぱりわからない。新刊書はあっという間に、また次の本にとってかわられ、長い間同じ棚に置かれるということもない。
ましてや平積みになるようなものは、誠に命がはかないのである。そこでつい新潮の百冊のことを思い出し、その話をすることになった。これは随分前から夏休み前のイベントのようになっている。
角川、集英社も同様だ。かつては二社だけだったが、いつの頃からか集英社文庫も参入するようになった。
さて問題の百冊とはどのようなものか。薄い冊子が店頭にはちゃんと置いてある。しみじみと手にとって眺めてみた。さてもここまで売れ筋の本はかわったのだなあというのが正直な感想である。
かつては名作の誉れ高い本が、これでもかとあたりを睥睨していたものだが、今では隅の方においやられ、細々と息をしているといった塩梅である。もちろん出版社も商売だから、この時期に自社が囲い込んでいる作家のものをなるべく売りたいというのが本音だろう。
しかし、そこにはまた出版人としての誇りや自恃といったものもなければならない。ただ売れればいいというものではないのである。しかしこんなことを口走る感覚がもう古いと言われれば、それまでのことだが…。
感想はいくつもある。その一つは先に述べた通り、随分と甘口になったものだなということだ。これでは読者が鍛えられるということが少ないのではないか。もう一つは長い間定番と呼ばれてきた作品は、やはりすごいということだ。
夏目漱石のこころや、安部公房の砂の女、カミュの異邦人、カフカの変身など、書きあげていけばきりはない。
しかし柔らかいものばかりをよく噛みもせずに飲み込んでいれば、そのうち、顎は退化するに違いない。漫画を原作とするテレビドラマの全盛が、その次に何をもたらすのかは知らないが、いずれ想像力は衰えていくだろう。
無論、すぐれた漫画もある。それは大いに認めるとして、それでも荒唐無稽な面白みだけをねらった作品が、大道を闊歩するということになると、もう何もいう気がしなくなる。
さて今後この百冊シリーズはどうなっていくのか。しばらく見守りたい気持ちもする昨今である。

2007-06-16(土)

であることとすること

今回の年金騒動を見ながら、ふと丸山眞男の評論『日本の思想』に収められている「であることとすること」を思い出した。もちろん、論の趣旨が全く同じというわけではない。
この評論は教科書によく掲載され、かつて何度か授業で扱った記憶がある。端的に言えば、権利の上に眠るものは民法の保護に値しないという近代の考え方について論じた文章である。
つまり権利をもっているからといって、それをそのまま放置した状態においておけば、それは全く権利を執行しないのと同じだということである。
例えば、裁判一つについても言える。自分がどのような不利益を被ろうとも、それを訴えない限り、その事実はないという考え方にたつのである。訴訟を起こし、不利益を表明してはじめて、権利を主張することができる。
泣き寝入りはその事実が全くないのと同じなのである。丸山は何度も言う。プディングの味は食べてみたものにしかわからないのだと。つまり権利は持っているだけでは権利ではない。
それを不断に履行することでしか、権利にならないのである。
もっとわかりやすくいえば、自由人「である」と思い込んで自身の行動を点検することを怠る人は逆に自由でなく、自由「である」ことに甘んじることなく自分の自由を積極的に利用しようと「する」人だけが自由に恵まれているということである。
とここまで考えてきて、少し寂しい気もするが、社会保険庁など、もともと信用するに足らないと思っていた方が自然だったのかもしれないという結論に至った。あれだけ赤字の施設を次々と建てながら、実に暢気に運営している省庁の何を信じればいいというのか。
昨年だったか、自宅のパソコンから年金記録を閲覧できるシステムがやっと完成した。それまで、退職を目前にした人たちは自分で近くの社会保険事務所まで出向き、係の人の手を煩わせて、内容を確認していたのである。その作業がまた遅々たるもので、数ヶ月もかかったとか。
前任校で隣にたまたまおられた先生からその話を聞いた。さらには記入漏れもあったという。逆に他人の記録が付け足され、そのままでは全く整合性もないケースもあったそうだ。
彼は必ず、退職数年前には自分でチェックをした方がいいと付け足してくれた。特に転職を繰り返した人に、このような例が多いらしい。
そこでというわけでもないが、もともとこの機関を信用していなかったこともあって、昨年の春頃、年金記録の照会を試みた。パソコンでさえ、1週間近くかかった。それでも出向く必要はなかったのである。
今、慌てて電話をかけている人の気持ちはよくわかる。自分の記録がどうなっているのかということは最大の関心事であろう。
一事が万事である。これを期に政府といわず、あらゆる機関を信じないという基本姿勢を貫く必要がある。
また大きな声では語られていないが、逆に年金記録を間違えて付け足され、基準以上に余計もらっている人も、少なからずいるはずだ。そのことはこれから明らかになってくるだろう。
権利の上に眠っているだけでは、何も完成しないのが、残念ながら、今の日本の実態である。
官僚組織が腐敗し自浄能力を持ち得ていないことも、一方の悲しい現実なのである。

2007-06-08(金)

介護

コムスンの破綻は大きな問題を残した。元々、介護事業はあまり多くの収益を期待できない。介護士の資格をもっていても収入が低く、離職していく人の数も多い。夜勤が常態化している仕事にはこの他にも看護士などがあるが、その賃金に比べても、介護士は異常に低いのである。
職場によっては男性介護士も多く必要とされてはいる。しかし実際にはなかなか満足できる就業状態にはなっていない。本当は老人たちといたいのに、やむなく職場を離れていく人も多いのだ。
仕方なく派遣の現場に頼らざるを得ないのが現状である。その最大手、コムスンが詐欺行為にも等しい水増し請求を繰り返していたというのでは、もう何を言っても始まらないというのが、実感だろう。
介護の問題は深刻だ。これはその現場に立ち会っている人間でなければわからない。今まではもっぱら嫁の立場にある人が犠牲を強いられてきた。それが介護保険法の施行によって、大きく変化を遂げてきたのは承知の通りである。
介護度の認定も以前に比べると、非常に厳しくなっていると聞く。もう財源がないのだ。しかし一方で保険料はじわじわとあがっている。高齢化社会は年金や医療の問題をはじめとして、今まで想像もしえなかった課題をぼくたちに突きつけている。
今回のコムスンのやり方は実に狡賢い。さすがの厚労省も世論の厳しさを実感したのか、あるいは社会保険庁の失態と参議院選挙との抱き合わせて、まずいと思ったのか、対応は驚くほどすばやかった。
だが現場で介護をしている人、受けている人が結局は最大の被害者なのである。今までと同じ介護が受けられないとなれば、デイサービスにも行けず、風呂にも入れないということになる。
誰が誰の面倒をみればいのか。
大量退職時代を迎え、ますます問題は複雑化し、いわゆる老々介護疲れということにもなりかねない。年金の記入漏れで正規にもらえるはずだった人々が犠牲になっている。その上に、介護事業で私腹を肥やそうとねらっている業者が林立している現状の中では、どうしたらいいのか。
実際にコムスンが経営している老人施設に現在入っている人たちはどうなるのか。多くの費用を払って終身の面倒をみてもらおうと思っていた老人の上に、今以上の不幸が訪れることは許されないだろう。
これで介護現場から、さらに人が離れなければよいと祈らずにはいられない。杞憂で終わってほしいものである。フィリピンから一時的に介護士を呼ぶなどいう計画もあるようだが、言葉や、報酬、習慣の問題などから、その多くはアメリカを目指すという。
問題は労働条件の改善である。しかしコムスンのように同系会社に譲渡するといった延命策を弄するような会社に、任せてはおけない気がする。和歌山県知事の明快な発言に賛意を送りたい。

2007-05-19(土)

雪国

川端康成が無性に読みたくなって、『雪国』を立て続けに2度読んだ。こういう経験はあまりない。
かなり昔の記憶しかなく、温泉旅館での駒子と島村の関係だけを覚えていたにすぎない。
今度読み直してみて、いろいろな意味で非常に新鮮だった。細かい描写は川端の独壇場かもしれないと思った。特に音や色に対する感覚が実に鋭い。ちょっとした物音や、色彩で登場人物の感情をあらわすのがうまい。なるほど、新感覚派などと名付けられた理由はここにあるのだと感じた。
それと女性の心の襞を描くのが巧みだ。島村という男はいわば影であると川端自身が述べているように、駒子という女の心を写し取るためのスクリーンかもしれない。誰かがそこにいることで、彼女の心の内側が透けて見える。
奥深い山に降る雪もここでは一つの装置なのだろう。
何度も出てくる「徒労」という表現は川端の命の言葉だったのかもしれない。生きることが全て徒労に見えるところから彼の人生は始まったのだろうか。
幼い頃に肉親の全てを失ってしまった作家にとって、死は実に親しいものであったと思われる。ここにも結核で亡くなっていく、かつての師匠の息子が登場する。その人となかば許嫁の関係にあると周囲から見られていたというだけで、駒子という女性の輪郭が仄見える。
酒に酔って島村の部屋を訪れる駒子のいじらしさをこれでもかという風に川端は表現する。
男に惚れる、情がうつるということの意味を、彼は心の底から知っていたのだろう。そうでなければ、淡い描写の中に苦しみ抜く人の感情は表現できない。
これは年をとってから読む小説だ。あまり若い時に読んでも何が書いてあるか理解できないだろう。描写は実にそっけない。しかし雪国に生きる人間を正面から見つめている。それがよくわかる。
人間は結局自分の運命にはどうしてもあらがえないものなのかもしれない。江戸時代、魚沼郡塩沢で縮仲買商を営んだ鈴木牧之の『北越雪譜』を丹念に読んで書いたのがよくわかる。これも今回の発見だった。
確かにトンネルを抜けるとがらりと風景がかわる。かつての清水トンネル、さらには現在の関越トンネル。実に11キロある。何度ここですごい天気に見舞われたことか。
最初から登場する葉子がもう一つの要だろう。島村の関心が駒子から葉子にうつっていく予感を駒子がどう受け止めたのかということも、本当に淡く、しかしくっきりと描かれている。どこで終わったのかわからないのが、私の小説だとよく彼は言っていたという。
まさにはじめもなく、おわりもない。それこそが本当の人生なのかもしれない。

2007-05-02(水)

格差病社会

加藤諦三の著書『格差病社会―日本人の心理構造』を読んで感じたことがいくつかあった。それは日本よりはるかに厳しい競争社会であるアメリカでは、あまり格差ということを口にしないという指摘である。
加藤は言う。「現実の格差の大きさと、格差意識の深刻さとは関係ない。日本にくらべてアメリカのほうが現実の格差ははるかに大きいが、格差意識は少ない。日本のほうが現実の格差は小さいが、格差意識は大きい」と。
日本人が必要以上に横並び意識でやってきた理由は何であるのか。そして今なぜこれだけ声高に皆が格差と叫ぶのか。そこに日本人の心性があるからだろうというのが彼の意見である。
確かに日本人は長い間、 年功序列や終身雇用をかたくなに守ってきた。そこには傷つくことを恐れた日本人の心理的傾向があったからかもしれない。そもそもアメリカには日本でいうところの「勝ち組・負け組」に対する言葉がないという。
日本では他人が自分よりはやくいい地位についたとしても、それは年齢が上だということで我慢もできた。自分の将来も似た形で約束されていれば、人は心穏やかに暮らせるのである。
同一民族が多数同じ国土の上に住むこの国では、他者の感情をある程度容易に推察できてしまう。半ば隠された嫉妬優先社会であるともいえよう。そのため従来の日本人は、この国の風土にあった社会システムをつくりあげてきた。
それが年功序列や終身雇用なのかもしれない。この指摘は、全く反対の方向から光をあてたという意味において実に新鮮だった。
なるほど、そういう反面的な見方もあり得るだろう。多くの格差を怖れるが故に、日本人がつくりあげたシステムと考えれば、整合性は十分にある。
次は自分だと思えば、焦りも消える。勝ち負けということも、根本的には起きない。
ところで昨年、象徴的な事件が起きた。それは株価操作などに絡む詐欺である。その結果勝ち組の代表とマスコミでも取り上げられた人たちが、次々と逮捕された。
金を儲けて何が悪いというような、あからさまな発言にみられるメンタリティーはどのようにしてうまれたのか。彼らは額に汗して働いてはいないが、金を儲けているから堕落することはないと多くの若者たちは言う。
一日中、パソコンを見てデイトレードしている人たちに憧れる現実もある。50才までこんなことをしていたら、必ず精神が破壊されると言い放つ加藤はある意味で力強い。
最小の労働で最大の利益が、現代のテーゼでもある。だからこそ、デイトレーダーたちの物語も生まれるのだ。半ば憧れを具現化した存在でもあるのである。
生産性とか、効率性優先で常に自己改革をせまられるアメリカ型社会を日本にそのままの形で導入し、うまくいくのだろうか。これも大きな課題である。
とにかくいろいろな意味で、たくさんのことを考えさせられる本であった。内容の全てに同意できたわけではない。しかしその中には示唆に富んだ視点があったことだけはいうまでもない。

2007-04-15(日)

桂三木助

三代目桂三木助の風貌をかすかに覚えている。子供だったから、それほどに強く意識していたわけではない。
彼が高座にあがった途端、「芝浜」とすぐに声がかかったという。三木助といえば、「芝浜」である。なぜか。最近何度も聞いて、やはり他の噺家よりリアルで面白いと思った。
志ん生の「芝浜」と聞き比べてみると、一目瞭然である。もちろん志ん生のも十分に面白いが、魚屋の気っ風のよさとか、妻の描き方にもう一つの開きがある。事実、三木助が亡くなるまで、志ん生はほとんどこの噺を高座にはかけなかった。勝ち目がないと思ったのだろう。
特に芝の河岸へ二時間も早く間違えて出かけ、そこで海を見ながら一服するあたりの描写はみごとである。さらにはそこで拾った財布の様子なども実に詳しい。主人公は慌てて家に戻り、友人を呼んで時ならぬ宴会をし、そのまま寝てしまう。
この噺のポイントはまさにそこから主人公の行動を全て夢だとだまし、一気に大酒飲みを改心させる妻の器量をいかに描くかにあるのである。ここの描写に品がないと、ただの性悪女になってしまうのだ。
酒をぷっつりとやめ、やがて裏店から、表の通りへ店を出し、奉公人を数人雇えるまでになった主人公を陰で、嘘をついて申し訳ないと手を合わせながら応援する妻の甲斐性をみせなくてはならない。
それがやがて3年目の大晦日の夜の告白につながる。許しておくれ、今まで騙すつもりはなかったけれど、酒飲みに戻ってしまったら、せっかく築いた身代がまた元の黙阿弥になってしまうと呟く。そして頭を下げて謝るのである。
ここの描写がこの噺の核心だ。ここが見事に描き切れて、はじめて「芝浜」は成立する。
若い頃は大阪へも流れるなど放浪を繰り返し、一時は花柳流の師匠となり落語も廃業したという。戦後も賭場通いを繰り返し荒んだ生活をした。そうした経験の全てが、この人の噺には十分にじみ出ている。
話の構成力、写実力に優れておりその輝きは現在も光を失っていない。小さんとは同姓で、義兄弟の杯を交わすほどの大親友であったという。さらに最晩年に生まれた長男を四代目三木助にもした。
しかし息子は若くして自死してしまったのである。小朝などとともに人気がいよいよ出始めたところだった。
彼は悩んだのだと思う。父親の「芝浜」を自分にはやれない。それだけの力量はないと諦めたのだろう。確かに三代目の録音を何度も聞けばきくほど、つらくなったに違いない。
十分に想像がつく。自分には無理だという絶望が、やがて生きることへの意志を失わせた。
三代目三木助の「芝浜」はやはり彼だけのものだったのだ。

2007-04-08(日)

千の風になって

息子が楽譜を買ってきた。売れているらしい。去年の紅白が導火線になったという。本は随分前から目にしていた。最近はCD付きの本が平積みになって書店を占領している。
新井満といえば、ぼくにとっては『ヴェクサシオン』の作家である。所収の文芸誌「文学界」が今でも本棚に入っている。ストーリーは特にこれといったものでもなかった。ただし、小説の持つ雰囲気は実に都会的で、村上春樹とはまた違うものだった。
懐かしい。サティという作曲家をはじめて知ったのもあの頃だ。高橋アキの演奏会で、あの不思議な音のつらなりを聴いた。ジムノペディも今では大変有名な曲になっている。
さて「千の風になって」の話に戻ろう。
実にやさしい音の連続だ。少しも厭味なところがない。あまりにもメロディラインが単純すぎるきらいもある。しかし詩はなかなかのものだ。
新井満が原詩を翻訳したのだという。いろいろな人が試みていることも知った。この詩については先日テレビで特集を組んでいた。肉親に死なれた人々がどれほど慰められ、勇気づけられたのかというものだった。
新しい死生観なのだろうか。墓の中に死者の骨は納められているものの、魂は風になって吹かれ続ける。だから悲しまなくていい。いつもおまえのそばに私はいるというものだ。
日本人にはなじみやすい考え方ではないか。死者は生きている人間の魂に宿る。これは永遠のテーマである。なぜ生きるかはなぜ死ぬかにも通じるのである。
孔子は言った。未だに生きるということがわからない。ましてや死ぬなどということがわかるわけがないと。まさにその通りかもしれない。
密葬の時代になった。死者を葬る方法も実に多様である。かつてのように花輪を並べ、たくさんの人が弔問に訪れるという式は減った。そこに日本人の変容を感じる。
戒名もいらないという人も増えた。無宗教葬も増えた。人は確実に時代とともに変化している。
原詩を探してみた。なるほど新井満の訳したものによく似ている。風になるという思想は風狂の発想にも似ている。一所不住を貫いた多くの文学者にも通じているのかもしれない。

Do not stand at my greave and weep
Words by Mary Frye

Do not stand at my grave and weep
I am not there, I do not sleep
I am in a thousand winds that blow
I am the softly falling snow
I am the gentle showers of rain
I am the fields of ripening grain
I am in the morning hush
I am in the graceful rush
Of beautiful birds in circling flight
I am the starshine of the night
I am in the flowers that bloom
I am in a quiet room
I am in the birds that sing
I am in the each lovely thing
Do not stand at my grave and cry
I am not there I do not die

死ななければ完成しないのが命である。兼行が『徒然草』に書いた通りだ。誰もがはるか沖合のことと思っているうちに、潮は満ちてくるのである。

2007-03-16(金)

山の音

川端康成の名作である。深夜ふと山の音を死の予告のようにして主人公は聞く。小説というのはまさにどうでもいい些事を積み木細工のように重ねてつくるものなのだろう。ほんのわずかな気配を言葉に乗せて、人の世のいとなみを映す。なんと気の遠くなるような果てしない作業なのだろう。
菊子という息子の妻に、老年にさしかかる主人公が仄かな愛情を持つ。というより戦争未亡人にうつつを抜かして自分の妻を振り向こうとしない息子を見ると、菊子が不憫に感じられたのだろう。
義父としての立場もある。節度も当然そこにはあるのだ。しかし菊子がいることで、老年が輝いても見える。
そこへ実の娘が婚家から子供を連れ戻ってくる。複雑な家族の様相が次々と描かれる。夫は出奔したまま、行方不明らしい。後に麻薬中毒になっていたことが明らかにされる。あんな家に嫁がせて、と親をなじる娘。菊子の立場は微妙だ。
ところで菊子の夫は彼女を全くないがしろにするというのでもなかった。戦争へ行って戻ってきてから、いくらか精神に変調をきたしている様子もそれとなく描かれる。戦地での体験が彼を時に暴力的にもするらしい。
やがて菊子の妊娠。しかし彼女はあえて自分から堕胎の手術を受ける。ここのシーンは圧巻だ。戦争未亡人といつまでも離れようとしない夫との間に、子は不必要と自ら断じたからでもある。それを知った主人公の心の痛みも強く描かれる。
死を背後に背負って、最後の輝きを得た主人公は、菊子との時間の中にしか、生の実感を持てない。山の音がひたひたと寄せる死への誘いにも似て、不気味な通奏低音を奏でている。
背後に戦争の残虐さも見える。家というものの持つ哀しみも描き出されている。老人、その妻、息子、嫁、婚家から戻った実の娘と子供達。それぞれの思惑が交錯する中で、主人公は確実に死への時間を生きていく。
考えてみればどこにでもありうる風景でありながら、なんと残酷な姿なのであろうか。どこにも特別なことは書いてない。だからこそ、ひたひたとせめてくるような息苦しさを感じる。
小説とはまさにどこにでもあることを、ただ感性だけを下敷きにして描いた、もう一つの人生ということになるのかもしれない。川端の持つ病的な感情のふるえが伝わってくる作品である。
もうこうしたものを書く人はほとんどいないだろう。いても誰にも読まれないかもしれない。そういう時代になっている気もどこかでする。

2007-03-03(土)

13歳、14歳

文筆家の池田晶子さんが腎臓がんのため亡くなった。46歳だったという。『14歳からの哲学』という本はかなりのベストセラーになった。最近では教科書にも載せられているという。
随分前に図書館でちょっと立ち読みをした。死、宗教など中学生で自我が目覚め始めた頃から気になることがらを、やさしく噛んでふくめるように咀嚼した内容のものだった。
しかし言葉はやさしいものの、そこで伝えようとしていることはけっして単純ではない。というより一生ひきずっていくことがらだろうと感じた。
13歳とか、14歳の頃は何を考えていたのか。今となってはまったく思い出すこともできない。ただぼんやりと生きることの楽しさと不安を抱えていたような気もする。
村上龍の『13歳のハローワーク』という大判の本も大変なベストセラーであると聞く。13歳でそこまで考えなくてはいけない時代になったと捉えるべきなのか、それともただの指針として眺めていればよいということなのか。
それにしても池田さんは随分生き急いだなというのが、今の実感である。赤ん坊に食事を与えるように本当に柔らかくして、自分の最も深いところにある誰でもが知っている言葉で書こうとした営為が、ガンという細胞に変貌してしまったのだろうか。もしそうだとしたら、あまりにも過酷な人生である。
もちろん他者のためだけではなかっただろう。自分のために掘り下げていったに違いない。「地獄は一定すみかぞかし」と呟いた親鸞のその心にどこかで通底しているような気がしてならない。
ご冥福を祈るばかりだ。

2007-02-18(日)

陽水

井上陽水は息が長い。普通なら過去の人間になってもいい年齢なのに、現役で最前線にいる。何が彼を今の位置に固定させているのか。
GSに代表される多くの歌手と違うのは、音の使い方だ。グループサウンズの音は確かに一世を風靡した。しかし今聴くといかにも陳腐なメロディラインでしかない。コード進行があまりにも単純で、哀感さえ持ってしまう。
そこへいくと、陽水の音はかなり複雑な響きを持っている。ビートルズの影響が強いのだろう。初期のものは割合に単純な進行ではあるが、しかし詩がそれを補っている。一言でいえば詩心があるということか。
「人生が二度あれば」「帰れない二人」「夏まつり」などどれを聴いてもメロディより詩がいい。人間の哀しみを背負っている。しかしそれが次第に音楽の成り立ちの方へ傾いていったのはいつの頃からか。「少年時代」のような曲もつくれば、「コーヒールンバ」までカバーする。そうした目配りの良さがいつまでも陽水を一線に残しているのではないか。
あるいは映画、コマーシャルなどとのコラボレーションも考えられる。一言でいえばリリシズムか。
かつて二浪までして、歯科大受験を果たせなかった。そうした過去も複雑な陰影をつくっている。「カンドレマンドレ」から始まった彼は、中森明菜に歌わせた「飾りじゃないのよ涙は」である意味、突き放された場所にも立った。
大麻を所持して、逮捕されたと記憶している。あの後、突然活動が静かになり、多くのファンが去るという危機も経験している。
しかし高いキーでの歌は不思議な透明感を持っている。
時代をするどく切り裂く能力にも恵まれたのだろう。陽水は今も不思議な場所に立っている歌手だといえよう。
中島みゆきにも一種通ずるところはあるかもしれないが、彼女の方がもっと地面に近く視線は低い。
六十歳になっても現役の最前線に立つことは、並々でない神経の疲労を覚えることだろう。しかし『氷の世界』へ戻れば、懐かしいいくつものナンバーが彼を待っている。これからもさらに活躍を続けてもらいたいものだ。

2007-02-04(日)

巨象インド

3日間にわたるインド特集を見終えて、さまざまな感慨があった。10億を超える人口をかかえ、世界の中でIT立国として生き抜いていくのは並々のことではない。
俗に印僑と呼ばれる人たちの隠然たる力も見た。ことにアメリカがCTBTの批准をインドに押しつけようとしたとき、それを見事にはねかえし、インドが核を持つことの意義を認識させたのも、アメリカ在住のインド人達だった。
かれらはかつてのユダヤ人と同様にアメリカに深く根をはっている。一方で貧しい農民は3億ともいわれ、農業の中心は綿花の生産に頼っている。しかしインフラが整備されていないことから、灌漑も容易ではなく、アメリカ産の遺伝子組み換えによる種子は、インドの風土にあっていない。
貿易自由化促進策により綿の卸価格下落は、農民達を直撃し、買い取り価格も下がる一方だという。高利の金を借り、種を買い、また赤字で金を借りる。この悪循環が自殺者の増大に結びついている。
さらには選挙のたびごとにばらまかれる物資によって政権が交代するという基盤の危うさもある。
一件に一台づつのテレビや、ガスコンロなど日本では考えられない贈賄が選挙のたびに繰り返される。
農民票を無視して政権の維持はできないからだ。
しかし巨大な資本は次々と各都市にスーパーマーケットを進出させ、成功している。それを背後で支えているのは、IT関連の企業だ。多くの世界的企業がインドに進出し、金をおとす。
優秀な人材は大会社に就職し、生活は目に見えて向上する。そのための受験戦争も激化している。大きな工科大学はのきなみ40倍以上の競争を勝ち抜かなければ入学できない。
ものを買うことに狂奔し、インド人のアイデンティティを忘れてしまいそうな時、不思議な映画も登場する。その主人公はガンジーだ。彼はインドの良心を具現化した偉大なる知性でもある。
みながみな歌と踊りだけの野放図な映画ばかりだというわけではない。
幼い頃から数学パズルをし、2桁の九九を覚える国の青年達によって新しいウィンドウズも開発された。アメリカとの時差の間にインドは働く。その強みがこれからの国を支えていくのだろう。
核を持ち、中国やアメリカとの関係改善にいそしみながら、しかし内部に膨大な数の識字さえできない農民をかかえ、これからの時代に対処していかなければならない。
難問の山また山である。
それが10億以上の民を抱えた今のインドの姿なのだ。

2007-01-28(日)

短所

人にはすぐれたところもあれば、その反対にもの足らないところもある。気の長い人がいるかと思えば、反対に気短の人もいる。まさに千差万別である。
しかし出世する人間にはどこか可愛げあるというのは真実だろう。なんか憎めない。失敗もするが、それを覆ってしまうだけの人間的な魅力が宿っている。今までたくさんの人に会ってきたが、やはり人は人の間でしか生きられない。単独行動をし続けるということは至難の業だ。
多くの仕事がある程度チームワークを組んでなされる。個人のレベルで完成するという領域もあるだろうが、しかし世界は複雑だ。解析や分析も一人ではなしえない。とすると、やはり複数でチームを組むということになる。
そこに生ずる人の輪には、ヒエラルヒーとは違う感情の輪があるように思う。それがうまくいかないと、やはり仕事は先に進まない。それを支えるものが、古い言い方だが、人の徳というものだろう。なぜか人が寄ってくる不思議な力を持つ人物は確かにいる。また離れていくという人もいる。
その背景を探っていくと、どこかに可愛げがあるのではないか。いつもは厳しくていい。しかし一瞬、別の表情が浮かぶ。そこにその人間の本質が見えるのである。
短所も同様だ。
人はみな自分の欠点をひどくマイナスのものと認識している。できればそれを隠したいと考えている。しかしよくよくみてみると、そこにこそ、その人の魅力の源泉があったりもするのである。そこが光源となって、人を輝くばかりに魅力的にするのだ。
だからといって短所の誇大広告をしろといっているのではない。むろん、包み隠さなければいけない。しかしそれでもなお、そこから匂い立つ魅力は隠しきれないものなのである。
同じようにコンプレックスも似た性質を持っている。だいたい短所が増殖して、不安になるのだ。だからこれも裏返しの魅力になりうる力を持っている。
だいたい、成功した人たちはそうしたものを抱えて生きているものだ。慌てることはない。人はむしろその劣等感に満ちた表情に嫌気がさすものなのである。堂々としろといわれても、そう簡単にはできないだろう。しかしその表情のどこかに、それでも生きるという強い意志が見えれば、人は助けてくれるものだ。
短所を卑下してはいけない。逆にそこにしか、自分を照らし続けてくれる光はないのだ。

2007-01-02(火)

サイバー大学

知人が今年開学予定のこの大学で教えるという。
世界遺産学部とIT総合学部を持ち、授業は全てインターネット上のオンデマンド方式を使う。学長は吉村作治、事務所は福岡と東京にある。いわゆる株式会社立の大学だ。
正式に認可されたのは、昨年の11月。やっと募集を開始し始めたばかりである。
面白い試みだ。
さっそくホームページを開いてみた。124単位を取らないと卒業はできないらしい。全く通常の大学と同様である。知人はここで観光学を教えるというが、その内容も多岐にわたっている。4年以上、何年かけて卒業してもいい。その分だけ、1年ごとの学費が少なくて済む。
ソフトバンクの子会社が全面的に技術的支援をする。不思議な時代になったものだ。いわば放送大学のインターネット版とも言えよう。どこまでの可能性があるのか、全てはあまりにも未知数である。しかし試みとして面白いことはいうまでもない。
スクーリングもどうやらないようだ。
従来の大学教育がサービスとしての面をあまりにも欠いていたという視点から開学したという。授業評価なども厳しく行う方針らしい。
いずれにしてもこうした株式会社立の大学がすでに幾つもあるということに驚かされる。
生徒数の減少で、どこの大学も定員を確保するのに苦労している。そうした中であらたな鉱脈をみつけることができるのかどうか。さっそく今日、メールマガジンの購読を申し込んだ。これから新しい情報が次々と入ってくるはずだ。
レベルの高い教員を集めたと学長の吉村は誇らしげに書いている。真価が問われるのはまさにこれからのことだろう。しかし知人のおかげで、また新しいトレンドを知ることができた。
新しい知の鉱脈はあちこちに存在しているに違いない。やはりここはアンテナを高く、感度をよりいいものにしなくてはならない。
時代は変化する。要求される知の形も当然その姿を変化させていくであろう。しかし深層を忘れてはならない。その支えあってこその新たな方法論なのである。

2006-12-30(土)

人間の中核は目だ。そこに思いが宿る。中国へ行った時もそう感じた。授業をし、強い光を見た。あんな目をした日本人はもういないだろう。
何かを必死につかもうと努力し、ひたむきに進んでいた。あれからもう数年が過ぎている。中国も変わった。
今日はインドの映像を見た。インド工科大学に入学するため、必死に勉強している予備校での風景だった。倍率なんと40倍の難関である。しかし大学を出れば、カースト制度を突き破ってIT長者にもなれる。
トタン屋根の掘っ立て小屋がその教室だ。窓も壁もない。雨の日には当然傘をさして、ふきこむのを防ぐ。500人がすべて黒板をくいいるように見つめ、目を光らせている。あんな目を久しく見たことはない。中国でみた目よりも、数倍強かった。
8億を超える人口をかかえ、カースト制度にしばられている。それがインドだ。さらに識字率は7割にとどまるという。数億人単位の人が読み書きもできない。おまけに全人口の8割が農業に従事する。
そのわずかな針の穴を抜けて生き抜こうとするのである。当然必死になるわけだ。家族を、あるいは一族を支えていかなければならないのである。うまくいけば、赤貧の生活から這い上がれる。ゴミためとどぶ川の生活から抜け出すのだ。
自分のしている勉強が親や兄弟を救うとなれば、それは当然必死だろう。
かつての日本にもあんな時があったに違いない。もう何も欲しいものがなくなった今の飽食日本で、ああいう目をしろといわれても、それは所詮無理な話だ。
しかしITはわずかに水をまき、周囲を潤すだけの力しか持ち得ないに違いない。いつまでも新しい技術がそこに存在し続けるとはとうてい思えないのである。
それに農業しか知らない貧しい人々が、富の恩恵にすぐあずかれるとも考えられない。中国より遅れて世界に参入しただけに、やはりつらい点も多い。
さて目だ。
日本人の目もずいぶんとくすんでしまったような気がする。授業をしていても、そこから光ってくるような強い目に出会うことは少なくなった。推薦入試などに失敗し、そこからどうしても這い出たいと必死に念じている生徒などに、たまに見かけることはある。
しかしたくさんの情報に囲まれ、すべてを知悉しているかのような錯覚を抱く若者には、もうありえない世界の話である。
豊かになるとはどういうことであるのか。何が本当の豊かさなのか、もう一度考えてみる必要がある。
かつての日本にあった熱気はどこへいってしまったのだろうか。豊かになるとは一面、寂しいことであるのかもしれない。

2006-11-30(木)

子午線の祀り

劇作家の木下順二が亡くなった。九十二歳の高齢だったという。彼の作品でなんといっても思い出に残っているのは『夕鶴』だ。山本安英のつうは不思議な味わいだった。
この世のものではないという感覚をどうしてあれほど鮮明に出せたのか。人間の中に汚れた意識が生まれた瞬間、つうは消えてしまう。誠に厳しい内容の劇だった。どこで見たのか、それさえも覚えていない。三越劇場だったかもしれない。
もうひとつが『子午線の祀り』である。これは国立劇場だったような記憶がある。前進座の嵐圭史が平知盛役をつとめた。
十年ほどの間に二度見ている。場内が暗くなると、宇野重吉の声が突然客席に流れる。無論亡くなったことを知っている観客には、ただただ懐かしい。そして次々と繰り返される群読。
たくさんの出演者たちが一斉に平家物語を読む場面は圧巻であった。この芝居を見たのはNHKの放送を全部聴き終わってしばらくした頃であった。駒沢大学の水原一教授が講師だったと思う。百二十句本をすべて解説してくれた。1年間の講義であった。
その後自分でも読み終え、滅びの美に酔いしれていたのである。それだけに、この芝居は肺腑にしみた。
人はどうしても一度滅んでいかなければならない。とするなら平家の公達のようでありたいとも思った。
2度目に見たのは多分十年後くらいではなかっただろうか。滝沢修の衰弱が激しくて、台詞を他の役者たちと群読するのはもう無理だった。あれからしばらくして、亡くなったのである。
平家物語の中に出てくる言葉の美しさ、はかなさがそのまま舞台に結晶したいい作品である。あれから何度も再演されているようだが、気品を保ったまま、この台詞をつぶやくには並々でない技量が必要だ。
またいつか機会があったら、舞台を見てみたい。
日本の舞台を作り上げてきた巨星がまたひとつ墜ちた。

2006-11-12(日)

日本の論点

いつの頃からか、毎年この本を読むようになった。といっても丹念に全てのページに目を通す訳ではない。かなりの厚さである。全て読めば数時間は確実にかかる。
文藝春秋がなぜこのような企画を始めたのか、その仔細は知らない。しかし毎年、受験生向けの小論文を担当していると、どうしてもこの中に出てくる幾つものテーマが必要になってくる。内容を深く理解していないと、添削すらできないのが現状なのである。それほどこの国には問題が山積している。いや、世界にといった方がいいだろう。
厳しくいえば、これは日本の論点ではなく、むしろ世界の論点へと敷衍されるべき性質の本である。
今年も2007年版が出た。去年の版はぼくの机の上に乗っている。また買うことになるのだろうか。
経済、政治、環境、憲法、教育、年金、生きがい、IT。何をとっても一朝一夕には解決しないことばかりだ。いっそのこと、全てを専門家の手に委ねてしまえたら、なんと楽なことだろう。しかしそういうふうに他人任せにする社会が迎える終末は、目もあてられないものになるのが必然だ。
だとするなら少しでもその糸口を探るべく、自分の頭で考える以外にはない。
全ての生きものはやがて彼岸へ到達する。
この冷徹な真実の前で、論点を語り合うことは大切だろう。なんのためか。それは愚劣な国にならないための唯一の方法だからである。 司馬遼太郎はなんてばかな国に俺はうまれたのだろうと考え、そこから、歴史文学を始めたという。明治以前の日本人はもっと賢かったはずだという彼の視点がなければ、司馬史観は生まれなかったに違いない。
日本の論点が、毎年新しい版として、出版されるということは、また考えることをやめてはならないという、一つの叱咤と考えるべきことなのかもしれない。

2006-10-21(土)

神なき時代の神話

世界遺産の旅で沖縄を紹介していた。
琉球王国をつくった人々が大切にしていたものは何か。一つは当然経済である。かつての明を通してさまざまなものを輸入し、飛躍的に富が増した。
それと同時に、というかもう一つの鍵は神話である。自分たちがどこから来てどこへいくのかということに、人一倍執心した。
その遺跡がまさに斎場御嶽(せーふぁうたき)と呼ばれる場所であるのだろう。自然石が偶然につくった神の宿り給う神域である。二つの岩石が偶然に重なり合った三角型の空間を突き抜けると、そこは広々とした場所になる。
まさに天照大神の琉球型変形譚と言えるのかもしれない。
この地方では、女達が神と交感し祈る。朝夕、海の日を浴びながら祈れるということが、生命を育んできた。自然と一体化することで、自分がどこから来て、どこへいくかを当たり前のように悟った。
ここには仏教など必要がなかった。
ごく純粋な意味でのアニミズムがあれば、それでよかったのである。朝のまっすぐな光が御嶽の岩にあたる。それを拝むだけで、彼らは地上の楽土を感じることができた。
その支えがあればこその、琉球王国であったのである。
近年、心を疲れさせた多くの人が南の島への移住を夢見ている。海しかないという、きわめて単純な風景が、現代人をここまで捕らえて離さないのはなぜか。
新しいホテルが次々と進出し、ここしかリゾートとして残り得ないと業界人達が揃って呟く背景には何があるのか。
神のいなくなって久しい現代に、唯一、神が宿る場所があるとすれば、それは海に抱かれた南方の島だけなのかもしれない。

2006-09-26(火)

手触り

実感のない社会になりつつある。
ネット社会だけが原因ではない。かつては自らの手を泥で汚し、額に汗をかいて報酬を得る仕事がほとんどだった。家の後継ぎということが当たり前のように言われ、職人は父親の仕事をわきで見て覚えた。農業に携わる者も、全く同じだった。
しかし今、父親の仕事を完全に理解することは不可能に近い。職場を見るチャンスさえないのが普通だ。
人は自分の身体とものを接触させ、そこで味わう喜びといったようなものをほとんど喪失した。
コンピュータの発達はそれに拍車をかけた。子供は外で遊ばない。ゲームに熱中し、バーチャルな世界で別の生を生き続けている。学校では田んぼをつくり、花を植え、鶏にエサをやったりする。生き物係がつくられ、とにかく少しでも子供達に生きるという実感を与えようとしている。
しかしそれも遅々たる歩みだ。もちろん何もしないのよりはいい。だがかつてのように汗と泥にまみれるということは、もうないだろう。ありとあらゆるものが家の中にある。もう欲しいものなどない。あるとすれば、それは今使っているものが壊れたから、代替品が欲しいというのにすぎない。どんなにコマーシャルが声高に欲望を刺激しても、もう欲しくはないのだ。
現在はコンピュータの端末も叩けばあらゆる情報が飛び込んでくる。なんでも知った気になる。この怖さはやがて、この国を大きくかえていくだろう。誰もが発信者になれる時代になった。だからこそ、匿名で無責任に他人の内側に土足で入り込むことも可能なのだ。
あまりにも豊かな時代にもう死はない。それは巧妙に隠蔽され、いつも見えない場所においやられる。
かつてのように日常的に死が目の前にあるという光景も、もうありえないだろう。つまり、リセットすれば人は生まれ変わると信じる人たちの大量発生もあり得るということだ。
死者との交感を題材にした作品が、巷にはあふれている。手触りのない時代の置きみやげかもしれない。
実感をどうしたら、取り戻せるのか。生きるということの手触りを一心に求めるあまり、神経症になる人も多い。誰からも受け入れられないことを否応なく認め、引きこもってしまう人もいる。
自分を認めるというところからしか、他者は見えない。その意味で、まずざらざらとしたこの生の実感を上滑りすることなく、手に入れる機会をこれからの世代の人たちにたくさん持たせなければと切に思う。
何人もリセット可能な人生など生きてはいないという、単純な事実をどのようにして知らせるのか。
難問ばかりが、山のように積み上げられていく。

2006-09-15(金)

聞かせてよ、愛の言葉を

作曲家、武満徹のインタビューを聞く機会があった。今から20年も前の録音である。彼がどのような環境で育ち、どのような音楽に触れていたのかということを、実に淡々と語っている。
その中でどうしても触れたかったのが、この曲との出会いだったようだ。戦時中、糧秣廠の仕事で、群馬の山中に徴用されていた時の話である。
学生だった彼に、ある兵隊が電蓄で聴かせてくれたのが、このシャンソンだったという。毎日軍歌ばかりを歌わされていた環境の中で、この歌はまったく異質な音に聞こえたらしい。
リュシエンヌ・ボワイエという歌手の歌はまさに竹針の先から、彼に天の声を届けたのであろう。
もし生きていることができたら、必ず音楽をやろうと武満はその時、強く思った。なにもないことによる渇望感が逆に彼の音楽を強くした。
それからの10年間は病気と闘いながら、すべて独学の日々であったそうだ。ピアノもなく、町を歩いては音の聞こえてくる家にお願いをして、ピアノを貸してもらったとか。
一度も断られたことがないというのが、彼の自慢でもあった。その数およそ30軒。
食事を出してくれたり、お茶を出してくれる家もあったとか。本当に真剣なまなざしで頼んだのだろう。その気迫に押されたとしかいえない。
楽譜の書き方も、音のつながりもすべてが独学だった。日本的なものから離れようとしながら、音はますます日本そのものになった。
シャンソンやジャズから、あの世界の武満が育ったと思うと、実に愉快である。
人は内圧が高ければ高いほど、その一瞬の出会いがすべてを決めるということもあるのだ。現在は音があふれている。だからこそ、自分からモチベーションを築きあげ、それを維持することが難しい。どちらが幸せなのかを語ることはできないが、人は一瞬で大きく変化するものなのだ。
その出会いのために日常を生きているのかもしれない。

2006-08-14(月)

長編小説

あれは中学2年生の時の話である。はじめて長編小説を読んだ。とにかく長かった。吉川英治の『新書太閤記』である。青い表紙の本だった。
第一巻を読み始めたのは、夏休み前である。何気なく図書館で手にした。家に持って帰って読み始めたらやめられなくなった。講談本を読んでいるような面白さがあった。先がどうなるのだろうという期待が強くなり、どうしても次が読みたくなった。
二巻目も多分続けて読んだのだろう。そのあたりの記憶がない。もしかしたらNHKの大河番組で放送していたのかもしれない。信長役の高橋幸治と秀吉役の緒方拳がともに、いい味をだしていた。
さてそうこうしているうちに、夏休みが来てしまい、図書館に入ることは不可能となった。
しかしどうしても続きが読みたくて、ある日、友達と二人で忍び込むことに成功したのである。もう随分年月も過ぎているから、今なら時効ということにしてもらえるだろう。
若かったというより、まだ子供であった。当時の学校というのは、今のように警備装置が発達しているということもなく、どこからでも入ろうと思えば入れた。
幸い、図書館の入り口の下に風を入れるための小さな引き戸があった。それをはずせば、難なく侵入することができたのである。
それから俄然読むスピードがあがった。何冊あるかわからないけれど、全部夏休みのうちに読破しようと試みた。
とにかくあんなに毎日本を読んでいた夏はなかった。
一冊読み終わる度に侵入を繰り返した。
図書館の中が、ちょっとした解放区のようにも思えた。そこへいけばまだ見たこともない知の空間がひらけているような気がした。
今でも新しい図書館を訪れたりすると、時折そんな気分になることがある。きっと、当時はもっとすごかったのだろう。
とにかく読んだ。
何冊あったのかよく覚えていない。寝転がって読んだため、とうとう目を悪くした。それまでは大変よかった視力が、あれで随分落ちた。しかし言葉の世界の面白さはぼくを惹きつけてやまなかった。こんなに表現力のある作家はそういないのではないか、と思った。教科書が実につまらなくみえた。とにかく先が読みたくて仕方がない。
若い時にはああいう体験もあっていいのではないか。今、長編を読もうとする時には、かなりの覚悟を持たなくてはならない。体力勝負になるのがわかっているからだ。
かつてのようにただがむしゃらに読み進めたころが懐かしくて仕方がない。あの後、『宮本武蔵』も読んだ。
ああいう小説が書ける人というのは、いったいどういうタイプの人なのか。いまだに不思議でならない。
夏休みのいい思い出である。

2006-08-06(日)

エノラ・ゲイ

ワシントンのスミソニアン航空宇宙博物館でエノラ・ゲイを見たのは、もうかなり前のことである。おりから100万人マーチが始まるとかで、市内は数日前から黒人で騒然としていた。
この飛行機の展示については、アメリカ国内でも賛否が分かれ、それだけにかなり神経を使っているようにも見えた。
しかし大半のアメリカ人は、そんなことには関係なく、はじめて原爆を落としたB-29の特別機が案外きれいに保存されていることに、驚きを隠せないようだった。
もちろん、日本人の見学者も館内にはいた。戦争を経験してきた人たちはかなり複雑な思いを抱いている人が多いようだった。
これなのかという面持ちで、きらきらと光る飛行機をじっと見つめている人もいた。
その横で、テレビは出撃当日の様子を屈託なく映していた。乗組員が笑顔で記念写真をとり、いざエノラ・ゲイに乗る瞬間の映像は、嘘のように明るかった。
そして飛行機内での様子や、さらには日本上空の様子、広島に原爆を落とす瞬間の映像が次々と公開されていた。
それらは広島の原爆資料館に展示されたものと対比をなして、ぼくの頭の中に写った。影になったまま、階段で消えてしまった人と、この飛行機から、爆弾を落とした人の間にはどれほどの差があるのか。
折れ曲がった水筒や、燃えた旗と、この航空隊員との笑顔の差は何か。
人間はなかなか過去に学ばない生き物のようだ。いや学べないのかもしれない。全てを破壊しつくさないとまた復活しないとでも思っているのだろうか。
原爆投下のこの日になると、なぜかあのエノラ・ゲイを自分の目で見た日のことを思い出す。機体は本当にみごとなくらい修繕され、おもちゃのようにキラキラと美しく光っていた。

2006-07-27(木)

テンション

普通、緊張と訳すことが多いようだ。今日はテンションが高いというと、なんとなくいつもより意識が高揚している様子をさしている。
今の仕事はある意味、生徒と対峙することが多いので、テンションを高くしていないとやっていられない。いつも元気な生徒とつきあうための最低のパワーだけは身体中にみなぎらせていないといけないわけだ。
最近、いろいろなコード進行について調べているうちに、音楽の世界の中でもこのテンション・ノートが非常に大切であることを知った。一言でいうなら不協和音である。難しい話は省くが、普通根音(ルート)から9音目、11音目、13音目がそれにあたるらしい。確かにこうした音を元のコードに混ぜて弾くと、不思議な音色になる。というより、より大人の精神状態を感じさせる豊かな響きになるのである。
なぜか。それはぼくにもわからない。しかしこうした音とさらに半音上げたり、下げたりの繰り返しの中から、ある意味で成熟した音が示されるのだとしたら、これほどに面白く奇妙な世界はない。
緊張はある意味で、不協和音が作り出していくのである。
これは人間の世界でもまったく同様だろう。
一族だけで経営されていれば、当然ノーを言う人間はいなくなる。人間は実利には非常に鋭敏だからだ。とすれば、人為的ミスによるガス事故が起きようと、口をふさぎ誰にも通告しなくなる。
その結果があのパロマだったのだろう。これからどれほどの補償業務が待っていることか。あるいはそれをすべてクリアしても、会社として信用を取り戻すことはほとんど気の遠くなる作業となるだろう。
松下がガスストーブ交換で払った代償の大きさを知れば、それがよくわかる。
確かに同じ考えの人間だけが集まっていれば、それは非常に気が楽だ。誰もが阿吽の呼吸で互いを補完できるからである。しかし一度つまづいたら、その時の失態は見る影もないに違いない。
いつもあまりに緊張していたのではいい仕事もできないだろう。しかし適度なテンション、適度な違和は新しい活力となる。芸術はつねに自分が作り出し、慣れ親しんだものから逃避し破壊することで、より高い完成をみる。
これと同様に人間の社会は同質な集団でまとまってはいけない。それはすなわち衰退への第一歩である。
つねに緊張を内部に孕むことの大切さは、今さら言うまでもないことだろう。しかしこのことの難しさは、想像を絶する。
人は徒党を組む生き物だからだ。派閥しかり、党派しかり。
だからこそ、孤高に徹しようとした人物もまた歴史上には存在するのである。しかしそれで本当に力になり得たと言えるのか。このことの検証にはまだ時間がかかりそうだ。

2006-07-15(土)

象は鼻が長い

日本語を外国人に教えるということは至難の業である。昨年から外国人に多く囲まれた環境にうつったせいか、そのことをさらに深く感じるようになった。
日本語を全く理解できない生徒に基礎から教えるという仕事は、特別のプログラムを学んだ人にしかできそうもない。
ぼくが教えているのはある程度、日本語が話せ理解できる生徒達である。それでも実際に教えていると、言葉というものはすごい力をもっているものだと感心する。
たとえば韓国人の生徒達が突然ハングルで友達どうし話し始める。するとその瞬間から全くぼくとコミュニケーションの糸がとぎれてしまうのだ。
なかには数カ国語を話す生徒もいる。先生より流ちょうに英語を操る生徒もいる。そうした環境の中で日本語の教材を使うことは想像以上に大変である。
来年、韓国や中国に戻ってしまう生徒もなかには当然いる。彼らに向かって日本の文語文法を教えるというのも、なかなか骨の折れる仕事だ。
動詞に9種類の活用があり、それがどのような活用変化をするのかということを覚えて、さてどの程度の意味を持つのか。
さらに助動詞の意味や接続となると、これはもう暗号を解読していくようなものである。
しかし幸いにして彼らは若い。ものすごい吸収力で次々と内容を制覇していく。
さて日本語の勉強を続けている生徒達はみな「は」と「が」の使い方には苦しんでいるようだ。日本人なら絶対に間違わないシーンでも、彼らにとっては難しい。
試しにこの文のタイトルを逆にして「象が鼻は長い」と表現したらどうなるか。やはりへんだと感じる。
それは「は」と「が」の根本的な特質に関わることだからであろう。表記法からいえば「こんにちは」なども「こんにちわ」ではない。「今日は…」のあとが省略された形だからである。
どこの国のことばだって難しいといえば、それは難しい。発音がとんでもない言葉もある。
しかし日本語の難しさはそうしたものとまた違う関係性の構築をどうするのかという難しさなのであろう。
敬語などもまさにそれである。古文でももっとも学習上困難なのは敬語である。特に謙譲と尊敬の入り交じった二方向敬語などというものは、まさに芸術そのもののように思われてならない。

2006-07-09(日)

デジタル時代

デジタル時代とは何かと問われたら、コピー可能な時代と言い換えてもいいのかもしれない。
かつてCDのコピーは夢のまた夢だった。だから多くの人がテープにダビングした。しかし当然音質は下がる。それでもウォークマンはよく売れた。
ところがその後、MDが登場し、ほとんどの人がテープには目もくれなくなった。なんといっても音質がいいのと、手軽さが受けた。巻き戻しと早送りがなくなったからである。
ただしこの商品には一度だけしかコピーできないという機能が組み込まれた。つまりMDに録音したものを次のMDに同じ音質でコピーすることはできなかったのである。
それでも爆発的に売れた。この頃からCDのレンタルが急に広がった。フランチャイズを手広く広げたTUTAYAはあっという間に駅の近くに進出した。
ところがにわかにパソコンが普及し始め、それに伴ってCDそのもののコピーが可能になった。何枚でも複製が可能となったのである。最初のうちはCDのメディアそのものが高かった。ところがいつの間にか、値段が急降下し、今では1枚数十円の単価で手に入る。
簡単に考えれば数千円のCDがレンタル料を入れてもわずか数百円になってしまったのである。
これにはさすがの業者もまいった。そこでコピーできない機能を入れたCDを制作してみたものの、あっという間にそれも破られた。
そうこうしているうちに、ネットから無料でダウンロードする技術が広められ、ウィニーをはじめとするファイル交換ソフトの全盛となった。
これにはMP3という特殊なファイルシステムが大きく貢献した。今までの容量のわずか10分の1で、かなりな程度までの音質が確保できるようになったのである。
しかし開発者もまさかここまで広がるとは想像もしなかったのではないか。現在、これはまた別の複雑な問題を抱えている。
このあたりからMDの売り上げは急速に落ちこみ、今度はネットワークにつなぐMP3オーディオの全盛となる。今では1万曲以上が入るという60ギガのiPODまでが登場し、その音を車の中で聞くための専用トランスミッターまで売り出されている。
今ではパソコンを無視した商品開発は意味をなさない。MDも売れているのはネットにつなげられるものだけだ。最近ではハードディスクを搭載したステレオまで登場している。
さて映像は長い間ビデオだけだった。だがここへ来てDVDの時代となった。近年はブルーレイなどと呼ばれるものも開発されたが現在の主流は二層式のものである。
これは通常の倍の情報量が入れられる。すぐれたものだ。当然コピーしたいという欲求が広がるのは予想できた。
しかしこれにはかなりの困難を伴った。その技術を開発者たちは秘匿したからである。ところがある時、この情報がネットを通じて流れた。そこからは早かった。あっという間に複雑な暗号を解読するソフトがそれも無料で提供された。現在では簡単に複製ができる。
つまりレンタルショップで借りてきたDVDを全てパソコンの中に取り込み、それを今度は一層にまで縮めて書き込むことができるようになった。そのためのソフトも無料で配布されている。もちろん二層のままでも書き込めるデバイスも登場している。
現在ではメディアも一枚100円しない。
いきおいハードディスクの容量も増えるばかりだ。外付けのものに全て借りてきたものを取り込んでしまうなどという使い方も、ごく自然なものになりつつある。
ストリーミングのコピーもしかりだ。
デジタル時代はコピー時代といっても過言ではなかろう。
これからどこへ向かっていくのか。その予見は困難を極める。
誰にも先は見えないのではないか。

2006-07-01(土)

表層

時はうつる。時代はかわる。
スポーツひとつをとってみても、つい先日までは荒川静香の話題ばかりだった。誰もがイナバウアーと叫び、身体をそらせてみたりもした。ところがワールドカップが始まる前後から、サッカーの話題一色になった。
家電メーカーはここぞとばかりに大型テレビの売り込みに懸命になったのである。しかしそれも初戦敗退以後、急に下火となり、今では完全に過去の話題となりつつある。ジーコは既に日本を去った。ついこの前まで、彼が誰を選ぶのかと一喜一憂していたメディアは、もう次の監督の名前を連呼している。
なんという変わり身の早さだろうか。まだリーグの途中だというので、所属チームは怒っている。
村上ファンドも日銀総裁の退任かどうかという話題を提供して消えた。また今日、橋本元総理死去という報道も飛び込んできた。まだ60代後半だという。
これで1億円献金事件の真相もわからずじまいになるだろう。きっとそんなことがあったことも忘れてしまうに違いない。政治には金がかかる。だからこんなこともあると多くの人は思っているのだろうか。清濁あわせのむという言葉が日本にはある。腹芸という表現もある。
遠くへ去れば全てはいつの間にか忘れられてしまう。それが自然だ。去る者は日々に疎し。昔の人は本当にうまいことを言った。
政治も経済も、何もかもが表層を滑っていく。どこに深層があるのか。それさえもみえないまま、人々はただ漂流を続けていくのに違いない。アメリカとイラクの戦争はどこまで続くのか。
北朝鮮の拉致問題は韓国を巻き込んで、新しい段階へ入りつつある。無理に言わされているに違いないとしても、あの韓国人親子はそれをどう見ているのか。
メディアには報道されないことがあまりにも多すぎる。ニュースはあくまでも新しいことだけを追いかける。だからこそのニュースだ。
つい先日あった奈良の放火事件も父親が全面的に子供への接し方を間違えたと語った。
しかしそんなことがあったかなと1年もすれば忘れてしまうのではないか。あの秋田の殺人事件もしかりだ。
日常は重い。その中に何もかもが飲み込まれ、咀嚼され、記憶の断片はあまりにももろい。
どこに深層があるのかを見極める目の確かさがなければ、この世界はただの風景になってしまう。
ぼくたちはたんなる旅人なのだろうか。

2006-06-18(日)

点と線

松本清張の小説がたくさん文庫本になっている。一時はもう読まれないのかと思ったが、テレビ番組でみごとに復活した。
たくさんの作家がミステリーを書いている。だが表層的なものも多く、飽きられていた。そこへ再度登場したのが、松本清張である。彼の真骨頂は短編にある。『張り込み』のようなものに最近魅力を感じるようになった。人間の心理が丹念によく描かれている。
しかし彼の名を一躍有名にしたのは、なんといっても『点と線』だろう。空白の4分に命をかけた男のドラマでもある。
背景には男女の愛情とともに、汚職事件がからまっている。課長補佐という一番仕事に通じている男が自殺してくれたら、誰が一番助かるのか。その背後で暗躍するものの正体は誰か。
たたき上げの彼らに出世の望みはない。そこへちょっと甘い罠をかけたらどうなるのか。香椎というそれまでスポットをあてられたこともない場所に筆者は注目し、心中事件をしかけた。
この本を読んだのは今から30年以上も前のことである。しかしその時の印象がよほど強かったに違いない。
あれから何度も読み返している。西村京太郎の時刻表ものとは根本的にスケールが違う。
松本清張は背後に社会悪の構造を背負っている。それだけ内容がより深く鋭角的だ。しかしさらにその後ろ側にあるのは、身体をこわし妻として十分に愛されることのない女の寂寥にある。
ここにまた筆者の人間観察の目が宿っているともいえるだろう。この作品はそれまでのミステリーを根本的にかえたと言われている。勿論、今なら電車だけでなく、飛行機を使うトリックなど誰でも思いつくと言われればそれまでだ。
しかしそのトリックを支えた人の心の襞までは、それ以前には全く存在しなかった。
彼の小説が今日になってももてはやされている事実が、全てを物語っている。

2006-06-11(日)

現代パチンコ考

世の中からギャンブルというものがなくなることはない。それだけ人を熱くする。しかし儲かるのは胴元と相場が決まっている。
だからこそノミ行為などというものもあるのだ。競輪、競馬、競艇。電話だけで商売ができる。少々のリスクを覚悟すれば、これほどにおいしい商売はないかもしれない。
ところで先日、パチンコ依存症に関する番組を見た。たかがパチンコなどとはもう呼べない。かつてのような羽根ものの牧歌的な季節を通りこえ、今は完全なギャンブルと化している。とても近寄れるようなものではない。
あっという間に数万円を投資してしまう。カード化してから、その傾向がますます強くなった。その番組によれば脳から出るドーパミンの量が肥大化し、少々のことでは興奮しなくなるとか。
つまりますますのめり込んでいく。大儲けをしたときの記憶だけが脳髄の隅にこびりつくというわけだ。こうなると、借金をしてでもパチンコをする。
あの機械くらい、人生を感じさせるものはない。昨今はとんと足も向かないが、かつては時折訪ねたものだ。玉が上部にたまると、板が微妙に湾曲して、はじけるようになる。薄いベニヤ板のようなものを何枚も交互に貼ってあるだけに、振動や重みがすぐに伝わる。
玉がある程度下へ落ちると、湾曲がやみ突然出始める。ところがまたしばらくするとスランプがやってくるのだ。
いい時にどれだけ玉を集められるかが勝負となる。一度スランプに陥ると、そう簡単には取り返せない。そこがまたパチンコの面白いところでもある。
しかし近年のロム化(リード・オブ・メモリー)により、それも随分とかわってしまった。ほとんど機械に遊ばれるというより、出玉のシステム、あるいはコンピュータの制御に遊ばされているといった方が正しい。
もちろん、釘が開いていれば、ドラムの回転にからまりやすくはなるがと、それもその後に控えるロムのシステムによる。
つまりもう人間の側にコントロールするだけの余地が少なくなっているということだ。
もちろんインチキは数限りなくある。一番簡単なのは、そのロムを取り替えてしまうことだ。これはプロの技となる。しかしそこまでして、大金をつぎ込むこともなかろう。生活の破綻はすぐ目の前だ。これはもう病気だという。そのための外来もある。
射幸心を持たない人間はいない。しかしそれを理性の枠で押さえられなければ、やはり人間としては最悪な結果を招くことになろう。
かつて遊んだ頃の台が懐かしい。
あんな時代はもう来ない。あれではパチンコ屋が倒産してしまう。なんといっても今は効率性の時代なのだ。

2006-05-27(土)

交換の法則

はじめに断っておく。これはママチャリの話である。決して何十万円もする高級な自転車の話ではない。
前輪がたわんでしまった。自動車にぶつけられたからである。そのあたりの顛末は日記にも書いた。しばらくはそのままにしておいた。買い換えるかどうか、悩んだからでもある。
近くの店に行くと、実に安い自転車が並んでいる。変速ギアのない車種ならば、信じられないような値段で売っている。
しかるに前輪だけを取り替えたいと店の人に相談したら、店頭に並んでいる一番安いのと同額だった。
タイヤもなにもないただのリム一つが新品と同じ値段なのである。それに交換の手間賃がまたかかるという。
そこでしばらく考えた。まず粗大ゴミとして今のを捨てるにも費用がかかる。以前なら役所の車が来て、ただでもっていってくれた。しかし今はそんな時代ではない。大型のゴミは全て費用を自己負担しなければならない。
さらに買い換えて、防犯登録もしなくてはならないだろう。あれやこれやと考えているうちに、よくわからなくなった。
次々と新製品が出る。つまり、今あるものはもう古いというメッセージだ。自動車しかり。携帯電話しかり。
電気製品など、あきれるばかりである。さらにパソコンにいたっては半年たつと、もう遅くて役に立たないといわんばかりの調子である。古いものを大切に使おうなどといいながら、いざ部品を交換しようとしたら、新品の完成品よりも高いということになる。
これはいったいどうしたことか。
その一方で、古いお宝は値があがる。近くで手にとれるものはみな新品ばかり。これでは文化の層を厚くしようとしても、お里がしれるというものだ。
なんでも新しい物が安く、古いものを再生しようとすると高くつく。特に工業製品においては、その傾向が強い。古着の再生もいいだろう。しかし高い。
ばかな話だが、わざわざ建てて、それを壊すという欠陥マンションの話も耳にする。被害者にはさらにローンが積み増す。
古い家具を何代にもわたって使うという思想が、なかなかこの国には宿らない。いつだって目先の利益に走るばかりだ。
さて結論は、思案したものの修理に出すこととした。やはり買って半年もたたない新品同様の自転車を捨てるにはしのびない。
前輪がたわんだだけで廃棄されたのでは、せっかくの出会いもむなしくなってしまう。
どんな工業製品にも魂はあると知るべきだろう。事実、妻は25年も使ったミシンを今も捨てられないと嘆いている。
最新の工業用ミシンを買ったにもかかわらずだ。なぜか。そのミシンを買ってくれた時の親の心も、あるいは使い続けてきた歴史もそこにはこもっているからだ。
人はそれほどに単純なものではない。

2006-05-17(水)

捕鯨の話

『採用の超プロが教える伸ばす社長つぶす社長』(安田佳生・サンマーク出版)という本を読んでいて、一番面白かったのは、なんといってもこれからは女性のいい人材を獲得できない会社は伸びないという章だった。
これを別名、捕鯨の法則というのだそうである。なんでも捕鯨の現場では雄雌二頭いた時、必ず雌を先に捕まえるとか。雌を捕獲すると必ず雄は後からついてくるのだそうだ。だから二頭を取り逃がすことはない。
しかし雄から捕獲した場合、雌はさっさと逃げてしまうらしい。全く薄情な話である。しかしこれは本当なのだ。
人材の採用もこれと全く同じで、本当にいい社員を採りたかったら、レベルの高い女性が働きやすい職場をつくることにつきるという。好きか嫌いか、あるいは雰囲気が楽しいとかいうフィーリングで職場を選ぶ傾向のある女性達が、本当に居着いてくれる企業なら、男性社員がその後を追って入ってくるというのである。
仕事のできる女性を先に採用する。するとその能力とセンスに導かれてやはり能力の高い男性社員が入ってくるというわけだ。逆にいえば、女性が入社したがらない職場には、優秀な男性社員はいないということだ。あるいはいても消えていく。
同族会社など最悪だ。だれも居着いたりはしない。
ちなみに女性がもっとも嫌う社長は清潔感のない人だそうである。逆にいえば、清潔感がありユーモアのセンスを持つ社長なら、優秀な人材を得られるということなのである。
ことほどさように、トップに立つ人間は自戒をこめて清潔感の持続にこれつとめなくてはならない。
説教と自慢はいついかなる時でも御法度である。

2006-05-13(土)

ジャコメッティ再読

この一週間、ずっと『ジャコメッティとともに』を読み返していた。この本は昭和44年に筑摩書房から出され、その後すぐに絶版になった。いわば幻の名著なのである。
かなり前に、みすず書房から『ジャコメッティ』という本が出され、そこに一部が再録されたという話を聞いた。まだ自分で確認していないので、なんともいえない。
ぼくにとってこの本はどういう意味を持つのだろうか。そのことを読み終えるのを惜しむようにして、一週間の間ずっと考え続けた。結論は出ない。
しかし大切な本であることには間違いがない。たくさん読んでいると、たまに僥倖のようにして、すばらしい本に出会うことができる。
おそらくこの本はその中の一冊に間違いなく入るだろう。なぜか。それは著者、矢内原伊作と彫刻家ジャコメッテイとの真摯な出会い、魂の交感がそこにあるからだ。
なんの気なしに記念のための肖像を一枚描こうと約束した画家と、そのモデルの数ヶ月をただ描いただけのものだ。なんの変哲もない日常が繰り広げられ、そして記録されている。
しかしここには完成するとはどういうことなのか。深く理解するとはどういうことなのかという根源的な問いが随所にちりばめられている。
昨日より少しは進んだといいながら、あっという間にキャンバスに描いた線を削り取ってしまう画家。午後から深夜まで、太陽が沈んでも、裸電球ひとつで矢内原の肖像を描こうとする。
誰も来ない。面会は全て断る。他の仕事はいっさいしない。昨日よりも今日の方がずっと遠くへ来たと画家は述懐する。しかし翌日はまた何も描かれていないキャンバスから始まるのだ。
読んでいるとその間の二人の関係が息苦しいほどに迫ってくる。矢内原はエジプト行きもイスラエル行きも全てキャンセルして、ただおんぼろアトリエの椅子に座り続ける。どこへ行って何を見るよりも豊饒な時間がそこにはあったからだ。
しまいにはジャコメッテイの妻アネットとさえ親しくなり、やがて男女の愛情まで持つようになる。しかしそのことで画家は嫉妬しない。3人で夜遅くカフェに赴いては食事をするという不思議な関係が生まれるのだ。
70日間、一日も休まず、画家は肖像に没頭する。しかし矢内原は日本に帰らなければならない。その日の午後遅くまで彼は椅子に座り、ぎりぎりになってタクシーを空港へ飛ばす。今なら、まだジャコメッテイとアネットのために、そして自分のためにパリにとどまれるのにと矢内原は何度も自分を責める。
しかし時間だ。タラップまでなんどもよろめきながら、死んだように座席に座る彼。夏にはまた来い、すぐに航空券を送るからとジャコメッテイは言う。
それから数年、夏のたびに矢内原伊作はパリに向かうのだった。ただあの薄汚れたアトリエの椅子にすわるだけのために。
何が面白いのか、さっぱりわからない。しかしどんどん引きずり込まれていく。シュールレアリスト達から絶縁され、見えるように現実を描きたいとした彼は、まさに悪戦苦闘のすえ、死ぬ。どんどん人体は細くなり、生きているのはその目だけになる。
死者との境は目だと呟く彼には、かつてのキュビスムへの憧憬がのこっていたのかどうか。
正面が見えれば、かならず側面が見えるとも呟いた。顔はどんどん小さくなり、現存する矢内原のポートレートは大変に顔の小さなものばかりである。その顔に刻まれた線のなんと多いこと。
とにかく読み終わってしまった今、くやしい気持ちが残る。
もう何も見えない、絶望だといって号泣する画家の姿には、鬼気迫るものがある。この絵が描けなければ、もうこの仕事をやめる以外に手はないとなんども絶望を口にする。せめて太陽がもう少し沈まないでいてくれたら、と自然を呪い、小さな電球をつける。世界中のコレクターが高値をつける彼の彫刻も、そのほとんどは制作途中でつぶされ、アトリエの床にうずたかくつみあげられるのだ。文字通り、歩く場所もないのである。
まずしいアトリエから一歩もでることなく、完成を夢見て芸術家は死んだ。これを業というのかもしれない。
次に読み直すのはいつのことだろう。それさえもわからない。未来はだれにもわからないのだ。

2006-05-07(日)

組織

横山秀夫の『深追い』という短編小説集を読みながら、組織というもののあり方をつい考えてしまった。
この作品はひとつの警察署が舞台になっている。その組織の内部には当然階級があり、人々の思惑がある。陽のよくあたる部署で働いている人もいるだろうし、そうでない人もいる。あるいは定年を迎え、どこか関係企業への再就職を試みている人もいる。
しかしどの人も、自分の人生に屈託を持っているのはなぜか。左遷されてきた刑事は元の署に戻りたがってる。
子供が私立中学に行きたいと念じている母親は夫の昇進を願う。
またぼくと呼ばれたキャリア組を遠目で見ながら、彼の周辺をつねに身綺麗にしておくことを役割とする人もいる。へたな女性をつかんだりしないよう、きちんと本庁へ送り返すことが彼の使命なのだ。そのためには、汚れ仕事にも手を染めなければならない。
キャリア試験に合格したぼくは、数年で、普通の人が一生かけてもなれない職種に就く。それが組織だ。
なんのための組織なのかはわからない。泥棒がいるから警察があるのか、あるいはその逆なのか。
どうしても犯罪撲滅月間には、窃盗犯を捕まえなければならない。心のどこかで、大きなヤマにぶつかることを願っている矛盾もそこにはある。
交通事故もそうだ。なければそれにこしたことはない。しかし全くなければ、仕事はなくなるのだ。ねずみ取りもしかり。足りなくなれば、足りるようにするのが組織の掟である。そこに理屈などない。
この小説を読みながら、組織というものの不条理に再び、ぶつかったような気がした。
人間は生きている限り、組織からは抜けられない。それがどの程度のひろがりのものであるのかは人によって異なるだろう。敏感に感じる人にとっては時に息苦しく、うまく泳ぎ回れる人には快適なものなのかもしれない。
アメーバーのように個人を掬い、そして溶かし続けていく。追えば、姿を隠す。しかしぼんやりしていれば、すぐに再び増殖を始める。組織とはそういうものだ。

2006-04-29(土)

格差

最近、格差社会という表現をよく耳にする。格差のない社会など、今まであったのだろうか、という問いも当然あるだろう。しかし実感として、勝ち組、負け組という表現が今こそぴったりと感じられる時はないのではないか。
千葉の補選でも民主党は格差是正を最大限にアピールした。小泉政権5年の負の部分がこの言葉に集約されているとしたら、それは大変悲しいことだ。
確かにリストラも増えた。その結果として中高年の自殺者も増えた。さらに労働形態がかわり、派遣社員やパートが激増した。遠くからではよくわからないが、組織の内部に入ると、そのことが強く実感される。ちなみに彼らの給料は正社員の平均6割である。
さらには都会と地方の格差が激しくなった。これは旅をしてみるとよくわかる。俗にシャッター通りという表現があるが、まさにそれだ。
小さな商店が軒並み潰れている。後継者がいないというだけではない。店を開ける余力がなくなっているのだ。実に寂しい光景が駅前からずっと続いている。
しかし一方バイパス通り沿いには、大資本の進出組が幅をきかせている。どこの町へいってもどこかで見たような看板が林立しているのである。
さらに賃金の格差もある。
都会でアルバイト雑誌を見ると、一通りの相場がわかる。その先入観で地方のハローワークや、アルバイト広告を見ると、愕然としてしまう。この給料でどうやって暮らしていくのだろうかとつい首をかしげたくなる。どこで暮らしていても生活費はほぼ同じだけかかるのにである。
それほどに差があるのだ。それでもまだ仕事があるのならばいい。実際はほとんどめぼしい職がない。だからますます都会へ人がなだれ込む。過疎の問題は深刻だ。
東京に住んでいると、絶対に見えてこない現実なのである。
今年は大卒の求人もバブル期なみであると新聞にはあった。その恩恵にひたれるものがどれくらいいるのか。中高年には無縁の話である。
老後の不安も深刻だ。年金はどうなるのか。介護はどうなるのか。
日本の社会がもっていたセーフティネットのシステムが壊され、年功序列型賃金も過去の話である。自己責任の言葉の前に、彼らは無言での退場を余儀なくされている。
人々は依然として所得の高い人々に対する半分の敬意と、裏返しの羨望を抱き続けているのだろうか。あるいは嫉妬も…。
折しも、堀江前社長が六本木ヒルズに戻った。若い世代にとって彼の裁判の行く末が、一つの価値観の未来として大きな意味を持つことは間違いない。
ポイントは実刑になるかどうかだけではない。彼が以前として大量の株式を持つ資産家であるということだ。
いろいろな意味で今年は新しい価値観を模索する年になりそうである。

2006-04-16(日)

環国人情

日本人は言葉を縮めるのが、実に得意である。かつて李御寧は『縮み志向の日本人』という本を上梓した。
ここではなんでも縮小することを好む日本人の姿が巧みに示されている。借景庭園もその一つだろう。俳句も同様である。
また日本語は縮めるのに適した言葉なのかもしれない。幸い、漢字を使っているから、少々省略しても意味が通じる。新聞の募集欄などを見ていても、二行広告で十分事足りるのである。
さて環国人情だ。
これは昨今の大学にある学部の総称だとか。
昔なら理学部とか経済学部とかいっていれば、それで済んだ。しかるに現在は環境、国際、人間、情報のセットが跋扈しているらしい。そう言われてみれば、ここにあげられたいくつかを組み合わせるだけで、新しい学部が生まれそうだ。
学際的という表現がある。一つの学問の体系におさまりきれない学問を、その領域のところで学ぼうとすることだ。
そう考えてみると、まさにこの4文字の省略語は、学際の最たるものではないか。別に珍しいことでもなんでもないのだろう。
しかしそれにしても、現代を象徴した巧みな表現だと感心してしまった。

2006-04-05(水)

リニューアル

ターミナル駅の改装があちこちで急ピッチに行われている。あれよあれよという間に見違えるほどきれいになっていく。やはり気持ちがいいものだ。清潔な色彩とわかりやすい表示がなされ、これが駅の中かとおもうほどの店まで登場しはじめた。
確かに駅というのは、ものすごい商圏である。誰もが毎日利用し、そこへ足を踏み入れるのだ。この場所を変身させることで、商売に結びつけようと考えるのは、けだし当然のことである。
ちょっと大きな駅へいけば、今までのイメージと全く違うことにとまどってしまう。
おしゃれな立ち飲みのバーから、喫茶店、飲食店、理髪店にいたるまで用意されているのだ。ちょっと前なら立ち食いそばがいいところだった。これほどまでに変化するものだろうか。
内装にもお金がかけられ、表示一つ、ロゴ一つをとってみても実に現代的である。同時にトイレの改装から、バリアフリーの工事まで、実に念のいったものばかりである。
かつて新宿に暮らしていたぼくにとって、駅というのは猥雑そのものだった。どこか非日常的な要素をもった不思議な空間でもあったのである。人が集まるだけに当然犯罪も起こった。あるいはその要素が多々あった。いかがわしい商売への誘惑もあった。あるいは半ば恐喝のようなものもあった。
あるいは手相見に代表されるような人生の諸相も垣間見えた。しかし今、そうしたものが駅の近くにはない。少し遠ざかったのか、あるいは消えてなくなったのか。
駅を出たばかりのところで、若者がギターなどを弾きながら路上コンサートをやっているのをみると、本当にこの国はかわったなとしみじみ感じることもある。
しかし人間がそれほどに変化するものだろうか。アスファルトもひとたび剥がしてみれば、その下には赤土がある。泥がつまっているのである。そう考えると、リニューアルされ、表層はみごとに美しく着飾った駅に、やはり別の表情が宿っているような気がしてならない。
どんなにきれいな飲食店街に変化しても、ぼくにはもう一つの顔がみえるのである。

2006-03-27(月)

合併余話

これは知人から聞いた本当の話である。実名をあげた方がわかりやすいので、銀行名を出すことにする。東京三菱UFJ銀行だ。
ちょっとした用事で、どうしてもその銀行の口座を開設しなければならないことになった。しかし仕事が忙しくてなかなかそこの支店にいくことができない。
以前なら、こういう時は委任状という手があった。そこで彼はさっそく委任状をしたため、奥様に出向いてもらったそうだ。しかし昨今の社会事情はそんなものを受け付けるほど、暢気ではなかった。
ところで東京三菱UFJとはいったいいくつの銀行がくっついてできたものなのか。それすらもよくわからない。近頃は銀行の合併が相次ぎ、ほとんど内情はわからなくなっている。
そこで仕方なく説明を受けることにしたそうだ。それによれば、この銀行は名前だけはくっついているものの、その実体はまだ東京三菱とUFJに分離しているとのこと。お金を出したり入れたりはできるが、システムの統合は完全になされていないのだった。
だから通帳をつくるにしても、東京三菱の場合は本人が書類に書いてセンターに送るしか手はない。だいたい一週間はかかるとのこと。ところが旧UFJの支店の方は簡単に夜8時までサービスを受けられ、テレビモニターを通してその場で通帳を発行してもらえるとのこと。
同じ銀行なのに、どうしてこうもサービスが違うのか。
印鑑と免許証をもっていけばいいのだという。これで合併したというのだから、いささか驚いてしまう。
以前もみずほ銀行が発足したその日に、大きなシステムミスがあり、まったく現金が引き出せないことがあった。頭取がその事故を大したことではないと発言したために、大きな社会問題になった。
だいたい、普通の人は合併したといえば、どこでも同じサービスが受けられると思うのが常識である。しかるに、中身はまったくバラバラだったのだ。これにはあらためて驚かされてしまった。
後日、インターネットで調べたら、問い合わせの電話だけが掲載されていたそうで、友人は少し腹を立てていた。
これだけの大銀行をつくるには、よほどのメリットがあるのだろう。しかし消費者は取り残されてしまいがちだ。なんのための合併なのか。まったく面倒なことに次々とつきあわされる世の中である。
告白しよう。懸命な読者ならば既にお気づきとは思うが、その友人とはこのぼく自身のことなのである。
まったくひどい目にあわされたものだ。まだ疲れが残っている。

2006-03-21(火)

養生

今日、芝生の中に立てられた立て札に「養生中」という文字を見つけた。だから中に入らないでくれというわけだ。
考えてみると、養生という表現には含蓄がある。この言葉はよく建築現場でも耳にする。試みに辞書を引いてたみた。
するといくつもの用例が示されていた。
コンクリートの硬化作用を十分に発揮させるため、適当な温度と湿度を確保し、外力が加わらないように保護しておくこと。
建物や設備の工事中や完成後に、キズや汚れがつかないようシートで覆ったり、工事現場で災害防止のための処理を施すこと。
生命を養うこと。健康の増進をはかること。衛生を守ること。
病気の手当てをすること。
植物の接ぎ木をする際に、高湿度・弱光などのように環境を制御して穂木と台木の活着を促進すること。
これだけでも5つの使い方がある。
元々は何かを大切にしてその根本の気が失われないようにすることをさすのだろう。そこから敷衍してさまざまな意味に転じたと思われる。
17世紀に生きた貝原益軒は文字通り『養生訓』という本を書いている。それによればいつも心は平静にして、怒りや心配事を少なくすることが、心の健康法であるという。
寝ることばかりしないで、お酒はほろ酔い程度がよく、食事は腹八分目でおさえ、薬も多用しない。
食後は軽い運動をした方がよい。養生の道とは、病にかかっていないときに行うことであり、病にかかってから行うことは養生の最後の手段であると書かれている。
誠にもっともなことばかりで、本当に誰でもが守れればいいが、なかなか現実にはそうもいかないだろう。
しかし養生という思想の背後には、深い人間の知恵がある。病気にかかってから行う養生では、あまり意味がないのであろう。まさに至言である。
考えればかんがえるほど、意味の深い言葉である。引っ越し屋さんなどがこの語句を使うのも面白い。日本語としても実に味わいのある表現ではないだろうか。

2006-03-10(金)

ニート

ニートは実に厄介な話である。アイデンティティの問題と深い関わりを持っているからだ。働く意欲があっても実際に就業活動をしていなければ、ニートになる。フリーターとは一線を画すのである。
元々この言葉はイギリスからきたものらしい。正式名称はNot in Employment, Education or Trainingというものだそうだ。
直訳すれば「就業、就学、職業訓練をいずれもしていない人」となる。この数が15歳から34歳で2003年には52万人になるというから驚きだ。
ところでつい先日、なんの気なしにハローワークのホームページを見て驚いた。そこには親の相談コーナーから相談日までが掲載されていたのである。つまり自分で就業活動ができなくなった子供をみかねた親たちが、自らかつての職安と呼ばれた施設へ足を運んでいるのだ。
もう子供だけにまかせてはおけないところへ来ているということである。ちょっと前なら自分で行って相談してこいですんだものが、残念ながらそう簡単にはいかない。
ニートと呼ばれる人たちの中にはある意味で、コミュニケーション不全に陥っている若者もかなりいるに違いない。
その彼らにかわって親が相談に行くというのも、時代の変化を感じさせる。というより、そこまで問題は深刻になっているのだろう。いずれ親がいなくなった後は、彼らは年金ももらえず、生活保護を受けるということになっていくのだろうか。
新聞によれば、国民年金の額より生活保護の方が高いので、これを次第に減らしていくということらしい。
いずれにしても最低の生活を営めるだけの費用が出るのかどうか。かなり疑問である。
ハローワークのサイトからまさに現代が仄見えたような気がして、ちょっと考え込まざるを得なかった。

2006-02-24(金)

政治の闇

永田議員がフリーの記者から示されたメールに振り回され、とうとう入院したという話が巷に流れている。元々こうしたものを証拠として採用するには、それなりの手続きが必要だ。よほどいいネタだと思って飛びついたあたりに若さが仄見える。
それをいかにも自信ありげに振りかざした国対委員長や代表にも大いに責任があるだろう。このままいけば、民主党は瓦解しかねない。老獪な自民党のさらに奥には、多くの官僚が陣取っている。彼らを味方に引き連れているだけに、自民党は強い。
かつてほんのわずかの間野党に転落した時、いかに議員達が不勉強で、官僚にその多くを負っていたかを露呈したのである。
つまり役人が背後に控えているからこその自民党なのだ。手足をもぎとられれば、ただの赤子と同じである。その怖さを知っているからこそ、旧社会党を半ば騙すようにして、自陣へ誘い込んだ。当時の村山委員長はつい先日、自衛隊合憲は誤りだったなどと呟いたようだが、そんなのは後の祭りである。
あの時、自民党がどのように社会党を操ったのか、それをみていれば、彼らの手口がわかる。自民党の求心力はつねに権力の側にいるところからくる。つまりポストだ。それに比べると民主党は寄り合い所帯の上にポストすらない。右から、左までいる党だ。基盤が脆弱だと言わざるを得ないだろう。
さて今回は誰がこのメールを永田議員のところへもちこんだのかだ。かなり自民党の幹事長にも灰色の部分はあるのだろう。最初は相当動揺していた。ここへ来て強気になれたのは、まさに流れに乗れたからである。この風を見のがしたら、彼も危なかった。
民主党はせっかくの好機をつぶし、さらに首脳部は崩壊の危機にある。辞任しなければおさまりがつかないだろう。このままでは参議院が戦えない。いずれやってくる衆議院選も同様だ。どうするつもりなのか。もしこのまま逃げをうつとしたら、相当な傷を負ったままということになる。それでもいいという判断もあるとすれば、かなり国民を愚弄することにならないか。
小泉首相の求心力が弱まりつつある現在、ライブドアや伊藤喚問などに代表される4点セットで乗り切れば、かなりの力になれたはずである。完全に読みをあやまった。ここで首脳陣が辞めないと、傷は深くなるばかりである。しかし彼らにそれだけの意地があるだろうか。案外なし崩し的に政局が進むという展開もあるかもしれない。
いずれにしてもおそらく来週一週間以内にははっきりした動きが出てくるだろう。自民党はここぞとばかりにせめるに違いない。敵に塩を贈るゆとりはないはずだ。
たたける時には徹底的にやるというのが、政治の常道である。呉と越の話は有名だ。まさに殺すべき時は殺さなければならない。
あるいはこれとは逆に黙ってみているという手もある。蛇の生殺し戦術だ。勝手に崩れていくのを見ている方が楽だし、支持率も自然に落ちる。国民もそうそう馬鹿ではない。その判断こそが政治なのだ。
さてこの状況を冷静に見ているのは誰か。民主党内の勢力図を考えてみれば、当然、小沢一郎の名前が出てくる。自分の出番がくるとすれば、このあたりが最後かもしれない。あるいは代表の任期切れまでもう少し待つか。かつて自民党で辣腕をふるった幹事長の政治力が果たしてみられるだろうか。
しかし誰も首脳部に寄っていこうとしないところに、今の民主党の弱さがある。
いずれにしても今しばらく、この間の抜けた話につきあう必要がありそうである。しかし政治の世界はまさに一寸先が闇だ。笑っていたものが次に泣くという構図が明日も繰り広げられるに違いない。
勘ぐれば、ひょっとしてこのメールは誰かがある意図の元に捏造したとも考えられる。それが誰なのかということを想像するだけで、また闇がいっそう深くなるというものである。

2006-02-12(日)

受験

2月に入って入試真っ盛りである。いつもはいい天気なのに、なぜか試験の日に雪が降ったりもする。いっそ9月入学にしてしまえば、そんなアクシデントも起こらない。だが、桜の花の下で入学式を迎えるという図式も捨てがたい。
昨今は推薦とかAOなどという入試がたくさんあり、11月頃に決まってしまったりする生徒も多い。しかし今からちょっと前にはそんなことは全く考えられなかった。
それだけこの国には受験生がたくさんいたのである。高校も確か50人学級だった。団塊の世代では55人以上いたのではないか。
その集団が一斉に受験したのである。闘いが激烈なものになるのは当然のことであった。高度経済成長の時代には、学歴と収入の相関関係が今よりも強かった。
サラリーマンになるためには、とにかく勉強しなくてはならなかったのである。赤尾の豆単とか旺文社が提供したラジオ番組の存在などを思い出すだけで、懐かしさを覚える人は多いだろう。
それも夢物語である。
今や、入試の担当者が、笛と太鼓で受験生を探し回る時代となった。生徒が大学を選ぶ時代になったのである。大学は常に財務諸表を公開し、就職先一覧を掲げておかなければならなくなった。どこの大学からどこの企業へ何人行くのかということが、大きな関心の的になったのである。こうした動きが以前も全くなかったわけではない。だが、さらにプラグマティックになっていることは否めないだろう。
投資した金額に見合うリターンを得られるかどうかが、大学選択の際の指標なのだ。
大学を出たというだけではもうだめなのである。
かつて予備校の夏期講習受付の日には段ボール箱にどんどん1万円札が詰め込まれ、その場で銀行員が数えたという逸話も残っている。
いくらでも受験生はいたのだ。
しかし、今やそんな話は語りぐさである。これほどに時代は素早く巡っていくものなのだろうか。まさに夢のようである。
いくら受験生が減ったとはいっても、その苦労は今も昔もかわらない。やはり不安が当然のようにつきまとうものなのだ。親の心配も同じである。
また昨今では、親の年収に応じて学歴も決まってしまいがちであるとも言われる。私立の幼稚園や小学校のお受験も笑ってみていられる人は幸せだ。その立場になれば、話はまったく別のものなる。
なにが本当に幸せなのか、わからない時代にせめて学校ぐらいは行かせてあげたいとする気持ちもわかる。だからなおさらやるせないのだ。
いずれにしてもあと数週間、今年も悲喜こもごもの日々が続く。

2006-01-28(土)

世間

昨日、大きな書店を歩いてみて、いわゆるホリエ本が姿を消していることに、驚きを覚えた。少し前までは所狭しと並べられていたのにである。
その大きな写真とともに、平積みにされた本の数は半端ではなかった。
それが一夜にして消えたのだ。
これが世間というものなのだろうか。あらためて考えこんでしまった。
ところで世間とは何か。無論、そんなものが実体としてある訳ではない。まさに共同幻想である。そこにあると思い、そこにあるべきだと思い、行動する規範になりうるものを支える幻想として、ぼくたちの周囲に佇んでいるというところか。
ぼくも明らかに世間である。あるいは目の前にいる他者も世間だ。そうしたものの集合がある種の幻想を作り出し、それが次第に強固なものなって、ひとつのカオスを作り出す。
そして人はそこに世間を見いだすのだ。そんなことは許されないと考え、いわば暗黙のうちに言葉にならない法をつくる。
堀江氏は少し世間というものを甘く見過ぎたかもしれない。多くの人が潜在的に考えていたことをあまりに声高に叫びすぎ、それが反感をかうこともあった。
特に金銭についての感覚は、多くの若者に受け入れられる面もあったようだ。少し前の人間なら、そこまでは言わないということを彼は平気で口にした。
それが先行世代の反感をかったのだろう。しかしそれはそれである。法律に抵触していなければ、こんなことにはなっていない。
だから同情の余地はない。しかし世間という視点からみるならば、やはりなめていたのではないか。
しっぺ返しは痛い。
彼はこれからの人生をどのように過ごしていくのか。その中で何を考えるのか。10年、20年後にその答えが出てきそうな気もする。
世間はつねにアメーバー状に動いている。真実も常識もかわる。だからこそ、その生命は不死なのかもしれない。

2006-01-15(日)

志ん朝の高座

京須偕充の書いた『志ん朝の高座』を読んで、どうしてこういう死に方をしたのかとまた考えてしまった。平成13年というから、もう4年も前のことになる。
早くから名人などと呼ばれ、ますます寡黙になってしまった。芸はどこまでいっても完成しないということを一番よく知っていたのも本人なのだろう。
この本にはあふれるほどの志ん朝の写真が載っている。写真集と言ってもいいくらいだ。三百人劇場での高座の様子がみごとに再現されている。「首提灯」という演目は音で示しきれないところが多いため、CDにはなっていない。
それも連続写真とともに再現されている。
志ん生にならなくてよかった。今はそう思う。もっと生きて欲しかった。この人の華のある芸をもっとみたかった。消えてしまうからいいのだと本名、美濃部強次はいつもそういっていたという。
現在活躍している多くの落語家がどれほどの人気を得ようと、志ん朝を抜くことはできないだろう。
それだけ江戸前の気っ風のよさといさぎよさ、華やかさをもっていた。本当に彼の早逝がくやしい。
CDは持っている。よく聞く。しかしやはり高座でもっと見たかった。だんだん調子をあげてきて、顔が紅潮していく時の様子が忘れられない。
志ん朝があがると、高座がぱっと明るくなった。ああいう噺家はそう出ないだろう。
京須さんがある時エレベーターの中で先日の「文七元結」はよかったと褒めると、いつものように「だれるよ」ととぼけてふいと横を向く仕草をせず、わずか3秒間ぐらいじっと彼の目を見つめたという。このエピソードには、志ん朝という人の真骨頂が出ている。
褒めたことのない京須さんに絶賛されたことが、よほど嬉しかったのだろう。芸がわかる人に心底言われた言葉が五臓に達したものと思われる。
自分でもあの高座はよかったと含むところがあったのだろう。実に80分の長尺でありながら、少しもだれ場がなかったという。
芸は一代のものだ。
だからなおさらくやしい。

2005-12-29(木)

こころの時代

こころの時代に入ったとしみじみ思う。
今さらながら人の心にゆとりがなくなった。いつも勝ち負けが先行し、俗に言う自利だけがある。利他の心は少なくなった。
自分がどの潮流にいるのかをなかなか見極められない。3万人以上の自殺者もいる。
今年売れた本には『下流社会』に代表される階層分析もの、あるいは頭のいい人に見える外観分析もの、あるいは圧倒的な量の株マニュアルがある。
それと同時に忘れてならないのは、新井満が編集した『千の風になって』や、柳澤桂子の『生きて死ぬ智慧』などがある。
特に後者は生命科学者であった柳澤が難病におかされ、最後にたどり着いた般若心経の世界を自分の言葉で翻訳し直したところが、大いに評価されたようである。
色即是空の世界を翻訳した本は今年もたくさん出版された。新井満にも同様の著作がある。
誰もが自分の心を確実につかみとれなくなっている時代なのかもしれない。あまりにたくさんのものを持ち、それでいて心は満たされない。
本来、他人のために最善をつくすべき人間が虚偽を重ね、違法建築が取り壊されるという現実も衝撃的だった。どこに真実があるのか、誰の証言を聞いても明確にはならない。
寂しい限りである。年齢を重ね、人の世の営みを見てきた人々に、心の成熟が見られない。これくらい悲しい話はない。
一切は空であり、消滅もなければ苦しみもないとする経典の翻訳がこれほどに売れるということが、現代をまさに象徴しているのかもしれない。
どこへ向かっていくのか、今や誰にもわからない。自己責任という言葉をかぶせてしまえば、全て他人事になる。相手の苦しみを想像するという努力をしないですむ。負けた人間は弱い人間であり、生きるに値しなかったと断罪することも可能だ。
本来の仏教は多くの苦しみをかかえた人を篤く敬う。しかしそうした面よりも今はむしろ一神教的な神によって断罪される時代のようにもみえる。
来年はどうなるのか。勝ち負けが再び先行するのか。
あるいはかつてのようなどこかにゆとりのあるやさしい時代に戻るのか。
人はみな迷っている。生きることの意味を失いつつある。そうした本ばかりが書店に並び、人はそれを争って読む。しかしあえていえば解決はないだろう。偉そうに言わせてもらうなら、迷うことこそが人生なのだ。
他人と比べるなと言われても、やはり他者が気になる。それが凡夫の常である。それでも少しはこころを持って生きていかなければ、あまりに寂しい。何が幸せなのかは人によって異なる。
せめては空の青さや、緑葉が光に照り輝く様子に目を凝らしていられるだけのこころのゆとりをもちたいものだ。
新年を迎えるにあたって、いま心の底からそう思う。

2005-12-16(金)

ゆとり

父性型社会はまさに「切断」がキーワードである。力のあるものが勝ち、そうでないものは負ける。負けたものは正しくない。つまり排斥される運命にある。
アジアは元々母性型のすべてを包みこむ社会構造を持っていた。そこには曖昧な存在の人間を許容する場があり、相互扶助的な優しさもあった。もちろん日本もそうした文化の一翼を担っていたのである。
どのような町や村にも経済活動を十分に行えない人間たちがいた。しかし彼らを共同体は排斥することなく、あたたかく包み込んでいたのである。あるいは老人もかつて社会生活を営んで得た知識を十分に披露し、長老としての尊敬を集めた。
しかし現在の日本からそうしたゆらぎの空間はなくなりつつある。異分子はすべて排除され、目に見えない場所にうつされている。
経済活動をきちんと行えない人たちは、敗者となり下流となって、この国にぶらさがるだけの存在となりつつある。彼らをもういちど引き上げる努力もやや薄らいでいるようだ。
ニートやフリーターと呼ばれる者達も、最後は常に自己責任というひとくくりの言葉の中に収斂されてしまう。
つまり自分が悪いのだ。だから負けたのだ、だから消えていけというわけだ。かつての日本が持っていた、どこかで甘えあい、助け合う風土は消滅しつつある。これは進歩したということなのか。
あるいはアジア的でなくなり、アメリカ型の完全な勝ち負け社会になったということなのか。
ボランティアという言葉ばかりが先行し、そのためのこころの広場がいつのまにか消えてしまってはいないか。
人々の心から本当の意味でのゆとりがなくなってしまったように思われてならない。どのような方法であれ、法律に触れない範囲で大金を得たものが勝者であるという社会は、けっして成熟したものとはいえないのではないか。
今日の株ブームをみていると、額に汗して働くことのむなしさがこみあげてくる。

2005-12-10(土)

働く姿

親の働く姿を見る機会が少なくなった。かつては家で仕事をしていた人も、今は外へ出て行く。つまり多くの人間がサラリーマン化してしまったのである。
子供はどんなに想像力をたくましくしても、親がどのような環境で仕事をしているのか、よくわからない。
親の働いている姿を見ていれば、そう悪いことはできないものだ。それだけ働くということは大変なことだからである。
特に農業や漁業に従事している親の背中をみて育った子供たちは、どれほどの思いで子供を育ててくれているのかということを痛いほど感じるだろう。
昨日たまたま見たドキュメンタリーの中にもそうした生徒たちの横顔が出ていた。当然ある種の演出はある。画像というものはそういうものだ。しかそれを差し引いてもやはり親の働く姿を見ることは貴重だと思った。
北海道立別海高等学校。ここの生徒たちにはそう簡単に春が来ない。風蓮湖での漁業は想像を絶する。酪農も同様だ。この学校には酪農科がもうけられている。北海道で2番目に校地が広い。
住民の年収が総じて低い地域である。
お金がなければ学校へは行けない。親の苦労を知っているからこそ、どうしても学費の安いところへ行かなければならない。となれば、人よりも多く勉強をしなくてはならない。塾や予備校が近くにあるような環境ではないのである。
つまり、すべてが高校の教員の肩にかかってくる。体調をくずして入院してしまう先生も出た。それもこれも現実である。試験に落ちたものの中で親にいくらか資力のある生徒は浪人をし、別の生徒は近くの歯科医の助手をする。
あるいは漁業研修所や看護学校へ進む生徒もいる。
東京出身で北海道の教師になった男性は、ここで生徒からたくさんのものを学んだと語っていた。
親の働く姿を見なくなった東京の子供たちは、躊躇なく母を尊敬していると胸をはって言えるだろうか。労働の重みを身近で見ている子供たちだけが持つ目の輝きがまぶしかった。

2005-12-03(土)

柑子の木

今日たまたま外を歩いていたら、たわわに実った柑子の木があちこちにあった。あんなに重い実をつけて、よく枝が折れないものだ。ついひとつ採ってしまいたくなる。それくらいにみごとな実であった。
柑橘類だから、さぞかし酸っぱいのであろう。夏みかんの一種には違いないが、あれはかなりの酸味を含んでいると見た。
さて『徒然草』には柑子にちなんだ話がでてくる。
山里に踏み入った時、みごとな柑子の木を見つけたという。さぞかし風流な人がこの木を育てているのだろうと感慨にふけっていたところ、その木の周囲に縄がかけてあったというのである。
これを見て、それまでの感嘆もどこへやら。興ざめをして、この木がなかったならば、こんな主人の貪欲な心をみることはなかったのにと残念がるのである。
ぼくたちの生活にはよくこうした風景があるものだ。これさえなければ、こんないやな思いはしないですんだのにという場面である。
お葬式や結婚式の場で親族が仲違いをしているのを見るとか、もっと卑近な例で言えば、ゴミの捨て方一つにも、その人間の心が出る。挨拶もしかりだ。
この木なからましかばとは文法的には反実仮想といい、まさに現実と反対のことを夢想することをさす。
今日はこの「なからましかば」という表現がなぜか柑子の実を見ながら、何度も脳裡を去来した。

2005-11-22(火)

割り勘

この話は随分前に読んだ本に載っていた。あれから随分月日が経つので、まさか最近はそんなこともないだろうと勝手に思っていた。
すなわち、中国や韓国では割り勘で支払いをしないということである。
今日の飲み代は誰が払うと決めたら、その人が全ての勘定を支払う。次の飲み会はまた別の人が払う。そうして一周したとき、誰もが公平になるという考え方なのである。
最初この話を聞いた時はまさかと思った。しかしその後あちこちで確認する機会があり、これが本当であることを知った。なるほど、歴史の長い国はやることも豪快である。
ちなみに日本ではどうか。ごく自然にメンバー全員の数で割って支払いをするのが通常のパターンだ。一人で全ての料金を支払うという場面はそれほど多くはない。
しかし近年、中国や韓国でも次第に割り勘が増えてきているという話も聞いた。そこで先日中国から来ている大学生に質してみると、やはり割り勘では払わないという答えだった。日本に来ている留学生同士で飲むときも、一人の人間が支払うという。
どうしてそこまでこだわるのかと訊ねると、お金を払うときにみんなで割ったりすると、急に関係が冷たくなったような気になるというのである。
なるほど、それまで歓談していた関係から、お金の関係に移行するところが厭なのだろう。特にビジネスライクな冷たさを予感させるのかもしれない。友達というのはそうした感情を超えたところにあるというのが、彼らの意識なのか。
そうしてみると日本人というのは随分冷えた人間関係を維持している国民なのかもしれない。
なにより関係と面子を重視する中国人と韓国人にとって、日本人はやはり少し異質な民族なのであろうか。

2005-11-08(火)

地図の楽しみ

そんなに大袈裟な話ではない。寝る前に地図を眺めるという話だ。なんとなく東京の中でも弱い地域というものがある。土地勘がないといえばいいのか。
とにかく一通り歩き回った。これは苦にならない。むしろ好きな方である。しかしそれが相互に関連付かないということもある。あの土地とこの土地を歩いたという記憶はある。しかしあの駅の隣から、この前訪れた地点に繋がらないのだ。
特に複雑な地形というわけではない。それぞれがただの点として記憶されている。
だから実際そこに行こうと思うと、どこから責めていいのか突然わからなくなる。そういう時のために地図というものがあるのだろう。
つい先日も赤坂から六本木まで歩いた。そこまではいい。昔よく遊びに行ったロアビルの前も通過した。向こうに東京タワーが見える。
さてそこは芝という土地だということはよくわかる。するとその手前はなんだったか。それがすとんと抜け落ちているのである。
飯倉だったか、麻布だったか。それもはっきりしない。ホテルオークラはどの方向だったか。何度も仕事で行ったにもかかわらず、こういう風にぽつんとその場所にうち捨てられてしまうと、皆目わからなくなる。
青山を訪ねた時もそうだった。
こうしてみると、どうも下町にはかなりの土地勘があるのに、青山、六本木のあたりが弱いようにも思う。あまり縁のない場所だったからだろうか。
反対に新宿から池袋周辺はかなり詳しい。明治通りは昔、何度もバスで通った。しかし高速道路を池袋から新宿に走った時、もう少し迷っていたから、あまりあてにはならない。
いずれにしても毎晩寝る前に地図を見ることにしている。隙間をなんとか想像力で補いつつ、一枚の地図を完成させなければならない。
それができあがれば、ぼくの中での東京が完成したということになるのだろう。
新宿生まれとしては、昨今の歌舞伎町にも近寄ることはないのだけれど。

2005-11-02(水)

祈る

かつては祈ることと無縁の世界に生きていた。たいていのことなら自分の力でなんとかしなければならないと考えていたからだ。またそれくらいのことができなければ、人はこの長い旅を無事に終えられないとかたく信じていた。
だからつとめて祈らないようにした。他力本願は日本人の得意とするところである。しかしそれではいけないと自戒をこめて生きてきた。
しかし人間にはもともとできることとできないことがある。また当然のことながら運の善し悪しということもある。努力をしたからといって、全てが結果に結びつくというものでもない。
確かに只管打坐をじっと瞑目して続けることで、自分の道を切りひらいていく人もいるのだろう。
だが人はそれほどに強い生き物ではない。風が吹けば倒れてしまうこともあろう。
だから祈るしかないのだということに気づき始めた。ここまでに随分長い時間がかかったものである。子をはやくに亡くし、それでもなお忘れられずに祈り続ける母親の様子が『土佐日記』には出てくる。忘れようとしても忘れられないのが人間だ。謡曲『隅田川』にも子供を失い狂っていく母親の姿がある。
ましてやこういう時代だ。いつ何時、肉親がテロや事故にあうかもしれない。健やかに生きていこうとしても、それが十分にはいかないのだ。天災も多い。また病気も数知れない。
仏像のあの静かな姿を見ると、心が穏やかになるのはなぜか。彼らが人の苦悩を一身に背負ってくれているからか。
祈りはどの宗教にも共通である。祈らない人間はいない。ひょっとすると神はいないのかもしれない。あるいは大きな確率で不在である可能性もある。しかし祈りたいとする人間は確実に存在する。
というか祈らずにいられない人間が、真実なのだろう。彼らの中にはかくして神が宿る。仏が宿る。
そこへ恩寵としての音楽があればと思うのはぼくだけだろうか。声明でもいい。コーランでもいい。あるいはミサ曲。
祈ることを忘れていた日々から、久しく時がたち、また祈る人間になろうとしている自分がいる。

2005-10-20(木)

鴎外という人

森鴎外という人は底知れぬ幅をもっている。漱石と比べると、随分硬い人間のように見えるが、さにあらず。世態人情に通じていたことがよくわかる。それでいて諦めの感情も人一倍強かった。
あまりにも多くのものを見過ぎてしまった故だろうか。
『舞姫』の授業をはじめた関係で、他の作品を幾つも読み直している。以前読んだ『青年』も面白かった。これはあまり評判の芳しくない作品である。
簡単にいえば腰が定まっていない。何が書きたかったのか、はっきりしないのである。さらに未完である。いやあれで終わっていると言われれば、そうかとも思える。しかし読んでいて感じるのは、実に当時の生活の中にどっぷりとつかって、それを脇目から正確に観察していることだ。
下層の人間の生きざまもよく見ている。そして日本が「普請中」であるという現実を痛いくらいに見ている。
津和野藩の典医の家に生まれた彼が、どうしても抜けられなかったのは明治という時代の桎梏だった。
エリスがドイツから彼を追いかけてきた話は舞姫にも利用されている。事実とは違うが、結局彼の一族はエリスを追い返してしまった。そしてすぐに海軍中将の娘と結婚する。事実は結婚させられたのだろう。
鴎外は厭だったに違いない。しかし断ることはできなかった。案の定、子供ができたにもかかわらず離婚している。
次の妻がみつかるまであてがわれた女もいる。そのモデルが『雁』に出てくる。哀れな話だ。
鴎外は「余は石見人森林太郎として死せんと欲す」と最後に呟いた。全ての肩書きを捨てたかったのだろう。それまでに得たものは虚飾にすぎなかったのかもしれない。
明治に潰されそうになり、それでも抵抗し続けた彼は、あまりにも多くのものを見過ぎた。またそれが見えてしまう頭脳を持ってしまったのも不幸だったろう。
ドイツ語もフランス語もみごとなものだ。よくこれだけ勉強したものだと思う。それでいて、東京の市内や小倉の様子など、実に細かく描写している。恐るべし、鴎外。

2005-10-09(日)

待つ

携帯電話の普及は人々の生活を劇的にかえた。すなわち待つことをしなくなった。というより、すれ違うことがなくなった。どんなに複雑な場所でも誘導してもらえば辿り着くことができる。つまり相手をピンポイントで捕まえられるのだ。
雑踏が怖くなくなった。どれほど人がいようと、目的の人物に会うことができる。逆にいえば出会うことが日常になった。すれ違うことで、互いの名前さえ語り得なかったかつてのドラマは成立しない。
どんな時にも呼び出される可能性が増えた。その分、孤独に耐える時間がへった。それならば人は寂しくなくなったのか。
そんなことはあるまい。人は以前よりももっと人肌のぬくもりに飢えている。いつも群れていなければ不安な状態が長く続いている。
どうしているのか、どこにいるのか、何を考えているのか。たえずメールをしながら、その不安をつぶす。どこでメールを終えたらいいのかもわからない。自分が最後の人間にはなりたくない。
その先のしんと静まった静寂が怖い。というより、孤独がこわい。
国内にいても海外にいても、距離を意識せずにメールが飛び交う。待つことができないだけ、人々の耐性は確実に落ちた。いつもいらいらしている。落ち着かない。
きれるという表現も以前はなかった。誰も待てない。ちょっとしたことですぐに腹をたてる。どこに芯があるのかみえない。昨日の自分はもう明日の自分に裏切られている。何が欲しいのかさえわからない。
かつて相手からくる手紙を待った。そのぎりぎりの時間の堆積に人は鍛えられたのだ。
今はもう試されることもない。あたりまえの平凡な日常が永遠に続く広い野を歩いていくしかなくなった。もう劇場はなくなったのである。

2005-09-30(金)

迷う

知らない道を歩くのは楽しい。どこに何があるのかさっぱりわからない。だから楽しい。突然不思議な風景にでっくわす。見たこともない町には非日常がある。だから楽しい。
むしろ迷うことを求めて歩いている自分を感じる。迷宮への入り口はどこなのか早く探せと自分を叱咤激励している、もう一人の自分がいる。
外国ならばもっといい。言葉がわからなければもっといい。なんの予備知識もなく、頼りになるのは第六感だけだ。皮膚感覚だけで歩く。バスに乗っても汽車に乗っても、見たことのある風景はない。だからますます面白い。
とんでもない町で降りて、ずっと歩く。人はどこでも同じように生きてはいる。しかしその行動の様式は違っていたりもするのだ。
本当に迷い込んでしまったらどうしようと不安になる。それが一番楽しいことなのかもしれない。
フランクフルトの町でもそんなことがあった。小さなベッドルームがいくつかあるだけのホテルに入り、荷物を全部置いた。心地よい羽毛布団にくるまれてしばらく眠ったのだろう。
目が覚めた時はもう暗くなっていた。食事をしなくてはならない。夕闇が濃くなると、町の様子は一変する。先刻歩いた道がどこだったのか、もうわからなくなってしまうのである。
ぼくはむやみに歩いた。こういう時はまずなんとなく歩き、町の骨格を頭の中にたたきこむしかない。経験と勘がすべてだ。
随分歩いた。川岸に出た。人がたくさんいる。どんどん歩いた。すると突然小さな遊園地のようなものに突き当たった。あれは移動遊園地とでも呼ぶのか。
光がきれいだった。そこだけがまぶしくて、この世のものではなかった。
祭りの間だけ、そこに出現する子供のための遊び場だった。初めて見た。射的や回転木馬のようなものもある。自動演奏楽器もある。
なんともいえない不思議な光景だった。
今でもあの時の心の高まりが蘇ってくる。こういうふうに人間はどこでも生きていくのだなと思った。
腹がすいているのを忘れた。
今でも迷うのが好きだ。なるべく知らないところへ行きたい。そしてできるだけ迷い続けたい。そういうことが、つまり生きるということではないかと信じ続けている。

2005-09-29(木)

売れない時代

つい先日の番組で、スーパーマーケットの悪戦苦闘ぶりを紹介していた。安いものを大量に販売していたダイエーはいつまでたっても再建の道が見えない。イトーヨーカ堂も売り上げを大きく落としている。
ウォールマートと提携した西友もかんばしくない。どうしたらいいのか道筋が見えないというものだった。
ものがあふれすぎている。
消費者のニーズが変わった。
言葉にすれば簡単である。しかしその内実はなかなか見えてこない。なんであれば買うのか。どんな商品構成にしたら、客の購買意欲が喚起されるのか。誰にも見えない。
バイヤー同士の研修をやればやるほど、何が売れるのかみえなくなっていく。まさにジレンマだろう。安いものを売場に置くなというのがイトーヨーカ堂、鈴木会長の戦略だ。もう昔のスーパーのようなディスプレイをしていたのでは、誰も寄りつかない。
高い商品を置き、その脇に従来だったら考えられないようなある程度の品質のものを置く。そうすることで少々値段がはっても客は買う。何がいいものであるのかということに目が向いている。安かろう悪かろうの商品には手を出さない。
安いだけの靴ではなく、高級感のある靴を開発せよ。従来だったら売らないような商品も考慮に入れろ。
入り口にバーゲン品を並べるような方法はとるな。衣料品の場合、同じ商品をたくさん並べるな。隙間なくならべることで、ものが見えにくくなり、かえって売れなくなる。安売りのビラを店内に貼るな。下げるな。
食料品の場合は同じ商品を並べてボリュウム感を出せ。
指示は次々と店長会議の会場から現場へメールで届く。それでも売れない店はつぶれていく。
本当に生き残るための戦略は難しい。
店長にならなくてよかったというのが、正直な感想だ。もっとも怠け者のぼくが店長になる心配はないが、それにしてもものが売れない。

2005-09-23(金)

カード

カードほど便利なものはない。しかしカードほど怖いものもない。作家、邱永漢によれば、これを作り出した人間はよほどの悪者ではないかということだ。
どんな人間だってお金をその場で払わないでものがもらえれば、嬉しいに決まっている。というか、ただで手に入れたような錯覚に陥る。カード一枚出してサインをするだけである。実に簡単だ。
旅行や飲食のように消えてしまうものにも通用する。先日、ある人の家で見せてもらったカードの数は30枚を超えていた。みな義理で作ったものだという。
そこでぼくも机の中をごそごそとやったらかなりの数が出てきた。だいたいは銀行のキャッシュカードだ。だからこれはどうということもない。残金がなければ怖くはないのである。
問題はクレジット販売のついたカードだ。最近はちょっとしたスーパーでもみなポイント制などと称して、カードをつくらせる作戦にでている。しかしそこにはみな、このクレジット機能がついているのだ。
人間、その場で現金がないとつい使ってしまいがちである。そこが彼らの手だ。ただでもらえたような錯覚が結局は後から現金を使わせることになるのである。実に巧妙ではないか。
かつて生徒の一人がある信販会社に勤めた。その時のお付き合いでぼくもカードを作った。あれからもう随分たっている。確かに便利だ。だが一歩その使い方を間違えるととんでもないことになる。
もちろん、持つ人間の性格にもよるだろう。自分の感情をおさえられない人はやめた方がいい。家でも子供たちには重々言ってきかせてある。だから二人ともカードは持っていない。本当に欲しかったら、現金で買う。足りなかったら貯めてから買う。これが一番である。
かつて気軽にローンを組み、家を買った人々がどれほど現在も苦しんでいることか。
借りたら返さなければならない。あたりまえのことだ。誰も恵んではくれないのである。リボルビング払いなどというまやかしにあったら、とんでもない結果がまっているだけである。
また金利が高いのも信販の特徴だ。かつてバブル全盛の頃、住宅ローンをどうしても組みきれない人たちを狙って、住専ローンというのがはやった。あれに似ているかもしれない。
簡単にキャッシングなどといって限度額は幾らなどという甘言にのせられてはいけない。
カードを持ったら、お金はたまらないことを肝に銘じるべきである。
ぼくをみていれば、よくわかる。これ以上のサンプルはない。

2005-09-16(金)

フィレンツェの蚊

フィレンツェに着いた頃は、随分持ち金が減っていた。かれこれ20日間は旅行をしていただろう。
そこで一番安い宿をさがすことにした。イタリアは結構物価が高い。一泊3000円は覚悟した。
駅で紹介してもらったのは、ドゥオモに近い恰好のホテルだった。部屋に案内され、やれやれと荷物をおろしはしたものの、案の定風呂などはない。なんでも同じ階にシャワーがあるという。
夏のことだ。それで十分だった。汗を流すと本当にさっぱりした。さて食事だ。幸い階下がレストランだった。何を食べたのか、この時の記憶はあまりない。結構くたびれていたのだろう。
いよいよ寝る時になって、これは大変なことになったということに気づいたのである。先刻までレストランだった店が、飲み屋に早変わりしていた。カラオケはさすがになかったが、アコーディオンのけたたましい音がする。
とにかく賑やかである。しまいに歌声が聞こえてきた。いやはや、これにはまいった。イタリアの夜は長い。当分店を閉めることはないだろうと覚悟をした。
仕方がない。寝ることにした。
さてその次の敵は部屋の中を飛び回っていた蚊である。なぜこんなに蚊がいるのかよくわからなかった。
雑音に耳をふさいで寝ようとすると、蚊が耳元によってくる。ぷーんというなんとも厭な羽音だ。
仕方なく、電灯をつけて退治することにした。何匹やっつけたか。やれやれこれで眠れると思ったのもつかの間、また別の攻撃にさらされた。
このころになるとさすがに眠気の方が勝っていた。えい、もう刺されるなら刺されてしまえという、半分やけっぱちな気分にもなった。
どうやらそのまま寝入ってしまったらしい。
起きた時には腕にかなりの損傷をこうむっていた。
フィレンツェのことを思い出すたびにこの店の入り口の様子が目に浮かぶ。オレンジ色の日よけが妙になまめかしかった。
ドゥオモの上から見た茶褐色の屋根瓦のつらなりと今でもいい思い出になっている。

2005-09-10(土)

移動

劇作家の別役実に「移動」という作品がある。彼がよく使うリヤカーが装置としては重要である。さてメッセージは何か。人間はつねに移動するという単純なものだ。
つまり人間が生きていくということは、たえずある地点からある地点へ身体を動かしていることを意味するのである。狭い意味でいえば、毎日の通勤、通学もそれにあたるだろう。
あるいは旅行もそうだ。飛行機の時代になり、一日に数千キロを移動することも可能になった。また宇宙的規模で考えれば、数万キロということもありうる。それほど、現代の人間はたえず蠢いているのである。このことをどう考えればいいのだろうか。
人間が一生のうちにこれだけ動くようになったのは、本当にここ百年ぐらいのことに過ぎない。それまではだいたい生まれたところから一歩も外へ出ず、そこで死んでいったのだ。
今、渡辺京一という人の書いた『逝きし世の面影』という本を読んでいる。これには江戸から明治期にかけてやってきた外国人たちの目に、日本人がどう捉えられたのかということが書かれている。
なかなかに興味深い本だ。ここには今、ぼくたちが考えている以上に、当時の日本人は心豊かに暮らしていたということが示されている。決して黄金伝説などという興味本位でなく、彼らが西洋人という立場と一人の人間として、日本人をどう見ていたのかということがまとめられているのである。
日本が大変安全な国であったということもよくわかる。憲法発布の祝賀行事においても、群衆には秩序があり、3万人以上の見物人に対して、警察官はわずか25人で十分だったというような記述もある。
大雑把に言ってしまえば、日本人は自分の分というものをわきまえていたのだろう。自分がどのように生き、どのように死ぬかということを、よく知っていたのである。
これはたくさん移動をして、見聞を広めて得た結果というわけではない。あるいは愚民政策の故だったということでもない。人々は清潔な身なりをし、大変礼儀正しく、貧しいけれど大らかであり、そのことを恥じてはいないとある。
江戸時代においても一生に一度、お伊勢参りがかなえば、これ以上の幸せはなかっただろう。武士は役目柄、藩と江戸を一度くらいは往復したことがあるかもしれない。それにしてもそれだけの経験である。
一生に何度も外国旅行をして見聞を広めるというようなこともなかった。それでも彼らは自分の位置を知っていたのである。
考えてみれば、これだけ自由に多くのものを見たり聞いたりできるぼくたちの方が、かえって何も見えていないとはいえないだろうか。そこには心豊かで幸福な人間の姿が垣間見えない。いつも足りないことを口にし、心は平安でない。情報の嵐の中でさまよっているかのように見える。
生きるとは移動することである。しかしあまりにも過剰になりすぎた。最近そんな気がして仕方がないのである。

2005-09-03(土)

お茶

つい最近、森永卓郎の書いた『年収300万円時代を生き抜く経済学』を読みながら、本当に2リットル200円のお茶は高いと実感した。
夏の間、なんとなく飲み始めたお茶は、冷えているとなかなかおいしい。自動販売機で買うお茶が高いせいか、つい2リットルも入っていて200円しかしないと思いこんでしまったようだ。
夏休みの間、何本飲んだことか。たくさんのペットボトルを捨てる羽目になった。
さて先にあげた本を読んでいるうちに、著者の考えがすうっとお腹におさまるような気がしたのである。
それによれば、移動するのにどの車に乗ってもそれほど違いはないということだ。
確かにベンツとカローラでは乗り心地が違う。あるいは自尊心とか見栄を大いにくすぐるということはあるだろう。しかしある地点からある地点へ移動するという基本の構造は何もかわらないのである。
それと同様に2リットルのお茶をつくるにはわずか5円分の茶葉があればすむ。お湯を何度も急須に入れ、後は冷やしておけばよい。
200円のお茶も5円と少しばかりの熱量を使ったお茶も、それほどの違いはないのである。
ぼくたちはひょっとすると一生着ても余るくらいの衣服を持っている。それでも新しいものを次々と買い換えていく。しかしなかなか満足はしない。
何が本当の幸せなのか。高給をとることで、他人との競争に打ち勝つことばかりを考えてきた日本人は、今や、少数の勝ち組と大多数の負け組に分かれつつある。
これからの時代、どう生きていけばいいのか。自分を必要としてくれる人間のために生きていくことを、どうしても考えなければならないところにきているようだ。

2005-08-24(水)

家計簿

他人の家の収支決算を覗き見るのは、そこそこに面白いものだ。いったい月収はいくらで、そのうち食費や交際費がどれくらいかなどと詮索するのは、完全な覗き趣味といわれても仕方がないだろう。
しかしこれが年収300万円でいかに豊かに生きるかという時代の話だから、やはり深刻なのである。
将来に備えて貯金をしなくてはならぬ、学資保険も必要だ、さらには住宅ローンの借り換えで支払期間を大幅に短縮すべしなどという話を聞いていると、本当に子供を育てながら、家を買うなどということが、神業に見えてくる。
さらには将来の年金不安に備えて、夫の小遣いは減らされ、息抜きにとっておいた外食も月1度になる。
さてそれでも生涯賃金に対しては赤字だと言われてしまうと、いったい生きていく喜びはどこにあるのかと叫びたくもなるのである。
ついには妻がパートにでかけ、夫は皿洗いや掃除に精出すことになる。そこでやっと収支がとんとんというところだろうか。
退職金が出る人はまだいい。それも減らされ、年金も退職年齢の60才から65才まで空白期間がある。あるいはその金額も少なくなることは必至だ。
これではいくら晩酌をひかえても追いつかないと愚痴の一つも言いたくなる。なにが豊かな生活か。
だから子供を産みたくないのだとは言いたくない。しかしこれでは未来が見えてこないではないか。
いっそ今までの価値観を全部ばらばらにときほぐしてみるしかないだろう。
やっとのことで手に入れたマイホームも完済時が70才、75才ということになると、また手を入れなければならない。その頃、子供はどこにいて何をしてくれるのか。せめては今を楽しみたいと思うのもむべなるかなである。
何をすれば一番豊かな人生になるのか。
最初は面白半分に家計簿を眺めているうち、なんだか他人事ではなくなってくるというのが、怖ろしい話である。
やっぱり生涯独身で暢気に生きていくのが正解なのかもしれない。ふっとそんな気もしてきた。

2005-08-21(日)

占う

人間というものはつねに不安と戦っている。だから誰かに頼りたい。自分の未来をなにかの形で知りたいと思う。これはごく自然な感情である。本当に第三者が自分の将来を予見してくれたら、こんなに楽なことはない。
そこで人は「卜す」ということを覚えた。「ぼくす」というのはつまり占うということである。亀の甲羅でもよし、石でも貝でも割ってみて、その形から政治の方向性までを規定しようとした。
さらには天の動きに規則があることを知り、そこに運命を重ねようともした。さらには顔の形、指、手相、なんでも可能な限りのパラメーターを注入した。勿論、そこには名前や生まれ月も入る。
ファクターが多ければ多いほど、より真実味が増したことはいうまでもない。
西洋においてもそれは同じである。月日、星座などはさしずめ恰好のパラメーターとなった。
さて昨今は女性占い師の跋扈するテレビ番組が多く、いささか辟易の感が強い。この女史は随分と波瀾万丈の人のようだが、どうも胡散臭さからは抜けられそうもないのである。
以前かなり高額のものを売りつけたとの報道もあり、長い間ほされていた。島倉事件しかり、安岡老との結婚話しかり、その周辺をたたくといくらでも話題は出てくる。
淫祠邪教ではないというのが口癖で、最後は地獄に落ちろという表現を連発するにいたっては、やや鼻白むのもむべなるかなというところだろうか。
しかし人は不安だ。誰かに導いて欲しい。とかくトップに立つ人間は孤独である。誰にも最後の決断を相談できない。全て自分で決めなくてはならないのである。
どんなにコンピュータがよくなり、確率や統計の計算が速くなっても、やはり最後の最後は、誰かが決断をしなくてはならないのである。
風水がよくないと言われれば、やはり気になる。事故の多いのはお祓いをしなかったせいかもしれない。
心は千々に乱れるのである。
占いがこの世から消えることはあるまい。女性誌から占いコーナーを取り去ることはできない。いや、人間の生からこの行為を拭い去ることは永遠にできないだろう。タロットでもトランプでも筮竹でもなんでもよい。
人は何かにすがらなければ生きていけないのである。これを情けないとみるか、いとおしいと見るかは、その人の人生観によるだろう。 かくして今日もテレビには女性占い師が声高に登場するのである。

2005-08-13(土)

女心

さまざまな雑誌を立ち読みしていると、それなりに時代が見えてくる。最近、気になるのが女性の結婚に関する記事だ。
30才前後から、どうしたら結婚できるのか、あるいはこのまませずに生きていくのかという選択を迫られる。
まさかセレブとの結婚とはいかなくても、このままでいいのかと悩むに違いない。
マンションなどの資産を買うべきか、あるいは親の介護をどうするのか。
派遣型社員が増えている現在、突然のリストラということもある。さりとて、今さら親元に戻ることもできない。一生を支え合う男性にもなかなか巡り会えない。付き合った人はいても、どうしても結婚までに突き進めない。自分の何が問題なのか。
年を重ねてくれば、当然男性を見る目も肥えてくる。
世間では負け犬などという表現で、未婚の女性を標的にしようとする。本当の自分の生きがいはどこにあるのか。これからも仕事に精を出し続ければいいのか。趣味に生きるといっても、現実にそれを仕事につなげるのは容易なことではないだろう。
総合職になれた人はまだいい。もちろん彼らのつらさも想像できる。その重圧感はすごいと聞く。とても自分にはできるわけがない。しかしだからといって今のままでいいのか。
マンションを買い、自分の城を持った。心の安寧も得た。一人で好きなことをやれる場があることは心の張りにも通じる。しかしローンの支払いは続けられるだろうか。
今はまだ問題にはならないが、親の介護まではとても手が回りそうもない。それ以上に、もう新しい男性は自分の前にあらわれないのだろうか。友達の結婚式に呼ばれ、今まで何度祝辞を述べたことか。
あれこれ考えれば考えるほど、先がみえなくなる。もう箸が転がったといって無邪気に笑っていられる年でもない。
男性中心の社会で、見たくないものもたくさん目にしてきた。転勤やリストラ、人事異動。そこには嫉妬も渦巻き、ドラマは複雑な展開をみせた。
さて問題はこれからの5年だ。その後の人生の道筋をつけなければならない。しかしまだシナリオはみえない。
政治も経済も、自らを救おうとする人間にしか、味方をしてくれない。女性専用車の存在が、妙に重い昨今なのである。

2005-07-31(日)

旅心定まりぬ

昨日、8年在籍していた高校を訪ね、自分なりにこれで旅心が定まったとなぜか感じた。今まではなんとなく戻れる場所のような気がしていたが、もうぼくのいるところではないという実感を強めた。
今まで何人もの卒業生が、しばらくして母校を訪問し、もう自分のいるところではないと述懐するのを聞いてきた。今度は自分自身がその立場にたつとは、実に不思議な気持である。
風景は以前と少しも変わらないとしても、そこに降り立つ自分はもう既に変わってしまっているのである。
この数ヶ月でかなり文化の違う生徒をたくさん見てきた。以前ならまず見かけることのないタイプの生徒達である。その中で、日々を過ごしているうちに、どこかに化学変化がおきていたのだろう。自分がリトマス試験紙になったような気分で、つい数ヶ月前まで一緒だった生徒を見ているというのが不思議でならなかった。
どこが違うのかはっきりとはわからない。地域的な差もあるだろう。あるいは生育歴や家庭環境などにも微妙な違いがあるのかもしれない。
はっきりしたことはわからないが、もう戻ることはできないと自分に言い聞かせ、そして旅心が定まったのである。
この表現は無論、松尾芭蕉の『奥の細道』に出てくる有名な言葉である。

心もとなき日数重なるままに、白河の関にかかりて旅心定まりぬ。いかで都へとたより求めしも理なり。中にもこの関は三関の一にして、風騒の人、心をとどむ。秋風を耳に残し、もみぢをおもかげにして、青葉のこずゑなほあはれなり。卯の花の白妙に、いばらの花の咲きそひて、雪にも越ゆるここちぞする。古人冠を正し、衣装を改めしことなど、清輔の筆にもとどめ置かれしとぞ。
卯の花をかざしに関の晴れ着かな  曾良

白河の関は東北への入り口にあたる。ここまできて、もう戻ることはできないと芭蕉も覚悟を決めたのだろう。古来、歌枕として何度も詠まれてはいたものの、元禄2年のこの時には、もう何もなかったという。しかし彼の心の中には確かに大きな関があったのだ。
昨日は何度もこの旅心定まりぬの文字が浮かんでは消えた。もう戻ることはできない。それは一抹の寂しさにも通じる。

2005-07-24(日)

たかがいびきされどいびき

今回の英語合宿で、ちょっと面白い話があった。それはバスでぼくの隣に座ったカナダ人の先生の話である。
彼は3人部屋で寝たとのこと。それはまあいいとして、夜になり両隣の先生のものすごいいびきに、なかなか寝付けなかったそうだ。
いびきというものにはさまざまな要因があるらしい。喉の奥から鼻の粘膜にかけて、呼吸のための通路がなんらかの理由で細くなる。鼻の病気はもちろんのこと、肥満や高血圧など、多くの原因が複合的に作用すると聞く。
最近ではいびき防止グッズもたくさん開発されている。睡眠時無呼吸症候群などという危険な兆候がある人は試してみる価値があるだろう。
さてその先生は両耳に枕を押しつけて、まんじりともせずに夜を明かしたらしい。翌日にはかなり消耗していた。
帰りのバスでもかなり眠そうで、家に帰ったら赤ちゃんのようにただ眠りたいとしきりに呟いたのであった。
いびきが厄介なのは、本人はほとんど加害者であることを知らずに、同じ部屋に寝た人だけが被害をうけることにある。あらかじめ、そのことを告げられていれば、どこか別の部屋へ避難するということもできるが、突然始まったのでは泣くにもなけない。
江戸時代には牢屋の中で、もしいびきをかくものがいると、こっそりと薄い紙を水にひたしたものを鼻の上にあて、殺してしまったそうだ。
牢の番人もそのへんの事情は知っているものの、牢名主と呼ばれる部屋の長にたっぷりと鼻薬をかがされているため、なにごともないように病死として届けられたという。
こうなると、たかがいびきなどと笑ってはいられない。
合宿などが続くこの時期、あちこちで悲喜劇が繰り返されることだろう。そう言いながら、ぼくもこの前のスキー教室の時、あまりのものすごいいびきに耐えられず、隣の部屋へ逃亡したものだった。
されどいびきなのである。
バスの隣でぼやいていたカナダ人の先生は、ゆっくり眠れただろうか。もし結婚して、奥様がものすごいいびきをかいたらどうしますかと問うた時、彼は即刻、離婚か、部屋を出て行くと笑いながら話していた。
やはり、されどいびきなのである。

2005-07-09(土)

松本清張の魅力

最近、不思議とこの作家のものをよく読んでいる。偶然のきっかけで読み始めた。もちろん、今まで全く触れていなかったというわけではない。代表的な『西郷札』『点と線』『空の城』『張り込み』『砂の器』あるいは『北一輝論』『佐渡流人行』『天保図録』などは手にしていた。
しかしそれほどに熱い視線を送っていたというわけではない。どこか純文学とは違う匂いをかぎとっていたからだろう。
しかしこのところ、立て続けに10冊ほど読んでみた。テレビで話題になった『黒革の手帖』からはじめて、あっという間にその数が増えたというところか。
一言でいえば、彼の小説は人間の本能に訴える構成になっている。人間にとって一番弱いところは何かといえば、男女の愛欲、名誉、金銭などということになるのか。
『霧の旗』は有名な弁護士に頼んではみたものの、十分な金が払えないことから、結局は有罪になり死んでしまった兄への報復のため、その弁護士に復讐を挑む女性の話である。
『ゼロの焦点』は全く別の人間になりすまして生きてきた男が自殺を装った殺人事件にまきこまれるところから、話が展開する。このテーマの伏線は戦後の立川において米軍相手の娼婦をしていた女の過去にある。
松本清張を一言で言い切るのは難しい。しかし彼の生い立ちや経歴を見ながらいえることは不遇の時代が長かったということだ。
不遇に対する恨み、執念のようなものがつねに彼の文学の底には波打っている。底辺から這い上がっていく人間に、どうしようもない愛着と不快を示すその文章には、他の作家にはない力が宿っている。昭和という時代が作り出した底の暗さを、そのまま内包した書き手ということがいえるのかもしれない。
『わるいやつら』では医師の犯罪が描かれる。死亡診断書を疑うことのない役所とは何か。医師がそれほどに守られた存在であっていいのかという、憤りのようなものもここには垣間見られる。
『梅雨と西洋風呂』では地方政治に暗躍する男たちの姿が描かれる。いずれにしてもよくここまで調べて書いたと思われる内容がいくつも出てくる。地方の寂しい風景をみごとに活写している。
かなり旅をしたのだろう。それがそのままリアリティを生み出すことに成功している。
これからもしばらく彼の小説を読んでいきたい。人間の最も弱いところに触れた文学だけに、時間がたっても腐っていない。そのことに驚嘆を覚える。

2005-06-26(日)

デイトレーダーと呼ばれる人たちの話を読んでいると、なんだか働くのがばかばかしくなってくる。
つい先日のライブドア騒動しかり、村上ファンドしかり。
人間はいつからこういうことになったのか。
金を稼いだ人間が勝利者になるという図式はどこからきたものか。
一日中、コンピュータの画面を睨みながら、短期の売買を繰り返す。そこにどんな人間がいようとも、どんな仕事をしていようとも、なんの関係もない。全ては数字だけである。
勝つか負けるか。この二つしかない。きっと部屋には程よい空調が施されているに違いない。それは人間のためではなく、むしろ機械のためであるかもしれない。
あっという間に数十万、数百万の儲けがでる。あるいはその反対。全ては一瞬の判断だ。
かつて労働は全て汗の対価だった。人々はなんとか楽をしたいと機械を導入した。その極北にデイトレーダー達は立つ。
もちろん彼らにも言い分はあろう。それだけのリスクを背負い、それに見合うだけの勉強もしてきたと。
100億の収入を得た人は、それだけの労働をし、やはり額に汗したのだと。
ここまでくれば水掛け論である。
労働とは何か。その定義は難しい。パソコンの画面を数秒睨んで得た利益はまるで記号である。銀行に振り込まれる数億の儲けは、現実に何を意味するのか。
世界は経済で動いている。弱小国が何を言っても、それまでの資産を吸い上げられる可能性は非常に高い。
喩えは悪いが、ハイエナの群れが寄ってきて、あっという間に食い尽くす。もう食べるものがなくなれば、次の国の資産へうつるまでのことだ。
子供達はそうした時代の背景の中にいる。当然、価値観も揺れる。死生観も以前とは異なったものになっているだろう。金を得たものの正義である。
徹底的なアメリカンドリームの肯定だ。
汗はどこへいくのか。
まだその先は見えない。40才で財をなし、リタイアした人の様子を依然テレビで放映していた。人間にとって何が幸福なのか、あらためて考えさせられてしまったことを、ここに告白しておこう。

2005-06-18(土)

クールビズは難しい

二酸化炭素の排出量を少しでも減らさなくてはいけない。さらには28度で働きやすい職場を、などという環境省の提言で始まったこの運動、なかなか面白い様相を呈している。
某官房長官殿はもともと首のサイズを間違えたのではないかというくらい、ぶかぶかのワイシャツを着ていたが、この運動のおかげで、なんとか救われた。しかしただネクタイをとっただけという評価もある。
某首相はいろいろと柄のついたシャツなど着込んで、至極ご満悦である。特にストライプがお好みのようだ。
暑くて湿気もあるのだから、それほど無理をする必要もない。慇懃無礼を決め込んでいた銀行員にまで広がる気配があるのは重畳というものである。
しかし困るのはネクタイ業界だ。陳情を繰り返し悲鳴を上げている。それでなくても零細業者がひしめいているところへこの騒ぎでは、とてもではないが食べていけないとなる。
あちらによければ、こちらにはまずい。これが世の中というものか。聞くところによれば日韓首脳会談の席でクールビズはやらないということである。つまりネクタイに背広の正装だ。
元々男性がもっとも格好良くみえるのはスーツにネクタイ姿だそうで、そう言われてみれば、裃に袴をつけたのに匹敵する気がしないでもない。
かくいうぼくでさえ、礼服を着た時などは、自分でもまあ見られるとは思う。しかしクールビズなどという表現ができるずっと以前から、これを実践している立場としては、ちょっと遅きに失した感は否めない。
しかしただシャツをいい加減に着ればいいというものでもなく、きちんと襟が立っていないと、かえってだらしなく見えるともいう。デパートは商魂たくましく、売り場前面にこの類の商品を陳列している。
さてヨーロッパでは銀行員などもジーパンをはいている。最初この格好を見た時にはいささか抵抗があったものの、そのうち日本でもここまでいけばいいなと思い直した。
男性社員が上着を脱げば、女性が冬並みの防寒態勢に身をつつんで、寒さ対策をしている現状も十分に理解できるだろう。
夏に冷え性のための準備をするなど、言語同断である。暑さ、寒さというのは個人差が実に激しい。ある者が汗をかいている脇で、ある者は寒いと呟く。
いずれにしても便利になりすぎた代償はあまりにも大きい。電力資源の元は何か。それを考えるだけでも、この運動の意義はあるだろう。しかしこの運動がいつまで続くのか。かなり疑問を持っていることも、また事実なのである。
当分、模様眺めというところだろうか。

2005-06-11(土)

日本人と中国人

昨日まで、『騙してもまだまだ騙せる日本人―君は中国人を知らなさすぎる』という邱永漢の本を読んでいた。なんとも物騒なタイトルである。この題は上海で仕事をしていた日本人商社マン達の川柳大会で特選をとった作品からとったものであるという。
どこかほろ苦い味のする川柳だ。
このところ靖国問題をめぐって日本と中国の確執は広がるばかりである。しかし商売の上でも、これほど考え方が違うのかということが、この本を読んでいるとしみじみわかる。
これだけの差があったのでは、とてもではないが理解し合うことは難しいと感じた。いちはやく世界標準の考え方をビジネスの世界に取り入れた日本と、まだまだ個人と個人の関係で商売をしているお隣の国、中国とは何もかもが違う。
邱永漢はそのあたりを表と裏から自在に見て取り、読んでいて最後まで飽きなかった。とにかくものを売ったら後はお金が入ってくるだろうと考えるのがごく普通の日本人だが、どうもその常識は通用しないようだ。売掛金を踏み倒されるのは日常茶飯事だと聞く。
とにかく中国人は政府を信用せず、愛国主義という考え方もほとんどないという内容には驚いた。この前の「愛国無罪」とはいったいどういう意味だったのだろうか。
また拝金主義は大阪の商人に似たところがあるという。全ての労働は自分の家族のためというのが彼らの考え方で、ちょっとした会社でも黙っているとあっという間に一族が次々と就職してしまうらしい。
じっと我慢して利潤をあげるまでいい商品をつくるというよりは、てっとり早く、少々粗悪なものでも儲けをあげてしまうという側面もあるという。少ない配当金で我慢するなどということもない。
日本の会社もかなり中国に進出しているが、現場で働いている人たちの気質がまるで違うことにとまどいを覚えるという。少しでも賃金が高ければ、すぐに別の会社に行ってしまい、長くとどまることはないそうだ。元々、日本企業はいい給料をだすが、そんなことにはすぐ馴れてしまうのだろう。
彼らはさらに高いところをめざし、最終的には起業を試みる。人の下でこきつかわれるくらいなら、自分がトップに立ちたいというのが、中国人の生き方である。そういう意味ではアメリカ人と気質が似ているといえよう。
彼らととにかくきちんと仕事をしたかったら、まず一緒に食事をし、さらに家族同士仲良くならなければ、本当の関係はつくれないという。そこまでして親しくなると、他では得られない権利を与えられたりして、いい商売もできるらしい。
とにかく誰かに紹介をしてもらいながら、顔と顔をつなぎ、相手の面子をたてていくというのが中国でのビジネスの基本なのである。
田中角栄をあれだけ高く評価するのも、ある意味、彼が日中の関係をつくりあげたということへの感謝があるからだろう。老朋友と呼ばれるところまでいけば、そこから後は随分楽になるようだ。
とにかく人脈をつくるところからしか、中国には入り込めない。入り口で論理を振りかざしても、痛くも痒くもない。
誠に難しい国と喧嘩を始めたものだとしみじみ、この本を読み終わって感じいった次第である。

2005-06-05(日)

弱きもの…

二子山親方が亡くなって、世間は実に賑やかだ。特に二人の息子の確執はマスコミにとって絶好のネタである。結婚や出産などのお祝い報道が華やかな分、またこうしたマイナスの要因も喜んで扱われる。
誰だって他人の家をちょっとは覗いてみたいものだ。それもかつて幸せの絶頂にあった一族の内紛とあっては、やっぱりどこか興味がひかれるというものである。
兄弟が絶縁に近い状況になるということは、やはり並々のことではない。世間にはこうした話がたくさんあるが、やはりそこは有名人のつらいところである。
兄弟だから必ずしもうまくいくというものではない。逆に近い関係だからこそ、ひとたび壊れてしまうとなかなか修復が難しいのだろう。
愛情と憎しみは裏表である。ほんの半歩ですぐに逆の表情をみせるものだ。何があったのかはよくわからない。相撲に対する考え方の違いや、部屋の相続問題、さらには結婚についての疑義と巷では次々と憶測が飛び交う。
自分が同じ立場におかれたら、つらいというよりやるせない気分になる。何も言わなくても周囲が勝手に話を大きくしていくのだ。
勝負士は孤独である。誰にも頼れない。黒白二道とはよくいったもので、勝つか負けるかしかない。どこかで誰かにすがりたいと思う気持ちも当然芽生えるだろう。
それは政治家とて同じことだ。最後は占いで政策を決めていたという大統領もいたくらいである。データがいくらあっても最終決定をしなくてはならないのはその立場にある人間なのだ。
だからつい占いにでも頼りたくなるというものだろう。卑弥呼の昔から、祭礼に占いはつきものである。あの諸葛孔明も占いをよくした。彼は天候までをも正確に読み込み、戦術を考えた。
人は弱い。喜び以上に苦しむ時間を長く持つ。何かに頼っていけるものなら、その通りに進みたい。しかしそれもままならない。そこに葛藤が生まれる。
しかしそれをなんとかして乗りこえなければまた生きてはいけない。昨年の自殺者3万人のうち、生活苦で亡くなった人も多いという。残された家族の苦しみはいかばかりか。
きれいごとはいえない。そうせざるを得なかったのだろうから。しかしそれでももう一度生きていくことの意味を考え続けて欲しかったと思う。
これは暢気にその日暮らしを続けているもののわがままかもしれない。しかし人は弱い生き物だという原点からしか、何も始められないのだろう。若貴兄弟の確執騒動をみながら、ふとそんなことを考えた

2005-05-29(日)

象の消滅

村上春樹の初期短編集『象の消滅』が話題になっている。授業で『鏡』という作品を扱っている関係で、初期のものを読み直してみた。感想としては、この作家の最近のものにあまり感心しなかったこともあって、新鮮な気分になれたということか。
都会の倦怠と喪失感といってしまえば、それまでのことだが、ぼくたちはあまりにも自己愛的な世界に生き過ぎている。
毎日が謝肉祭でなければならないという一種の強制にも似た感覚の中で暮らしているわけだ。そこにはいつも笑顔と歓声とドラマがなければいけないし、時に驚きも必要だ。まるでローマ帝国のコロセウムにいるかのような残虐な喜びさえ、時には必要とする。
絶え間なく流れる音楽、映画、情報、エンターテイメントの数々。眩暈を覚えさせる絶叫マシン、そしてフェスティバル。
しかし当たり前のことだが、そうした逸楽が永遠に続くわけもない。その後にやってくる喪失感、倦怠感を村上春樹は必死に言葉で紡ぎ、なんとか破れ目を塞いでいこうとする。しかしその疲労感がピークに達した時、突然、『象の消滅』という作品と同じく、この世から完全に自分たちの存在を消す以外に何の方法もなくなるわけだ。
あるいはパン屋を襲撃しようとして、意味もなく小銃まで持ち出し、ビッグマックを30個もつくらせ、それを腹一杯ほおばるという行動に出る。しかしいくら食べてもそれは結局飢えをみたすもの以上のものにはなりえない。満腹感という記号が羅列されるだけなのだ。それ以上の意味はない。
その後にくる突然やってくる虚無に面と向かわざるを得ないのである。
この初期短編集はニューヨーカーに掲載された作品だけをもう一度、収録し直したということだが、ぼくには最近の彼の本の中で一番新鮮だった。つまり若い頃の作品に村上の主題の全てがあらわれているともいえる。
外はカリカリとよく焼けているが、中はどろどろのままだ。近年の作品が特にスタイルにこだわりすぎているのに比べて、若い頃の作品にはそれがない。
そのことがあらためて新鮮さを感じさせる要素になったのかもしれない。本の装丁もしゃれている。いかにもニューヨーカーたちが、バッグに忍ばせていてもおかしくない。というよりも、都会の孤独にあまりにもぴったりと寄り添いすぎているのではないか。

2005-05-23(月)

森光子の魅力

昨日はNHK特集に見入ってしまった。森光子という女優の人生と昭和とが重なってしまったからだろうか。
時間をたっぷりとって取材をしているのがよくわかる。日比谷芸術座の建て直しにからんで1800回を超えるという上演回数を重ねる「放浪記」の横顔を取材していた。
芸は一日として同じ場所にはない。そのことを実感した。役者が日々重ねていく日常がそのまま、舞台に反映される。そのことがとても新鮮だった。戦争中、ずっと東南アジアを慰問でまわり、その後肺浸潤になったこと。ある医者が当時高かったストレプトマイシンを打ってくれたこと。茶道の家元の妻が、彼女を私設秘書に雇ってくれたこと。
あるいは芸者の置屋で私生児として生まれたこと。
そのすべてが、今の森光子をつくりあげたのだろう。とても85歳とは思えない。また芸術座のこけら落としに「放浪記」を演じたいとする執念。この役は誰にもやれない。やれるものならやってみてごらん、と言い切る彼女の自信が、画面からあふれ出ていた。
貧乏物語にどうしてこれだけの人々が魅せられるのか。そこにこの芝居の大きな秘密がある。あるいは役者個人の何かがある。
若い俳優を育て、応援し、さらに裏方に愛情を注ぐ座長の姿に感動した。苦労がそのまま役にはまった希有な例だろう。こういう芝居ができる人はだんだんこの国から消えていくのではないだろうか。
だれもが中庸に生まれ、中庸に死んでいく時代だから、また「放浪記」に魅力を感じるのかもしれない。
菊田一夫の戯曲と森光子の演技がかさなり、さらに昭和の時代が色濃く反映した舞台はひとまず休息を迎えた。
次の上演はいつになるのだろう。若い世代にこの芝居が受け入れられていくのだろうか。
杉村春子演じた「女の一生」をふと思い出してしまった。

2005-05-07(土)

身体

養老孟司の『バカの壁』というのは実によく売れた。あれは本人が書いたと言うよりも、話したことを編集部がまとめたものらしい。それであれだけ売れるのだから、やはり内容がよほど優れていたのだろうか。
ベストセラーというものは、ある冊数から先は、もう誰にもわからない不思議な領域に入るものらしい。気がついた時は、どんどん売れている。そして売れているから、また売れる。実に面白い現象である。
この本を読んでいて一番気になったところといえば、それは身体に関係するところだった。特に、なぜオウム真理教にあれだけ優秀な頭脳をもった若者が引きつけられたのかという点についての解説である。
筆者によれば、それはまさに身体というものの存在を、多くの若者は知らないということにつきるという。麻原という男はヨガの修行をかなりしたらしい。
すなわちここまで動けば人間の身体がどのように変化するのかということを熟知していたという。だから若者達は、彼のいう通りに自分が変化していくことに驚いた。まさに自分の身体を知らなかったのである。
それがY=aXの公式でいうところのaにあたる係数を無限大にさせた。普段ならいくらXに入力したところでaが0だから、なんの結果もでないのに、突然係数を無限大にしたものだから、盲従というとんでもない結果になった。
若者は自分の身体を知らない。いや、日本人の大半は自分の肉体というものを知らないのだろう。だから逆にいえば簡単にだますこともできる。
無意識だとか意識だとかいっても、それ以前の遙か前に、まず身体があることを知る必要があるのだろう。
バカの壁よりも、身体の壁の方が本当は重いのである。

2005-04-04(月)

積木くずし最終章

俳優穂積隆信の書いた『由香里の死そして愛』を読んだ。20年前、300万冊を売り上げたベストセラー『積木くずし』はテレビ番組にもなり、50%の視聴率をあげたという。
その非行少女だった娘が昨年、35才でなくなった。母親が長崎で被爆したのが原因なのかもしれない。彼女は小さな頃から病弱で入退院をくりかえし、3才の時には手術までしている。
副作用から髪が赤くなり、体重も増えた。そのため集団リンチにもあった。やがて両親を憎み非行の道へ進む。そこからどのように親子の対決が始まったのかということが、多くの人の関心を集めることになったのだろう。
高度経済成長とともに、親子関係にも変化のあらわれ始めた時代でもあった。あの時は警視庁の担当者の適切なアドバイスによって、なんとか更正への道を歩んだと思ってはいたが、現実はそんなに甘いものではなかった。
この本を読むまでこんなことになっていたとは想像することもなかった。妻との出会いがその後の人生を大きく変えたとここには書かれている。まさにその通りとしか言えない。たくさんの印税が入ったことで、かつて長崎で愛人生活をしていたという妻の周囲に怪しげな人間が跋扈する。そして実印を預けていた妻に知恵をつけた男の策謀により、全ての財産を巻き上げられる。
ここまで人生は過酷なのか。
最後に自殺した妻のしたことは、たった一つ、娘に腎臓を提供するということだけだった。その翌年彼女は亡くなる。
再婚した穂積のところへ娘は泊まりにきた。奥さんも実の娘のように可愛がったという。介護の仕事をするために勉強をし、少ない期間ではあったが、人のために生きるということの喜びも知った。
俳優の俳とは人に非ずと書くのだろうかと彼はいう。娘は死んで何日かそのままの状態でいたらしい。
公演で名古屋にいた穂積は仕事の合間をぬって東京へ駆けつける。そこでみたものは、彼の知らない多くの弔問客だった。娘はこんなに多くの人に愛されていたのかと思っただけで、涙がとまらなかった。変死扱いで解剖された結果、最後まで生きていたのは母親にもらった腎臓だけだったという。
人間はこういうふうに生きてもいくのだ。それも一つの人生なのである。積木くずしの最終章はあまりにもつらすぎる。しかしそれも受け入れなくては、いけないのだろう。生きるということの難しさ、過酷さをあらためて突きつけられた。

2005-04-02(土)

希望格差

最近の意識調査によれば、日本人の7割が不平等な社会になりつつあると実感しているとあった。つまり親の年収や学歴によって、子供の将来が大きく変わると考えているのである。以前なら努力すれば必ず報われると答えた若者たちが、今や5割しかいなくなってしまった。
このことは実に大きな問題をはらんでいる。
つまり若者たちの中に、努力よりも運や親に頼るという心性が生まれ始めているということだ。自分がいくらやってもうまくいかないのは運が悪いからだと考えるようになってしまったのでは、組織や国家のエネルギーが大きくそがれてしまう。
以前ならそれをどこかで受けとめる土台があった。しかしこれだけの効率優先社会になると、誰にもその余裕はない。むしろ切り捨てていく力だけが前面に出てしまう。ニートやフリーターの問題もその一端であることは言うまでもない。
つい昨日の報道によれば、国立大学の授業料がまた上がるという。独立法人になってから、個別に採算をとるため、横並びの授業料ではなくなった。信じられないことだが、私立より高い国立もあらわれはじめている。
これではなんのための機会均等かわからなくなってしまう。高い年収を得ている親の子供は、幼児期から塾やお稽古事に通い、そうでない家の子供たちは、教育を受けるチャンスさえも奪われつつある。事実、難関大学に入る学生の親の年収は明らかに平均を上回っている。
これは教育投資ということ以外では説明がつかないだろう。そのことによってさらに、階層が分化していくということになれば、これは大きな問題である。明治以来、学歴は階層を超える役割をはたしてきた。しかしこれが固定化されれば、国家にとってはエネルギーの重大な損失となる。
希望だけはあっても職業につけないという時代になりつつある。かつての育英制度も今や曲がり角にきている。
バイパスのルートをたくさんつくることで、この社会がより不平等なものにならない努力を大人たちはもっと考え続けなければならない。

2005-03-27(日)

根回し社会

今週のアエラに評論家、堀紘一が面白いことを書いていた。それはなぜライブドアの堀江が叩かれ、楽天の三木谷の方がよく言われるのかという視点のものだ。
一言でいえば、堀江は土足で人の家に上がろうとする。しかし三木谷は必ず時間をかけて根回しをするというものである。
新しい社会には新しい方法が必要という考え方もあるだろう。しかし一方で長い商習慣を持つこの国のやり方を、一度に変化させるのはやはり多くの人の反感を得るという側面もある。
どちらにもそれぞれの言い分はあるのだろう。
長期的に見ていけぱ、勝敗は自ずと明らかになる。今度の場合、ソフトバンクに漁夫の利をとられそうな気配さえあり、それも想定内だと呟くのには、少し苦しさも感じる。
しかしこれとて、両社にとってよりよい方法であるのかどうかも、見えていないのが現状だ。
新しい時代には敵対的買収も当然ありうるだろう。ライブドアはそうしてのし上がってきた会社だ。しかし本当の意味で利を得たのは短期間で100億ともいわれる儲けを手にした外資であったかもしれない。
いずれにせよ、まだこの戦いは続く。しかし根回し社会の一端はよく見えたのではないか。フジテレビ、あるいはサンケイグループの背後には、政党の影も潜む。彼らになんの説明もせず、いきなり正面から戦いを挑んだのだから、それだけの反応は当然想定内のことといわなければならない。
いよいよ次のラウンドが始まった。だが日本型社会がみせた旧い体質の弱さを、どう修復していくかという問題は残ったままである。
マスコミにとっては、まさにホリエモンさまさまというところだろうか。当分ネタに困ることはない。

2005-03-20(日)

ストレス社会

奥田秀朗の小説『空中ブランコ』を読んだ。昨年直木賞をとった作品である。一言でいえば、ばかばかしい。それぞれにストレスをかかえ、神経症になった人間が、これまた常軌を逸した精神科医、伊良部の元を訪れる話である。題名の通り、空中ブランコに乗れなくなったサーカス団員や、まっすぐボールを投げられなくなったプロ野球選手、小説を書けなくなった作家、先端恐怖症でナイフが持てず、血判状を押せない暴力団員などといった人達が、医者を訪ねる。
確かに現代はストレスにあふれている。というか、みんな半分神経症のようなものだ。だからここにうつされた姿を半分は笑いながら、しかしもう半分では、じっと自分の後ろ姿を見せられているという不気味さも兼ね備えている。
しかしストーリーはばかばかしい。ほとんど遊びのようなものだ。主人公の精神科医、伊良部は大きな病院の息子として生まれたようだが、あまりかんばしい医者とは言えそうもない。
だがそこへ何度も通院しているうちに、不思議と患者達が癒されていくというところが、この小説の真骨頂だろう。それを一言でいえば、仮面をかぶらない素の自分に再び出会うということにつきる。
どこかで無理をしているから人間は疲れるのだ。体面を保たなければならない人間は、裃をつけてきちんと正座し続けるのだ。しかしそのことに疲れるところから、ほころびが出てくる。そこを伊良部はつく。自然でいることがいかにすばらしいことか。
厭ならいやだということのなんと心安らぐことか。
こういう小説が直木賞をとるという時代はまさに閉塞されているとしかいいようがない。勝ち組負け組といわれ、全てが自己責任だと声高に叫ばれる時代だからこそ、伊良部のカリカチュアライズされた造形が真実味を帯びるのだろう。
どうしてもストレスから逃れられない人は、一読してみてもいい。ただしこれで全ての問題が解決するほど、現代は単純な構造になっていない。そのことがまた悲しい現実ではある。

2005-03-14(月)

襲名

このところちょっとした襲名披露ブームである。歌舞伎の世界では父の名を継ぐ中村勘三郎、落語の世界でも林家正蔵という大名跡である。
誠にめでたいことだ。
それにしても名前を継ぐというのはどういうことなのか。芸能の世界ではごく自然に名前の継承が行われてきた。勿論、興行的な要素も多々あるが、新しい名前にすることで、芸の幅が大きく広がったという話もよく聞く。
こちらの思い入れもあるのだろうが、観客はつい先代にその姿を重ね合わせてしまうといった要素もあるようだ。
一つだけ、ぼくの考えを書くとすれば、襲名とはまさに生まれ変わる、再生のドラマだといっていい。
いったん前の名前には死んでもらい、やがて新たな命を吹き込んだものとして再生する。その時、おそらく芸能の神々にそれまでとは違った大きな力をもらうのではなかろうか。
話はすこしずれるが、ひょっとしたら遷宮という要素に似ているのかもしれない。
伊勢神宮は20年に一度、全ての建物をとりこわし、新たな社を築く。いわゆる式年遷宮と呼ばれるものである。20年に一度社殿を建替え、装束や神宝を新調して神にお遷り願うという行事にどこか似た類のものを感じるのだ。
神が乗り移る。これは面白い発想である。
社殿を一度拝見すればわかるが、そこに使われる木材や装飾は最高度の技術を誇るものである。いいかげんに建て替えてすませたというようなものではない。
大変な労力を必要とするのである。
バタイユが主張する蕩尽という行為に似ているともいえよう。
一方、襲名という行事もこれは大変な手間と労力がいる。名前を一つかえるだけで、どれほどのお金が出入りすることか。生まれかわるという思想は芸能の神々にとって、大きな意味をもつのであろう。
願わくばこの襲名により、さらに芸が磨かれることを願ってやまない。それにしても両者とも父親そっくりになった。そのことにあらためて驚かされてしまう。

2005-03-01(火)

春の雪

みささぎにふるはるの雪
枝透(す)きてあかるき木々に
つもるともえせぬけはひは

なく聲のけさはきこえず
まなこ閉ぢ百(もも)ゐむ鳥の
しづかなるはねにかつ消え

ながめゐしわれが想ひに
下草のしめりもかすか
春來むとゆきふるあした

この詩をこよなく愛したのは三島由紀夫である。彼が畢生の大作だといって死ぬ間際に書いた4部作『豊饒の海』の最初の作品が『春の雪』である。
装飾華美な小説ではあるが、4部作の中では、ぼくの一番好きな作品だ。
さて、この詩はみささぎと呼ばれる天皇陵に春の雪が音もなく降る情景を描いたものである。実に静かで完結した世界をみごとに表現しきっていると言っていいだろう。
伊東静雄は保田與重郎に師事しただけに、日本浪漫派の強い風土にひたっていたことは間違いがない。
それにしても無駄のない美しい詩だ。こんな風に詩人は自分の世界を築き上げていくのだ。ヘルダーリンに傾倒した伊東は「わが人に與ふる哀歌」という悲しいほどに透明な詩も書いている。
ぼくはなにかあるたびに伊東の詩を思い出す。
かつて彼の生地、諫早をバスで走った時、「太陽は美しく輝き、あるいは太陽の美しく輝くことをねがい」という詩の一節を呟き続けていた。「わがひとに與ふる哀歌」を超える詩はそうはない。

わがひとに與ふる哀歌

太陽は美しく輝き
或は 太陽の美しく輝くことを希ひ
手をかたくくみあはせ
しづかに私たちは歩いて行つた

かく誘ふものの何であらうとも
私たちの内の
誘はるる清らかさを私は信ずる
無縁のひとはたとへ
鳥々は恒に變らず鳴き
草木の囁きは時をわかたずとするとも
いま私たちは聽く
私たちの意志の姿勢で
それらの無邊な廣大の讃歌を

あゝ わがひと
輝くこの日光の中に忍びこんでゐる
音なき空虚を
歴然と見わくる目の發明の
何にならう
如かない 人氣ない山に上り
切に希はれた太陽をして
殆ど死した湖の一面に遍照さするのに

こういう人間がいたということだけでぼくにはもう十分である。詩人は夭折するべきだ。
詩人は長く生きてはいけない。
しかし詩人は言葉を紡ぐという才能に疲れないのか。その時に死んでしまうものなのか。
伊東は46才まで生き、ついに眠った。

2005-02-20(日)

数字

世の中は数字だ。特に近代は数値目標というものが、前面に躍り出ている。あらゆる企業は貸借対照表の中にその利潤追求の目標を設定する。
これは当然の話である。企業合併にしても吸収にしても、全てこの論理以外にはない。今、話題のライブドアにしても、吸収し続けることで成長してきた会社だ。敵対的な株買い取りを続けることでしか、成長は見込めないだろう。
古い世代の感情論だけでは説得しきれない。彼らはとりあえず合法的に進んでいるだけだ。もちろん、やり方に強引さはあるとしてもそれはあくまでも感情の世界の論理でしかない。
犯罪にならないとすれば、それは合法なのだ。しかしここからは次の段階として、再び数字の戦いになるだろう。800億の借金を外資系証券会社からしたという事実は、いずれ返還しなければならない重圧として、ライブドアの肩に重くのしかかってくる。
売り逃げられないとしたら、どうするか。それもまた数字が全てである。
互いに持ち合う株式システムをやめた時から、このような 買収劇はいくつも繰り返されていくに違いない。最後は勝つか負けるかだ。それも数字が全てである。
考えてみれば、資本の論理ぐらい美しいものはない。負けるか勝つか。この二つしかないからである。
次のラウンドはどのようになるのか。数字にまったく縁のない暮らしをしている部外者にとってみれば、傍観する材料としては申し分のないものである。
いずれ、勝敗は決まるだろう。その時、双方がどのようなコメントを出すのかも、あえて言えば楽しみだ。当分週刊誌の材料になり続けることは間違いがない。

2005-02-06(日)

フリーター漂流

この国にはいったい何人のフリーターがいるのか。一説には400万を超えるという。そのうち100万人が仕事を求めて日本中を漂流しているというのだから、ただ呆然としてしまう。
昨日のNHK特集は昨今の労働現場の有り様を実に的確に描いていた。
日本は近年、猛烈な勢いで中国や東南アジア諸国に追いかけられている。安い人件費を武器に責められ、企業はほとんど利益のない戦いをしている。明日の見えない製造業の中で生き残れるのは唯一、生産調整のきく工場だけだ。
昨日までの仕事が今日もある保証はない。売れ行きが落ちれば、すぐに別の商品を作る。マーケットがセグメント化されているだけに、多品種少量生産をしなければならない。
そのためにはどうしても機械化できない工程が生まれる。そこでフリーターの出番となるのだ。仕事はつねに単純作業。機械化すると高い。人間なら安い。まるでモダンタイムスの世界である。これでは仕事の内容が複雑化することもなく、労働の喜びも得にくいだろう。いつか自分の好きな仕事につくまでなどと暢気なことを言っているうちに、タイムリミットの35才になってしまう。
好きな仕事を探せるまではという威勢のいい文句とはうらはらに、現実は驚くほどきびしい。なかで何人かの生活が紹介されていた。35才まで父親の運送業を手伝っていた男性は、仕事が減り、栃木の工場へ請負業者の指示の元、でかける。しかしそこでの仕事はあまりにも単純なものだった。
仲間がどんどん辞めていく。昨日の仕事が今日はもうない。別の工場へ再び赴く。こうした生活の連続に嫌気がさし、故郷札幌へ帰る。しかし昔気質の父親には息子がいくら労働現場の様子を話しても理解してもらうことはできない。上司に気にいってもらえれば、いい仕事にありつけるとか、正社員になれるのではないかと父は言う。しかし現実はそんな甘いレベルの話ではないのだ。
極端なことをいえば、フリーターに名前は必要ない。ただネジをさしてまわすといったことを一日中繰り返すだけなのだ。請負業者たちは次から次へと若者達を工場へ送り込む。そしてそこで繰り広げられる単純労働。
フリーターに明日はない。それでもなお自分のやりたいことをみつけるまではと呟く彼らの真意が、どうしてもぼくには見えなかった。

2005-02-05(土)

死にきれない

池田小学校の児童を殺した宅間被告は、速やかに刑を執行してくれといって、昨年この世から去った。
彼は死にたくても自分では死ねなかった。だから腹いせに豊かで恵まれた人たちの子弟が通う小学校に押し入り、無差別殺人を行った。
自殺したいのなら、一人でやって欲しいという言い方は酷だが、昨日の事件を見ていてもやりきれない思いになったのはぼくだけではあるまい。
開店してわずかたっただけの店に入り、他で万引きしてきたナイフを幼児の頭に突き立てた。
普段なら子供が元気よく遊んでいるチャイルドコーナーでの惨事だ。なぜ、うちの子がと母親は叫んだという。当然だろう。犯人は誰でもよかったと供述しているらしい。
男は1週間前に出所し、むしゃくしゃしていたという。
この複雑な時代の中でストレスを抱えていない人は、誰もいない。それでもみんな必死に生きている。それを短絡的な動機で殺されたのではたまらない。
スーパー側にしてみても、今以上に警備ができるものかどうか。広い店内に不特定の客が入るという前提で経営を行っているのだ。どんなに見回りを厳しくしても、限界があるだろう。
さて、この犯人をあっさりと死刑にしてしまうことは可能なのか。自分で死ぬに死ねない人間を、法律が本人に代わって裁き命を奪う。今の段階ではどのような結論が出るのか、全くわからない。しかし判決から死刑までのスピードが早まればはやまるほど、死にきれない人間達は似たような無差別殺人に走るだろう。
刑を厳しくすれば、それで犯行がおさまるかといえば、そんなことはない。人間の複雑な一面がここにもある。

2005-01-28(金)

組織

NHKの会長職をめぐって連日、新聞の報道がやむことはない。それだけ影響力が大きいということなのだろう。
しかし今日のニュースは辞任した翌日、すぐ顧問に就任した海老沢氏の後日談であった。なんでも視聴者の反発を想像以上に受けたとのことである。一日中、職員達は苦情の処理で仕事にならなかったと新聞は伝えている。その結果、慌ててまた顧問を辞退するというとんでもない醜態をさらけ出した。
ここまで組織というものが内部から腐っていくものかというのが正直な感想である。
会長という責任ある職務に就いている時間が長すぎたのか、あるいはイエスマンで周囲をかためすぎたのか。どちらとも判別しがたい。しかし組織というものは常に、内側から腐っていくものだ。
その最大の要因は長期にわたって一人の人物がポストにいすわることからくる。
当然、その周囲にはおこぼれに預かりたい人間がひしめくことだろう。側近といってもいい。茶坊主といってもいい。ノーを言わない人間達の集団だ。
イエスマンで固められた組織は当然、都合の悪い情報を公開しなくなる。その結果、トップに伝えなければならないことも隠蔽される。また何を言っても風通しが悪いことを察知した下の人間は、物言えば唇寒しということで、目上のものに上申することもなくなる。
その典型が三菱自動車であろう。あれだけのリコールを隠し続けた。その結果として、会社はますます窮地に追い込まれている。
先日、読んだコンチネンタル航空の例を引き合いにだせば、話はよくわかる。ここの上層部の面々は絶対に隠し事をしないということを決めた。
その日の株価から、含み資産に至るまで、全て公開しているという。まさに鯛は頭から腐るのである。
このまま今の態勢でいれば、日本を代表する放送局も、また大企業である三菱自動車もいずれは終焉を迎えるかもしれない。
実際にそうした例はいくつもある。山一証券もダイエーも西武も経営陣にはイエスマンしかいなかった。というよりトップがカリスマ的であった分だけ、厄介な構図をひきずり続けた。
それだけ頂点に立つ人間は襟を正し続けなければならない。しかしこれは本当に難しい。だからこそ、長期政権は絶対に避けなければならないのである。

2005-01-22(土)

ゆとり教育

このところ、教育の分野では今までの方針からの転換が目立つ。それも少し前まであれだけ議論しあったのに、ちょっと世界標準を下回った途端、一斉に風向きがかわった。
その端緒をつくったのが、あのゆとり教育である。教育内容の3割削減にとどまらず、総合学習の名で、特別なカリキュラムを組んだ。
従来の日本式つめこみ教育への反省から、生徒の立場にたった方向へと舵をきったのである。
しかし結果は惨憺たるものだった。特に国語や数学において、その結果があまりにも惨めだったせいか、またぞろ以前の方法論を復活せよという声が高くなりつつある。
総合もやらなくていい。学びたい生徒にはもっと難しいことをやっていい。土曜日も授業が可能である。などなど、今まで10年以上かけて決めたことはなんだったのかという有様だ。
学校が荒れ、満足に机に座れない生徒を相手に、奮闘した小学校の先生達は、次々と職場を離れつつある。今まで採用数を極端に絞っていたのに、今年、東京では2倍を僅かに超える程度の倍率になっている。
それだけ早期退職する先生が多いのだ。休職している人もかなりの数にのぼるという。教員のメンタルヘルスが声高に叫ばれているのである。
特に総合の授業など、とんでもない準備期間を必要とする。全ては現場のアイデア次第という丸投げは、想像以上に教師を精神的に追いつめた。

近頃、ぼくの勤務している高校でも、ジュースパックをそのまま机の上に置き、飲んでいる生徒を見かけるようになった。ガムもそうだ。ごく普通の生徒が、平気で授業中ガムを噛んでいる。彼らにはそれが非礼にあたるという感覚などないのだろう。
教室も家も同じである。まさに家の延長上に学校はある。廊下に制服のまま座り込む生徒もいる。これも数年前からみかけるようになった。それ以前にはなかった風景である。
偏差値が高い学校の生徒は現状に満足せず、目標を自分で作り出すというが、その反対の立場に位置する生徒は、目標設定以前に、現状に満足しているという。今のままで楽しければいいという空気が蔓延し始めると、学校は荒れる。
自分から学ぶ意欲をという、ゆとり教育の骨子は今どこへ行こうとしているのだろう。アメリカの失敗を追いかけ、アメリカが学ぼうとした日本の詰め込み教育に再び、日本は戻っていくのだろうか。
教育基本法のはるか以前で、学校は窒息状態になりつつある。

2005-01-14(金)

なぜ勉強しなくなったのか

自宅学習の時間が目に見えて減り続けている。一昨年、ぼくの勤めている高校で調査したところ、約半数の生徒は全く机に座る習慣をもたなかった。唯一、勉強らしきものをするのは試験前だけである。
残りの30%ぐらいの生徒が1時間未満、それ以上やる生徒はごく少数であった。
なぜかと問うのはなかなかに難しい。さまざまな要因が複雑に絡み合っているからだ。しかし一つだけ言えるのは、学校は社会の縮図であるということである。今の生徒達が突然勉強嫌いになったのではないだろう。
昔だって、それほど皆、勉強が好きだった訳ではない。それでも仕方なくやった。もちろん現在でも成績が気になり、評価の上がるのが楽しみだという生徒もいるだろう。あるいは純粋に真理を学ぶことに喜びを感じる生徒もいるはずだ。しかし大勢は勉強しない方向に傾いている。
何がこの変化をもたらしているのだろうか。
簡単にいえば、夢を持ちにくい社会だということにつきる。あまりに豊かになりすぎた社会で、彼らが並はずれた学習をしたとして、どの程度の位置に上れるのかは、かなり未知数である。
かつては学歴が階層を上昇させる大きな要因となった。もちろん今でも全くないわけではない。しかし親より高い学歴を得たとしても、それですぐにいい就職口があるかといえば、疑問である。企業はよりコミュニケーション能力に力点を置き始めているからだ。
あるいは大企業に入ったとしてもリストラの危機がある。
非常に不安定な場所にいるとしかいえない。
さて勉強をすれば、たいてい人に褒められる。これはいい気持ちだろう。だからやる人間は当然いる。少数のむしろオタクに近い人間集団は、最後までとてつもない量の勉強時間を確保し貫徹するだろう。ある種の高校ではほとんどの生徒が国立大学の医学部を受験するという現象まで起こっている。
しかし普通の若者にとって、かつてのように学歴が階層上昇のための力になりにくくなっているのは事実だ。親をみればそれはすぐにわかる。
彼らにとって楽しいことは他にいくらでもある。今を楽しまなくていつ楽しめばいいのか。みんな大人になればつらいということを知っている。だからいつまでも子供のままでいたい。誰も大人になんかなりたくはないのである。
今の時間を精一杯楽しみたいのだ。あわよくば、パラサイト・シングルとして両親の家の一室を占有し、自分の稼ぎを全て小遣いとして快適な生活をする可能性も考えている。
そのために今あくせく勉強することが、必要なわけでもない。むしろ軽く人間関係を構築しながら、楽しく学校生活が送れればいいのである。
こうしてみていると、高度経済成長の時代とは明らかに行動様式が違っている。かつては少し無理して頑張れば、豊かな暮らしが手に入った。その大きな要素が受験勉強にはあった。
どのような家庭環境からでも学歴を身につけることで、階層上昇の手段とすることができたのである。
たとえば、北野武の母親はいつも「貧乏は循環する。だから学問をしろ」といって子供達に勉強をさせたという。まさにこの図式である。
しかし豊かになりすぎ、ほぼ飽和状態である現在、さらにどこへ向かって上昇すればいいのか。
もちろん貧しさを実感している人は、そこから這い上がるために努力を惜しまないだろう。しかしそれさえも今の潮流の中では流されてしまいがちである。
難しいことは考えなくていい。一握りのできる人に任せればいい。それより今を楽しみたいとする体質が若者のどこかに巣くっている。むしろそのことの方が、長期的に見た場合、一番怖ろしいことのように思えてならないのだ。

2005-01-04(火)

民間人校長奮戦記

三重県立白子高校校長の奮戦記を読んだ。
タイトルは『高校を変えたい! 民間人校長奮戦記』というものだ。三重県でも民間からの校長ははじめての試みらしい。それだけに本人も随分大変な思いをしたことだろう。
試みに同高校のサイトを覗いてみた。大島謙校長の訓話がすべて掲載してある。おそらく以前では考えられないHPだろう。わざわざ生徒指導中の生徒が話を聞きたいから、始業式に出させてくれといってきたというシーンなども、この本には描かれている。
草思社はいつもユニークな視点で本をつくる面白い出版社だ。真っ正面からということはあまりない。いつも少し斜めからつっかかってくる。それがなんともいえないこの出版社の味にもなっているようだ。
さて内容は多岐にわたっているが、その基本は教師集団の閉鎖性に関わっているといっていい。
彼によれば、現在の高校は校長といえども授業を見ることができないシステムであるという。教師が自分の力量をさぐられるのを潔しとしない風潮が強いからだという。
同僚の教師にさえ見せないのが普通である。まさに密室での授業だ。いったい誰が、このような慣行をつくりあげてしまったのか。そのことにまず新任校長は驚く。
これでは、教授法の研究もままならず、授業の進歩ものぞめない。旧態依然たる「異界」のままではこの現状を変えることができない。高校が沈滞するのも当たり前であると主張する。
あるいは職員会議という合議の行き着く先は、さて誰が実行役なのかさっぱりみえないと不思議がる。
前例主義についてもかなり手厳しい。教師は新しいことになかなか着手しようとしない。全て以前にあったのと同じようにすすめていれば安心している。これも不思議の種のようだ。
大島さんは公募によって、東芝のエンジニアから三重県の県立高校の校長に転じた。校長がかわれば学校がかわるという本を書いた羽田高校の校長もそうだったが、毅然とした態度を示し続けるなかで、賛同者も次第に増えているらしい。
しかし彼は教員ばかりを責めているわけではない。教育委員会のあり方についても手厳しいのだ。教師だけでは解決しない問題が、今日山積していることも看過している。それでも教師は聖職だと呟く。これだけやりがいのある職業は他にないとしながら、その情熱を失っていく今日の学校という組織のあり方にも、疑問を投げかけている。
ゆとり教育というべールをかぶった管理教育の行き着く先が、幼さを残す我が儘な生徒と閉鎖社会に生きようとする教師だけだとしたら、こんなに息苦しいことはないに違いない。

2004-12-25(土)

テルミニ駅

ローマに滞在していた間、ぼくは毎朝テルミニ駅まで歩いた。宿屋から5分くらいのところだった。テルミニとはターミナルのこと。つまり終点を意味するのである。ここへいけばローマに来た人に全て会えるのだ。
いわば東京駅のようなところといえばいいだろう。朝はまずここで朝食をとる。濃いエスプレッソを出す店がある。パンはほんのちょっと。それだけである。いわゆるコンチネンタルと呼ばれるパターンだ。
そして必ず水を買う。それと大切な両替。とにかくユーロになる前は両替で一苦労した。
どこの国へ行っても最初にすることはまずこれである。汽車で隣の国へ入ろうとすると、パスポートチェックと同時にすぐ両替だ。電卓は手放せない。
いちいち銀行へ行っていたら、埒があかないのである。そこで町の両替商に駆け込むということになる。
これがいたるところにあって便利ではある。しかしレートは悪い。時間があれば銀行もいいが、とにかく能率が悪い。それをじっと待つのはつらいことである。Gパンをはいた行員がガムを噛みながら応対してくれる。
一番きちんとしているのは、もちろんドイツである。
さて土、日に現金がなくなると悲惨の一語につきる。このテルミニ駅の両替所に駆け込むしかない。当然長蛇の列だ。だれも文句を言わない。黙って自分の順番が来るまで待っている。
とにかくヨーロッパでは待つということが多い。スペインではたった汽車の切符1枚買うのに2時間も並んだ。もちろんコンピュータの発券システムがあるのにだ。
さてテルミニ駅でぼくも一度だけ、並んだことがある。気が遠くなりそうだった。しかし並ぶしかない。それが真理だ。
バチカンへ行った帰り、偶然途中に電話局があったので、日本へ電話をかけた。妻のいる東北の町へである。すると彼女の母親が出てきて、今盆踊りへ行ったばかりだと訛りのある言葉で話してくれた。
バチカンのあの彫刻の渦から、盆踊りの世界へ突然ワープしたぼくは、この時間の差、文化の差に思わず眩暈を覚えた。
ブースから出て、外の空気を吸うと、またテルミニ駅まで戻るためにバスに乗り込んだ。
ローマは遠いなあとしみじみ思った瞬間だった。

2004-12-15(水)

ヴェネツィア

今、ヴェネツィアに留学した人の本を読んでいる。そのせいか、懐かしくてたまらない。
この町には電車で入った。窓から見える風景があっという間に変化する。海の匂いがあふれる。駅にはたくさんのバックパッカー達がいた。もちろん、ぼくもその一人だ。
彼らは平気で駅のホームに寝ころび、そこで一晩過ごす。しかしぼくはまずホテルを探した。
一泊3000円以下と決めている。さっそく駅の近くのホテルに入った。夏のこととて、結構混んでいる。しかしなんとかその額で部屋をみつけることができた。
早速荷物を置いて外へ出る。
まさにキャサリン・ヘップバーンの出演した「旅情」の世界である。とにかく静かだ。車が一台も走っていない。全て運河にそって大型のヴァポレットと呼ばれる水上バスか、あの小さな観光用の舟である。
町は沈みつつあるという。その風情もよかった。水辺に立つと、波が寄ってくる。なんとなく古都にいるという気分が増す瞬間である。舟で運河をくぐる。水の影が橋に映る。波が光を反射して、美しかった。
古い煉瓦づくりの建物が続き、その間をぬって走る。風が心地いい。ヴェネチアングラスの店にも寄ってみた。食事もした。
町の中を歩いていても飽きない。疲れたら、ちょっと水辺にしゃがみこめばいいのだ。どこに坐るかによって、まったく景色が違ってみえる。万華鏡のような町だ。
サンマルコ広場は本当に広くて楽しいところだった。テラスに座ってコーヒーを飲む。宮殿には古いフレスコ画がたくさんあった。
ここで「旅情」の主人公も男に出会うのだ。そして騙される。
こういう広場が日本にはないとしみじみ思った。あらゆるドラマが起こりうる場所、それがこの広場だ。
リド島へ向かおうとした老教授がいたのもこの広場である。「ベニスに死す」はトーマスマンの他の作品とは一線を画する。
しかし美しい少年に憧れる老教授の横顔は、まさにこの古都にふさわしい。
また行きたいとしみじみ思うようになったのは最近のことである。イタリアの町の中でもひときわ死んだように眠っているのは、ヴェネッチアしかないと確信するようになった。トスカーナの町はまだ生きている。南イタリアはもっと元気だ。
死に行く沈む町、ヴェネッチァを今、再訪したい。
2004-12-11(土)

深さと成熟

町というのはやはり深みがなければ面白くない。華やかな表通りも必要だが、それと同じくらい、あるいはそれ以上に裏通りが必要だ。この両者が適度なバランスで構成されていなければ、町はその力を持ち得ない。
人は通常華やかな通りを歩く。そこには立派なショーウィンドウがあり、装飾もみごとなものだ。見ているだけで楽しくなる。若いカップルがそこを歩いているだけで、絵になるというものだ。
しかし人は時に疲れ果て、明るいところだけには行きたくないと思うこともある。そうした心理をうまく操る場所が装置としての裏通りだ。できれば道はくねくねと曲がり、小路で構成されている方がいい。どこの誰であるのかという個人の名前を消し、アノニムにする場所。そこではもうどこの誰でもない、一人の弱い人間だ。
繁華街と呼ばれる町は必ず、この両面を持つ。日本中どこへいっても似たような店が増えたとはいうものの、かつての闇市のあとを彷彿とさせるような場所は今でも残っている。
そこへいくとなぜか人は自分を飾らなくていいという安心感を得るのだろう。これこそが不思議な力の源泉になっている。時にはいかがわしい飲屋街になっているところもある。それでも裏通りは必要だ。ヨーロッパを旅しても、アジアを旅しても、このことは古今東西同じことのようである。
かつて金沢を旅した時、そうした裏通りがつい目と鼻の先にあるのを見た。それは札幌も同じだ。
あるいは仙台も青森も、どこへいっても人間のいるところには欲望が渦巻く。
しかしそうしたことも全て含んで、やはり成熟するためには、深みがなければならないと思う。人工的に作られたいわゆるニュータウンと称する場所のなんと白々としたことか。
どんなにイルミネーションで通りを飾ってみても、複層的な町の深みはない。つまりそこには祭りもないわけだ。祭りはつねにそうした猥雑な装置として存在してきた。
御旅所の周囲、神社、寺の周囲は精進落としの場所となり、遊郭が発生した。つまり周縁としてのそうした場所を含んで、町は成り立つ。
下町を逍遙しようとする人々の中に、憧れをこめた成熟への志向をみてとるのはぼくだけだろうか。
2004-11-21(日)

劇場型社会

昨夜、ローマ帝国の番組を見ていてしみじみと感じることがあった。それは実に単純なことだ。
人はすぐに飽きるということである。どんなに平和が大切だとしても、人はすぐに飽きる。愛情もしかり。日常生活もしかり。
この飽きるという感情ほど厄介なものはない。どんなにおいしいものを食べ、広い快適な家に住み、いい洋服を着て、快楽をつくしたとしても、人はやはり飽きるのである。
初代皇帝アウグストゥスのしたこととはなにか。当然武力での制圧も一方ではした。しかしそれだけでは人々はついてこなかったのである。アルジェリアの辺境にも、ローマと同じ上下水道を敷き、公衆浴場を備えた。しかしそれだけではやはり人心の掌握はできなかった。
では何をしたのか。彼はコロッセオを作った。市の中心地にである。ぼくも現在残るこの遺跡に立った時のことは今でもよく覚えている。とにかく大きかった。
地下に巡らされた細い回廊。その中を猛獣たちが歩いたという。あるいは水を満たして、模擬的な海戦をもした。
奴隷達や、闘士達が毎日スペクタクルを繰り広げた。
象と戦い、キリンと戦い、ライオンと戦い、そして海の戦いをも繰り広げる。
ー等席には当然元老員の面々が座る。そしてもっとも中央の貴賓席には皇帝その人が陣取った。彼が指を下に下げれば、その場で闘士達の処刑が行われたのである。この絶対的な権限を人々にみせつけることが、最大の目的であった。
人は血を見ないと興奮しないものなのだろうか。安寧と秩序の中だけでは蕩尽の喜びを得られない。人間はいつも酔いたいのだろう。今までとは違ううねるような地平に身を委ねたいのだろう。
祭りを欲しているわけだ。日々、それが必要だとするなら、皇帝はローマ市民のために、それを提供し続けなければならない。
つまり劇場型国家の誕生である。
さて、ぼくたちの周囲はどうか。
毎日、伝えられる夥しい人の死にも無感動になりつつあるのではないか。歌が必要なのか、芝居が必要なのか。酒か、酔いか。
いずれにしても飽きてしまうことを知った人間にとって、かつてアルチュール・ランボーの呟いた詩句、酔いたまえは実に重い意味を持っているような気がしてならない。

2004-11-10(水)

生き残る

紅白歌合戦の司会者が今日発表された。なんといっても興味あるのは女性司会者だ。今年は小野文恵さんだという。
「ためしてガッテン」「鶴瓶の家族に乾杯」を一度くらい見たことがあるだろう。あの彼女である。
実に味わいのある司会ぶりだ。どこも構えてない。いつも自然体である。それでいて嫌味がない。誰にも受け入れられる素直さを持っている。ケレン味がないといえばいいのか。
民放のアナウンサーはどちらかといえば、スタイル、ルックスともに見栄えがよく、どことなくおしゃれな雰囲気を持っている人が多い。しかし小野さんにはそうしたところが全くない。
NHKの中でも異色ではないだろうか。だからといって特に自分だけは人と違うというような主張をしているわけでもない。どこにでもいる隣のお姉さんというところだろうか。
特に地方でも都会でも受け入れられない地域というのがない。
そのまま、姉さんかぶりをして農作業をしていても、なんの違和感も感じないのである。以前、黒田あゆみさんが離婚を原因にされて朝の番組を降ろされたことがあった。その後、紆余曲折を経て今の昼の番組に戻ってきた時、その変貌ぶりに驚いた人も多かったのではないだろうか。
前は明らかにちょっと無理をしてした。少し低くなろうとしていたような気もする。東大出だといわれないように、ちょっと自分を落としていたような節もある。
しかし現在の彼女はまさに一皮も二皮もむけ、堂々としている。むしろ開き直ったといった方がいいかもしれない。
やっと本来の自分に戻ってきたというところか。何を言われたって怖くないという顔をしている。
一方、小野さんはそんなことも気にしていない。彼女が黒田さんと同じ大学を出ているといわれても、まさかと思わせるだけの自然さを身につけているのである。
だから生き残れるのだ。
これからは彼女のようなタイプの人が長くずっと仕事をやれるのだと思う。同じ大学を出たアナウンサーでも膳場貴子さんとは自ずと雰囲気が違う。
こういう時代は生き残るということも作戦のひとつである。しかし小野さんにその意識はあまりないのではないか。だからこそ、またそこに魅力を感じるのである。

2004-11-03(水)

空気を読む

最近は空気を読むという表現が日常的に使われるようになった。
面白いもので、人間の集団には必ずこれの得意な人と不得意な人が出現する。その結果、空気を読める人間は、それなりの場所にきちんと収まっていくのである。
もちろん、その反対に読めない人間達も、それぞれの場所に散っていく。
日本ではチームワークの中で仕事をするケースが多いだけに、このことはかなり重要な要素といえよう。もちろん職場だけではない。あらゆる人の集まるところに人間関係の渦はある。
ではどうしたら場の空気を読めるようになるのか。これはかなりの難問だといってよい。
いつも場の雰囲気にあわせることだけを主眼としていれば、その人間もやはりはじかれる可能性を持つのだ。かといって読めなければ、それもまたアウトである。
どこかに自分の軸をきちんと持ちながら、それでいて全体の問題点をきちんと把握するには、よほどの力が必要になるだろう。ある集団に属してしまうとそれが見えなくなるということもある。
しかし属さなければ、よく見えるのかといえば、それはそんなに簡単なことではない。
やはり最後は経験がものをいう。しかし経験をたくさんしたからといって、状況をきちんと認識できるかといえば、それにもやはり疑問符がつく。
近年は地頭のよさということをしきりに言うようになった。まさにこの空気を読むという能力は地頭の良さと密接な関係をもっているとみた方がいい。
すなわち知識ではない。それを昇華させた形での知恵だ。と言葉では簡単に言えるものの、その内実は一筋縄ではいかない。知識と経験とを完全燃焼させ、それを血と肉にする努力を続けなければならない。
少しでもこの作業を怠れば、そこで空気は読めなくなる。
またトレンドだけを追いかけてもダメだ。もっと深層に目を配ること。人間を考え続けること。人に興味を持ち続けること。
あらゆることの総合の果てに、空気を読むという作業はある。もちろん、先天的にこれができるという人もあるだろう。
しかしそれも訓練を怠れば、錆びる。
まことに生きていくということは、厄介なことだ。
だが、空気を読むことだけに専心していると、思わぬところで足を掬われることもある。
問題は輻輳している。しかしおそらく真理はいくつもないに違いない。最近、そんな気がしてならないのである。

2004-10-01(金)

リスニング

今月号の文藝春秋に野口悠紀雄が面白い文を書いている。それは英語の勉強の仕方というエッセイだ。
読んでいると、実にまっとうなことが当たり前のように記されている。英語の塾へいって道の訊き方なんかを学んでも英語の勉強にはならないというものだ。
そんな暇があったら地図を見ればいいというのだ。だいたい、道を訊いても相手が何を言っているのか聞き取れなければ、それで終わりだ。街頭を歩いている人の知的水準にもよるが、相当な早口で喋られたら、まったく理解不能になる。
だからどこそこへ行くには、どのバスに乗っていけばいいのかという式の英語学習は無意味だというのだ。
確かにそういう側面は多々あるだろう。
似た発音を聞き取るというのは案外難しい。
ぼく自身の経験からいうと、一度ロンドンで実によく似た発音の場所へ危うく案内されかかったことがあった。相手は親切心で教えてくれる。だからそれを信じてしまうと、全くちがうところへ連れて行かれることもあるということだ。
幸い、バス停がそれほど離れていなかったので、また乗り換えた記憶がある。それほどリスニングは難しい。
野口はいう。
とにかく聞くことだと。リスニングのための素材はインターネット上に驚くほどある。彼はPBSを推奨しているが、個人的にはNPRやNHKの海外放送などがいいと思う。
ビデオ付きのものもあるから、映像と一緒にみるとイメージもわくというものだ。スクリプト付きならばなおいいだろう。
外国へ行かなくても英語の勉強は十分できる。
最後はタフ・ネゴシエーションができるようになるまで、力を磨けば、それなりの可能性も開けてくるだろう。
そのための語彙はもちろん必要だ。千では足りない。最低、五千はいる。高校卒業段階より、もう少し上の数だ。
そこまでいかないと、相手の話は聞き取れない。あとはその世界の専門知識と専門用語があれば十分だ。
これは進む方向によって全く異なってくる。
コンピュータの世界なら、その単語。数学ならば、2乗、3乗はなんというのか、分数の表現、割るやかけるはなんというのか。あるいは序数、奇数、偶数など知らなければ絶対に聞き取れない。
これが専門知識の例だ。
いずれにせよ、リスニングができなければ話は先へ進まない。とにかく聞くこと。これに徹した人だけが、相手の話にあわせて、自分の論理を展開できる。
時間はかかるが、それだけの価値は十分にあるといえよう。

2004-09-16(木)

キャッツの魅力

劇団四季が11月から再び、ミュージカル「キャッツ」を上演することになった。五反田に再び専用の劇場をつくるそうである。
最初が新宿、次に品川。今度が五反田である。今回は2階建てにして、1200人も入れるというから、かなりのものになるのだろう。
この芝居は四季にとっても命運をかけたものであった。
アンドリュー・ロイドウェーバーの作品は難しくなく、易しくなく、何度聴いても心地がよくなる。とくに主役のグリザベェーラが歌う「メモリー」は出色だろう。天上に召されていく娼婦の猫が最後にうたうこの歌には、幸せとはなにかという大きなメッセージが何度もでてくる。
ストーリーは複層的で、哲学的な要素を持っている。
今までに3度見ているが、本当のところ何が主題なのか、今だによくわからない。
しかし幸福とは何か、なにが生命にとって一番大切なのかということを考えさせようとしていることだけはよくわかる。
最初に見たのはニューヨークだった。あの時の衝撃は忘れられない。1幕目の幕間にずっと長老猫であるオードュトロノミーが舞台の中央に座り、サインをしながら、チャリティーをする姿が印象的だった。あれはなんのための献金だったのか。
アメリカという国の健康さを垣間見た気がした。
日本に帰ってから見たキャッツはアメリカのそれに比べれば少しおとなしい印象を持った。しかし加藤敬二のダンスはすばらしかった。マジカルキャットの踊りだけで20分以上はもたせたのではないだろうか。あれが事実上、四季の最高峰のダンスだった。
最初から最後のメモリーの歌へ、さらに天上へ上っていくラストシーンまで今でも全曲覚えている。何度CDを聴いたことか。
以前通勤の車で、毎日聴いていた。それでも飽きなかったのである。トランペットの夜明けを告げる音もすばらしい。
また五反田へ足を運ぶことにしよう。
ミュージカルにもあたりはずれは当然ある。しかしこの演目はぼくにとって一番なじみのあるものであるといっていいだろう。
明後日から予約だという。いつのチケットならとれるのか。四季は何年やるつもりなのだろう。
浅利慶太のことは以前どこかで書いた。本当に怖ろしいまでの劇団に成長したものだ。

2004-09-11(土)

スウィング

人間にはスゥイングできる人とできない人しか存在しないという。
前評判の高かった映画『スイングガールズ』が今日一般公開された。
テレビでその宣伝番組を見ただけだが、PRのうまさには舌を巻いた。さすがに電通がからんでいるだけのことはある。
『ウォーターボーイズ』で一躍有名になった矢口史靖監督は次のターゲットを女子高生にした。
援助交際などという危なげな話が先行する時代である。しかし実際の高校生は案外健全で静かなものだ。
監督はあちこちの高校に存在するジャズクラブを訪れたという。その中で国際基督教大付属高校のそれが一番明るかったらしい。技術的には不十分なところもあるが、それ以上によかったのは、全て彼ら自身で決めるというクラブの風土にあったのだろう。
しかし撮影となると、そう簡単ではない。楽器を手にしたことのないタレント達を相手に技術を教え込まなければならないのだ。
この点はシンクロをやった数年前と全く同じである。
音楽は強い。直に心にしみ込んでいく。
主役の生徒、上野樹里を探すために1000人のオーディションをしたらしい。必要なのは楽器の技術ではない。そのパーソナリティだ。
やっと配役が決まり、いよいよ撮影開始。当初は楽器が思うように鳴らず、泣くこともあったという。しかし若さはすごい。5ヶ月足らずの間にどんどん上達した。
場所の設定は山形にしたという。ここが最大のポイントだろう。成功したとすれば、この場所性が大きくものを言ったことになる。
同じ表現でも東京弁ではきつい。それを「んだ」「んだっす」で切り抜ける。暖かさが漂う。言葉の持つ魔力である。
電通はこの映画の宣伝のために、彼女たちとの契約を切らなかった。クランクアップしてからも、夏休みをかけて日本中をまわり、ジャズ祭りなどで彼らに演奏をさせた。
これが若い世代の共感を得た。宣伝効果は相当なものがあっただろう。さらにそのCDも出した。企画構成の立場からいえば、これ以上の宣伝はない。マスコミからではなく、むしろ地域から口コミで広げていく戦術だ。最後にその様子をテレビで流せば、共感がさらに広がる。
セーラー服を着た田舎の高校生と、たった1人の男子メンバー。それだけでもストーリーの展開しそうな配置だ。
実際の演奏もなかなかのものらしい。「A列車で行こう」はいい味に仕上がっているという。
さてジャズを生で使った演劇として、なんといっても忘れられないのはオンシアター自由劇場の『上海バンスキング』だ。串田和美の演出、吉田日出子の主演。笹野高史演じたバクマツ。
これほどの演劇は今までになかったと思う。これからも出ないだろう。それほどにすばらしい舞台だった。もっと何度でも見ておけばよかったと後悔している。
出演者がそのまま楽器を演奏するということの醍醐味は、その場にいなければわからない。成功作だけの持つ香りを今でもよく覚えている。
ところで今回の映画は観客にどんな反応をもたらすのか。
ひょっとしたら、あちこちの高校の文化祭で近い将来、ジャズの演奏される日が来るような予感もする。

2004-09-06(月)

BRICs

このところBRICsという表現を耳にすることが多い。
アメリカの大手証券会社ゴールドマン・サックス社が、昨年秋に投資家向けにまとめたリポートで用いて以来注目されている。
現在のペースで経済が発展していくと、この4ケ国が世界経済地図を大きく塗り替えるという予測である。
すなわち農業のブラジル、石油のロシア、パソコンなどIT関連のインド、そして世界の工場となりつつある中国のことである。
今後30年以内に、日本経済は規模のうえで中国はもちろん、インドにも抜かれてしまう。その後2039年には、現在の世界の経済大国のトップ6か国であるアメリカ、日本、ドイツ、フランス、イギリス、イタリアの合計をこれらの国が経済規模で上回る。
さらに2050年には中国、アメリカ、インド、日本、ブラジル、ロシアの順になるとしている。50年後、この4つの国は確実に世界をリードするのだ。
さて、この中でなんといっても成長著しいのが中国だろう。今までは商品の品質に対する問題もあったが、今や先進国並みのものを持ち始めている。もちろん、まだ貿易産業のシステムも完全にできあがったわけではない。為替の問題もある。通貨、元は変動相場制に基づいてはいない。
しかし13億人の人口は魅力的だ。最近では彼ら自身が車や、マンション、家電製品などを次々と購入し始めた。新しい中間層が次々と生まれている。
50年後には日本のGDPをはるかに超え、世界最大の国になるという予想は間違いがなかろう。
日本の力もそう簡単には衰えないだろうが、いかんせん少子化の波はどうしようもない。いずれ国力は弱まる。
さてインドはどうか。元々数学に強いアーリア民族は、99ケタの九九まで学校で覚えさせるという。今、アメリカからかけたパソコン関係のクレーム電話はそのほとんどがインドへ繋がるのだともいわれている。
日本の多くのシステムソフトもインドでつくられている。また日本の会社に雇われている人も多い。
インドには7億人を超える人口がある。これも魅力の一つだ。これからは人口の多い国が世界をリードしていく。
この両国がこれからの世界の要だろう。ただしインドにはまだ株式制度もない。通貨も不安定だ。
とりあえず、最初に中国、次にインドという図式だろう。
ロシア、ブラジルはこれからだ。
いずれにしても、子供の生まれない国、日本に明るい未来はないのである。

2004-08-31(火)

垂直

テレビでよく特集される欠陥住宅のことをふと思い出した。
家を見学する時に一番必要なものは、まずメジャーだそうだ。これは誰もが納得する。その次はビー玉らしい。これは床がどのくらい傾いているのかをチェックするのに欠かせないアイテムだという。
実際、ビー玉がころころと床を走り出す場面を何度見たことか。
つまり家が傾いているのを視覚的に捉える装置なのだ。
ということは、家が垂直に立っていないということを意味する。こんなことが実際にあるのか。
先日、知人の家を訪ねた時、本当に驚いた。崖のようなところに建てられていたのである。家の片一方には鉄の杭がうってある。片方は地面についている。
つまりやじろべえの片側がふらふらしているような状態と考えればいいのだろうか。
いや、どうも正確ではない。やっぱり片方が地面、片方が杭の上といった方がわかりやすいかもしれない。実に不安定な家である。
よく見ると、そこは崖ぎりぎりのところで、他にも数件似たような建物があった。
リビングに座っていてもなんだか落ち着かない。確かに高台にあるから眺めはいい。しかし足下に土がないというのはどうも厭なものだ。
知人はそこを買った訳ではなく、どうやら借りているらしい。率直に気味悪くないかというと、住んでいるとすぐ馴れるという話だった。
よく高原などへ行くと、ちょっとした崖のところに別荘がたっていたりする。あれと同じ構造なのだ。
本当に垂直に建っているのかと大いに疑わしくなった。ビー玉でも持っていれば、転がしていたかもしれない。
建築に詳しくないので、あんなところで、どうやって垂直を維持するのかという方法を知らない。水準器とか曲尺のようなものを使っているのは見かけるが、あれだけで、斜面にも垂直を作り出せるものなのだろうか。
今はさしずめ、レーザー光線かもしれない。
これが木造でなく、ビルなどになるとどういうことになるのか。川の縁の斜面などは土地が安いので、業者が喜んで購入し、マンションなどを建設している。
半分は土に埋まり、半分は盛り土の上だ。ぐらっと揺れたら、そのまま川の中へ倒れ込むのではないかと思われる。
あのような場所でなくても、本当にどの建物も、みな垂直に立っているのだろうか。
ピサの斜塔とまではいかなくても似たようなのがあちこちにあるような気がして仕方がない。
まさかビルの中でビー玉は転がせないが、案外ころころと一方に向かって行くという図もありえない話ではない。
以前、高層ビルのエレベーターの話をテレビで見たことがある。十円玉を何枚重ねても、全く動かない。上下にただ箱を移動させるといっても数百メートルはある。細かい調整をずっとやり続けるのだ。
まさに垂直の美学といっていいだろう。
それにしても丸の内や新宿の高層ビル群があっちこっちに曲がって立っていると想像しただけで、ちょっと愉快な気分になるというものである。

2004-08-25(水)

勝者がいて敗者がいて

アテネオリンピックは開幕から13日目を過ぎ、日本のメダルラッシュも峠を過ぎた。
最初の柔道に始まって、水泳、体操、レスリング、マラソンとものすごい勢いだった。しかし野球、バレー、ソフトはややふるわない。
二連覇、三連覇などという話題を耳にしていると、なんとなくそういうものかと思ってしまうが、まったく歯のたたない競技もあるわけだ。
当然、勝者にはライトがあたる。これはマスコミの持つ特性だろう。しかし長く生きていると、そうそう勝ち続けることができないこともよくわかってくる。
そこに何がみえるのか。
あえていえば、そこからが始まりだという覚悟かもしれない。
勝てなかったという事実から出発する以外に、次の人生を切りひらく方法はないからである。いつまでも敗者であることにこだわっていては、先には進めない。敗れたことから何を得るのかが、その選手の本当の力量になるのだろう。
女子マラソン実力一といわれつつ、途中でリタイアしてしまったイギリスの選手は、泣き崩れてしまい、後は言葉にならなかった。
競争というものは残酷なものである。必ず敗者が存在するのだ。
メダルを取れなかった選手の中で、やはり年配の人たちのことが気になる。4年後の北京を目指せる人はまだいい。
しかし女子バレーのキャプテン吉原選手のように、後がない人もいる。それでもオリンピックに出られただけでも幸せなのかもしれない。消えていったたくさんの選手のことを思えば。
かつて東京大会で銅メダルをとり、その後自殺した円谷選手の遺書を読むと、当時の選手達が、どれほど国の威光というものを重く背負わされていたのかをうかがい知ることができる。
かわいそうで、あの遺書は読んでいられない。彼は国家につぶされたようなものだ。
あの時代に比べると、今は随分楽になった。だがメダルの数は今も国のものとしてカウントされる。あくまでも個人のものであるのにかかわらず、どこかで国家が顔を出す。
それがスポーツというものの本質なのだろうか。
いずれにせよ、まだ競技は続いている。勝つ人がいれば、負ける人もいる。勝った人の笑顔のかげで、敗者となり、自尊心を傷つけられ、それでも雄々しく立ち上がっていく選手達に、今は絶大なるエールを送りたい。
人生は戦いに負けた後もまだまだ続くのだから。

2004-08-13(金)

中国の威力

8月1日、中国広州から戻った。
修学旅行を誘致したいという広東市の旅遊局が企画したシンポジウムに参加したためである。
北京や上海に比べて、まだそれほどの広報活動をしていないため、修学旅行参加者数は予想したようには伸びていないようである。なんといってもSARSの蔓延が痛かった。旅行社は半年、開店休業だったそうである。
今回の旅行は4年前、長春と北京へ行った時に感じた中国の力をさらに確認するものであったといえよう。
まず自転車の数が減り、車とバイクが増えた。着ているものも以前よりさらに清潔でしゃれたものになっている。よくいわれるトイレ事情も前よりははるかによく、ドアのないところで用をたすなどという話は過去のものである。
それよりもなによりも、まず中国の人たちが生活を楽しむ術をいろいろと身につけているということを実感した。
食事はもちろんのことである。食は広州にありということわざがそのまま生きている。
海鮮料理屋にも、飲茶の店にもたくさんの人々が集い、大いに食べかつ飲んでいる。
暇な時間には木陰でトランプを楽しんだり、太極拳をしている人の姿もみかけた。
もちろん、地方はまだ依然として貧しい。広州にはたくさんの出稼ぎ人が訪れ、多くの企業の労働者として、月2000元(3万円)を上限とする労働についている。昼ご飯もわずか10元(140円)のレベルである。
しかしとにかく仕事を探せば何かがある。逆に言えば、それだけの生産力を国家がつけたということだろう。特に広東市には数百万単位の流入者があるという。
中国は4年後にオリンピックをひかえ、いよいよ正念場を迎えつつある。底力をここぞとばかりにみせつける時だろう。
ところで、これから必要なのはソフトかもしれない。たとえばサービスという概念だ。にこりともしない店員がお釣りを投げてよこすのには閉口する。お金を払おうとすると、すぐに日にかざして調べる。どれだけ偽札が多いのか知らないが、感じがよくないのは、多くの旅行者に共通した感情だろう。
しかしソフトはいずれ変化していくに違いない。CDもDVDも驚くほど安い。かなりのものが複製品であるに違いない。車は高いが、多くの人々が所有している。一説に今日の原油の価格上昇の原因の一つは、中国にあるとも言われている。
いずれにせよ、中国は発展途上の国だ。ものすごいエネルギーを感じる。日本がとうに失って久しいものである。
これからの10年、中国はどこへ進むのか。
日本は安閑としてはいられない。

2004-07-24(土)

太極拳を習い始めて、いかに腰を定めることが難しいのかということを知った。
踊りにしても、あらゆるスポーツにしても腰が要であることはよく言われている。能の舞など、腰がふらついていたら内に激しさを秘めたあの静かな動きはとてもできないだろう。
まず腹筋、背筋、そして足の筋肉がいかに必要かということを知った。とくに太極拳は動きが遅いわりに、力のバランスが要求される。しばらくやってみると、これが実に理にかなった格闘術を根幹にしていることがよくわかる。
手を左右に交差させたり、伸ばしたりする動きは、全て相手の戦う姿勢を防御する形になっている。つまりどこから攻められても相手をかわし、倒すことができるのだ。
その基本の考え方は、腰の骨を大きく開くということにある。つまり腰を一段下げて、そこにあらゆる力をため込み、自然に解放するのだ。一見簡単そうだが、これがなかなかに難しい。腹筋がないと身体がふらつく。
足一本になっても相手の動きにあわせて攻め込まれないように形をつくる。
最低でも身体をつくるのに3年ぐらいはかかるといわれた。足の筋をきちんと伸ばさないと、後ろ足で踏ん張ることができない。すると相手の正面からの攻撃に、すぐふらついてしまう。
それを支えるのも腰である。
考えてみれば、人間は二本足で立った時から、腰に過度な負担をかけ続けてきた。今さら四つ足で歩くという訳にもいかない。とすれば、どっしりと動かない、開いた腰の形というものをなんとか身につけたいものである。
それにはあまりにも筋肉が足りない。やさしそうでありながら、奥の深い武術に触れることは、自分の身体というものを意識するいい機会になっている。

2004-07-21(水)

クーリングオフ

世に二等賞詐欺というものがあるとすれば、先日見聞したのはまさにそれだ。知人の息子さんが、なんの気なしにひっかかったらしい。
人間というものは貪欲なものである。ただで何かもらえるとなれば、それこそ行列に並ぶこともある。
これが俗にいうSF商法の手口だ。最初に安い台所用品や食料をどんどんあげて、一種の催眠状態へと誘う。
最後に高いものを購入させられる頃には、もう舞い上がっていて、正常な判断ができなくなるのである。
二等賞詐欺もこれと似たようなものか。
人間は一等賞があたったとなると、少し懐疑的になるもののようだ。まさか自分がと思うのだろう。しかし二等というのはいかにもありそうな話だ。実に心理的な盲点をついた手口ではないか。
その息子さんは、本屋さんに入ったところで突然くじ引きをし、それが偶然にも二等だったのである。
なんでも特別な枠で本来数万円もする取り付け費用と機器レンタル料がただになる上、一ヶ月間聴取料がただになるという有線放送の契約を結んでしまったのだ。
本来なら毎月5千円ほどはかかるところが、ただとなれば最新の曲も聴けるし、おいしい話だと思ったのであろう。
しかしうまい話には必ず裏がある。
というのもこの契約は向こう2年間は続けなくてはならず、もし途中で解約したら、機器レンタル料と取り付け料の全額を返済しなければいけないというのだ。
総額にしたら聴取料を含めると、かなりの額になる。本人は喜んでしてやったりと帰ってきたらしいが、慌てたのはどうやら家人であったらしい。すぐに契約の裏を見抜いたあたりはさすがである。
その場で矛盾を指摘すると、さすがの息子さんもそこまでは気づかなかったと呟いたそうだ。まさに二等賞ビジネスの所以である。
仕方がなく、すぐに契約書の裏の細かな字を全部読み、クーリングオフの手段をとってつつがなくこの一件は終わったと聞く。
なんでも契約破棄の文面を、260字以内で書かなければいけないそうで、そんなことはちっとも知らなかったと知人の細君は話を聞かせてくれた。
まったく世の中というものは生き馬の目を抜くようなところである。あくどい業者になると、わざとクーリングオフのシステムがきかなくなる8日目にものを届けてくるなどということもあるそうだ。
消防署の方から来ましたなどといい加減なことを言って、消火器を売っていた時代は、今や過去のものなのかもしれない。

2004-07-14(水)

東京

東京に住んでいることのメリットは何か。先日久しぶりに帰ってきた娘によれば、その圧倒的な情報量にあるという。電車の中吊り広告一つをみても、生の情報が飛び交っていると呟いていた。
ネットやテレビでは感じない、いわば皮膚感覚の情報といったらいいのかもしれない。
つい先日も国立劇場で歌舞伎をみるチャンスがあった。これは高校生のために毎年行われているものだ。安価な料金で、伝統芸能がみられるというのも東京にいればこその話である。
そうした場所へ気楽にいけるというのも、これも東京に住んでいることの恩恵だろう。
また数日前には新国立劇場でオペラ「カルメン」をみるチャンスがあった。これなどは200人以上のキャストとスタッフがかかわる舞台である。これも高校生用のオペラ鑑賞教室である。
けっして若者用に安く作ったものではない。本物をみてもらいたいという気概にあふれた力強い公演であった。生のオーケストラと100人以上の歌手がマイクもなしに歌うという舞台を若いときに見られる幸運というのはかけがえのないものだろう。
それもこれも東京に住んでいるからである。
おそらくこの大都市にいて、享受できるものは文化だけなのではないだろうか。もちろんスポーツまでを含めて、絵画から文化財の展示、公演などありとあらゆるものが、東京に集中している。
富山県の利賀山房にもぐって活躍し続ける鈴木忠志のような演出家も確かに存在する。しかしこの東京にいるかぎり、貪欲に文化を吸収したいものだ。
逆にいえば、物価ばかり高いこの空間で得られるものは、今やそれしかないのかもしれない。

2004-07-02(金)

財産

何に価値があるのかというのは、時代によって次々と変化する。以前なら、それこそ骨董のようなものから、絵画、金、ダイヤモンドといった稀少性のあるものに集中していた。
しかしデジタル時代になってからは、もっぱら情報である。こんなものが高い値段で取引される時代がくるとは思ってもみなかった。以前も名簿屋といったレベルのものならばあった。しかし今はDVD全盛の時代である。
数十万に及ぶ個人情報が、あっという間に他者の手に渡るのだ。日本でも、ここ1年ぐらいの間に、この種の事件が頻発している。名簿屋が取引していた時代のなんとのどかなことよ。
それもIDを知り得るものの犯罪もあれば、ハッキングしてコンピュータにアクセスしたものなど種々雑多である。
さて、隣の韓国は世界で最もインターネットの発達した国として知られている。そこでは個人情報をお金でやりとりするサイトまで、公然とあるのだという。
さらには他人が取得したネットゲームのアイテムまで、現金でやりとりするという話もきいた。
これなどはまさに電子上の財産であるのかもしれない。しかし単純にいえば、ただの電気信号だ。そんなものに法律上の財産権があると考えられるのかどうか。もしないとすれば、そこでの金銭のやりとりには法の網はかけられない。しかし動く金額が数百億円の単位だということになれば、そう安閑とはしていられないだろう。これは事実である。
現代はあらゆることに値段のつく時代だ。それを助長しているのが、ネット社会であることはいうまでもない。オークションもそれを脇で支えている。
功と罪のどちらがより大きいのか。その判断も難しい。最近は犯罪にからむケースも増えている。
日本でもすでに7000万人がインターネットを使っているという。新しいデバイスが次の犯罪の温床にもなり、さらには価値の逆転を生む場所ともなりつつあるのだとしたら、嘆いているだけではすまないということになる。

2004-06-19(土)

実習

昨今はインターンというシステムをとる会社が増えている。学生の身で一定期間、会社に入り、実際に仕事をするというものだ。少しではあるが給料もでる。社員と同じように名刺を持ち、営業の現場に出ることもある。
アメリカではごく当たり前に行われているようだが、日本でも少しずつ増えてきた。終身雇用が壊れ、労働市場が流動的になるにつれ、学生達の労働観も変化してきたからだろう。
むろん、企業の側からみても、使える人材は魅力である。それを早期に発見する装置としてのインターン・システムにはメリットがある。
しかし実際に現場に出た学生達は、それまでの日常とのギャップに驚くことだろう。まさに生き馬の目を抜く社会だからだ。
いくら電話でアポイントを取ろうとしても、それさえ、ままならない。いくら営業トークをしても誰も聞いてくれない。
それが現実だ。
こんな話を書いたのは、この3週間、教育実習に来た学生達を見ていたからである。今年から中高の免許をとるためには3週間の期間が必要になった。
しかし彼らは自分の母校で教えられる幸せを噛みしめたに相違ない。花や色紙をもらい感激もしただろう。
しかしこれはあくまでも別格の客人としての扱いである。そのことを忘れてはならない。日本人は旅のものには冷たい。もし先輩でなかったら、どういう扱いになるか。特別な客人のうちは暖かくても、そうでなければ、扱いは一気に変化する。
全てを含んでの実習である。
しみじみと噛みしめてほしい。
さてぼく自身、この職業についてすでに25年を過ぎた。その間、仕事上のことで泣いたことはない。というか泣けない。泣いたら、そこで終わりだという覚悟もある。
仕事というのは、過酷なものだ。インターンには見えない側面がありすぎる。ことに教育はイデオロギーにからむ。政治は全てのきわどい切っ先を教育に向ける。
この実感をどこまで持てるかも、勝負の分かれ目だろう。

2004-06-12(土)

ついていったらこうなった

多田文明(彩図社)というルポライターが書いた『ついていったらこうなった』という本をたまたま読んだ。
キャッチセールス潜入ルポと横に書いてある。世の中には随分暇な人がいるものだと感心する。
評論家の鎌田慧がトヨタ自動車の期間工になって書いた工場の潜入ルポ『自動車絶望工場』や、朝日新聞の記者だった大熊一夫が精神病院に患者として入って『ルポ精神病棟』を書いたのは記憶に新しい。
しかしこのルポはわざわざ騙されるカモになって突入するというのだから、新機軸といえば言えないことはない。前の二著に比べると、なんとなく時代層を反映して、どこか罪がなくかわいいものだ。
しかし内容はやはり現代そのものである。まったくばかばかしい話だが、こういう仕事でなんとかその日の暮らしをたてている人がいるというのもまた事実なのである。
「手相を勉強しています。」といって手相を見、よくないことばかり言って、招運グッズを買わせようとする某宗教団体。
「絵に興味ありますか?」と怪しげな絵を買わされそうになったり、必ず2等が当たるくじで、携帯電話が当たり、もらってしまったら7ヶ月も解約できなかったり、無料エステで強引に勧誘されたり、と、いろんな落とし穴がいっぱい示されている。
こんなものにひっかかるのかとも思うが、やはりそこには手練手管がある。別の場所へ連れて行ったり、次々と担当者が変わったりとか、相手の手口も巧妙である。
そのほかにも、先物取引や在宅ワーク、結婚相談所、ヘアケア・アドバイス、幸運のペンダント、あらゆる問題を解決する無料相談などと、さまざまな手口がひしめいている。
やっぱりと思う反面、ついていったら断れない、と思わせるものもちらほらあり、あの手この手で誘いをかけてくるやりかたに、まさに冒頭にあった言葉のとおり、路上を歩くだけで苦労の絶えない時代を実感する。
なんだかばかばかしいともいえないところが、現代なのだろうか。君子危うきに近寄らずしかあるまい。うまい話などこの世にはないのである。

2004-05-30(日)

ソフトの時代

テレビはすごい。とにかく大きくなった。画像もすばらしくきれいになった。さらにはDVDの進化で、そのためのレコーダーも大変な売れ行きである。価格もこなれてきた。これだと時間を気にしないし、画像の処理が簡単である。さらには劣化がない。いつもクリーンな絵を見続けられるのだ。
近年のパソコンにはDVDの書き込みソフトもインストールされている。大変な世の中になった。今年、行われるアテネ五輪が、これに拍車をかけることは間違いがない。
確かにハードはあっという間に進んでいる。地上デジタル放送は東京キー局の屋台骨を崩しかねないほどの金食い虫である。
しかしこれに乗り遅れたら、次の時代はない。NHKは別としても、在京局の決算はこの放送機材の整備で、儲けを飛ばしてしまった。
だがやらなければならない。
さてその次は何か。
当然のことながらソフトだろう。たくさん放送されている中で、かつてのように高視聴率を維持するのは大変だ。人々はザッピングを繰り返しながら、自分の感覚にあった部分だけを取り込んでいる。
いわばパッチワークのようにしか、テレビを見てくれない。テレビはそれほどのものではもうないのだ。いわば空気と同じだろう。なければ気がつくが、そうでなければ誰も気にしない。
画像の下にテロップをいれると、平均2%は視聴率があがるというのは有名な話だ。
もう音もいらない。映像だけで十分という人にとって、情報はこの程度でいい。主演者が何を着ていたのか、それだけを見ればいいという視聴者もたくさんいる。
ソフトにどれだけの金と時間を費やすのか。少しでも手を抜いたら、すぐにとばっちりがくる。つまらないものには誰も見向きもしない。時代の空気を読まなければならない。
しかし同時に人は夢を求めている。本当に確かなものがない時代だけに、美しいものにも憧れている。
難しい時代になった。
「渡る世間は鬼ばかり」だけが、なぜ20%を越えるのか。
もう一度考えてみなくてはならないだろう。
街頭テレビの頃がなんだか懐かしい。

2004-05-16(日)

痛み

このところ、なんとなく肩が痛い。ものの本によれば、加齢にあたって軟骨や骨と筋との間がきしむとのこと。俗にこれを五十肩という。
後ろに手が回らないとか、高いところのものがとれないというほどひどくはないが、しかし痛い。時にぎくっとなって、これはたまったものではない。半年か一年は我慢しろとある。なんとも情けない話だ。
先日も背広の上着を着ようとして、思わず唸った。
考えてみれば、痛みぐらい厄介なものはない。なんといっても他者には全く通じないからだ。
神経痛しかり、歯痛しかりである。
歯は脳に近い分だけ、ますます手間がかかる。数ヶ月前、なんとなく妙な感じがするので、医者にかかりだしたら、いまだにまだ終わらない。あちこちに不具合があって、10年も前に治療した歯まで、またなおす羽目になってしまった。
膝も肩も、足首も、間接部分は全て複雑な構造なだけに、ひとたび何かの痛みに襲われると、たまったものではない。
どんな痛みかと問われても、経験した人にしか理解してもらえない。誠に悲しいものである。
三叉神経痛などという顔の中を通っている神経を痛めた人の話などを聞くと、怖ろしくて、ただ神に祈るばかりである。肩ぐらい、どうということはないような気がしてくる。
やはり脳に近ければ近いほど、痛みは激しくつらいもののようだ。
ことほどさように痛みというものは、個人的なものである。ましてや、心の痛みとなれば、もっと他人には理解しがたい。ここから孤独感が生じるのも、ある意味仕方のないことかもしれない。
人の世はままならぬものだ。自分ではよかれと思ってしたことも、他人に全て理解される訳ではない。ましてや、愛するものの死などは、なかなか受け入れられるものではない。
ただ黙って見守ることぐらいしか、他人にはできないのである。
痛みは経験したものにしかわからない。
だからこそ、つらいものなのである。せめてはともに祈り、泣き、そして再び心の安寧を得るその日まで、同行者として、傍らにいてあげることしかできないだろう。
それでも人肌のぬくもりはありがたいものだ。本当の孤独を知った人間にしか、このぬくもりは通じないものなのである。

2004-05-15(土)

絶望からの出発

社会学者、宮台真司が昨年の2月に出した『絶望から出発しよう』という本を読んだ。タイトルがやや扇情的ではあるが、内容は理解しやすい。
テーマは彼の専門とする社会学の領域から始まる。もちろん、援助交際、テレクラなどをはじめとしたサブカルチャーも横目でにらみつつ、本題はポストモダン騒ぎとはなんだったかというところにある。
また子供達の持つリアリティーは大人の考えるそれとは大きく隔たっているということも指摘している。
いい母であり、いい娘であるという構造から抜け出るための装置として、援助交際もテレクラもかつては存在したという図式は興味深かった。
また後半では日本がこれからどう進めばいいのかという硬いテーマに突き進んでいる。一番大切なことは民度だと彼はいう。
ロピイストとしての経験の中から、本当に法律が理解でき、また新たな法体系をつくりあげることのできる一般市民がでないことには、この国は官僚か議員の思うままになると危惧する。
事実、今国会で話題になっている年金法案にしても、どこまでその実態をきちんと把握している国民がいるのだろうか。
目の前の50%支給という数字だけに幻惑されて、将来の破綻の図式が見えなくなっている。
ただ反対を唱えるのではなく、その現実を冷静に見て取るだけの力が民衆に必要なのはいうまでもない。
新聞社、放送局などのマスコミによる記者会などという排他的組織に対する批判も辛らつである。
あるいは安保条約の本質は今後どう変化していくのかという議論も面白かった。
すでに、ものの豊かさが国益だという合意は消えてしまっている。何がこれからの国益なのか。何を目的にして、ぼくたちは生きていけばいいのか。冷戦体制がこわれ、アメリカ型の独裁社会が目の前にちらつく今、絶望の質が高くなければ、本当に未来は切りひらけないのかもしれない。
村上春樹の小説『海辺のカフカ』を批評して、14歳、15歳だからこの国は生きるに足るのだという記号的解釈をしてしまうことの限界を強くアピールしている部分も、興味深かった。
問題は脱社会化した少年が母の力によって生きる意義を見いだしてしまうという絶望の浅さにあると宮台は言う。
その他、白石一文、田口ランディなどの著作についての言及も面白かった。
キーワードはここでも絶望である。

2004-05-05(水)

IP電話

つい先日の新聞にも、ある電話会社幹部のコメントが載っていた。それによれば、かなり近い将来、ほとんどの電話はIPが主流になるという。
IPとはインターネット・プロトコルの略称だ。ブロードバンド上を全ての通信内容が流れる。
同じプロバイダー同士なら無料という信じられない電話である。今までは警察などへの緊急電話がかけられないとか、音質が悪いなどという問題も指摘されていたが、これも近い将来解消されるという。
なんという時代だろう。これほどの技術革新がどの家にも訪れているのだ。
もっともチャットなどというコンピューター上での同時会話は文字だけなら少し前から存在していた。
それが近年はさらにメッセンジャーなどと呼ばれ、音声や映像なども同時に双方向でやりとりできるようになっている。驚いたことにこれも全く無料なのである。
パソコンの上部に小さなカメラを据え付ければ、あっという間にテレビ電話に早変わりというわけだ。
遠方へ単身赴任しているお父さんと、毎晩無料で話ができるというのは、僥倖ではないか。
これから先、どこまで技術は進むのであろう。第一、これほどにブロードバンドが普及するとは、少し前には考えられなかった。まもなく光通信の時代になるだろう。
100メガというスピードで、情報が世界を飛び回る。
イラクの惨状も、北朝鮮の謀略も全てが、一瞬にして地球を駆け回る。つまり独裁とか、情報の一元的管理などということは全て幻想でしかなくなる。
まことに便利ではあるが、反面怖ろしい時代になったものだ。

2004-05-03(月)

人はかわる

長く生きていると、さまざまな場面に遭遇する。人の死はもちろん、病気、誕生にも立ち会う。
生老病死とは誠にうまいことを言ったもので、人の出会いはまた別れの予感に満ちているものだ。
おりしも今日は憲法記念日。かつて護憲政党だった社会党(社民党)の凋落ぶりは自ら招いたものとはいえ、驚嘆に値する。自民党の罠にはまったとしかいいようがない。村山内閣を誕生させ、その余波で実質的に息の音を止められた。
政治というのはまさに生き馬の目を抜く戦場である。昨日までの敵が、翌日には味方になることもしばしばだ。
かつて戸川猪佐武が政権誕生秘話を綴った『小説吉田学校』という長い本を読んだことがある。そこにもすさまじいばかりの裏話が書いてあった。
さて二世議員ばかりになった国会はいよいよ、民主党が三親等の議員を追放する内規まで作り出すありさまだ。
憲法そのものに対する解釈も戦後の長い時間の中で、どんどん変化してきた。
また靖国参拝に対する判決も、日本人の思想の根本に関わる問題である。これは梅原猛によれば、怨霊思想そのものであるという。
すみやかに鎮撫しなければ、菅原道真と同じ時のような国難を招き寄せるという恐れがどこか芯にあるのかもしれない。
豊かな時代を迎えた後の長いデフレ。これも人をかえた。人生の勝ち組になったかどうかの基準は年収が1000万円あるかないかというのが、ひとつの参考になるとの記事もあった。
老年を迎えた人々は豊かな年金の中で、比較的落ち着いた暮らしをしている。可処分所得が多いのもこの年代の人々だ。
それにひきかえ、若い世代の年金に対する不信感は根強い。4割以上の人が国民年金を払っていない。大臣の慌てぶりも愉快だった。
厚生年金も同じことである。小手先の改革ではどうにもならないところへきている。出生率だけの問題ではない。
人はかわる。人は歴史に学ばない。
悲しいがこれが現実なのかもしれない。五木寛之ではないが、元気を出して生きていくことははなはだ至難なのである。

2004-04-29(木)

自由なのはどっち

女の方が男より楽しみが多いというショッキングな話題が今日の新聞に出ていた。統計数理研究所が日本人の国民性を調査したところ、こんな傾向が浮かんだのだという。
男の方が楽しみの多い人生を送っていたはずなのに、それもとうに昔の話のようである。
今、生まれ変わっても女がいいと考える女性が急増しているのである。
どうせ子供を産むのなら、女の子の方がいいという話もよく聞く。男はそれだけたくさんのしがらみの中で生きざるを得ない時代なのか。
父母会などでも、うちの子は男だからとかいう発言がときたま飛び出す。そんな時、なんとなく学歴信仰により支配されているのは、男の子を持つ親のように感じるのはぼく一人だけだろうか。
なんとなく社会に出る時の形も厳格さを求められている気配が漂う。逆に言えば、楽しみはきっと女の方にシフトし始めているのだろう。
今回の調査でも「楽しみは男女どちらが多いか」の問いでは、少なくとも70年代までは「男」が60%台と、「女」の10%台をしのいでいた。ところが、20年ぶりに同じ問いを設けた98年の前回調査でこの差が縮まり、今回初めて「女」が多数意見になったという。
特に女性の56%が「女」と答え、男性でもかつては70%台だった「男」が50%にまで落ち込んだ。
「生まれ変わるとしたら男女どちらに」でも、男性はいつの調査でも約90%が「男」と答えるのに対し、女性は「女」が58年の27%から増え続け、今回69%に上った。
男にとって楽しみの少ない社会というのは、どういう図式なのか。一生職場と家の間を往復するだけの単調な生活なのか。
一方、人生で一番大切なのは何かという問いかけには家族という答えだけが増え続け、45%に上ったという。
なんとなく今の時代がこの数字からも透けてみえてはこないだろうか。人々がごく普通に家族を大事にしようとする気持ちに辿り着いたというのは、すこぶる上等ないい結論であるような気がする。
ところで女性が謳歌できる自由とはなんであるのか。今の社会の内実を思う時、また少し頭を痛めるテーマになりそうな予感もする。

2004-04-24(土)

女神たちのカフェ

たまたま先週の土曜日、テレビをつけたら、BSハイビジョンと同時放送という「女神たちのカフェ」という番組が始まるところだった。双方向テレビを実感できるというので、ちょっと覗いたという訳だ。
司会はNHKでも一番人気の膳場貴子さん。ゲストは萬田久子、室井佑月、内田春菊、増田明美、青木チエ(青木プロ婦人)、吉本多香美、向井万起男などと多彩であった。
タイトルはこの年頃の女神達に共通した難問、結婚である。
ジャズピアノの演奏されるおしゃれな店内で、三々五々、おしゃべりに興じるゲスト達。その間を膳場さんが時にパソコンを持ったまま、回るという趣向である。
一見して面白いつくりだと感じた。従来のゲスト、司会という単純な図式ではなく、複数の話の場にふっと飛び込んでいくという仕切りの形が新鮮だった。
もちろん、あらかじめ結婚を望む女性達に、その現実と落差、期待などをインタビューし、結婚相談カウンセラーなどの取材も取り混ぜてある。
さらに同時にホームページを通じて入ってくるメールをその場で取り上げて、新しい内容のふくらみをはかるというものであった。
また視聴者にその場でアンケートをとり、数字を入れかえていくという試みもある。どれもが双方向テレビの売り物といえるだろう。
これからの放送のあり方を示唆する上で、作り方がなかなかに興味深かった。また後から開いたホームページもおしゃれで、今までのものとは一味違う印象を持った。
さて結婚は幸せなのか、仕事は生きがいなのか、あるいは女らしく働くとはどういうことか。いずれも大変に難しいテーマである。時代が大きく変化している中で、女性達の考え方も当然変わっているに違いない。むしろ男性の方がずっと古くさい結婚観を持ち続けているような気もする。
番組では歴史上の女性の中で、エリザベス・テーラー、モンゴメリ、エビータをあげ、それぞれの結婚の現実を明らかにしていた。
たとえばモンゴメリなどは『赤毛のアン』のような夢のある話を書き続けたが、夫婦関係は冷え切っていたという事実など全く知らなかった。皮肉な話だが、夢がないから、切ないほどのロマンが生まれるのかもしれないとも考えた。
女神達の等身大の声を渋谷のカフェからお届けしますというコンセプトは、ユニークなものだった。つまらないタレントのうわさ話だけでない、奥の深さも感じた。
あるいは、こうした番組作りがこれからのデジタル放送の一つの試みであるのかもしれないと今、思っている。

2004-04-18(日)

衰退

就職活動がいよいよ佳境に入っている。マスコミ各社もいよいよ、最終面接に近くなった。
朝日新聞あたりの記者になるためには、100倍以上の難関を突破しなければならない。最初になんといってもきついのが、筆記である。これを通過するためには、あらゆる常識に通じ、高得点をとるだけでなく、内容の濃い論文を書かなくてはいけない。
しかしそれを通過したとしても、さらに面接を3度も4度も繰り返し受けなくてはいけないのだ。
マスコミは人間だけが財産である。他にはこれといった資産ももっていない。大きな工場があるわけでもない。とにかく人的資源だけに頼る壮大な手工業なのである。
さて今年の試験のテーマは「日本は衰退しているか」というテーマだったそうである。
ある記者はこの試験の採点をした感想を次のように書いている。
「多くの小論文の根っこにあるのは経済的に日本が繁栄するか、衰退するかという問題意識であった。9割ぐらいは、そこからの発想だった。もちろん、文章表現の技術、考えの深さなどは、それぞれに違うから、一つとして同じ小論文はないのだが、それでも、印象はみんな同じことを書いているなあというものだ」
当然、そういう印象を読み手に与える小論文にいい点がつくはずがない。採点する側としては、まだまだ発展途上の人たちが書いている。少々の不出来は大目に見よう。可能性の感じられる小論文があったら、思い切りいい点をつけようというようなことを考えながら読む。しかしそれでもなかなかいい点が付かなかったという。
経済的に衰退しつつある日本。そこから現状を分析していけば、あまり明るい未来の図は出てこない。あるいはそれを乗り切ったとして、その次に何がみえるのかという視点で書けば、これもまた似たようなテーマになるだろう。
大半の論文が、このパターンであったため、いい加減読むのも厭になったと記者は述懐している。
彼はさらに言う。
「なぜ、みんながみんな経済的に衰退するかどうか、という視点でしか物事を考えないのだろう。社会のあらゆる場面でグローバル化が進む中、日本人の「美意識」とか「倫理観」が衰退するかどうかという問題の捉え方もあるし、地球環境の視点から見た「衰退」の捉え方だってあるのに」
記者にはつねに複眼的な思考が要求される。そうした目を持たなければ、長くいい文章を書き続けることはできないだろう。
もし全ての人たちが似たような思考回路でしかなくなったら、国はそれこそ最悪のシナリオを未来に描くことしかできない。
今年のNHKの入社試験の問題は「サイン」だったと聞く。まさに次の時代のサインを正確に心の目でみてとれる人しか、マスコミに採用されるということはないのだろう。
複眼的な思考をどう形成していくのか、これは教育現場につきつけられた課題でもある。

2004-03-30(火)

水やり

五木寛之のエッセイをたまたま読んでいたら、感性のひからびた時代という表現に出会った。
3万人の自殺者がいるこの国にとって、餓死という言葉はない。どんな形であれ、生きるという最低の生活はかろうじて維持できる。
保護世帯、自己破産の増加も、彼らを救い出すためのNPOが存在することも全てこの国の横顔である。
しかしそれでもなお、3万人が自殺する。いったい、この国のキーワードは何であるのか。
五木寛之は現代を水気のなくなった時代と呼んでいる。なるほど、どんな雑巾も濡れているからこそ、そこそこに重い。しかし乾ききった雑巾は、紙と同じようなものかもしれない。かさかさと音をたてて風に舞うだけの存在だ。
戦後数十年、なんとか経済一途で進んできたものの、もう今の日本に手本となるものはなくなっている。どこへ進むのか、誰にも見えていない。
大人に手本がなければ、当然子供にそれを示すことはできないだろう。それ故の右傾化なのかもしれない。国を思うて何が悪いという発言も当然ある。
しかしその国の中身が今こそ、問題なのだ。
日本は幸いにして、東の果てにあり、どこからも侵略されることのない平和な国だった。しかしいまや、安全な国とはとてもいえない。かつてイザヤ・ベンダサンがその評論で述べた頃、日本は安全と水だけはただの国だったのである。
しかしそれも今や過去の話だ。いつテロに襲われても不思議はない。日本は完全に中庸を保つ、どちらの陣営にも積極的にはつかないという曖昧な国の仮面を捨ててしまった。
現在、二大政党制を標榜しているととる向きもあるようだが、実際両党の対立軸にそれほどの違いはない。
あるとすれば、それは背後に控えている人々の思惑だけだろう。彼らのどちらがどの程度使えるのかということだ。
アメリカは都市部に貧困者、郊外に富裕層を抱える。日本は大阪を除けば、まだそうした図式にはなっていない。しかしこれも時間とともに変化していくかもしれない。
貧しいものはますます貧しくなっていく。日本の中でも階層化は確実に進んでいる。かつてのように刻苦勉励し、蛍雪の功を実らせて、立身出世するという図式は今ない。
両親の価値観、学歴に左右され、その庭の中で子供達は成長していくのだ。
心の干からびた、コミュニティの育たないこの国に未来はあるのか。どうしたら感性に十分な水やりができるのか。
そのことをあらためて考えてみなければならないだろう。リストラが続き、収入が減り、ゆとりのなくなった環境の中で、それでも感受性を育て、やさしい人間にしていくために、大人達が果たさなければならない役割は想像以上に大きい。
まず自分の進行方向、目標を定めることが、今や、大人にとって最大のテーマなのかもしれない。そこまで時代は来ている。

2004-02-25(水)

森敦の感性

雑誌「すばる2月号」(集英社)に発表された森富子さんの長編『森敦との対話』は実に面白かった。久しぶりに森敦の生きている姿を見た思いがする。
いずれ単行本になるだろうが、この作家を好きな人にとっては一種の秘話となって長く語り伝えられるに違いない。歴史的な資料価値もある。
森敦はぼくの大好きな作家の一人である。『月山』を書いて突然芥川賞をとったのは60才の時であった。
『月山』は文字通り月山の懐にある注連寺という寺の僧坊で一冬を過ごした時の記憶を元につくられた小説である。ですます調で書かれた珍しい作品だ。森閑とした哲学の世界がそこにはある。まず一読を勧めたい。
さて森富子さんは偶然、森敦と知り合い、後に養女になったという特異な経歴を持つ。全く無名の時代から彼の家へ赴き、小説の書き方を学んだ。
それだけに森敦という人の裏表をほとんど全て見ているといっていい。500枚の小説の中にはぼくが今まで知らなかった森敦の横顔が、これでもかというくらいつまっている。半年も風呂に入らないなどという事実には正直言って驚いた。
後に神経を病んで病院に入ってしまった奥さんの日常の様子も常軌を逸している。全く生活感のない夫婦と言ってもいいだろう。
また森敦という人が、毎日何を食べ、何を語ったのかということの記録も面白い。
あるいは小島信夫が彼のところへ通い続け、その結果として名作『抱擁家族』が生まれたという裏事情も全く知らなかった。森敦はなんとこの『抱擁家族』という作品のタイトルまで彼のためにつけたという。
70枚くらいの原稿なら一日で書き直してくる小島信夫の執念にもあらためて驚かされる。
しかしなんといってもハイライトは、森敦が『月山』を書くまでの日常生活だ。奥さんは絶対に書かないでくれと彼に要求する。執筆中はどんな音をたてても神経質に叱られるのが怖かったのだ。
仕方なく、森敦は毎日、山手線の電車の中で小説を書く。何度も同じ駅をぐるぐると回るのである。そして森富子さんの借りていたアパートへやってきてはそれを整理する。
ところがそれもすぐに破られて捨てられてしまうのだ。そこで彼女はさらに赤のたくさん入った原稿をまた根気よく清書しなおす。その上にまた彼が書き足す。
こうした生活が10年以上も続いた後、ついに友人、古山高麗雄のいた『季刊芸術』に『月山』は発表された。この作品が公になるやいなや、すぐに芥川賞の最有力候補になり、次から次へと、彼の作品が発表されることになった。
その清書を手伝ったのが、全て森富子さんだったのである。その後、森家の養女となったものの、彼女の生活はほとんど秘書代わりの波乱に満ちたものだった。
森敦の数学好きは有名な話である。『意味の変容』という作品もある。旧制一高を中退し、横光利一に師事した。20才の時に書いた『酩酊船』という小説を読むと、その早熟ぶりがよくわかる。
『月山』は10年働いては10年遊んだという彼の生きざまが、そのまま外にあらわれた大変面白い小説である。
森敦の魅力を一言でいうのは難しい。本当に破天荒な人だ。だからなお、惹かれていく自分を感じる。
しかし実際、この人とつきあっていくには大変な忍耐がいることだろうと思う。自恃の強さと裏腹にある精神の柔らかさを垣間見た気がしてならない。

2004-02-15(日)

13才のハローワーク

13才で仕事を決めなくてはならない時代に入った。それだけ先がみえない。村上龍が1年半かけて、幻冬舎のスタッフと一緒になって取材した本だという。売れているらしい。昨年11月に出版された。2ヶ月あまりで60万部の実績だという。ほとんどの書店で平積みになっている。
大きな本だからかなり目立つ。39のジャンルにわかれ、実に514の職業が紹介されている。
コンセプトは好きで好きでしょうがないことを職業にしようというものだ。仕事を通して世界を認識しようという試みである。何度も書き直したそうだ。
特に教員をしていた彼の両親を書いた部分には、特別の思い入れがあるように感じた。どんな仕事でもいいから、自分が自分らしくいられる仕事を得たいというのは、ごく最近の傾向ではないか。
以前なら、まず大会社、給料の高い仕事に決まっていた。年功序列や定年制に支えられて、安心していられたからである。
寄らば大樹の陰とはうまい表現である。しかしそんな時代はもう過去のものである。2兆円を借りて半ば国営化されたりそな銀行は給料の一律3割カット、ボーナス0という職場になった。
日本は未曾有の場所に今、たどり着いている。派遣社員が正社員を超える時代になりつつある。パート労働で全ての仕事をカバーしている職場もある。
そうした時代に、13才で将来の仕事として、何が自分に選択可能なのかということを考えさせる企画は面白かった。
こんなに仕事というものはあるのだなという素直な感慨と、これから荒波の中に船出していく若者達は大変だというのが、率直な感想である。
いつの世でもお金を稼ぐということは並々のことではない。なまじっか職業選択の自由があるだけに、また迷いも増えるだろう。安心して勤められる職場そのものが確実に減っていることも事実だ。
それでも生きなければならない。それを中学1、2年生にあたるこの時期に設定して、あえて考えてみようと呟いた作家の心意気に、熱いものを感じる。
自分は何をやりたいのか。その仕事を通して、どのような社会参加を果たしたいのか。もう一度考え直すいいきっかけになるのではないだろうか。
最後にかつてサラリーマンをしていたぼくの実感からすれば、仕事も会社も縁のものだと思う。どんなに入りたくてもダメなところもあれば、すっと就職できる時もある。
しかし会社を辞める時、先輩に言われたことは、縦になるように仕事を選べということだった。つまり同じような職場を転々とするのではなく、転職をするのなら、前の仕事よりよりグレードの高い、難しくても自分を実現できる仕事を探せということだった。
これは簡単なようでいて、なかなかに難しい。人はどうしても知っている経験のある範疇ばかりを回りたくなるものだからだ。
過去の経験をさらに伸ばしていくだけの気概を持たないと、案外同じようなところを徘徊してしまいがちなものである。
今でもあの時の教訓はありがたかったと感謝している。

2004-02-14(土)

パワポの時代

パワーポイントが時代を席巻している。パソコンのソフトといえば、表計算とワープロと相場が決まっているようだが、昨今ではこれにパワーポイントが加わった。略してパワポという。
プレゼンーテーションの場に臨んだ経験のある人なら、誰でもこのソフトの洗礼をあびているはずだ。
文字と図、さらに表、ビデオまでなんでも一緒に表現できる誠に便利なソフトである。
従来なら、OHPのようなものか、スライド、ビデオをあちこち切って流したものを、一度に編集してまとめておくことができる。
これを使ってプレゼンをすると、なんとなくそれらしくなるから不思議だ。文字の表し方も自由自在。右から現れて、左へ消えたかと思うと、正面から再び大文字になって飛び出してくる。絵もグラフも同様だ。
これならば、あまり発表の得意でない人でも、それなりに話をまとめられる。なんとなく恰好がつくのだ。
かくいうぼく自身も一度だけ、研究会の発表で使ったことがある。その効果は想像以上のものだった。
少し前なら、プレゼンテーションといえば、話芸の領域に入るものであった。独特の間を使いながら、聴衆を自分の土俵に引き込んでいく。そして最後にその商品や企画が、他にはないすばらしいものだと納得させなければならなかった。
しかし今のパワポにそのゆとりはない。逆にいえば、聴衆を一種の陶酔に引きずり込む必要はないのだ。まことに正義が跋扈する世の中になった。勿論、見せ方にはそれなりの工夫がいる。へたなプレゼンもやはり存在する。
しかし話し手の方法論で、いくらいい商品でも企画がダメになるということはなくなった。その意味では、実にありがたい。
今やどの会社でもこのソフトは使われている。その証拠に本屋さんへ立ち寄ると、たくさん解説書がおいてある。
営業や企画の最前線につく人にとっては、必須アイテムの一つといえるだろう。
しかしそれを使ってみたぼく自身の感想をあえて言わせてもらうならば、これも大道芸の一種ではある。いかにバナナを叩き売るか、お皿をたくさん上手く売るかと、似たりよったりのところもありそうだ。
こんなことを言ったらパワポの使い手にお叱りを受けることにはなりそうだが、どうしてもそんな気分が抜けないのである。

2004-02-05(木)

学歴

民主党の某なる代議士がアメリカの大学を出たとか出ないとか、巷ではかまびすしいことである。もう少しで出られたのだから、その当時頑張ればよかったのにとも思うが、中退なら正直にそう書けばよかったのにとも思う。
この複雑な世の中で学歴というものがどれほど有効なものなのか。少し考えてみたい。
つい先日も早実の小学校が350万円の寄付金を要求するという話題がマスコミを賑わわせた。この学校を受ける子供達の親は皆そのことを知っていたというから、また驚きだ。出願書類のどこにもそんなことは書かれていなかったのにだ。
聞くところによれば、全て前年度に受験した人たちから塾を通して知らされたとのこと。やはりこうなるとブランドの力なのか。分割払いの人もいたようだが、皆払ったという。そのことを学校関係者がごく自然に話していたのだから、また驚く。いわゆる常識がここでは通用しない。在野の精神と言われた建学の理念と少々ずれているといわれても過言ではあるまい。
ところで結婚相談の会社では男子は大卒、女子は短大卒以上でないと、会員にもなれないという。ここでは学歴がまだ十分な力を持っているわけだ。
最近はエントリー・シートと呼ぶ会社への就職志望書も、あまり数が多くなると、大学の名前で絞ってしまうという話も聞く。
人事の人はいつも他の部署からどうしてあんな人材を採ったのかと文句をいわれたくないため、特定の大学からつい偏った採用をしがちであるともいう。勿論そうした大学に力のある学生が多いことも事実だろう。しかしそれ以外の学校にも、たくさん光る石はあるはずだ。
いったい学歴とは何か。
たとえていえば鎧であるかもしれない。厳しい人生を生き抜くための防護壁だ。
確かに入社するところまでは有効だろう。しかしその先はどうか。これほど先の読めない時代に出身大学の鎧だけで攻めと守りを同時に果たそうなどというのは、虫が良すぎる。
たかが極東の一国ではないか。その小さな器の中で偏差値がどうのこうのといってみてもなんだかむなしい。
日本の大学へ入れない人は、外国の大学を出ることで、学歴浄化されることもあるらしい。きっと形がきれいに見えるのだろう。勿論外観だけの話だ。だからといって嘘をついてはやはりまずい。出ても出なくても少しの単位が足りないくらいなら違いはあるまい。
日本の大学生を見ていると、これでは世界で通用しないとしみじみ思う。勉強の量が絶対的に不足している。そこで学歴を誇示されても迷惑なだけだ。
なぜこんなことを急に考えたのか。実は今頃になって、何も勉強しなかったつけが回ってきた自分の境遇をしみじみと反省しているからである。時すでに遅い。

2004-01-26(月)

建築の魅力

安藤忠雄の『建築を語る』を読んだ。これは東大の大学院で行った5回にわたる講義をまとめたものである。
昨年、安藤さんの講演を聞いてから、この建築家の本を次々と読んでいる。破天荒な人だがとにかく面白い。人間的な魅力に富んでいる。
この本も最初よほど難しいものかと思っておそるおそる読み始めたが、途中からやめられなくなった。
もちろん専門の話もたくさん出てくる。知らない建築家の名前も多く登場する。しかしなによりも魅力的なのはここに彼の肉声があることだ。
彼はこの本の中で、若い日々に旅することがいかに大切かということを何度も力説している。それも一人で旅をし、考えることの重要性だ。黙ってずっと考えるということが、やがて40、50になって花開くというのである。
事務所を開いて最初の頃、仕事も何もなかったという。そこで適当な空き地を探すと、こんなものを建てないかと地主にかけ合ってみたりもしたそうだ。市や町にも働きかけた。
勿論ほとんどは相手にもされなかったが、中には興味を持ってくれる人もいた。そうした試練を経て、次第に知己を増やしていく。全くの独学で高校しか出ずに建築を始めたのだ。その無謀さにもあきれてしまう。
しかし彼の言によれば、学校のような期限のある勉強ではだめだという。本質的な学問は、期間の定まったものではないとも述べている。
まさか自分が後、東大教授に推薦されるなぞと考えたこともなかったろう。またそれが大した驚きにならないところが、安藤さんの面白さである。
彼は何度も学生に向かって熱く語る。ル・コルビュジェに憧れて、アトリエを訪れようとしたこと。その数ヶ月前に彼が亡くなったこと。それからヨーロッパ各地を歩き、ギリシャの島に美を見いだし、ヴェネッチアのすばらしさ、サンマルコ広場の役割などについてずっと考え続けたこと。古いものを守りながら、そこに新しい感覚を植え付けるヨーロッパの思想の奥深さ。それと対比することで、より日本的な文化が見えたこと。
またマンハッタンに現代の美を見いだしたこと。
これからは使われない箱型建築ではなく、人と共生していく建築を志さなければいけないこと。
何度もスランプに陥り、それでも建築をやめないのはやっぱり好きだからだと断言する安藤さんには魅力がある。理不尽なことにつきまとわれても、怒りの感情を忘れずに突き進むことでなんとかスランプを脱出してきたという話も面白かった。
彼が作った多くの建築の写真もふんだんに入っている。ぼくが学生だったら、この授業を聞いた後、本当にいろいろなことを考えたことだろう。そして自分にそれだけの熱情が続くのかどうかを自問したに違いない。
鉄とコンクリートの膨張率は偶然ではあるが一致するのだという。 これが一番の不思議でもある。安藤さんのコンクリート打ちっ放しの建築物は、この偶然から生まれたのである。彼の建てるものにはどこか東洋の匂いがある。
小さな頃からみていた大阪や京都の町並みが頭の隅にこびりついているのだろう。今に至るまで傑作とよばれる住吉の長屋という名の建築。水の教会、光の教会。あるいは六甲の斜面にたてられたマンション群。
全ての窓がみな違う方向を向いている。現在ここに住む人の9割が外国人であるという。日本人には何か異質なものを感じるのかもしれない。
直島や淡路での仕事、あるいはイタリアでのベネトンの仕事など、どれも大変興味深いものばかりだった。彼はこの後同じ、東大出版会から『連戦連敗』という本も上梓している。これは毎回コンペに出して負け続けた自分のことを述べた授業の内容を掲載したものである。
あるいはNHKで放送した内容をまとめた『建築に夢をみた』という本もある。唐十郎や武満徹などとの交遊から受けたインスピレーションについても語っている。
若い時の情熱と勉強が必ずいつかは実を結ぶという発言には、何度も頭の下がる思いがした。
いい本に出会ったとしみじみ思う。
建築を志す人は多いことだろう。不況の現在、ゼネコンを取り囲む環境の厳しさは誰もがよく知っている。50年ではなく、500年先を考えた建築の未来を語らなければいけない時代になっている。

2004-01-16(金)

学問

学問とは何のためにするものなのか。あらためて考えた。そのきっかけは、司馬遼太郎の『燃えよ剣』を読んだからである。
ぼく自身、もともと新選組に対してあまりいいイメージを持ってはいない。彼らがいなければ明治維新がもっと遅れていたかもしれない。あるいは薩長が同盟を組むなどということもなかっただろう。
そういう意味では十分な功績を歴史上に築いたともいえよう。もちろん皮肉な話ではある。それだけ徳川の土台が腐っていたということである。
天然理心流などといっても、所詮は多摩の田舎剣法である。千葉周作の北辰一刀流とは、その考え方も規模も違う。
近藤勇はこの剣法の基本を「気組」であると表現したが、それくらいにしか言い表せない質のものであったと思う。
しかしとにかく彼らが活躍した時代があったということは、歴史上のまぎれもない事実である。
司馬遼太郎は特にこの時代を生き抜いた坂本龍馬と土方歳三が好きであったようだ。彼らを主人公にした作品には、大いに魅力がある。
最後まで貫き通した愚直なまでの信念を、司馬は心から愛していたからではないか。
それは学問を修めたものにはない、ある種の勘に頼るものであったのかもしれない。最後、函館五稜郭に籠った榎本武揚は土方のような人間を初めてみたことだろう。
ヨーロッパを自分の目で見、近代というものを体感した榎本にとって、土方は理解できない類の人間であった。新選組の副長に理論はない。同じ道場で稽古をした近藤が進む後をついていくだけだ。
幕府の最前線にたってしまうという歴史的任務も彼らの野心とは別に、偶然飛び込んできたものでしかない。
会津の屈強な武士も近代戦には勝てない。最後に切り込む白兵戦に持ち込むところまでの武器を彼らはもっていなかった。
司馬遼太郎は何度も書いている。人間は理論ではなく結局好きか、嫌いかであらゆる行動をするのかもしれないと。
どんなに学問を身につけてもそれが五臓六腑にまで染みこんでいなければ、その人間を根本から変えることはない。
学問は過去に遡行し未来を予見するためにある。しかし自分の身をまた限りなく守る防波堤ともなるものだ。しかしそれがたんなる理屈に堕してしまったら、それは空理空論ともなるだろう。徳川300年の間に旗本はまったく使えなくなった。彼らの学んだものとはなんだったのだろう。
勝海舟がいなかったら、江戸城での戦いがあったかもしれない。
学問には哲学がいる。逆にいえば哲学を持たない学問は、猿の知恵だろう。
人間の器量は最終的に学問でははかれない。だから人を判断するのは難しいのだ。
司馬遼太郎は土方歳三という男に一つの器量を見た。やがて倒れるべき自己を予見しながら、死地に赴いた彼の横顔には鬼神が見える。
この作品を読みながら、学問をつむとは何かということを、最後まで考えざるを得なかった。
哲学のない時代だからこそ、哲学を持った学問をまた必要とするのだ。

2004-01-07(水)

江戸的なるもの

子供の頃から、東京に暮らしているせいか、やはり江戸的なるものへの憧れが強い。一言でいえば「粋」の世界ということか。無理をしないであっさりと諦めるというのも、生き方の一つに入るだろう。
つまり引き際の美学ということである。もちろん、歌舞、音曲も嫌いではない。三味線の音は小さな時からずっと聞いていた。
祭りや御輿に対する愛着も深い。子供の頃はずっとそうした風景の中にいた。たくさんの香具師の口上や、小屋掛け芝居の様子が、まだ瞼の奥に残っている。
そのせいか、やはり歌舞伎のあの色づかいと音には心惹かれる。なんとも言えない渋い色があるかと思えば、引き抜きと呼ばれる早変わりの色の鮮やかさには、目を見張る。
また江戸情緒の残る町並みも好きだ。深川江戸資料館などへ行くと、当時の長屋がそのまま再現され、すぐに江戸の人間になれる。元々、町人の文化というものが好きなのだろう。それが落語への傾斜にもなっている。
また時に黄表紙本にひかれることもある。恋川春町が書いた『金々先生栄華夢』なぞというタイトルをみれば、これが芭蕉の世界とは異質であることがすぐにわかるだろう。江戸のキーワードはずばり金だ。貨幣経済が一気に進んだ社会の様子が、このタイトルからもわかるに違いない。
いくら金を使っても減ることがないという、パロディーに全編が満ちている。同じ金にまつわる話でも近松門左衛門や井原西鶴とは事情が異なる。
唐来参和(とうらいさんな)という不思議な名前の作家を主人公とした井上ひさしの小説とそれを舞台化した作品も何度か見た。
これも実に江戸的な世界である。
江戸という時代は全く戦争がなかった。太平の世、300年間を人々は謳歌したのである。混浴が当たり前であった風呂屋から、一歩外へ出れば、いくらでも娯楽があった。もちろん、宵越しの銭は持たない江戸っ子のことである。無理に散在をするというわけではない。
だからといってけっして不幸だというわけではなかった。武士がいかにも忠義を前面に出して苦しんでいる隙間をぬって、町人達はかれらの美学を生き抜いた。
火事に喧嘩に祭りに、人間の生き方の基本を見るような気がする。ハレとケの時間の使い分けが上手だった。
両国にある江戸東京博物館には、たくさんの展示品がある。今まで何度も留学生を連れていったが、一番楽しんだのは、どうやらぼく自身であったようだ。助六の人形、芝居小屋、日本橋。たくさんのジオラマ。今でも身体の中には江戸の血が流れているのを実感する。
高い建物がひとつとしてなかったあの頃の風景を一度、自分の目で見てみたい。すぐに溶け込んでいつでも暮らし始められそうな気がする。
江戸学と呼ばれるものが近年、盛んであるという。これも現代の効率優先社会に対するアンチテーゼと考えていいかもしれない。

2003-12-19(金)

本火、本水

芝居の世界では、舞台上で、本物の水と本物の火を使うことを、本火(ほんび)、本水(ほんみず)という。
野外劇では、薪能などごく親しまれているものの他に、歌舞伎にも多く取り入れられている。また夏の興行などで涼感をよぶために、水を使うことも多い。
しかし実際の劇場で水や火をつかうことはなかなかに神経のいることだ。殊に地方公共団体などが管理している多目的ホールでは、まず許可していないところの方が圧倒的に多い。
ひどくなると、足元の非常灯や、非常口のランプでさえ、一時的にもせよ、消すことは許されない。
さて、昨日みた「世阿弥」にも巧みに本火が取り入れられていた。能のかがり火と囲炉裏の火をイメージし、2つのシーンで使われていたのである。どんなに高価なライトを駆使しても、自然の火には勝てない。
おそらくその背景には揺らめくという火の本来もっている作用があるからだろう。人は火をみることで太古にも原始にも戻ることができる。
薪能の明かりもまさに、揺らめく中での幻想を作り出すのに大きな作用を及ぼしているといえよう。
しかし劇場側からすれば、火の扱いほど怖いものはない。火災を起こしてしまったら、元も子もないからだ。それだけに演出効果とリスクを天秤にかける必要にせまられるというわけである。
以前、野田秀樹の「キル」を見たときは、松明をかかげるシーンが何度もあった。本火が効果的だったのはいうまでもないが、本当に必要かどうか、ぎりぎりの検証がどこまでなされたのであろう。少し疑問が残ったのも事実である。
あの時は文部省からイギリスへ派遣された後の凱旋公演だったから特に許されたのかもしれない。
さて本水となると、やはり山海塾の公演がすぐに思い出される。「水卵」などというパフォーマンスでは、実際に水槽の中で踊るシーンも繰り広げられた。
しかしぼくにとって一番思い出深いのは演出家、鐘下辰男がひきいる劇団ガジラの公演「曽根崎心中」である。最後に平野屋徳兵衛が天満屋お初の首をしめるシーンで、突然、霧のような雨が降ってくる。
千葉哲也の演技は当時から光っていた。今日の活躍が約束されていたといえよう。
その水の美しかったこと。今でもこの時のシーンは忘れられない。照明が水に反射して、役者の身体を濡らしていく時間が実に幻想的だった。
しかし本水は使い方が難しい。ひとたび失敗したら、ただの仕掛けで終わってしまう。歌舞伎では同じ近松の「女殺油地獄」で実際に油を使ったという話を聞いたこともある。
いずれにせよ、本物を使うという決断にはそれなりの欲求と必然性が必要だろう。演出家はぎりぎりまで、自分の感性とのせめぎ合いを余儀なくされる。
その際、リスクと成果を常に天秤にかけて決断することは言うまでもない。

2003-12-17(水)

クリスマス

面白い記事を読んだ。最近の若いお母さんは殊にクリスマスを好む傾向が強いのだそうである。それに反して、お正月は嫌われているとか。クリスマスには夢があり、お正月はあまりにも現実的ということか。
子供の側からみると13歳が分岐点らしい。サンタクロースの存在を完全に知ってしまうのが、この年齢ということなのだろう。親はいつまでもサンタが実在すると信じられるような、心の美しい人間でいてほしいと望む。
しかし現実には13歳をもって、すべての期待は失われるのだ。実際にはもっとはやい時期だろうが、ここが最終のリミットということか。
最近では2カ月も前から、クリスマスの飾りをするデパートなどもあらわれた。また一年中、オーナメントを売っている店もある。
11月ともなると、通りをイルミネーションで飾り、夜には実に幻想的な風景が垣間見られる。
またお伽の国を標榜するディズニーランドでは、この時期、完全にクリスマスのアトラクション一色になる。ミッキーもドナルドもサンタの恰好をして現れるというわけだ。
ではなぜクリスマスなのか。ここで商業主義を脇において、その理由を考えてみるのも面白いだろう。
登場するアイテムは、プレゼント、ポインセチア、クリスマスツリー、サンタクロース、賛美歌と、実に多士済々である。これらがどこか異国情緒とあわせて、特にクリスチャンでない人にも快く受け入れられた理由だろうか。
赤い服、白い雪、さらにはグリーンのもみの木と、色のバランスも大変よい。聖夜と呼ぶにふさわしい数々の歌は、今や多くの人に歌われ、日本人にとっても親しみのある曲になっている。
それにひきかえ、お正月の不人気は目を覆うようなものらしい。特にこれといってすることのない退屈な日常と化してしまったのか。かつてはおとそを飲み、おせち料理を楽しみにしていた子供たちも、今や、形ばかりとなって、唯一の楽しみはお年玉だけである。
前から欲しかったゲームを、元旦から開いている店で買ってきては、一日中やり続ける。
主婦にとっても特に面白い行事ではなくなってしまったのだろうか。季節感が失われて久しいとよくいわれる。たこ揚げも独楽回しも、すべては過去のノスタルジーでしかない。
この国の文化は今後、どういう方向へ向かって変化していくのだろうか。家で迎えるお正月の風景も、最近は様変わりしているという。温泉や、ホテル、さらには海外へ出かけてしまう家族も多い。
しかし一方では大勢の人が初詣にでかける。
だが、これを単純に文化ととらえてしまっていいのかどうか。本来、古層に横たわっていたアニミズムも、神なるものへの畏れも、既に変質しまっていると考えることもできるからだ。
クリスマスとお正月、実に面白い対比ではないか。まだまだ考察の余地が大いにありそうである。

2003-12-09(火)

子供時代

あまりに唐突な話だが、子供時代をうまく過ごすことがいかに大切なことか、近頃しみじみと感じる。随分と年齢を重ねて思うことは、いかに子供時代が貴重であったかということだ。
あんな時代はもう二度とこないと考えれば考えるほど、光り輝いて見える。遊びの一つ一つが懐かしい。
いつまでもあの時代のことを忘れたくはない。
今の子供とは事情が違うといえば、それまでだが、それぞれの時代の中に、やはり子供時代というものはあるのだろう。たった2歳で死んでしまう子にもやはり春夏秋冬はあるのだという。
その意味でいえば、やはり春にあたる、もっとも輝かしいのが子供の時代ということになる。この時期をうまく乗り切らないと、本当の意味で芸術を理解する心は育たない。司馬遼太郎はよくそんなことを言っていた。つまり芸術は子供心の集大成なのである。
いい音楽であれ、美術であれ、童心に返って喜ぶ心がなければ、なんの感動もない。幼さの琴線が心の中にある限り、人は感動し続けられるのである。
かつて棟方志功が子供たちの版画の審査員をつとめたとき、どれをみても、本当に心はずませ、どの子もみんな天才だと嬉しそうに語っていた姿が彷彿と蘇ってくる。
では子供の時代を上手に過ごせなかった人間はどうなるのか。当然のことながら、人間の欲望にまかせて生きるという方向へ進むだろう。信じられるものがなかったのだ。あっという間に大人にさせられてしまったのである。愛情や恋愛よりも快楽へ、さらに金銭欲へと進んでいくのは、当然の結果だろう。
ある意味では不幸なことともいえる。それ以外に自分の貧しかった幼年時代を埋める手だてがないのだ。
もう一度自分の子供時代を思い返してみよう。そうすれば、どれほど現代というこの効率優先社会の座標が本来のものからずれてしまったかを、すぐに見て取ることができる。
それではどうすればいいのか。
塾やお稽古ごとに通ったからといって、すぐに貧しい子供時代と決めつけることもできないだろう。しかし急いで大人にすることだけはやめてほしい。情報過多の時代だけに、難しいことはよくわかる。しかし嬉しいことや、悲しいことを当たり前のように感じる人間を育てているだろうか。子供の気持ちになって考えているだろうか。
将来のために今我慢しろと言い続ければ、必ずつけが後で回ってくる。
そういう意味で、むしろ大人こそが今、本当の意味で自分の生き方を試され、問われているのもしれない。

2003-11-27(木)

相席

先日、ある美術館へ行った。ちょうどお昼時でもあり、そこの2階にある食堂は満員だった。こういう時、ちょっと相席をお願いするということは、よくある話である。
しかしどこの誰かわからない人の前で食事をするということは、極度の緊張を誘うものである。
というのも、食事というのは全く個人的な所作を伴うからだ。ある意味ではその人の全存在をかけているといっても過言ではない。
つまり食べ方ひとつで、その人となりが露見してしまうのである。どのような育ち方をしたのかということが、相手に気配で伝わってしまうのである。
たまたまぼくの前に座った男性とは、努めて目があわないようにした。向こうも気詰まりなようである。しかし挨拶を交わすというのも、そう容易ではない。
なぜ正面に向かうと、人は気詰まりになってしまうのだろうか。
ある社会学者の推察によれば、人間のテリトリーは縦に長く、横に短いのだという。
だからラーメン屋さんのカウンターなどで、横に他人が座った場合でも、それほどに緊張を覚えない。むしろ、ごく自然に融合するのである。
おりしも今年は小津安二郎生誕100年だそうだ。彼の大船調の映画は全て、同じ方向を向いた夫婦が人生を振り返るという構図でできあがっている。
代表作『東京物語』の中で、笠智衆と東山千栄子は熱海の海岸の防波堤に腰掛け、もうそろそろ国に帰ろうかと呟く。この時も二人はあくまでも同じ方向を向いている。もっともストレスのない会話の形態だ。
小津の映画が、なぜ人を癒すのかと考えてみた時、それは彼の構図の取り方のうまさによるといえよう。つねにローアングルでのカメラワーク、さらに黄金分割を使った畳やふすま、障子、家具などのカット、そして最後が、登場人物の配置にある。
これは心理的にも随分意味のあることと見えて、首脳会談などにも巧みに取り入れられている。すなわち彼らはけっして面と向かって話をすることはない。ほとんど横顔がみえる形で、椅子を配置する。そのすぐ後ろに通訳がつく仕掛けだ。
なぜ人間は前方にテリトリーを長く持つのか。これは大変に面白いテーマである。推論はいくつか成り立つだろう。やはり正面に対する意識は後方や、横方向とは明らかに違う。人間はつねに前を向く構造になっているからだ。
つまり前面に人がいるだけで、自ずと緊張感が増すのだろう。他にも脳の構造や、肉体の構造上の特性があるのかもしれない。あるいは認知の形式が違うということも考えられる。
いずれにせよ、前にすわるという形での相席は、いくら混んだとしてもやはりご遠慮こうむりたいというのは贅沢な望みだろうか。

2003-11-24(月)

死に筋商品

イトーヨーカ堂の鈴木敏文会長はメディアへの登場が多いことでも知られている。著作もかなりの数にのぼる。
ぼく自身、時々立ち読みをするだけだが、核心をついた言葉にはいつもはっとさせられる。その中でも「死に筋」という表現は、珍しいものだった。もちろん言葉自体を知らない訳ではない。
しかし死に筋商品をいくら置いても、客は見向きもしないというある意味では当たり前のことを書いた本には、今まで巡り会ったことがなかったのである。
客は安ければ飛びつくという時代ではない。本当に満足しなければ、財布のひもをゆるめないのだ。逆にいえば高くても納得すれば買う。商品構成を常に客の心理と照らし合わせていかないと、すぐに死に筋商品の山になる。
当然といえば、まさにその通りだろう。しかしこれを避けることのなんと難しいことか。
さらに優勝セールとか、消費税還元セールなどというものをしてはいけないという発言も興味深かった。こうしたものは一時のカンフル剤として、麻薬のような効果を持っている。
事実、イトーヨーカ堂でも消費税の還元セールをした時は、売り上げがあっという間に伸びたそうだ。
しかし麻薬は所詮、悪魔の薬である。その後がいけない。一番まずかったのは、従業員たちの心が荒れた点にあるという。売れ行きが落ちてきたら、また同じことをすればいいという甘えがどこかに潜む。それが売り場の雰囲気にどことなく反映され、規律がゆるむ。客への応対が荒くなる。
商品の陳列にもいい加減さが目立つ。
つまり麻薬は絶対に使ってはいけないというのだ。つねに消費者の心の動向を見ながら、ニーズにあわせる。死に筋の商品を絶対に店にはおかない。
天井の蛍光灯が床に映るまで磨く。トイレの点検。掃除。そうしたことの隅々に気を配って、やっとなんとか店として成り立っていくというのである。
消費者に提案し、新たなニーズを掘り起こすことが大切だ。だが、さすがの鈴木会長も、なかなかこの考えを従業員に徹底させることは難しいと呟く。
何が売れるのかではなく、何を消費者が欲しがっているのか。そこまで深く入り込んでいかなければ、どんな老舗も廃業へ追い込まれる。負け組と呼ばれるダイエーがどれだけ苦しんでいるか、目の前で見ているだけに、イトーヨーカ堂の戦いはまだまだ続く。
最前線で働いている人の言葉には千金の重みがある。何事にも繋がる貴重なものばかりだ。

2003-10-29(水)

電信柱のある風景

イタリア人に関する本を読んでいたら、いろいろなことを考えさせられた。
その一つに電柱がある。
日本中、あたりまえの話だがこのコンクリートの柱だらけである。試みに通勤途中の車窓から外を眺めていると、とにかくその数が多いことに気づく。これほどあるにもかかわらず、普段、ぼくたちは全くそれを見ていない。というよりその存在を意識していない。実に不思議な話である。
イタリア人達は、この電柱を地上から消すことにことのほか熱心だという。本当かどうか知らない。しかしそう言われて、周囲を見回すと、なんという数の突起物に囲まれていることだろう。空恐ろしくなってくる。
現代でこれほど空気のように存在している人工物はないかもしれない。とにかくあたりを睥睨し、闊歩する勢いである。
それほどの存在でいながら、ぼくたちは全くそれを気にしていないのだ。せいぜいビラが貼られるか、立て看板の餌食になるかといった案配である。
もしこの電柱がなかったら、どんな風景になるのだろう。さぞやさっぱりした鮮やかな景色だけが残ることになるのではないか。
ここまでくると、劇作家、別役実がなぜあれほど電信柱にこだわったのかが、少しは理解できそうだ。この物体くらい、日常性を秘めたものはないのではないか。彼の作品には必ずと言っていいほど、電柱が登場する。
それを見ているだけで、ぼくたちはそこにうごめく人々の日々の暮らしを連想する。小市民のささやかな日常だ。
もう一度、見えてないはずのない電線と電信柱に着目してみよう。イタリア人たちが、どうしても地上から消し去りたかった理由が、見えてくるかもしれない。
高い尖塔のある寺院の脇に、無粋なこののっぽのでっぱりはやはり似合わないのだ。

2003-10-17(金)

将の決断

星野阪神監督が辞任を表明した。新聞には様々な人のコメントが掲載されている。
全く信じられないという人もいるし、原巨人軍監督との最終試合の時にはもう決めていたと発言する人もいる。
もちろん体調が悪いということもあったのだろう。
しかしもっと他のいろいろな原因があったと考えられないこともない。
原の辞任はやはり重かったに違いないと思われる。読売グループ内での人事異動だと言われてしまっては、急速に愛情が薄れるのもやむを得ない。
長い間在籍していた心の故郷、中日から阪神へ移って2年。名古屋の人も複雑な心境だっただろう。あたたかい気持ちで送ってくれた古巣の人々に向かって、言いたいこともあるに違いない。
大阪のファンは名古屋の人たちとは違う。もしペナントを落とすようなことがあったら、どうなっていたか。
それでも今年は優勝できたからまだいい。来年はどうか。原の去就をみていれば、今の球界の現状がよくわかる。川相選手でなくても辞めたくなるだろう。
スポーツをする人間の心がどこまで理解できているのか、疑問である。上にたつ人間は常に孤独である。最終決断をつねにしなければならない。
星野は不安にかられたのかもしれない。
それ以上に、今の球界に幻滅したのかもしれない。今後はフロントに入るという。巨人寡占体制にひびが次々と入っている昨今だ。
選手は次々とメジャーへ流れていく。今年のオフの話題も賑やかである。ヤンキースへ移籍した松井選手は、初年度からワールド・シリーズに出ることになった。
将は決断をしなくてはいけない。
日本シリーズを前にしたこの時期の辞意表明は、球界の問題の根深さを露呈しているとはいえないだろうか。

2003-10-10(金)

虚弱化

耐性が弱い。これは現代の子供に対して、よく大人が使う言葉である。ひとつのことをじっとやり続けることができない。教室でも椅子に座っていられない。
人の話を黙ってきくことができない。
しかしこれは子供だけの問題なのであろうか。
最近のコンビニはあまりに商品の入れ替えが激しすぎるという声をよく耳にする。1ヶ月単位で棚の中身はどんどん変わっていく。消費者のニーズを的確に捉えているといえば、恰好はいいが、実はメーカーに消費者が踊らされている側面もある。
これが次のトレンドだといわれれば、ついその気になってしまうのがぼくたちの心理なのかもしれない。
つまりニーズの喚起という言葉に促され、その実、目は次第に鈍磨しているのだ。つまり選択眼が虚弱化しているのである。だから逆にブランドの忍び込む余地もある。
新しい味だといわれて馴らされ、また1ヶ月後には次の新しい味が現れる。この繰り返しだ。自分から能動的に何かをするということがない。いつも待ちの姿勢だけをとっていれば、最新のものが手に入る。
まるでフォアグラになることを期待されたアヒルのようではないか。無理矢理つめこまれた食事を拒否する自由さえない。
我慢することができないのは、本当のことをいえば大人たちなのかもしれない。
誰もがお仕着せのコースに乗りたくてうずうずしている。そうした人々が見えない焦りを常に持ちながら、安住の場を求めている。しかし簡単に、それが見える時代でもない。
やがてこの繰り返しの中で、無意識のうちに虚弱化していくのだ。
気がついたら、自分の嗜好を全て失っている。
子供たちだけを責める以前に、自らを責めなければいけない。
そうでないと、本当に大切なものを見失ってしまうだろう。
たっぷりと太らされた後に、肝臓をとられるのだけは、ごめんこうむりたい。

2003-09-24(水)

償却済み

『償却済み社員、頑張る』という安土敏の小説を読んだ。筆者はスーパー、サミットの元社長である。また社畜という言葉を生み出した人でもある。
随分前のことだが『小説・スーパーマーケット』という作品を読み、この業界の裏側を垣間見ることができた。
今回の小説は大手商社を部長で定年した男が、途中でやめた人間達と偶然、出会うというところに面白さがある。それも60歳を過ぎて、手に入れようとした運転免許にからむ自動車学校での話だ。
まだ7月に出たばかりの本である。なかなか考えさせられる内容だった。
ある時期から企業は「財産」だったはずの「人材」を、どんどん捨て始めた。何十年もかけて育てたはずの「人材」を、どうして惜しげもなく捨ててしまうのか。
人間は時間の経過とともに経験を積み、価値が上がっていくものであるという前提が変わってしまったのかもしれない。
人間も建物や設備と同じように減価償却の対象になったと考えれば、確かに話は分かりやすい。
この物語は、ある大企業が捨ててしまった社員たち、つまり償却済社員たちが、その企業の外の世界で、頑張って活躍していくという話である。
総菜屋の社長として活躍している男、自動車学校で指導員をしている女性、またそこの営業社員。それぞれが自分の柄にあった仕事をし、生き生きと生活している。以前の商社にいた時とは全く違う横顔をみせるのである。
減価償却とはいえ、簿価というものも残る。詳しくは知らないが、どんなものでも10%の価値は残るとか。まさに償却済みの社員であっても、そこにはまだまだ価値があるわけだ。
『クビ論』などという本が売れ、年収300万円で楽しく生きていくための本がベストセラーになる昨今である。しかし時代に流される必要はない。人間の存在はあくまでもかけがえのないものと考えるべきだろう。

2003-09-07(日)

アリ地獄

アリの巣があちこちに出来て、葉が枯れる。そこで甘い匂いとフェロモンで彼らの好む餌を食べさせ、それを巣へ運んだ頃、薬が効いて死んでしまうという製品を買ってきた。
なるほど効果はてきめんだ。もの凄い数のアリが餌を求めて、小さな箱のまわりにたかってくる。
どこにいたのかと思われるような数だ。俗に蟻走感という。なんともいえない気分の悪さを感じる。しかしこれも植物のためである。
最近はゴキブリ用にも似た商品があるという。一見おいしそうな香りを放ちつつ、その背後にはたっぷりと毒がしこんである。
警戒せずに食べ、巣ごと全滅するというところが、この商品のミソだろう。まったく人間にあってはひとたまりもない。
しかしアリたちの様子を見ながら、ぼくはすぐに人間のことを想わざるを得なかった。
この商品と同じものを、神がつくりたもうたのではないかということだ。
たとえば、エイズ一つとってみても同様のことがいえる。最初は人間を快楽で釣っておいて、その後、苦しみだけを与える。やがて突然の死が待っているわけだ。
かつて旅行したアフリカ南部の国々では、実に人口の2割がエイズ感染者だった。彼らは母子感染によるものが多い。
なんの知識もなく、生まれた時からこの病におかされている。最近やっとコピー薬の生産が承認された。通常の薬ではとても高くて、手がでないからである。
それでもかれらの手元に届くのかどうか、はなはだ疑問である。
さらには核。
これも一時は伝家の宝刀のような力を得ていた。科学者たちは開発の楽しさに紛れて、その背後に横たわっている大きな毒にまで、目が行き届かなかった。その後に起こった惨状を想像した段階で、開発は止まったのであろうか。
これもたとえは悪いが、中に特別香りのいいフェロモンがばらまかれていたとしか、言いようがない。
ほんの数百票の差で勝ったブッシュのアメリカは2年前の9月11日以降その方向をどんどん変えている。
元々あった体質がさらに先鋭化したといってもいいだろう。つい最近、国連機関にまでテロが仕掛けられた。イラクの治安は一向に改善しない。
アメリカ軍の負傷者はフセインが逃亡した後も増すばかりだ。
入り口は甘く、背後の毒は苦い。
まさにアリ地獄の様相を呈している。
どこに解決の糸口を探ればいいのか。
再び9月11日がめぐってきた。

2003-08-29(金)

知の価値

知識を得るということに、今日意味があるのか。これは大変難しいテーマである。確かに人間は学ぶことが好きだ。というより、新しいことを知るということは、それ自体が喜びともなる。
ところで最近の人気番組の一つに「トリビアの泉」がある。誰も知らない実にささやかな知識を披露し、それに対する驚きを得ようとするものだ。
ぼくはこの番組をはじめてみた時、大げさに言えば、これこそが今日の知に対する疲れを象徴しているのではないかと感じた。
すなわち現代の人間は意味ある知識に疲労を覚えはじめたのではないかと考えたのである。
21世紀の幕開けはまさに昨年9月11日のテロであった。あの時から多くの人の心の中に、ぽっかりとあいた穴はなかなか埋まりそうもない。前の世紀、人々は多くの知識を得、たくさんの科学技術や経済思想を生み出した。また一方ではマルクス主義が終焉を迎え、冷戦も終わった。
さらにあらゆる知が総動員された20世紀に、ぼくたちは一瞬で数百万人の命を奪う核までも手にしてしまったのである。
それは研究への熱意や知る喜びに支えられた営為だった。知がもたらす当然の帰結でもあったのだ。
しかし互いに等質の武器を持てば、その使用は不可能となる。二度と後にはひけない戦争へ突入してしまうからである。そこに昨年のテロが勃発した。
知ることは確かに楽しい。しかし知ることをいくら続けても解決のつかない問題が山のようにあることも、またぼくたちは知ってしまったのだ。
世界にはたくさんの宗教がある。その溝を埋めることは今日、容易ではない。知でその空白が埋められると考えている人はどれくらいいるのだろうか。
知ることよりも、もっと本質的な信じるという論理を超えた世界に人々は今、救いを求めようとしている。だが一方では神のない時代に、神学を捨てた者もいる。
知の獲得だけでは何も解決しないことが、誰の目にも明らかになりつつあるのだ。
そこへすっと割り込んできたのが、ささやかな愚にもつかない知識のひけらかし番組である。時には仲間うちのひそひそ話とでも呼ぶしかない、何の意味をも持たない知に、せめて遊びの要素をみたいという気持ちが理解できないこともない。
しかし、これを知と呼ぶのはあまりに危険だろう。
この状況をさらに進めていけば、まさに「ええじゃないか」の世界へたどり着いてしまう。ニヒリズムの渦に自ら飛び込んでいくことになるのだ。
改めて問おう。知には価値があるのか。
たくさんの評論家、知識人にさえ、もう「今」という時間は見えない。彼らに見えるのは自分の専門という小さな窓から覗き見る風景だけである。
今日知識人に対する疑念は強まるばかりである。尊敬されることのない専門家が、世の中にあふれかえっている。
それならばいっそ、知の価値は利益を誘導する時だけに存在するという試論も可能だろう。しかしこの結論はあまりにも寂しい。
21世紀の知はどこへ向かっているのか。哲学の時代と呼ばれて久しい。今ぐらい、世界を理解しうるだけの知の体系が必要とされる時代はないのではないか。

2003-08-15(金)

化粧

親の世代が確実に変化している。
小学生がたくさんの化粧品を買い集めているという報道をみるにつけ、あらためてそう感じる。
中学生、高校生にいたっては化粧も半ば、公認になりつつある。
むろん、値段がたかいものではない。せいぜいまとめて買っても1000円程度のものだ。
雑誌に掲載される通販が主流だという。マニキュアにペディキュアに口紅と小学生も忙しい。
親もこれくらいなら、かわいいし、自分の変化というものに真正面から向き合うからいいのではないかという。
豊かな時代の親だ。自分もそのようにして、青春時代を過ごしてきたのか。あるいは憧れがあったにもかかわらず、出来なかったことが多いのか。
実力の時代だと言われ続けて久しい。しかし現実に女性が社会に出る時、その壁は予想以上に厚いと言わなければならない。
俗にいうグラス・シーリングというものだ。壁はガラス製である。だから向こうは見える。しかしそこまで辿り着けない。
事実、女性が就職活動をする時、すぐ気づくことは総合職になることの難しさだ。希望はこの職種でも、現実の採用枠は驚くほど少ない。
最後の手段は一般職か、派遣社員だろう。それでも組織に入ってきちんとキャリアをつめればいい方である。
女性達は結局最後は実力より、外見だという判断に傾いていくのか。それが前述の化粧に繋がるとしたら、少し怖い話だ。
これはあまりにも短絡的な結論だと言ってしまえばそれまでのことである。
今までは結婚という選択肢もあったが、やはり仕事をとりたいという女性達も多かった。
クロワッサン症候群の残したものが、やはり最後は女のかわいらしさに戻るというのでは、あまりにも寂しい。それを直感的に悟った母親達が、娘の化粧を容認するのだとすれば、それもまた怖い話ではある。
あれこれいっても、女の武器は外見にあるのだということになってしまったのでは、週刊誌の局アナ特集と同じレベルに戻ってしまう。
若い親たちがそこまで感じ取って今の行動をしているのかどうか、ぜひ知りたいところである。

2003-08-11(月)

自助と自愛

今日は少しだけ、日大三高と平安高校の試合を見た。最初、三高はなんということもなくヒットを打っていたのに、だんだん調子がおちてきた。
それというのも残塁が多い上に、エラーが続発したからだ。自分達でも信じられない結果だったろう。
監督の表情にもそれがよく出ていた。こんなことがこのチームにあるのか、という顔だった。ボークまで出てしまったのだ。信じられないことだろう。
試合というのはやってみるまでわからないし、終わってみるまでわからない。だからこそスポーツの醍醐味というものもある。
専用の球場と合宿所を持ち、ものすごい額の部費を使って練習しているチームであってもこんなことがあるのだ。詳しいことは知らないが、おそらくスポーツ推薦の枠などもあるのだろう。部員もかなりの数に違いない。
ところでスポーツはよく人生に喩えられる。勝っている時、流れにのっている時は、つい慢心しやすい。しかし負けがこんでくると、そこから立ち直って再度復活するのは、なかなか容易なことではない。
ではどうしたらいいのか。つらい時、じっと我慢をしなくてはならないことぐらい、誰にでも想像がつく。
しかしそれだけではだめだ。その時にむしろ力をつける努力をしなければいけないのだ。
かつて森鴎外は九州小倉に左遷された時、その地でアンデルセンの『即興詩人』翻訳に取り組んだ。
彼の語学力はこの時期、飛躍的に伸びたと言われている。今も名訳の誉れ高い。
しかし普通の人間に同じことができるのかどうか。
そこで真価が問われるのだろう。
たとえは違うが、ホームレスの人は一度こうした境遇に陥ると、なかなか這い上がれないともいう。
自分の中にあった緊張の糸がどこかで切れてしまうのだろう。だから怖い。
自助という言葉を呟くのは簡単だ。自愛という表現も同じである。
しかしこれを実践することの難しさは、想像を超えたところにあると考えた方がいい。

2003-08-05(火)

8対2

組織というものはすべからく、8対2の法則で成り立っているという。すなわちできる人間が2、その後をついていくだけの人間が8だというのである。
確かにそういわれてみれば、そんな気がしないでもない。常に2割の構成員は先を見て、組織の未来を考えている。
逆にいえば8割の構成員は、その日その日をただなんということもなく暮らしているのである。
そして不思議なことに、どのようにすぐれた人間ばかりを集めた組織でも、この比率はあまり変わらないという。
いわば黄金分割に近いといっていいのかもしれない。
考えてみれば、先見性を持つということは苦しいことだ。他人に見えていないことを考え、それを実現していく人たちなのである。
セブン・イレブンを日本で立ち上げたメンバーなどは、いわばこのジャンルに入るといえよう。社内の半端者数人だった。与えられた机と椅子は、最も隅にある日のささないところだった。
本家アメリカにもないマニュアルを作り出し、さらには冷蔵庫の仕様まで特殊なものを作り出した。
全て何もないところからの発想である。小分け配達を実現し、ポスシステムを導入する。
わずか数名の異端児達が作り出したコンビニが、今や日本の流通のメインになると誰が考えただろう。
当時の責任者は今や、親会社イトーヨーカ堂の会長である。
ニッチ・マーケットと言葉でいうのは容易い。しかしそこに目を向ける人間のストレスは想像以上のものがあるはずだ。
さて組織に入ったら、自分は2割になるのか、残りの8割になるのかを決めなければならない。
組織温存を中心にすれば、必ず芯から腐る。だがさりとて飛躍はもっと怖い。道路公団の醜態をみてみれば、そのことは一目瞭然だろう。首脳陣がどちらを向いているのかは、明らかだ。
いずれにしても日々、そのための場がぼくたちの前に用意されていることだけは間違いがない。
あとは決断を待つだけだ。
ただし誰のための組織であろうとするのか。そのことだけは絶対に忘れてはいけない。

2003-07-26(土)

創造

昨年、亡くなった田中一光の回顧展に行ってきた。時代を画する仕事をたくさんしてきたデザイナーである。
その生きざまをありのままに展示しようとする試みは創意にあふれていた。
たとえば、普通なら壁にそのままかけるポスターを、それでは軽みと透明感がでないという考えから、ペットボトルの壁面をわざわざ作り出した。
これは今回の回顧展を総合的にプロデュースした建築家、安藤忠雄のアイデアであったという。
しかし実際にペットボトルを数百もつなぎあわせる作業は困難を極めたようだ。ジョイント部分に特殊なプラスチックの横板をつくり、それに嵌め込んでいった。
その透明な壁面の裏側からも照明があてられ、実に明るい空間が現出された。
これは今回の展覧会の中でも、作品に匹敵する創造物であったと思う。
無印良品に代表される彼のデザインや、たくさんの演劇公演のポスターは懐かしいものばかりだった。
山崎正和、安部公房、井上ひさしなどの芝居のポスターを、ぼくはいつも何気なく見てきた。しかし田中はそれらを3日に1枚のペースで描いていたという。全てが彼の誇るべき作品であったのだ。
また文字についてひときわ関心の強かった田中は、タイポグラフィの創造という仕事にも取り組んだ。
光朝体と呼ばれる独特の字体を生み出したり、文字を全面に使ったポスターなど、味わいの深いものが多い。
安藤忠雄は、田中一光の仕事の本質について、さまざまな話をしてくれた。
彼は京都生まれの田中の仕事場へ何度も足を運び、古い文化のありようというものを学んだという。
自身、西洋を深く知る中で、東洋の美を認識したということも語っていた。
コンピュータ万能の時代に建築家が生きていく場所があるとすれば、それは機械にはできない人間だけの造形である。設計から構造計算まで、全てをコンピュータがしてしまう時代だ。
だからこそ、超えることは容易でない。
しかしそれをしなければ、これからの建築の未来はないのだと安藤は力説する。
講演の中でごく最近設計した美術館のことにも触れた。それは予算の少ない中で、悩んだ末の産物だったという。
すなわち夜は開館しない美術館の誕生である。照明費用を極力削り、日没とともに閉館するという究極の選択だった。
安藤の仕事にはいつも光への意志がある。それはあの有名な「光の教会」にも結実している。
大阪府茨木市にある茨木春日丘教会はあまりにも知られすぎている。十字架を光だけで表現した建築は実に美しい。
彼はあえて壁に十字の切れ目を入れた。自然の光が十字架をつくるのである。誰が今まで、こんなことを考えただろう。
機械にはできない人間の創造力である。
学ぶ姿勢を持ち続けることの中にしか、真の創造はないと何度も安藤は言った。
作り出すということの本質を、あらためて考え直すいい機会になった。

2003-07-13(日)

欲しい

欲望には際限がない。
しかし現代の人間にとって真に欲しいものを探すのも、また難しいことになった。
どの店へいっても商品はあふれかえっている。どれもが新しいデザインを競い、さあ買ってくれと声なき声を出す。しかし消費者にとって、本当に買う喜びがあるといえるのだろうか。
何かを買った瞬間に、もう一つの別のにすればよかったという後悔がすぐに生まれる。
自動車、カメラ、テレビ、パソコン、携帯電話などなど、すぐに形、機能がかわる。つい今しがたまで新品だったものが、すぐに過去のものになる。買い換えろとメーカーは脅しをかけるかのような広告をたえず打つ。
いつまでも古いものをもっているとおかしいですよ、と耳元で囁く。一方では骨董的な商品に人々はむらがり、他方ではブランド志向に走る人もいる。
しかし誰もが心の中で同じ文句を呟いているのではないか。
本当にほしいものがほしい、と。すなわち、欲しいという欲望をぼくたちは今失いつつあるのだ。欲しいものはひょっとすると、もうないのかもしれない。生まれた時から十分過ぎるほどのものに囲まれ、日々を過ごしている。
何が欲しいのかさえ、もうわからなくなっているのだ。全ては壊れたから買い換えているだけなのかもしれない。あるいはなくてもなんの痛痒を感じないに違いない。
シンプルライフを提案する人たちは多い。しかし自然の中に入っても、現代の人々はたくさんのモノを消費する。
ヒマラヤに残された残骸の惨めなこと。酸素タンクや缶詰が、何トンもうち捨てられていく。
全ては交換可能なモノばかりの時代になった。
ひょっとすると自分という存在も十分に交換可能なのかもしれない。だれでもやれる仕事、誰でもいい話し相手。
まさかと思う。しかし現実に起こる殺人事件は、本当に誰でもいいというものが多い。たまたまそこにいたことで殺されてしまう。理由もない衝動的な犯罪が圧倒的に増えた。動機がない。ただいらいらしている人の群れが、そこにはある。
本当に欲しいものとは何であるのか。真剣に考えなくてはいけない時がきた。

2003-06-24(火)

生魄

田久保英夫の作品を読んでいる。
彼の遺作となった『生魄』という作品だ。心の奥に潜む闇を書かせたら、彼の右に出るものはいない。今もそう信じている。
文章に品格がある。それが次の行に進もうとする力を読者に与える。短編の名手と言われた。2年前に亡くなったのが嘘のようだ。
読んでいると血を感じる。流れて流れ、滲み出る血の熱さを感じる。だから好きなのかもしれない。どんなに静かな女を描いても、田久保が書くと、その内奥に熱い芯があった。
そこに火のついた瞬間、女は化身するのだ。どれも背景に性を潜ませた文章である。しかし猥雑さは微塵もない。そこでは全てが生きていく哀しみと等価なのだ。
女性にもうまい書き手は多いが、言葉の質感が違う。そこが彼の独壇場である所以である。初期の頃の高樹のぶ子にも似た資質があったと思う。
さて今回の短編集でも「瑞月」という作品では最後に刃物をもって男を刺そうとする女が登場する。
はじめ女はためらう。過去に似たような過失を犯した記憶があるからだ。しかし男が「このまま刺すんだ」と呟くのにあわせて、刃物を持つ手に力が入る。
この部分の描写は怖い。
刺すことを強いた男の目には灼熱の太陽が浮かぶ。光の輝線が幾条にもなって飛び込んでくる。
妻を失った年老いた男にとって、生きていることは苦痛でしかない。そこにあらわれた女に嫉妬の感情を抱くことが、だから老人にとっては不思議でもあった。
しかしついに死を決意する。
田久保の作品の中では、死と性がいつも語られる。そこにしか人間の真実はないとかたく念じているかのようだ。
男は目を静かにつぶる。至上の瞬間だと思った時、不意に板床に金属の音がし、冷たい掌が額の上に置かれて、この作品は終わる。
何が伝えたかったのか。それは読者の想像力に負う以外にはない。
しかし豊穣な言霊は、明らかに読むものを勢いづかせる。
いい読み手になるのは難しい。しかしいつもそうした人間の一人でいたいと考えている。

2003-05-30(金)

エクセレント

いい企業小説は常に新鮮な視点を提供する。
城山三郎の『毎日が日曜日』以来、暇にまかせて読むことにしている。
つい先日も高杉良の『ザ・エクセレント・カンパニー』を読んだ。これはアメリカに進出した東洋水産の実話である。
東洋水産といえば、あのマルチャンで有名なカップ麺のメーカーである。その創業者、さらには現会長がどのようにしてアメリカでの販路を拡大し、工場建設を軌道にのせたのかという話である。
この本の縦軸がその成功物語であるとすれば、横軸は日米の文化の相違だ。たとえば主人公の一人は、野心家の女性のセクハラの罠に陥り、訴訟をちらつかされて会社に損害を被らせてしまう。
記憶に新しいところでは、かつてブリジストンが痛い目にあった。この時のセクハラ訴訟額は今までに類を見ないものだった。ほんのちょっとした油断でも、女子従業員によって訴えられると、会社の息の根を止めるほどの威力を持つといういい実例である。
この小説の中でもまさに罠にはめられた男性社員が訴えられ、1万ドルの示談金を支払うエピソードが出てくる。
裁判に必ず勝つという自信があっても、時間と弁護士費用、会社の信用などを考えると、示談ですませた方が安い場合が圧倒的に多い。逆に言えば、そこをねらって女子社員が罠をしかけたりもするのだ。
日本でも最近は裁判になるケースが多い。しかし慰謝料の額はまだそれほどに高いものではない。しかしアメリカでは本当に会社の屋台骨を揺るがしかねないものになるのである。
さらに文化の違いはそのレベルにとどまらない。当然、会社経営のありかたにも及ぶ。
ユニオンに介入され、あやうく会社が潰れるかもしれないという危機をも迎えるのである。幸いにして、辣腕弁護士の指示を守り、中間管理職にあたる現地スタッフとの意思疎通を密にして、この難局を乗り切る。
偶然、近郊の大学で教鞭をとっていた日本人の大学教授による集中講義などを通じて、意識改革もはかる。
また東洋水産がとる終身雇用システムの意義もここでは明らかにされている。従業員を大切にするという形態を守るため、リストラをしない生産体制をしく努力をするのである。
著者は、日本型経営はそう捨てたものではない、むしろ大いなる長所を持っているのではないかと、自信喪失気味の日本人に訴えかけてもいる。
彼の作品には近年、起業家とその周辺の人々を描いたものが多い。
今回もいろいろと考えさせられた。

2003-05-30(金)

降格

今週の週刊ダイヤモンドを読んでいたら、ちょっと面白い記事にでっくわした。もともとこの雑誌はサラリーマン向けのものだけに、彼らにとってはよほど奇異なこととうつったのだろう。
それによると、この3月、都内の公立校で教頭からヒラの先生に降格になった人が20人もいたというのである。
生徒にいたずらをしたり、公金を使い込み、その結果として懲戒処分を受けて降格になったのなら、さもありなんと納得もいく。
しかしこれは皆、本人の強い希望で行われた降格人事だったそうである。
サラリーマンになって誰でもが思うことは、まず出世であろう。最近の若い人はそれほどでもないとはいうものの、この階段を一つづつ上っていけば、給料もあがるし、裁量の枠もひろがる。もちろん責任もそれに比例して大きくはなるが、やり甲斐もまたあるというものだ。
しかし教員の世界は校長、教頭という管理職以外は全てヒラである。近年、教頭の下に主幹なるものが突如として生まれたが、これはまだ発展途上の鬼っ子といってもいい。
さて教頭はヒラよりも10%ぐらい給料がいい。しかしその労働時間は一日に12時間を軽く超える。まして55歳を超えたら、校長への道はそこで閉ざされるのだ。
さらには日々、職員団体との難しい交渉にさらされなければならない。中間管理職の悲哀ここにきわまれりというところだろう。
校長以外、頼る場所とてないわけだ。
近頃では教頭会なる組織も満足に開けず、休暇をとって集まるということまであるらしい。こうなってはもうやってられないと尻をまくる人が出てきても不思議ではない。
また近年、教頭試験を受験する教員も少なく、そのための準備としての主幹という業務の設置も背景としてはある。以前よりは随分受験年齢を下げたものの、それでもなかなか集まらないのが実態なのだ。
だがサラリーマンにとってはなんでわざわざ降格を願いでるのか、やはり謎のようである。
せっかく部長になれたのに、また課長や係長に自分から望んでなっていくのである。そんな馬鹿なことがあるか、というのが実感だろう。
会社によっては業績があがらない部署の責任者を降格させるということはあるものの、これは本人が望んですることではない。
となれば、やはり教員の世界は特殊だと言わざるを得ない。
サラリーマンが半分、揶揄するような気分でこの記事を読むのも、けだし当然と言わなければならないだろう。

2003-05-07(水)

漂流

今の日本の状態を一言で表現するとしたら、「漂流」が一番ふさわしいだろうという記事に出会った。
世界の人々は事実、そうみているようだ。長い不況、デフレ、株安、高失業率。いずれも日本が今まで経験してこなかったことばかりである。
最近は年収300万円でいかに快適に暮らすかという本まで出版され、かなり売れているという。
つい先日放送されたNHKの「クローズアップ現代」では、職人になりたがる若者が今増えているという現象をとりあげていた。特に昔からの技術を必要とする宮大工や、複雑な技巧を要する染色などの伝統を守ろうと志願してくる青年が多いらしい。
生きがいをどう求めるのか。真剣に考える時代に入った。
いわゆるスローライフのすすめである。収入だけが目標ではない。一生をかけてほんものの生き方を求めていく。
モデルのなくなった時代。あえて言えば、ビジョンの作れない時代である。
日本はどこへ漂流していくのか。
しかしそれでも若者たちは生きていかなければならない。いや、中高年においても状況は変わらないだろう。
時間は過酷である。少しも待ってはくれない。
その中で、どのように生きていけばいいのか。
もちろん正解はどこにもない。
誰もが自分で探さなくてはならない時代に入った。羅針盤のない船に乗って荒れた海を漂流するのに似ている。
どこかに陸地があるのか、ないのか。それさえもわからない。
漂流とは誠に言い得て妙である。
しかしむやみに感心しているわけにはいかない。もうぎりぎりの地点に、今さしかかっている。

2003-04-27(日)

多様性

さまざまな価値観があるということは、一見面倒で煩わしいことである。直截に割り切れればどれほど楽かしれない。
しかしあえて多様であることを今、求めなくてはいけない時代であると言えよう。悪の枢軸と名づけ、自分に敵対する者を武力を使ってまで、切り捨てていくアメリカの方法論には問題が多すぎる。
たくさんの価値を同じように認めあえるだけの心の広さがなければ、必ず文明は滅びていく。一神教的な世界観は怖い。
日本には幸い、たくさんの神がいる。というより自然がかろうじて残されている。NHKのアーカイブスを見ていると、かつての「新日本紀行」の世界は今やほとんどないといってもいい。しかしそれでもまだ自然を崇拝する潜在能力が日本人の魂の底には残っている。
新しい価値観はむしろ多神教の国からしか出てこないと書いたのは梅原猛だが、日本に対する興味や関心を持つヨーロッパの知識人は多い。
かつて電子機器と自動車だけを売り物にした日本にも、もう一つの売り物、すなわち日本人的感受性があった。わび、さびに代表される自然との融合を基調にした価値観である。
西部劇のように善と悪がこの世界をつくっている訳ではない。
誰もが同時に二つの要素を内側に持っているのだ。そこに着目しなければ、全てはアメリカ的二元論で押し切られてしまう。その意味で今回のイラク戦争に対して、正面からノンを叫んだフランスには、まだ哲学的な重層性があると見ていい。
というよりヨーロッパの思想はアメリカのものとはくらべものにならないくらい、複雑だ。
さて世界はどこへいくのか。次なる悪の枢軸はどこか。
世界の情報の95%を握っているのは、今日アメリカのメディアである。今回の戦争でも、基本的な情報は全てアメリカ経由のものだった。もっといえば、インターネットの中継地点にあたるプロバイダーもアメリカ資本がほぼ独占している。つまりあらゆる情報を盗み見ることが可能な場所にいる訳だ。
事実、そのような事件が今もいくつか続いている。
多様性をどこまで認めるのか。そのことに世界の明日がかかっていると強く思う。

2003-04-21(月)

創る

日野原重明さんといえば、今や知らない人はいない。最近、マスコミに登場しない日はないからである。本屋さんにいけば、彼の著書が平積みになって並んでいる。
聖路加国際病院の名誉院長としてだけでなく、老後に、どう生きるのかというテーマの、今や大先達となりつつある。
5時間しか眠らずに、階段を2段飛ばしでのぼる92歳の医者とあっては、メディアがターゲットにするのもごく自然なことだろう。
その彼が提唱した新老人という新しい名称には、随分多くの反応があったようだ。確かに人生100年の時代である。退職年齢と実年齢との乖離感は広がっていると言えよう。
そういう意味で、身体の自由が次第にきかなくなる年になったら、どのように日々を過ごせばいいのかというテーマは実に興味深い。
新老人とは彼の定義によれば、75歳以上の人で、自立し、老後の生き方を勇気をもって自ら選択し、過去の良き文化を次の時代に引き継ぐ役を果たす人。健やかな第二の人生を感謝して生きる人々。さらに毎日を想像的に生き、齢は老いても日々成長を続けるシニアをさす。
では具体的にどう日々を過ごしていけばいいと言うのか。
日野原さんは次の3点をあげている。
1)いつまでも愛し、愛される人間であること。
2)創意をもち続け、いつも何か新しいことを考え、実行すること。
3)耐えること。耐えることによって他人の苦しみにも共感できること。
なるほど、これはどれ一つをとっても、それほど簡単なことではない。特に75歳を過ぎて最も難しいのは創るということだろう。別の言い方をすれば始めることである。常に吸収していくという姿勢を持たなければ、脳はすぐに衰える。
新しいことを求めることや、それを自分のものにしていくことは、確かにつらいといえばつらい。自分にはもうできないと考えてしまえば、そこですべてが終わりである。
何にでもチャレンジする心、これが生きていく姿勢を示す原動力なのだろう。
そう考えてみると、何もこれは新老人だけに限ったことではない。何歳であっても創ろうとしない人、始めようとしない人は、すでに抜け殻と言ってもいいのである。
生き方の基本として、この提唱の意味をあらためて考えてみる必要がありそうだ。

2003-04-13(日)

名人

中島敦の『名人伝』を久しぶりに読み返して、考えるところが多かった。
紀昌という男はどうしても弓の名人になりたくて、趙の国随一の名人と言われた飛衛の元に弟子入りする。飛衛はまず瞬きをしないで、対象物をとらえるという訓練を施す。
紀昌は妻の機織り台の下に潜り込み、どんなことがあっても目を閉じない訓練に明け暮れる。
やがてそれに成功すると、次は小さな虱が蚕の大きさになるまでじっと凝視し続ける訓練をする。奥義の伝授がすむまでに5年を要した。
ついに名人の座を奪えると信じた紀昌は師、飛衛に戦いを挑む。しかしどちらも全くひかない。互いに射た矢は空中で激突し、ともに地に落ちた。
力の差がないことを知った両人は、互いにひしと抱き合う。
ここからが、この話の真骨頂だ。
紀昌はさらに弓の技を高めようと、山上で暮らす老隠者の元を訪ねる。この隠者は一羽の鳶が空高く舞っているところに、見えない矢を無形の弓につがえ、射落とす。
ここではじめて道の深遠なことを紀昌は実感する。彼はこの隠者の元で9年間、日々の修行をつむ。
都では紀昌が名人になったという噂を聞き、一度その妙技を見てみたいと人々が期待する。
さらに彼の家の屋根の上から、神気が抜けだし、かつての名人達と腕比べをしているという噂までたつ。邪心を抱く者は彼の家のそばを通らず、鳥は上空を飛ぶことすらしない。
名人紀昌は次第にこのような風評の中で老いていく。枯淡虚静の境といってもいいのだろう。
「我と彼との区別をせず、是と非との分を知らない」
40年間、紀昌はとうとう弓をとらなかった。
死を迎える数年前、ある招かれた人の家で弓を見る。しかし彼にはそれが何かわからない。これは何に使うものかと真剣に問う姿の中に、冗談でもなく狂気でもない、真実の名人の姿を人々は見る。
この話が伝えられてから、都では画家は絵筆を隠し、楽人は弦楽器の糸を断ち、工匠たちは定規とコンパスを手にするのを恥じたという。中途半端である自分を知っている人たちは、全く何もできなくなった。
名人とは何か。
この問いかけはどのようなことにでも通じるのではないか。
本当に偉い、優れた人物は偉ぶることもない。自分の力を誇示することもない。しかもその目は常に見開かれたままなのである。
見て見ない、聞いて聞かないの極値がまさにここにある。

2003-04-13(日)

事実とは何か

今回のイラク戦争で、もっとも注目されたのは軍事的な側面ばかりでなく、情報、すなわち報道のあり方だった。
アメリカ側の流す映像とイラク国営テレビの放送との間にはまさに180度の差があったのである。自国に有利な報道をするというのは、いつの時代も十分にあり得ることだ。ましてや、戦時においては当然のことである。しかしそれにしてもというのが実感だろう。
ここまで違う映像を見せられたのでは、どちらに真実があるのか皆目見当がつかない。フセインの像を引き倒したのは、結局アメリカの戦車だった。しかしアップになるのはもっぱらフセインの像だけである。これが「事実」なのだ。
アメリカはバクダッドに、何台の戦車が突入したといい、一方イラクの情報相によればそんな事実はなく、首都は平静そのものであるという。
さらにはフセインが突然通りに数人の警護兵を連れただけで現れるというおまけまでつけ、健在ぶりを示した。
大統領には影武者が何人もいて、それぞれの映像から声紋分析まで行われたらしい。
「事実」とは何か。あらためて今、このことを考えなくてはならない。
ぼくたちは山ほどの情報の中で正確に世界を認識していると錯覚しているだけではないのか。実態は何も見えていない。まるで巨大な象を盲目の人たちが手で探りながら、彼にとっての「事実」を語っているに過ぎないのだ。
映像は嘘をつく。そのことは厭というほど知らされてきた。
かつて朝日新聞の記者は沖縄の珊瑚礁に自分で傷をつけ、環境破壊がここまで進んでいると世界に配信した。これくらいの捏造はメディアにとって造作もない。
とするならば、自分自身にとっての「事実」をどう組み立てていくのか。そのための手段をぼくたちは持たなければならないだろう。
広いメディアセンターを背後に控え、常時インターネットや衛星電話を使える環境を整えながら、数百人の記者を擁して爆撃を続けるアメリカ。各国の媒体がつねに最新の正確な情報を得られると単純に喜んでいたとも思えない。だが、アメリカ側にどうしても擦り寄りがちな報道がなされてしまう危惧は否定できないのである。
イスラムの国はキリスト教の人間には理解できない要素を多々持っている。異教徒達にねじ伏せられたイラクの人々がどこまで、心を許すかも予断はできない。周辺国の動きも複雑だ。
おそらく戦後処理も、並大抵のことではうまく進まないはずだ。
イスラムの中もいくつかの宗派に割れている。クルド人自治区の存在もある。力関係が微妙に入り組んでいるだけに、下手に触れば、次の流血が待っているだろう。
かつてアメリカ統治下の日本にマッカーサーを送り込んだような単純な図式ではうまくいかないに違いない。ヨーロッパにも中国、ロシアにもそれぞれの思惑がある。なにしろイラクは世界第2の石油産出国である。それも良質な原油だ。
油田の管理一つをとってももう激しい綱引きが始まっている。結局、大量破壊兵器は出てこなかった。フセインの姿すらない。なんのための戦争だったのか。
誰のために多くの人が死んだのか。
もう一度「事実」を組立て直してみる必要がある。
時間がかかるかもしれない。しかしこの検証を早急にやらなくてはならないだろう。アメリカは本当に勝ったのか。国連との関係は今後どうなるのか。次はシリアなのか、北朝鮮なのか。それも今は皆目見えてこない。

2003-03-30(日)

秘書

昨日、書店で先日出版されたばかりの『立花隆秘書日記』(ポプラ社)を立ち読みした。著者は佐々木千賀子さんである。
知の巨人の日常と知的生産の技術のヒミツに迫るという副題の通り、なかなかに興味深いことが書いてある。1993年から98年の5年間、立花隆事務所(通称・ネコビル)に勤めたという名物秘書が、激動の日々を活写したものだ。
一番面白かったのは採用試験の部分。実に数百人もの応募があったという。その中から最終、数人にまでしぼり、最後に電話応対の試験をした。
とにかくどうしても立花隆に会わせて欲しいという一ファンのしつこい電話をいかに撃退するのかというのが、最後の試練だった。
後でわかったことだが、これは立花自身が仕組んだやらせの芝居だった由。採用後にパーティをやった時、このことを打ち明けられて大笑いになったという。
最後まで佐々木さんと競った有力候補との差は何かという話で、その人の方がキャリアがもっと上だったが、そんな偉い人をここで雇っては申し訳ないというエピソードなども笑わせる。この候補者は大変に有名な翻訳家だったそうだ。全てのキャリアを投げ打ってもネコビルで働きたいという話だったとか。
洋書の背表紙から、本のタイトルを書き出すなどという試験もあって、内容はともかく、秘書の仕事は整理することと見つけたりというところだろうか。
普段は不機嫌そうな顔をしているが、けっして機嫌がわるいわけではないので、きちんと用件は伝えて欲しいなどと言う、立花の横顔にも愛嬌がある。
それまで住んでいたところからはとうてい通えず、すぐ近くのマンションに数日後に引っ越す話や、本の整理の仕方、さらには多くの編集者とのつきあい、また「耳をすませば」というアニメの吹き替えの話が持ち込まれるなど、話題には事欠かない。立花は独特の水戸弁を話す。それが木訥とした雰囲気を確かに醸し出している。
結婚するときも奥さんに対して約束してもらったことは、いくら本を買っても文句を言わないことという一点だけだった。事実、神田で本を買ったがお金がないので、後で振り込んで欲しいなどというものが多かったそうだ。
その後東大の客員教授となり、仕事は多忙を極めていく。学生にはめろめろに甘い立花をフォローするのは、もっぱら彼女の仕事だった。
とにかく借りたものをすぐに持っていってしまう。催促するまで持ってこない。時間を守らない。忘れ物をよくする。はさみ一つでも元の場所に戻さない。
佐々木さんは現代の若者を実によく見ている。
ぼくにとって立花隆は『中核VS革マル』『日本共産党の研究』『アメリカ性革命報告』『宇宙からの帰還』『こんな本を読んできた』『脳死』『二十歳のころ』『インターネット探検』などで親しい筆者である。常に知の最前線に立ちたいという彼を陰で支えてきた人の存在がなければ、現在のような活躍はできなかったのであろう。
佐々木さんは今、株式会社沖縄映像センターにて、ドキュメンタリー等の制作、執筆活動に取り組んでいるという。ご活躍を祈りたい。

2003-03-12(水)

歴史

いつだったか、随分昔に読んだ加藤周一のコラムが、しきりに脳裡をかすめる。夕陽妄語と題されたこのコラムは、朝日新聞の夕刊に時々掲載され、今では何冊もの本になっている。
その中で一番印象深かった最後の一節は、何に関してものか、今はっきりとした記憶がない。確か湾岸戦争について言及した時の言葉ではなかっただろうか。そこにはこう書かれていた。
「人は歴史に学ばない」と。
この一言が今何度も思い出される。イラクへの攻撃はここ数日中にも始まりそうだ。あれだけ多くの国がNOを叫んだにもかかわらず、アメリカは威信をかけて、この戦いを始めようとしている。
一言で言ってしまえば、大国の傲慢だろう。自分たちだけが正しく、それ以外は全て間違っているという判断をなぜ下すのか。フランスのシラク大統領に対する支持が10%急上昇したというニュースもある。しかしフランスにも石油に絡む思惑がある。政治の世界はいつも建前と本音の間にあるのだ。
アメリカは国連の場で、これからどんな発言をしていくのだろうか。誰が彼らの発言に耳を傾けるのか。国連は有名無実になった。これから世界はどこへ向かうのか。
当然アメリカは短期決戦で片を付けようと試みるだろう。フセインを消し去った後の政権構想まで、綿密に組んでいるといわれている。しかしそれほど簡単なことだろうか。
アフガニスタンでもあれだけ手こずっているのだ。宗教と石油の利権がからみ、構図はそれほどに単純ではない。
そして、このイラク攻撃が終わった後に待っているものは何か。
当然、北朝鮮である。テポドンの脅威がある限り、日本は無条件でアメリカに追随する。この悲しさ。アメリカの核の傘にいなければ、何もできない日本。
つい先日、ヨルダンから戻ったばかりの知り合いの情報によれば、反日感情は日増しに高まっているという。ヨルダンには多額の資金援助をし、人を派遣してきた歴史があるにもかかわらずである。
アメリカはブッシュを数百票の差で大統領に選んだ。その結果の一つがここ数日中に出る。
もう一度言おう。
人は歴史に学ばない、と。

2003-03-12(水)

秒読み

パックスアメリカーナの時代がこれから何年続くのだろう。世界の覇者となったアメリカは今や地球の警察官でもある。
しかしイランに敵対していたイラクに対して、20年前は大量の武器や炭疽菌までをも供与していたのだ。この事実は重い。まさに敵の敵は味方の論理である。
フセインもしたたかだ。それほど簡単には落ちない。今まで何度もあった危機を乗り越えてきた。
さらには世界第2位の石油埋蔵量を誇るイラクはアメリカのみならず、ロシアや中国にとっても魅力的な国だ。南部にひろがる油田の開発権を承認するというお墨付きととともに、この2大国を味方につけた。
ロシアの製油会社を通じて、アメリカはイラクの油を買っている。この構図もまた複雑なものだ。ここにあるのはただ経済の論理だけである。他の産油国より安くて、良質であれば、経済の論理はそこに落ち着くのが当然である。
しかし世界貿易センタービルへのテロはアメリカに新しい恐怖を与えた。かつて自分たちが与えた生物化学兵器を、もし同じようにミサイルでばらまかれたら…。その恐怖がブッシュの目の前から消えることはない。
彼はフセインを全く信用していないからだ。イラクの反フセイン政権をクルド人でつくるのか、イスラム・シーア派で構成するのかも難しい。北部と南部にわたる彼らを統合することなど、簡単なことではない。フセインがもし倒れたとして、その後の政権構想が見えるかといったら、それはまったくの闇だ。
もちろんロシアも中国も油田の開発権を失いたくない。エネルギーはいくらあっても足りることはない。自分の国で使わない分は売ればいいのである。つまり圧倒的な金の卵だからである。
しかしフセインはその開発権にも揺さぶりをかける。ロシアは不安だ。本当にアメリカが攻撃をしたら、どうなるのか。
もう時間がない。安保理の採決なしに攻撃に踏み切ることも十分予想できる。しかしその後の見取り図は十分には見えない。アメリカは国連を無視するという大きな賭けにでるわけだ。
その代価がどのようなものであるのか。それも今は見えない。
宗教と石油がからみ、前方の視界はまったく不透明だ。しかし必ず死ぬ人が出る。それが戦争だ。アメリカ人は一番死をおそれる。それだけの武装兵器を手にした。つねに彼らは遠くから「きれいな戦争」を心がける。
かつてのベトナム戦争のようなのは絶対にしたくない。つまりゲリラ戦にもちこまれることだけは避けなければならない。これは至上命題だ。
トマホークのような最新鋭の兵器で遠くからピンポイント攻撃を繰り返すだろう。
しかしそれでフセインが倒れるのか。
いよいよ戦争が秒読み段階に入った。

2003-03-02(日)

未来

2日ほど前、NHKの教育番組で、興味ある特集をしていた。それはなぜ今の子供たちがあまり自宅で勉強をしないのかというものだった。
20年ほど前の高校生は平均95分、家で机に向かったという。それが現在の統計では55分である。
現場にいる教師の実感としてはもっと少ないかもしれない。今の勤務校でも全く机に向かわない生徒が、約半数近くにのぼっている。もちろんクラブ活動で疲れ、勉強どころではないという事情もあるだろう。あるいはアルバイトが原因かもしれない。
しかしそれだけとも思えない。いったいなぜなのか。
NHKでは最近、約2000人を対象に面接調査を行った。その結果、次のような回答を得たという。その最大公約数は、勉強しても未来が拓けないというものだ。以前は勉強をすれば、何かが変化した。確実な未来が見えたのである。それはいつも進歩であり、豊かな暮らしであった。
しかし今その親たちの世代がどういう状況にあるのか。実に95%の親たちがこの国の将来は暗いという回答をしているのである。
その雰囲気が子供たちに伝わらない訳はない。つまり子供たちの勉強時間が少なくなったのは、親世代の自信喪失の反映だというのである。親をみて、自分の明るい将来像をそこに重ねることができない子供たちが増えているのだ。
もちろん、これだけが理由ではないだろう。新しい娯楽も以前とは比べものにならないくらい増えている。しかしやはり問題は未来の構図にあるというのである。
救いはまだ中高校生の40%ぐらいが日本に未来はあると答えている点だ。しかし逆にいえば60%の生徒はこの国の未来を明るいものとはみていない。
だからというわけではないが、その中で勉強をして、大学へ入ってサラリーマンやOLになれというのかという悲痛な叫びも聞こえてくる。だったら今を楽しみたいと考えても無理はないかもしれない。
しかし若い世代の人たちが、まったく勉学を放棄したのかといえば、そんなことはない。好きなことならどこまでも関わっていくのである。また従来とは違った新しい職業観をもっていることも事実なのである。
ケーキや和菓子の職人を志向したり、割烹料理、フランス料理などの味をもとめて学ぶものもいる。またそれ以外にもゲームや、コンピュータ、福祉、医療、ボランティアといった今までにない新しい分野を切り拓いていこうとするエネルギーも一方にはあるのだ。
つまり若い世代は教室でただ覚えさせられだけの授業に、根本的な懐疑を抱いているともいえるのである。
大学受験だけが人生ではない。ましてや有名校に入学したことで、人生が保証されるほど、単純な時代ではないということも一方ではしっかりと見抜いている。だが親たちは過去の価値に縛られている。そこにしか安全な道がないような気もするのだ。
しかし現実は刻々と変化している。それを鋭く見抜いて行動しているのは、若い世代の人たちなのかもしれない。大人たちに造反有理を叫んでいる子供たちの姿がそこには垣間見えてくる。
新しいステージをどのようにして、一度限りの人生の中でつくりあげていくのかと若者たちは、今悩んでいる。そうした試みと勉強時間との関係を今回のアンケートは結果として示したといってもいいだろう。
子供たちの学業に対する関わり方をスチューデント・アパシーと一言では片づけられないのかもしれない。確かに難しい局面に日本もさしかかっている。
どうしたら未来へ向けての大人の自信と生きざまをみせられるのか。
先行する世代に課せられたテーマは想像以上に深い。

2003-02-22(土)

芝居

劇評家の野村喬さんが亡くなった。72歳だったという。
彼が『テアトロ』の編集長をしている頃、よく劇場でお見かけした。大学でも確か一、二度授業を聞いたような記憶がある。あるいは講演会だったかもしれない。
いつも地味な柄のネクタイを締め、一見すると銀行員のようだった。この人が演劇の評論を書くのかと思ったことがある。朝日新聞の扇田昭彦さんなどはまったく違う風貌の持ち主であった。
ぼくはあの当時、どちらかといえば、鈴木忠志のようなどこか無頼の匂いのする演出家が好きだった。だから、最初違和感を覚えたのだろう。劇作家でもなく、演出家でもない、宙ぶらりんの状態にも見えた。
あの頃、野村さんは毎日劇場に通っていたに違いない。だいたい芝居は6時半か7時頃から始まる。終わるのは9時過ぎだ。
仕事とはいえ、大変な激務である。だからというわけでもないだろうが、よくロビーで一服しながら息抜きをしていた。
時々あまり面白くない芝居の時に、ちょっとロビーへ出ると、よく彼にでっくわした。
大切なポイントだけを見て、しばらく休み、また劇場内に戻る。毎日がこの繰り返しだったに違いない。
しかし劇評を書くために芝居をみるというのはどうにもやりきれない。当時NHKラジオで毎月第4土曜日の夜、演劇時評をやっていた。その常連が野村さんだったのである。
あれだけ続けて見なければ評論家になれないのなら、やめた方が身体にはいいだろうとしみじみ思った。とてもあんなことはぼくにできそうもなかった。よっぽど好きでないとつとまらない仕事である。
雑誌テアトロはその後、女性の編集長にかわり、彼は早々に雑誌から手をひいた。あれから何年がたったのか。
月日のたつのがいたずらに早くなった。
ご冥福を心からお祈りしたい。

2003-02-22(土)

読書

今回、生徒の実態を少し調査しようということになった。とくに自宅での勉強時間について知りたいという欲求が強かった。1、2年生を対象に調査した結果、200人近い生徒が自宅での学習時間が全くない状態だった。さらに30分までの生徒が80人近くである。これだけですでに全校生の半分以上だ。
クラブで忙しいということも確かにあるだろう。しかしこれは少し異常ではないか。1時間以内という生徒がやはり100人位だから、ここまでで、ほぼ網羅してしまうことになる。
これで受験ができるというのもありがたい話ではある。それだけ大学入試が易しくなったということか。かつて大学受験を目指すには学年プラス2時間は予習、復習が必要であるとよく聞かされたものだ。今の生徒にそんな話をすると、化石がそこに立っているかのような目で見られてしまう。
今週の「アエラ」を読んでいて、最後まで本を読み通せる子供が最近きわめて少ないという記事に出会った。最後まで読めればもうそれだけで読書エリートなのだという。
時々、授業の後に感想文など書かせてみて、その内容の稚拙なことに驚いているのはぼくだけではないだろう。小学生や中学生の段階ではもっとひどいようだ。自分の感情をあらわすという基本的な作業が苦手になっている。特に読書量との相関関係は密接だ。
アニメとゲームに感情の発露を任せている以上、自分の感覚を養うということすら、不得手になっている。
授業で最近読んだ本の話を聞こうとすると、半年前に一冊読んだとか、ひどいのになると中学生の時に読んだのが最後だなどという話がふつうに出てくる。一方でたえず図書館に足を運んでいる生徒もいるのだ。まさに二極化しているといえるだろう。
長文読解と読書との相関関係はあまりにも密接なものだ。それだけに国語の授業も年々難しくなっている。以前なら教材で取り上げたものを読んでみようとする生徒がかなりいた。しかし最近はそれも厳しくなっている。
太宰、、芥川、志賀直哉、漱石、鴎外などは今や古典の部類に入ってしまった。しかし現実には彼らの小説を教材として扱っているのである。
授業の後、感想文を読むと、不思議な気分にさえなる。
国語という授業はたぶん読書の習慣と密接な関係を持つのだろう。本一冊を最後まで読めなくなった生徒の存在を考える時、これからの授業展開の難しさだけが肩に重くのしかかってくる。

2003-02-02(日)

時計

家の中にいったいいくつ時計があるのだろう。最近の家電製品には必ず一つは時計がついている。テレビにもラジオにも炊飯器にも、ありとあらゆるところでデジタルの数字が踊っている。
面白いことに、そのどれもが正確ではない。居間の正面にある大きなアナログ時計は当然のようにいつも進んでいる。
かと思うと、テレビの下のビデオについた時計は、狂ったままでなおりそうもない。脇のステレオについた時計も、1分は違う。つまり家中の時計は皆狂っているわけだ。
実に愉快ではないか。そんなに簡単に時刻なんか教えないぞという神の意志にもみえてくる。最近はパソコンにも時計がついている。こんなに正確な機械だからまさかとは思うものの、これが案外不正確である。というよりたえず調整していないと、すぐに狂う。まったく面白いものだ。
人間の生活にそれほどきっちりとした時間など必要がないのかもしれない。あせったところで、たかが1分か2分の違いだ。
先日ボリビアから戻った生徒は学校に一つも時計がなかったと呟いていた。もちろんチャイムなどない。出席もとらない。単位もない。
何が人間にとって幸せなのか、その基準が実はどこにもないのかもしれない。
最近、電波時計などというものが出現した。これは実に正確らしい。一日に2度、どこからか電波が飛んできて、調整するという。なんと無粋なものだろうか。しかし皆が正確な時間を欲しがるようになれば、携帯電話にも電波時計がお目見えするだろう。今のようにいちいち電話をかけて時間を合わせる楽しみもなくなる。
何がいいのか悪いのか。それもわからなくなってきた。

2003-01-12(日)

女神

棋士の世界は面白い。また彼らの話す内容には独特の味がある。大山康晴、升田幸三など、かつての名人の風貌に接しただけで、つい興味をひかれてしまう。
今日は、米長邦雄の本を読んだ。50才を目前にしてついに名人位を射止めた棋士である。彼の人生相談などをラジオで聴いたことはないだろうか。いつも実にユニークな回答をしている。
将棋もこれくらいのレベルまでくると、もう力の差はほとんどない。あとは気力の勝負である。つまり若くなければ勝てない。
中原誠に勝ち、ついにタイトルをとるまで、彼は7回も名人位に挑戦した。その気力の源泉はどこにあったのか。
米長は言う。「勝利の女神は謙虚と笑いの中にある」と。
とにかく明るくなくてはいけない。それに馬鹿でなくてはいけない。さらに大成の条件はプライドがあって謙虚なこと。つねに大局にたてること。広い視野でものをみられない人間は、所詮それまでだということである。
目が澄んでいるということがなによりも大切だともいう。羽生善治の目はいつもきれいだ。少しでも濁れば、すぐに負ける。将棋に勝因はない。あるのは全て敗因だけだ。必ず負けた方に原因があると説く。
また脳が汗をかくぐらいまで考えなければ、勝負には勝てないともいう。
笑える時は笑え、いずれ泣く時がくると升田幸三はよく言っていたらしい。勝つことは大切だが、勝つことで不幸になるという人生もあると、源義経を例に出して語っている。
運も実力、不運も実力なのだ。
すべての棋譜が頭の中に入っている棋士達にとって、次の手を打つということは、大海原へたった一人で舟を漕ぎ出すようなものだ。だれも助けてはくれない、孤独な作業なのである。だからこそ、彼らの言行はいつも光ってみえる。
運、鈍、根という言葉を米長邦雄はよく使う。特に難しいのは「鈍」だ。鈍物になるということは、並大抵の人間にはできない。
人はつい輝こうとする。そのほうが恰好もいい。見栄もはれる。しかしそれでは長くは続かない。出る杭はうたれる。そこが一番難しいところである。
勝利の女神に会いたかったら、いつも明るくいることである。不平をいえば、女神は去る。彼らがいやすいようにするために、家内も円満でなければならない。
どんな優勢になっても安全策はとらない。消化試合こそが命がけだという一つ一つの言葉が、説得力を持つ。
勝敗の鍵は心にある。平静であること、まさに明鏡止水の状態でなければ、絶対に勝てない。「聞こえて聞こえない、見えて見えない」という心境になること。それが最高位に近づく唯一の方法であったのだろう。

2003-01-02(木)

常識

朝、テレビを見ていたら、現在活躍中の新興企業の社長がたくさん居並んでいた。皆、それぞれに自社の方針を語る。何気なく見始めたが、つい最後まで付き合ってしまった。
元旦にもBSで似た趣旨の番組があった。こちらは大企業の勝ち組社長にインタビューしたものだった。
ぼく自身、かつて企業で広告などに携わっていたので、経営戦略には大変興味がある。
元旦はソニー、トヨタなどの中国戦略の話、カゴメがトマトと野菜に特化したジュース戦略に変更するまでの経緯、さらにケンウッドが最も赤字部門だったオーディオをそれでも続けていくにいたった事情などの話が、大変面白かった。
最近、企業はシニア・マーケットに重点をうつしていかなければ生き残れないというのが常識でもある。ゆっくりと聴けるラジオなどはその典型だろう。ニュースがゆっくりとラジオから話されるなどということが信じられるだろうか。
あまりにも早口で聞き取れないと言う苦情に基づいて開発された昨年のヒット商品だ。
さて、今日の話は100円ショップの大創産業、通信販売のジャパネットたかた、シニア・マーケットにうまく食い込んだワールド航空サービス、ドトール・コーヒーなど、今が旬の企業の社長のものばかりだった。
彼らの話はやはり面白い。毎日が闘いそのものだからである。従来ならば在庫は不良債権と認識されたのを逆手にとって大きく発展したダイソー。ジャパネットは売った後のアフターケアに徹底的にこだわった。手に触れられない商品であればなおのこと、信用だけが財産である。
24時間のアフターケア、分割金利自社払いの二つが、この会社の持ち味だろう。さらに安くてうまいコーヒー。それがひとときの心のゆとりを生むとドトールの社長は言った。またワールド航空サービスは70%がシニアのリピーターであるという。徹底的に細かく調整されたスケジュールで、無理がなく、全て添乗員同行とのこと。
今、日本では60才以上のシニアが一番お金を持っている。しかも使わない。この余力が今の日本を破綻させていない理由だが、しかしこれを使ってもらわないことには、景気の回復はあり得ない。
最後にどの創業者たちも口々に、常識の壁を破る以外に新しい道はないと話していた。
ニッチ・マーケットの時代と言われて久しい。しかし何がニッチなのかを見抜く目は、そう簡単にできあがるものではない。ドトールの社長は18才の時、パリの街角で見た50円のスタンドコーヒー店から、今の企業展開を考案したという。
どこに隙間があるのか。それをいち早く探せるのはやはり若者の目だろう。常識の壁を破ると簡単に口にしてみても、それを実践するには並々でない意志力が必要だ。

2002-12-28(土)

思い出

今日、久しぶりに床屋へ行った。店へ入りかけて、ふと時間が戻った。
子供の頃へである。
その床屋は線路の向こう側にあった。いつも踏切を渡るのが面倒くさく、そのまま線路を横切った。今考えると、なんて危ないことをしていたのだろう。
ご主人は足の悪い人だった。いつも笑顔で迎えてくれた。一月に一度、顔を出したから、よく覚えてくれていたのである。
いつもひょこひょこと歩いた。学校での話をあれこれとしながら、店の中の様子をそれとなく見た。奥さんと二人でやっていたのではなかったか。確か、そんな記憶がある。店の入り口に表札がかかっていた。しかしどうしても名前を思い出せない。顔だけはしっかりと覚えているのだが。
あの頃、30代の後半ではなかったか。あるいはもう40代に入っていたかもしれない。
髪を切ってもらいながら、なんの話をしたのか。何を笑ったのか。そんなことも全て忘れてしまった。しかしあの線路を渡って、道を一つ越え、床屋へ行くときの気分だけは、今も身体のどこかに残っている。懐かしい記憶だ。
一度耳掃除を強くされて、痛かったこともよく覚えている。
どうしてこんなことを突然思い出したのか。全くわからない。あのご主人はまだ生きているだろうか。ご存命なら、かなりの年配のはずである。
いつも客のいない時は煙草をふかしていた。前につんとはった髪が妙に印象に残っている。
時間というのは容赦ない。しかし人はその軸をいつでもさかのぼることができる。だから面白い。他の動物とは、明らかにこの点が違う。
人は、めいっぱいの過去に囲まれて、日々を暮らしているのだ。だから突然ふっと思い出に襲われる。その楽しさもまた格別なものなのである。

2002-12-21(土)

道祖神

毎日、バスに乗る。通勤のためである。途中のバス停でいつも見るのは道祖神だ。夫婦が仲良く肩をよせあっている。植木屋さんの敷地にぽつんと置いてある。
今、道路の拡張工事をしている。そのせいか道祖神はひどく頼りなげだ。もうすぐどこかへ引っ越さなくてはならない。昔は街道沿いにもっとたくさんあったことだろう。道が整備されるたびにどこか別の場所へ移転していった。それがどこなのか、不思議に知りたくなる。
神社や寺ならばまだいい。排気ガスを一日中浴びるようなところだったら、可哀想だ。
かつて信州の修那羅(しょなら)峠というところへ行ったことがある。ここには千体にもおよぶ道祖神がある。一つ一つみな違った顔をしている。写真もたくさん撮った。懐かしい思い出だ。
道祖神は昔からある民間信仰の一つである。夫婦円満、家内安全を祈って名もない人々が石に刻み、安置していく。子供や親が病に罹り、その全快祈願のためということもある。
特別な人間ではない、ただのあたりまえの死にゆくものとしての人間が一心に祈る。そのことに深く心が動く。
あどけない顔をした男女がいたわりあっている姿は、とてもほほえましい。弱い者同士でも、なんとか手に手を携えて生きていこうとする強い意志を感じる。
昔はそんなものに目が届かなかった。
道が広がるからだけではない。
ぼく自身も確実に変化している。

2002-12-12(木)

4年生

今週のアエラを読んで、今時の大学生はこんなものだろう、としみじみ思った。とにかく社会規範が急速に薄れている。
していいことといけないことの区別ができない。勉強以前の話である。大学がモラトリアムと言われて久しいが、そんな状態をとうに超えている。
ある大学では大声で住宅街を通り抜け、ゴミなどを散らかすものだから、正門だけを開け、他の門を全て閉めてしまったらしい。その上、警備員を配置して、正門以外には入れないというプラカードをもたせ交差点に立たせた。
携帯でカンニングをしたという某国立大学の話はつい最近のものだが、授業中の携帯は目に余るものらしい。ちょっと退屈になるとさっそくメールにいそしむ。あるいはゲーム。それにおしゃべり。
先生にいくら注意をされてもやめない。最近は授業参観をする大学まである。親が後ろに座っていればいくらかましになるかと思って始めたが、何も変化はなかったという。
交通ルールを懇切丁寧に教えないといけなくなったという話まである。
先日小学校の先生に話を聞く機会があった。高学年を持ちたがる先生が殆どいないという。とにかく我が儘で手がかかる。自分のことばかり主張する。我慢ができない。それは中学生、高校生にも似た現象として現れている。
教室の掃除をしようとしない。ガムをかむ。お菓子をもちこむ。机の上に飲み物を置いたまま、授業をうける。そうした行為に彼らは違和感を全く感じない。
それがそのまま大学に直結しているのだろう。
引きこもりの学生に対する家庭訪問。さらに保護者会は今やごく日常的な風景である。ここまでくると、まるで子供扱いだ。またそれに何の抵抗も感じないところが「今」なのだろう。
学力格差や経済格差という言葉が最近頻繁によく聞かれる。親の収入がそのまま子供の学力に反映するというものである。しかしここまでくるとむしろ規範格差と言わざるを得ない。親の躾がどこまでできているのかという、より人間として根本の問題にかかわる。
少子化の流れはいっこうにやまない。親は子供にきちんとした躾を施せなくなっている。高度経済成長の時代、何不自由なく育った彼らがその子供にどういう教育をしたのか。それが今全て、具体的な形であらわれているわけだ。
衣食足りて礼節を知るといったのは昔のことである。
中学生程度の理解力しか持たない「大学生」の粗製濫造が、社会に及ぼす影響は限りなく大きいと言わざるを得ない。
彼らを大学生と考えてはいけないという話もある。もちろんマスコミの報道はいつも過剰ではある。しかしあながちオーバーだとばかりも言い切れない。
よく見積もって所詮、高校4年なのだろうか。

2002-12-12(木)

ブーム

聞くところによると今はフォークソングのブームなのだという。なるほどテレビには随分とフォークの番組がある。かつて一斉を風靡したグループのメンバーたちが、いい年齢の紳士、淑女になって画面に登場する。その歌はなるほど人気を博したものだけに、みななかなかの水準である。
大人達はその画面を懐かしそうに見守る。それを子供達の世代も新鮮なものとして受け止める。時には一緒に口ずさむこともあるだろう。
お父さんやお母さんの青春時代ってこんな歌がはやってたんだ、と子供は子供なりに納得する。演歌と違って、メロディラインが現在のポップスに近いというあたりにも親近感を覚えるだろう。
もちろんコード進行は現在の曲にくらべると、すこぶる単純である。しかしそれが逆に新鮮にうつるのだから、面白い。今はなんとか期待を裏切る方向へコード進行させることにばかり頭を使っている曲が多い。また印税を稼ぐためには、カラオケで必ず歌われるサビも用意しなくてはいけない。
しかしかつてのフォークソングはそんなことを何も考えなかった。だから逆に新鮮なのである。
また癒しの効果も当然そこにはあるだろう。電気の音に疲れた若者の耳に、アコースティックなサウンドは心地よく響くに相違ない。
まさに時代の要請に合致していたのである。かつてのヒット曲をリメイクして成功した例も、今年はいくつか見受けられた。
父親や母親の時代が少しも見えなかった子供達にも、音楽を通せば見えて共感できるものもある。一緒に歌う中で、ある種の癒しも誘う。
疲れた時代に静かに寄り添う形で、フォークはブームになった。
しかし当然のことながら、過激なメッセージソングは聞かれない。今、人々はかつての穏やかな時間に戻ろうと必死になって苦闘しているのである。

2002-12-02(月)

富士

空気が澄んで、遠くに山々が見えるようになった。とくに富士山の姿は格別である。飛行機から見ても新幹線から見ても、不思議な思いがよぎる。やはりそれだけ日本人にとっては思い入れの強い山なのだろう。
富士は不二とも書く。二つとないという意味なのだろうか。似たような形の山は幾つもあるものの、あれだけのどっしりとした風格を持つものは他にない。だからこその不二なのだろう。
日本最古の物語である『竹取物語』の中にもこの山は登場する。天に戻ってしまったかぐや姫を慕うあまり、帝は最も天上に近いと思われた富士の山へ使者を送る。そこで不死の薬を燃やし、煙が天に届くのを見届けさせたのだ。
これも不死である。この山には死を超越する何かがあるのだろう。麓にはたくさんの湖があり、それが昔は一つであったという。何度もの噴火が五つに湖を分けたという話に神秘を感じないだろうか。
またその山の底を風が吹き抜け、今でもいくつかの洞穴を持っている。
常に零下に保たれるという不思議な場所だ。さらに近隣の樹海に入れば、磁気が完全に狂い、方向を全く見失うともいう。松本清張はこの樹海を見事に小説の中に蘇らせた。今でも年に数体の遺体が出てくる。やはり恐ろしい場所であることにかわりはない。
ぼく自身、かつて何度かこの地に泊まり、近くの山にも登った。西湖と樹海を見ながら、しばらくそのパノラマに酔いしれたものだ。
今年は妻の父母も連れていった。初めてということもあって、大変に感激してくれ、やはり富士の持つ力は偉大だと再認識した。
今でもたくさんの観光客を集める。もちろん、登山者も多い。お正月もご来光を拝みに来る人で、山頂はにぎわうことだろう。
北朝鮮に拉致された人々も、富士山を見た時、本当に日本に戻ったという実感を得たという。
「富士は日本一の山」という歌の文句は、実に言い得て妙というしかない。

2002-12-02(月)

にんじん

人間は哀しい生き物だ。一度その地位を得ると、なかなかそこから降りることを認めようとしない。しかしスポーツの世界は厳しい。力がなければ、すぐ降格になる。プロ野球もストーブリーグの話題は移籍と引退だ。今年も華やかな話題の陰で何人もの選手がやめていった。
昨日はサッカーの世界で名門広島がとうとうJ2に降格になった。ステージ優勝経験のあるチームが下に落ちていくのは初めてだそうだ。これも実力の世界ならではのことである。しかし落ちるチームがあれば、昇格する大分とセ大阪のようなチームもある。
だからはっきりしていていい。当然この両チームメンバーのギャラは上がることだろう。人間、にんじんがなければ勇んで進もうとはしない。
かつての古代ローマにも似たようなことがあった。奴隷達は戦いに勝つことで解放されるという条件があったからこそ、勇敢になれたに違いない。
俗にインセンティブという。何かの報償制度があることで、人はより前へ向こうとするのかもしれない。賞も賞金も勲章も、全てこうした類のものである。また最近では企業内でも研究成果に見合ったインセンティブを与えるところが出てきた。
逆にいえば、こうしたシステムが機能しない社会は自滅していく。かつての中国における国有会社しかりである。古い機械をいつまでもなんの工夫もなく使っていれば、新興の私企業に追われるのは火を見るより明らかである。
今回の共産党大会で、党中央はこうした経営者まで内側に囲い込むことまでした。まことににんじんの効果は絶大だ。
さて日本はどうか。簡単に結論づけるのは難しい。公務員の世界は相変わらず横並び意識が強く、少々のことでは動きそうもない。インセンティブもいくらかあるが、それもたかが知れている。企業はポストを与えたくてももうないし、賃金もこれ以上は払えない。むしろ下げる以外に手がなくなっている。
土地資産も株も、目減りする以外に道はない。とすれば、にんじんは一人一人が自らの心の中に育てる以外に方法がないだろう。
どうすれば豊かで穏やかな人生が送れるのか。どこに自分のインセンティブを見いだすのか。本当に今、そのことが真剣に問われている。夢のない社会は自然に滅んでいくのだ。
貴乃花だっていつまでも横綱でいられるわけがないのだから。

2002-11-23(土)

コラム

コラムニスト、山本夏彦が亡くなって、もう1カ月が過ぎた。近々、青山で追悼式があるという。実にうまい文を書く人だった。週刊新潮に連載していたコラムにはいつも唸らされた。誰もが思いつきそうな、それでいて誰も言わないことを、的確に文章化していた。
コラムはタイトルが命である。そして着想の卓抜なこと。この2つを除いてしまっては味がなくなる。「室内」という雑誌の編集兼発行人をしながら、よくあれだけの文を書いたと思う。
「こんなことは誰も言わないだろうから、一言書いておく」というフレーズをよく目にした。つまりそういうコラムだったのである。週刊新潮の記事とよくマッチとしていた。もう90才に近かったというのだから驚く。よくあれだけの眼力を持ち続けられたものだ。
普通ならとうに隠居して枯れている年である。
どこか鴨長明を想わせもする。「紅旗征戎、吾が事に非ず」と言いながら、それでも京都中を歩き回っていたその姿を彷彿とさせる。
さて、コラムニストといえば今から10年ほど前に亡くなった青木雨彦のことも思い出される。こちらはもっと軽妙で洒脱だった。週刊朝日の連載をいつも楽しみに読んだものだ。あれからもう10年が経つ。そう思うだけで、感慨がこみ上げてくる。
実に切れ味のいい文だった。どちらかといえば江戸っ子の文体といえるだろうか。山本の文体に少し粘り気があるとするなら、青木のはいつもさっぱりしていた。
これもそれぞれの気質というしかない。
惜しまれる才能が次々と消えていく。
安部譲二が自分とは正反対の極にあった生き方をした人だと山本の死を悼んでいる。彼にとってまさに人生の師だったのだろう。出逢いと別れはいつも紙一重である。

2002-11-23(土)

改行

文の極意は改行と句読点にある。これはぼく自身、文を書きながら自然に会得したことだ。言葉をかえれば、間(ま)である。当然、話の仕方にも通ずる。改行すれば、自ずからそこに空白が生まれる。改行のない文はべったりしていて読みにくい。
文は空白で読ませるのである。
句読点も同様だ。どこに点をうつのかというのは大変に難しい。ある人は呼吸だという。その人の肺活量に負うという話を聞いたこともある。ずっと読点をうたずに文を一気に読ませるには、よほどの質がなければならない。
近年の作家では古井由吉だろうか。彼の文からはますます読点が消えていく。一つの文のなんと長いことか。
さてこのところ志賀直哉の『城の崎にて』を授業で扱っている。今回読み直してみて、やはり名文だと感心した。たいした話ではない。電車の事故で死にかかった著者が、但馬の温泉へ湯治に行った時の、身辺雑記である。
しかしその目は実にしたたかだ。生きるものと、死んでいく者との間に境がない。生の中に死が潜んでいることを、実にみごとに描き出している。
内容はともかくとして、今回何度も読み返して驚いたのは、文章にあまり改行のないことだった。たいした枚数でもない作品だから、少ないと言ってしまえばそれまでのことだが、印象として、志賀は改行を多用する人だと思いこんでいた。
小説の神様という異名はもう今の人には通用しないだろう。しかし安岡章太郎などはやはり原稿用紙にそのまま原文を写して勉強したらしい。志賀直哉の息と間を体得するには、それが一番手っ取り早かったに違いない。
この小説には会話もそれほど多くはない。
『赤西蠣太』や『暗夜行路』などとはまた違った趣である。多分、雑記風にまとめるということを意識した上での、改行なのであろう。寂しいとか静かだという表現が全編にわたって目立つ。これも死を強く印象づけるための装置になっているようだ。
文章の極意をここにもまた一つ見たような気がした。

2002-11-23(土)

無知

数年前のことである。知人からシャコバサボテンの鉢をもらった。この花は見ればみるほど不思議な造形をしている。名前からわかるとおり、サボテンのような堅い葉の先から赤やピンクの花芽が出るのである。
冬になり始めるこの時期の花としては、実にポピュラーなものである。どの花屋さんの店先にもかならず置いてある手頃な価格の花だといえよう。
さていただいたその年は実に見事に咲いた。あまり水をやらなくてもいいので、日当たりのいいところへ置いてさえおけば、かなり長く楽しむことができた。
問題はその翌年である。なんとかもう一度咲かせようとちょっと欲張ってみた。シンビジュウムやシクラメンなども時々買うが、まず翌年までもったことがない。そこでこれだけはと意気込んだと想像して欲しい。
まずは本である。さっそくシャコバサボテンの本をあちこちの本屋で立ち読みした。
それによると、この花は短日植物といって昼の時間が短くなり始めると、花芽がつくと書いてある。
秋になったら箱などをかぶせ、夜はなるべく暗くするといいとあった。そこでさっそく「花芽製造器」と秘かに名づけた段ボールを毎夕、鉢にかけることにしたのだ。
しかしこれが結構大変な仕事だった。一日でも明るいと、花芽がうまくつかないと解説書には書いてある。そこで、ぼくは本当に真剣になって毎日お手製の花芽製造器を大切な鉢にかぶせ続けた。
するとどうか。しばらくしてかわいい芽が堅い葉の先に出てきたではないか。
妻もそれはそれは喜んでくれ、ついにその年もみごとな花を楽しむことができたのである。これは本当に嬉しかった。その翌年にはついに鉢まで大きなのに換えた。さらには専用の土まで買って、全部入れ直したりもした。また立派になって大きな花を咲かせてくれるのを夢見たのである。
と、ここまでは大変結構な話である。しかしこれには当然後日談があるのだ。
というのも「花芽製造器」の話をある人に話したら、大いに笑われてしまったからだ。
「そんなことしなくたって、外に出しっぱなしにしときゃあ、勝手に咲くよ」とその人は実に屈託のない表情で話をした。
「だって暗い時間を長くしないといけないって本に書いてあったけど…」
「それは業者の話でしょ。外は暗いから、夜はね。平気だからそのまま放っておいても。嘘じゃないから、なんともないって」
実にあっけない話だった。あまり反論するのもおかしいので、半信半疑ではあったが、その年は外に出したままにしておいた。
すると最初の心配などはどこへやら、しばらくすると実に見事な花芽がついているではないか。これには本当にがっかりした。あの数ヶ月の奮闘はなんだったのか。
妻はなあんだという顔をして、それからぼくの信用はがた落ちになった。
この鉢はその後毎年、実に美しい花を咲かせ続けている。もちろん今も外に出したままだ。
人間、無知というのはおそろしい。これは骨身にしみたぼくの失敗談である。

2002-11-13(水)

眼鏡

今4つ、眼鏡を持っている。そのたびに必要になって買った。最初は車の運転用に、次は読書用、パソコン用、職場用と知らずしらずのうちに増えた。外ではもっぱら二重焦点のものを使っている。
これならいちいちはずしたりしないですみ便利だからである。しかし馴れるまで少し時間がかかった。かつての遠近両用眼鏡はレンズの真ん中に線が入っていて、あまり見栄えがよくなかった。しかし今はそんなこともない。
昔、高齢の人が、よく眼鏡をはずして新聞を読んだりしている風景を奇異に感じたものだが、時々似たようなことを自分もしている。
なるほど歴史は繰り返すのだ。
しかしなんとかものが見えているうちはまだいい。
近頃はじっと凝視していても、何も見えないことがめっきり多くなった。
その一つが経済である。こんなに劇的な変化をするとはとても想像できなかった。実に情けない。もともと経済オンチのせいもあるが、それにしてもドラスティックな変化である。銀行のうろたえ方は見るも無惨である。
ある評論家によれば、表通りに今ある銀行は、遅かれ早かれ、裏通りのビルの地下に入らざるを得ないのだとか。そうでもしなければ、とても維持できそうもない。社員の給料を下げるなどという小手先のことではまったく対応できないのである。
どの銀行がどこと合併したのかさえも、今やわからなくなりつつある。
もっとひどいのが生命保険だ。これからどうやって支払いをしていくのか。一度に人が死ぬことはないから、細々とは続くだろうが、全面的な株安でまったく収入の道がなくなった。あとは国債にでも頼るしかないだろう。しかしそれも今や風前の灯である。
こんなことになるとは、というのが大半の人の実感だろう。
眼鏡なんて、いくら持っていても見えない人には何にもみえないという話である。

2002-11-13(水)

仕事

仕事と労働はどう違うのか。これは実に難しい。同じだという人もいれば、まったく別のものだという人もいる。
労働はどこか単純作業の繰り返しをイメージさせる。あるいはどこかで人間性を拘束し、無理強いしている姿を喚起させる。
簡単に言ってしまえば、チャップリンの「モダンタイムス」の世界だ。自分の働きが、次に何をもたらすのかが容易に想像できない。
逆にいえば、自分の工夫が、次のステップへ確実につながっていると思えるのが仕事なのだろう。つまり創造の余地が確実にあるということだ。
自分の考える道筋が昨日と違い、そのことが許される環境にあれば、それは仕事と呼べるのではないか。ぼくはできたらずっと仕事をしていたい。というか多くの人が当然そのことを望んでいるだろう。
しかし現実には労働の現場で働かざるを得ない人も多い。当然そこにも幾ばくかの工夫はあるだろう。しかしその範囲は自ずと狭いものに限定される。自分の一日の働きがどういう意味を持っていたのか。それが認識できないことほど、空しいものはない。誰だってそんな仕事はしたくない。しかし日々の暮らしの糧を得るために、労働を余儀なくされている人も多いのだ。
それでも働くということは、そこに本来的な楽しさが宿っている。だから面白いのだ。しかしどうせ同じように時間を使うのなら、より創造性のある仕事をしたいというのが、本音だろう。
さて教職という仕事は、どこまでやっても際限がない。これで終わりということがないのだ。そうした意味ではかなり仕事に近いのかもしれない。教師は一人一人の生徒にあわせて創意工夫を凝らす。それでもうまくいくことはそう多くない。
今日はうまくいったなどという授業は殆どないに等しい。そうした思いを抱きながら、それでもルーティン・ワークにならないように心がけている。もし前の日とまったく同じことをしていたら、それはもう労働になりつつある証拠でもある。
昨今は教員の世界も随分変わった。仕事より、より労働に近づきつつあるような気もする。大きな波にのまれつつある印象をどうしても拭うことができない。一言でいえば、それは効率性という名の怪物の仕業だ。
来年からは出勤時にカードリーダーを使うという。
教師を取り巻く環境も確実に変化している。

2002-11-03(日)

竹をしばらく見ていた。陽が緑の葉に反射して美しい。
竹は不思議な造形をしている。他の樹木とは明らかに違う。針葉樹でもなく、広葉樹でもない。どこか森閑とした静けさをたたえている。あるいは哲学的といってもいいのかもしれない。中国の七賢人を思い起こせば、そのことはすぐにわかる。
彼らを竹林に招き入れたものは、やはり竹の持つ不可思議な力という他はない。さらにいえば、どこか宗教的な匂いもする。禅寺などは好んで、この樹木を植えた。
鎌倉の報国寺や京都の嵯峨野も竹林がなかったら、まったく興ざめである。
何が竹にはあるのか。風に揺れる姿は、他のものでは表現できない。さわさわか、さらさらか。何か音をたてて、この世の無常をしきりに伝えようとする。
その生命力にも驚嘆すべきものがある。地下茎が縦横にはって、それが突然地上に姿をあらわす。その勢いがまた面白い。
萩原朔太郎は竹を人間の神経になぞらえた。あるいは自身の自意識であったのかもしれない。

光る地面に竹が生え、
青竹が生え、
地下には竹の根が生え、
根がしだいにほそらみ、
根の先より纖毛が生え、
かすかにけぶる纖毛が生え、
かすかにふるえ。

かたき地面に竹が生え、
地上にするどく竹が生え、
まつしぐらに竹が生え、
凍れる節節りんりんと、
青空のもとに竹が生え、
竹、竹、竹が生え。

竹は青い炎だという。確かに懺悔を呼び込む植物なのかもしれない。人は何かをその林の下で告白したくなるのだ。
日向でずっと上を見上げていたら、突然猫が舞い込んできた。葉の陰影が猫の表情を複雑につくる。そいつは最初ぼくの顔を静かに見ていたが、やがてつまらないという顔をして、ふっと消えてしまった。

2002-11-03(日)

期待

確率、統計の世界には期待値という考え方がある。単純に言えば100円の宝くじを買うと、それが幾らになって戻るかという額を計算する方法である。これは買う回数が多くなればなるほど、正確にその数値に近づいていく。
つまり1度目にもし1億円あたったとすれば、あとは何回買っても、2度とあたることはないというのが確率的な結論ということになる。
しかし世の中には面白いことがあるもので、何度も数億円あたる人もいる。だからギャンブルはやめられないのかもしれない。
競馬、競輪、競艇はたまたパチンコ、麻雀にいたるまで、人間はおよそギャンブルから逃れられないものらしい。やはり当てた時の喜びというのは何にもまさるのだろう。まさに不労所得である。だからいつまでたってもやめられない。いい時の記憶がいつも頭の隅にこびりついている。
競馬や競輪をやっている人の話をきいていると、いつも大穴をあてているのではないかと思う時さえある。しかし事実はまったく逆だ。ほとんど損をしているのである。たまに当たったりすると、それがまた忘れられない。
そして深みにはまっていくということになる。自分のポケットマネーで遊べる人は本質的にギャンブラーにはなれない。最後は家も家財道具も奥さんでもなんでも、売れるものはみんな売ってしまうというのが、この世界の究極である。阿佐田哲也こと色川武大には『麻雀放浪記』という名作まであるくらいだ。
さて、ぼくの祖父もそうした人間の一人だった。都内にあった家を3軒売り飛ばしている。幼いぼくはよく祖父に連れられて、中山競馬場などへ行ったそうだ。だからという訳ではないが、ぼくはギャンブルをやらない。
つまり期待値の世界を見てしまったのである。
ところで年末が近くなってくると、宝くじの宣伝にも力が入る。しかしギャンブルの基本は常に胴元が儲かるというものだ。これ以外には何もない。かつて教え子の一人が日本自転車振興会に勤めた。彼女はその後も絶対にやめようとはしない。それほどに給料がいいのである。
宝くじは買わなければ絶対にあたらない。しかし買えば当たるのかといえば、これはまさに期待値の世界である。夢などというきれい事ではすまされない。
あとはその数字を信じるかどうかだけの話だ。

2002-11-03(日)

人柄

人間というのは不思議なものだ。同じことを言っても人はまったく別の反応を示す。だから面白い。それを人間の徳というのだろうか。自然に人が集まってくるということが確かにある。
中学生の頃、そういう友人がいた。なんとなく側にいると安心できる。大きい。つまりはそういうことだ。身についた品格と言えるのかもしれない。
彼は三浪して、それでも医者になりたいという信念を曲げなかった。国立に何がなんでも入るという気概をいつも強く持っていた。しかしそれを殊更声高にいうようなことはなかった。国立の医学部は今も難しいが、当時はもっと狭き門だった。
今どこで活躍しているのだろう。時々無性に会ってみたくなる時がある。
さて品格ということで言えば、現在、北朝鮮の拉致問題で活躍している内閣官房の中山恭子参与もその一人だろう。
なんとなくあったかい。人当たりが柔らかく、それでいて筋は通っている。
きっと別の人が関わっていたら、拉致被害者も違う反応をしたかもしれない。最初は随分頼りないようにも見えたが、どうもそんな人ではなさそうだ。
彼女が「この問題は国としてきちんと対応すべきだ」と発言すると、そうだなとつい思わされてしまう。
芯がぶれないということも大切なことなのだろう。
ところで巨人軍の松井秀喜選手も似たような資質を持っているのではないか。報道でみる限り、フロントもそれほど文句を言わずにアメリカへ送り出すことになった。本人も随分悩んだはずだ。普通なら、かなりの不満が表明されるところだろう。
巨人ファンもみな応援しているという。少し人がよすぎるような気がしないでもないが、これも日本人の特性か。
やはり松井の持つ人徳のなせる技に違いない。
最後は、原監督もゴジ(松井のニックネーム)が行くなら全面的に支援しよう、ということになった。
他の人だったら、これほどすんなりいったかどうか。
まさに人柄のなせる技である。だから人間は面白い。

2002-11-03(日)

思いやり

人への思いやりはいつの時代でも大切なものだ。
しかし政治の世界でこの言葉が使われると、途端に色あせた無惨なものに変形してしまう。
今回の沖縄旅行でなんども耳にした言葉はこの「思いやり」であった。むろんそのままのいい意味で使う訳ではない。登場するのは「思いやり予算」という怪物である。
思いやり予算とは、日米安保条約と日米地位協定で取り決められている負担範囲を超えて、日本側が支払っている駐留関連経費を指す。
米国の財政難、円高などを受け、「日本の安全を守ってくれる在日米軍に思いやりの気持ちを持とう」と、日本人基地従業員の労務費の一部62億円を特別措置として負担したのがそもそもの発端である。
思いやりとはなんと便利な言葉だろう。日本の持つ矛盾をオブラートにくるんだつもりだろうが、逆に全てさらけ出してしまっている。
その後も米軍家族住宅の整備費、米軍が使う光熱費や水道代と日本側の負担は増え続け、2000年度には2603億円が計上された。
ほかにも日本政府は、基地周辺対策費など約1900億円を負担している。これらを合わせると在日米軍全体で計約4500億円、米軍人1人当たりに約1000万円を毎年、払っている計算になる。
それが今年は5000億円をついに突破した。
ぼくの税金もこの一部に使われている。
これは政府開発援助(ODA)のほぼ半額にあたる。国民一人あたり一律5千円に相当する。
バスのガイドさんは、にこりともしないで、思いやりという言葉を連発した。怒っていたのは佐喜間美術館の館長夫人だ。普天間基地を見おろす美術館の屋上で、メガホン片手に毎日、修学旅行生に訴えている。
しかし彼らは話よりもまず記念写真に夢中だ。
時、まさに県知事選の真っ最中だった。この結果がまた海上ヘリポートの問題に直結するのは間違いない。
沖縄には日本に駐留する米軍基地の3分の2がある。伊江島では近づくイラク戦に備えて、水タンクの落下訓練が行われ、民家のそばに間違って落ちるという事故もあった。
沖縄は美しい珊瑚礁に囲まれた光る島だ。
しかし現実はあまりにも重い。
たまたまバスの脇を通りかかったクリーニング屋さんの車の中には米軍士官の制服が山と積まれていた。もしアメリカ軍が本当に撤退したら、それで生計をたてている彼らは、すぐに仕事を失う。いまも失業率は本土の2倍である。
この事実も重い。

2002-10-23(水)

いのち

切り株が目の前にたくさんある。そんな情景を連想して欲しい。
道路の拡張工事で随分たくさんの木が切られる。そしてそれらの切り株の周囲には、アスファルトの舗装がなされる。いずれ、根まで全て掘り起こすつもりなのだろう。臨時の処置である。
すると半年を過ぎて、その切り株からたくさんの新芽が出る。それらは青々として自分がまだ生きていることを静かに主張している。
ぼくはバス停の前に放置されたままの切り株を見るたびに、いのちの証しだなとしみじみ思う。すごいものだと驚嘆する。よく雑草がアスファルトの隙間から雄々しく伸びているのを見ることもある。
彼らはけっして生きることを諦めていない。その姿が静かであればあるほど、逆に声高に叫ぶものより力強く感じられてならないのだ。人の命も、木の命も同じである。そこに生きようとする意志がある限り、彼らは生かされなければならない。そして光らなければならない。
最近しきりに起きるテロも、拉致事件のその後も考えれば考えるほど、いのちというものを考える契機になるのではないか。
朝陽に青々と輝いていた葉が秋になってやがて濃くなり、いつかさらに太い枝が出る。その後で再び根を掘りとってしまうのは、あまりにも酷い。
木々に強い生命力があるからこそ、地球はこのレベルでかろうじてとどまっているのだろう。
マングローブをいくら植えても、エビを根こそぎとってしまうような愚行を繰り返している限り、その根は土の中にもぐっていかない。
植えることも大切だろう。しかし自然のありのままの環境をどう、人間の生き方と調和させていくのか。
その方が今、一番の問題である。

2002-10-23(水)

昨日のNHKの番組は面白かった。日本の学生が中国へ行って、実際に女子工員たちと同じ条件で2週間働いてみるという企画だった。これはテクノセンターという広東省にある工場群がここ数年間、続けている試みだという。
学生は電子部品の工場で基盤にコンデンサーをつなぐだけの仕事を8時間実際に行い、彼らと一緒に食事をし、寮で寝る。その生活の中で、自分がいかに世の中を甘くみていたかということを実感させられるのである。
中国語を3年間学んだという学生は、言葉が全然伝わらないで、衝撃を受けていた。自分は今までいったい何をしていたのかという焦りは、彼女を以前とは違う方向へ向けたようだ。
大半の工員たちは月収8千円のうち、半分を家に仕送りしている。それが当たり前だというのである。彼らに質問されたある大学生は、自分のアルバイトの金額を口にすることができず、仕送りなどということを考えたこともないことを告白した。
どうしてそれで親孝行と言えるのかとさらに訊かれ、彼女はとうとう何も言えなくなってしまったのだ。
月8千円の収入は親の年収の半年分にあたるという。つまり親が一年かけて稼ぐ金額を子供はわずか二ヶ月で手にするのである。そのために娘達はまさに二ヶ月かけて2000キロの旅をする。
四川省から歩いて広東省まで歩いてやってくるのだ。汽車に乗るだけのお金がないのである。この距離は沖縄から北海道までに匹敵する。そしてやっと勤めた会社も3日休んだら、解雇されてしまうという厳しさである。
だから彼らはみな必至だ。妹や弟の学費や、生活費、さらには家の建築資金とその用途はさまざまである。さらに自分の能力も高め、やがては経営者側につきたいという夢をもっている。だから3段ベッドのわずか一畳の空間しかない寮の中でも、彼らは不思議なくらいに明るい。
将来に夢をもつということが、どれほど大切なことか。
日本の学生たちは、中国の熱気を肌で感じたようだ。自分が変わらなければ、何も始まらないということを口々に語った。
今の日本から熱が消えて久しい。
特に若い人たちは、なんでも見てやろうの精神を持たなければいけないだろう。
今こそ日本には情熱が必要なのである。

2002-10-22(火)

黄金の花

最近、沖縄の民謡ばかり聴いている。中国の音階なのだろうか。レとラの抜けている曲が多いようだ。
最近のお気に入りは『黄金の花』だ。これは実に多くの人が歌っている。
作ったては知名定男である。知名はネーネーズという女性のグループのプロデュースをしていた。
この曲にいちはやく反応したのは筑紫哲也だった。彼はこれを聴いた途端、不覚にも涙を流したことを告白し、この曲が経済成長著しい本土への出稼ぎへ出かけた多くの沖縄の人々を喚起させると書いた。そして彼自身が出演しているテレビ番組でこの曲を流した。
不思議な歌である。お金で何が買えるのかと素朴で純情な人々に訴えかけている。本当の花を咲かせなさいと呟き、お金で花を失うなと訴える。
特に何度も繰り返されるのがお金で花は咲かないというフレーズだ。高度経済成長、バブルにうかれ、その後のデフレに苦しんでいる多くの人にとって、実に耳に痛い響きをもっているのではないだろうか。
また曲中には、寿司や納豆食べてますか、という一節もある。寿司と納豆は本土に出かけた沖縄の人たちが出合う非沖縄的食物の代表なのだろう。
納豆は古い世代の沖縄の人たちにとって、もっとも口に合わない食物である。
その意味で、この寿司と納豆に代表される「本土」の食べ物が歌詞の中に入っているのは象徴的でもある。そこまでして、お金が欲しかったのか。そしてその先にどんな幸せがあったのか。今、ここで検証してみなさいと最後まで、やさしく歌は続く。
今どうしてこの歌が聴きたいのか。
そのことが実は一番大切な問題への切り口なのかもしれない。

2002-10-19(土)

肯定

作家、日野啓三が数日前になくなった。大きな人の死だ。ぼくにとってこの作家はいつもそばにいる存在だった。どうしても何も読みたくない時は、必ずこの人の著作を読んだ。どこか無機的な都会の風景と、それに触れる繊細な神経があった。
いつも実験的で、どうしてこんなに新しい試みができるのだろうと思った。ずっと読売の記者をしながら、執筆をするのは大変なことだっただろう。晩年は何度も癌の手術のために入退院を繰り返していたという。
一番思い出に残っているのは『此岸の家』『あの夕陽』『風の地平』などである。不思議な少女との出会いの結果、バイクにまたがり都心を走り回るシーンには、作家の業を感じた。いつだって安定することを嫌う人間がそこにいる。そのことがぼくを安心させた。
しかし日野は芯にあたる部分でいつも肯定への意志を失わなかった。友人、大岡信が高校で一級上の日野と知り合ったのは、ただの偶然だろう。しかしそれ以降のつきあいは、意志的なものだった。大岡は日野の端正な風貌にいつも憧れていたのではないか。
熱くなりすぎず、しかし冷静でもない。
彼の文章はいつも透明感にあふれている。それがどんなに厳しい状況を描いたものであっても澄んで清らかだった。そしてそのことに読者は安心感を得たのだ。
もう日野はいない。こういう文を書く作家は今、とても少ない。それだけ現代という時間を肯定することの難しさが増しているのかもしれない。
彼からはいろいろなことを学んだ。
今は安らかな彼岸での休息を祈るばかりである。

2002-10-12(土)

季節

立ち読みはぼくの楽しみの一つである。数ある新刊書の中に埋もれていると、まんざらでもない。というより心が躍るのだ。最近は座って読める書店もあるからありがたい。
しかしあまりにも本が多くて、どれを読んでいいのかわからないことも多い。書評だけではとても追いつかない。そういう時は直感に頼ることにしている。
俗に背表紙が囁きかけてくるというが、まさにあれだ。意外とこれが一番の方法だったりする。やはりその時の興味や関心に一番ストレートに反応するからだろう。
買わないと、本当には真剣に本を読まないという人もいる。これも一理ある発言だ。確かにお金を払ったらどの程度のものが対価として得られるのかということに、真剣にならざるを得ない。
図書館でちょっと借りてきたのとは比較にならないだろう。高い金額であれば、なおさらのこと、購入する前に悩む。それがまた目を肥やしていくことに通じるのだ。
今日も少し駅前の本屋をひやかしてきた。すると驚いたことに、もうカレンダーや手帳が並んでいる。昨今はしゃれたデザインのものを買うという傾向が強いらしい。不景気でカレンダーを配る会社が減っているのも一因だろう。
つい先日10月になったと思っていたら、もう月半ばである。なるほどカレンダーも店頭に並ぶわけだ。それより驚いたのが、年賀状のパソコンソフトがずらりと置いてあったことだ。
これにもびっくりした。最近は確かに多色刷りの年賀状が多くなった。デザインも様々である。ちょっとパソコンに取り込んで使えば、いろいろな年賀状ができる。幸い、日本には干支というものがあって、これは毎年かわるから、デザインも一新しなくてはならない。そこで新しいのを買ってもらおうという魂胆なのだろう。
これには思わず唸った。もうそんな季節なのか。高校や大学の入試要項が並べられているくらいなら、それほどには驚かないが、年月の流れは本当に早い。
朝晩の冷え方といい、夕暮れの迫るはやさといい、秋は冬への序章なのかもしれない。
柿も次第に色づいてきた。

2002-10-12(土)

結末

久しぶりに文学論を読んだ。3月に出版された河野多恵子著『小説の秘密をめぐる十二章』である。これは昨年、雑誌「文学界」に連載されたものをまとめたものだ。
河野といえば、ぼくにはすぐあの独特な髪型と『みいら採り猟奇譚』が思い出される。面白い小説だった。とにかく不思議な味わいの作家である。
さてそれはともかくとして、この本は小説の持つ秘密を解き明かしていこうというものだ。古今東西の小説を題材にして、どこがよくどこが悪いのかを解明しようというのである。
小説というのは単純に言ってしまえば、どう書いてもいいものである。主人公の名前も性別も出身も門地も学歴も、なんだって自由なのである。しかしそこには自ずとリアリティがなくてはいけない。
いい小説はとにかく読者を引きずりこむ力を持っている。そして時間の経過を感じさせない。さらに読後、形容しがたい味わいを残す。大げさにいえば、世界が今までとは違った風景に見えるのだ。
近年、確実にいい読者は減っているという。つまり作家を懼れさせる読者のことである。つまらないしかけをいくら組んでも、彼らは即座に見破ってしまう。
鍛えられて、作家も成長するのである。
さて、章中に「導入と終わり方」というのがあった。実際、文を書いてみるとこれほど難しいものはない。どう始めるかとどう終わらせるかについて悩まなかった作家はいないだろう。
題材に上げられているのは芥川龍之介の『羅生門』である。この作品は高校1年生の教科書に載っている定番なので、読んでいない人は少ないに違いない。
彼女は特にこの小説の終わり方がよくないという。たった一行を書いたばかりに、作品の余韻が崩れたと主張するのである。その一行とは何か。
「下人の行方は誰も知らない」である。
これがなければ「外にはただ黒洞々たる夜があるばかりである」で終わる。
さてどちらがいいか。
河野の論理によれば、一見これはすてきな文章に思えるかもしれないが、実質的な意味合いは何もない非力な一行で、玉に疵であるという。目の中にゴミでも入った気がすると書いている。最後の一行がなければ、際だってよく書けていたのにという訳だ。
実はここに創作の秘密がある。美意識の問題だ。
ぼくの個人的な意見をいえば、なくても確かにいいと思う。しかしあえて書きたかった芥川の心中はどうであったのだろう。それが知りたい。
こういう細かいところへのこだわりが、一生文学を志すプロの作家を生み出すのだろう。
あの井伏鱒二でさえ、死ぬまで代表作『山椒魚』を書き直し続けたという話である。
たかが小説などと言うなかれ。まったく空おそろしい執念の世界の産物なのだ。

2002-10-06(日)

海亀

昨日のNHK特集は大変興味深かった。天安門事件を契機にして中国を去った優秀な頭脳を、どう祖国へ迎えるかという政策を扱ったものだった。
たくさんの頭脳集団を総称して「海亀派」と呼ぶのだそうである。彼らは医療やITなど最先端の研究をして、そのまま留学先にとどまり、研究を続けたり、就職している。しかしみすみす彼らの頭脳を放っておく手はない。
高い給料や、好条件の無料住宅などをてこにして、彼らを招き寄せる施策が次々と打ち出されているのである。
昨日の特集では、特に医療機器ステントを扱う精密機械メーカーの社長の話が主だった。
ステントとは心筋梗塞などで心臓の血管がせばまったところに注入する金属製の網目状の円筒のことである。本当に小さなものだが、カテーテルで注入し、中で血管の大きさに合わせて膨らませる。
アメリカなどの特許にからまないで、どのようにいい製品を作り出すのかということに、ハントされた社長は、最大のエネルギーを使っていた。
彼はアメリカから営業部長候補を引き抜き、二人で頑張ってはいるものの、社員の意識にはまだ社会主義の時代の場当たり的な行動が目立つ。
他人任せにしていても、給料さえもらえればいいという態度だ。会議の時間さえ守ることがない。そうした環境を少しづつ変化させ、日本から心臓血管手術の権威を招いて、数多くの医者の前で、自社製品を使った公開手術をするというアイデアは、営業部長がアメリカで培ったノウハウの中にあったものだ。
しかしこれには当然大きなリスクがともなう。失敗したら、彼らの製品は見向きもされなくなってしまうからだ。外国製品より2割安いという価格面だけでなく、性能のすばらしさが証明されれば、販路拡大にとってこれ以上のチャンスはない。
手術は実にみごとなものだった。そして製品の優秀性も認められた。おそらくこの会社は中国全体にシェアを伸ばしていくだろう。
さらには心臓血管よりも細い、脳の血管のためのステントも開発しているという。これができれば、世界初ということになる。
いずれにしても海亀派たちの活躍の場はひろがる一方だ。それに横目で見ている国内で勉強した人たちの視線は鋭い。自分もチャンスがあったら外国へと考える人の数が多いのだ。そのための英語塾の盛況もものすごいものだった
就職難も広がりつつある。大学は出たけれどの時代がやってきた。
3年経って、成果があらわれなかったらアメリカへ帰るという社長は、子供と妻を中国へ連れてきていない。
中国はまったく変わらない意識の部分と、大きく変貌しつつある意識とが今まさにぶっかりつつある戦場のようなところだと言っていいだろう。

2002-10-02(水)

チョボラ

チョボラという言葉を最近よく耳にする。公共広告機構だったろうか。はっきりとは覚えていないが、どこかのコマーシャルで流しているのだ。日本語は縮めて使うのに適している言語だ。チョボラという言葉も、なんとなくユーモラスな響きをたたえている。
「ちょこっとボランティア」か「ちょっぴりボランティア」というところだろう。なんとなく不思議な音感である。チョコレートの新製品かとも一瞬思う。
しかし現場にいる人からみれば、ボランティアとはそんなに簡単なものではない。殊に日本では、「公」のために「私」が働くという思想があまりない。西洋ではキリスト教と深く結びついて、昔からごく自然なことであった。
もちろん仏教にもそうした思想はあるが、今日のようなボランティアというレベルにまでは達していない。
しかしちょこっとボランティアでもいい。実際やってみると、これはものすごいことだということが実感できる。心が爽やかになるのだ。ありがとうの一言がどれほど嬉しいことか。どんなことでもいい。試みてみることだ。
最近、NPOやNGOへ就職する若者が多いのも、こうした流れの一環だろう。明らかに経済的にはそれほど恵まれない。しかしそれでも生きがい、働きがいを求めて、多くの人がそうした組織に入っていく。中には大きな会社を辞めて、参加する人もいる。というより、最近はそちらの方が主流になりつつある。
時代は確実に変化しているのだ。長く生きるということが目的であった時代から、生きて何をするのかという選択を自らしなければならない時代になった。
老年と言われ、ひなたぼっこをしている世の中ではない。少しでも誰かの役に立ちたいという人間の、より根本的な欲求に根ざした行動だと言えよう。
おりしも、10月6日は国際協力の日である。今年も5日と6日には日比谷公園でたくさんのイベントがある。
娘も知り合いの手伝いにいくと言っていた。
「チョボラ」というはやり言葉だけが先行するのではなく、具体的な行動がこの国に根づきつつあることを日々実感している。

2002-10-02(水)

サプリメント

サプリメントというのはあくまでも副である。現に栄養補助食品という名がついている。テレビや新聞などの宣伝をみていると、いったいどれくらいあるのだろうかと空恐ろしくなる。全く底知れない数だ。
鰯の頭も信心からという表現が昔からある。
日本中が健康ブーム、ダイエットブームの今、サプリメントはまさにこの現象にぴったりの商品かもしれない。
昔ある知り合いで、ひたすらカルシュウムの入った水を飲んでいる人がいた。ぼくも何度かお相伴にあずかったが、まずくてとても口にいれるようなものではなかった。
しかしその御仁は、こんなにいいものはないのだという顔をして、いつもちびりちびりとやっていた。考えてみればヨーロッパの水などは、カルシュウムが多すぎて飲めないのである。それで仕方なく水を買う。それなのにわざわざお金を出して、まずい状態にして飲むのだから、ちょっと気がしれない。
ロイヤルゼリー、クロレラ、青汁なんかは全くの嘘ということもないだろうが、あれだけ広告を打っているのだから、実際はかなり安くつくれるものなのかもしれない。だが本当のところはまったく闇の状態である。
蜂蜜だって、どの花の蜜かによってまったく値段も違う。そうしてみると、青汁だって、どういう菜っぱからとるのかによるのだろう。しかしこの程度ならまだいい方で、次第にエスカレートしていくと、もう訳がわからなくなる。
つい先日も新聞を読んでいたら、NHKの朝のドラマに出ている主役の女性が、朝昼晩と違うサプリメントを服用している話が載っていた。ああ、さくらよ、おまえもかという感じである。
しかし本当に効くのなら、これは全くやぶさかではない。かくいうぼくも妻に半分騙されたような恰好で、この2ヶ月ぐらい、あるものを飲んでいる。ちょっと前はプルーンだ、プロテインだ、アガリクス茸だ、やれビタミンだ、ウコンだ、と叫んでいたが、ここのところ少し静かになった。つまり今のところ、やや落ち着きを取り戻したというところだろう。まったくへんなことにエネルギーを使う人である。
まさか覚醒剤が入っている訳でもないだろうから、まあ半分ぐらいは信じて飲んでいる。今はやりの血液サラサラ系のものだ。確かにあれ以来、調子はいい。血圧もそれほどには下がらない。つまりはだるくならないのである。しかし主食ではないものに、そんなにお金を使うのなら、鰯か鯖でも食べて、根菜類かホウレン草でもかじっていればいいのではないか。
いずれにしても豊かな国の暢気な話ではある。

2002-09-23(月)

破片

先日、ちょっと骨董市へ寄った時のことだ。あちこちの店をひやかしているうちに、なんだか訳のわからない陶器を売っているところにでっくわした。大きな板の上に並べられているのは、みな割れた茶碗ばかりである。こんなもの何に使うのかと思って値段を見て驚いた。皆、1万円以上もする。
わずか5センチ四方のもあれば、三分の一ぐらい原型を保ったものもある。ぼくはしばらくその茶碗のかけらに見入ってしまった。
素人の目から見れば、本当にどうということはない、ただのかけらである。そのままゴミ箱へもっていって、一巻の終わりというところだろう。しかしそんなものを売りに出そうという人がいて、また買おうという人がいるのだから、やはり世間というものは面白い。
あんまりぼくがしげしげと眺めているものだから、主人が向こうから声をかけてくれた。
「どうしてこんなに高いんですか?」
まことにドジな質問である。素人だということが、一目瞭然だ。
「それは唐津ですよ。ほら裏をみて、この厚みを感じれば、すぐにわかるよ。いいもんです、これは。こんなのはそんなにないんだから」
主人はしきりに手でかけらの厚みを強調する。
ぼくは当然眉に唾し、こんなものでは騙されないという顔をしなくてはいけない。
「これは割れていなかったらどれくらいするんですか?」
またまたドジな質問である。全くいい加減にしてくれという顔の主人は、
「ゼロが二つはつくなあ」とこともなげに呟いた。
「きちんとした箱に入れて、上から書いてもらえれば100万だね。これは江戸初期だから。唐津はなかなかちゃんとしたのがなくてね」
最後はご主人の述懐である。
そういうものかと思わず、ため息をついた。
しかどうみてもぼくにはただのかけらにしか見えない。最近はこういうのに苔などをのせて楽しむ人が多いのだという。
骨董の世界は奥が深い。何十年も騙されて、やっと目が肥えてくる。海千山千の中に入って、商いをするのはそんなに簡単なものではないに違いない。
ぼくは主人に礼を言ってから、その場を立ち去ることにした。
帰りの電車の中で、いったい破片になったぼくは幾らで売れるのだろうかと考えた。
隣で居眠りをしている妻にそう問うと、
「ばかね、そんなこと言ってるから、あなたには価値がないのよ」
妻は一言の元に夫を切り捨てたのである。

2002-09-21(土)

知は幾らなのか。先端的な研究に対して、いったいどれくらいの代価が支払われるべきなのか。日本も知は金になるという時代になったのか。
米カリフォルニア大学の中村教授による、青色発光ダイオードの特許権訴訟は今までの常識を覆すものであったといえよう。現在活躍中の研究者がかつて日本にいる時に行った自分の研究に対して、代価を支払えという裁判をおこしたのである。
しかも先日その最初の判断がおりた。原告は敗訴であった。つまり会社の中での研究の成果はあくまでも会社に所属するという判断なのである。
日本の技術者は今までどちらかといえば、組織の中で研究をするのが常であった。その成果は時に報償費として払われたものの、だいたいが会社の利益の元になった。しかし時代は明らかに変化している。
味の素の研究員がつい先日訴訟をおこしたのも世間を驚かせた。彼は人工甘味料を発見し、それが現在、味の素という会社の屋台骨を背負っている。一研究員の成果が、会社を支えているという事実はやはり重いだろう。
ある電子部品メーカーでは売り上げの1%を研究員にボーナスの形で還元するという制度を打ち出した。つまり社会の考え方が確実に変化しつつあるということだ。そういう意味で、この裁判の行方はまだ予断を許さない。
さて話を元にもどそう。
中村教授の論理によれば、自分の研究はあくまでも自分自身に属するというのである。
彼はカリフォルニア大で12人の研究員をかかえ、専門の高出力高周波電子デバイスの研究をしているという。以前日本の企業に勤めていた時とは全く違う好条件での誘いがいくらもあったらしい。
年収4000万に加え、数十億の研究費まで提示した大学もあるというから驚く。それに対して、日本の企業が彼に支払ったのは、わずかな退職金だけだった。これでは優秀な頭脳が日本から出ていってしまうのを止めることはできないだろう。彼は現在大学から8000万円を借りて、近くの高給住宅街に住んでいる。日本にいたら、考えられないことだ。知を金に換算するアメリカ社会の現実をみた思いがする。
一方、日本では目立たずに研究を続けている技術者は数多い。企業も従来型の雇用契約だけでは、いい研究をしようという熱意を生み出させるのは難しいだろう。
技術立国日本が、本当の意味で今の状態を抜け出すためには、知に対する対価という考えを導入しなければならない時期にきているのかもしれない。

2002-09-09(月)

今は戦後何度目かの占いブームだという。元々人間は不安な動物である。どうしても自分の未来が見たい。恋愛、結婚、就職、さらには金運と知りたいことは山ほどある。しかも十分にコミュニティが機能してない時代となれば、近くにいる占い師にでもみてもらおうかということになるのだろう。
事実、最近の占いは将来の運勢をみるというよりも、カウンセラー的要素の方が強い。つまり人は強いものに抱かれたいのだ。あるいは慰めてもらいたいといった方が正確か。
そのやり方もあまりやさしくてはいけない。ある程度の重みをもった表現で、しかしあくまでもフレンドリーに、というわけである。
以前なら、近所のおばさんの出番だった。そういう意味では新宿の母なぞといって一時代をつくりあげた女性占い師など、誠にぴったりこの図式にあっている。
しかし西洋占星術にしても、手相、人相などの中国式占いにしても、どれももう一つぼくにはしっくりとこない。血液型などということになると、同じ型の人は、皆同じ性格で、似た未来が待っているということになる。これは星座も同様である。なるほどちょっとあたっているところもあるような気がするものの、やっぱりよく読むと、違うところもたくさんある。名前だってそうだ。同じ名前の人の未来が、まったく同じわけがない。これは常識で考えればすぐにわかる。
第一そんなに未来のことがわかるのなら、占い師になって、寒い冬の夜に繁華街の街角に立っていたりするものだろうか。もっと暖かいところで、うま味のある商売をするか、高給のとれる勤め口をさがすのが普通ではないか。
さてかく言うぼくも以前に一度だけ、手相を見てもらったことがある。その時はなかなかうがったことをいう人だと思った。内容についてここで書くのは差し控えるが、そのほとんどは現在のぼくを言い当てている。しかしよく考えてみると、あれは手相を見ているというよりも、その人間の持つ雰囲気を読みとりながら、話していたのだろう。つまり気配の持つ力をみていたという方が正確だ。
どんな人間にも相がある。額が広いとか、耳たぶが大きいとか、目や、口の形がどうであるとか、金貸しや商人ならたちどころに見抜ける要素が山のようにある。
してみると、政治家の顔つきがすさんでいくのも道理である。当選した当座は、随分いい顔をしているものの、しばらくたつと、険しい目つきになり、人を頭からばかにするか、疑ってかかるようになる。功成り名を遂げて、政争の嵐から抜け出すまで、彼らはずっとああいう顔をし続けるのだろう。しかし時すでに遅しである。
考えてみれば、彼らこそ、占い師を最も必要とする人種なのかもしれない。

2002-09-09(月)

国家

国とは何かという定義は大変難しい。特に21世紀に入ってから、国家観は大きく変貌した。ヨーロッパが一番いい例だろう。今、まさに一つの国になろうとしている。
一方、世界で一番強大な国、アメリカも核を持ってしまった故に戦争ができなくなった。さらに今、人権や、環境というキーワードにからめとられている。それに国のために死ぬということを極端に嫌がる人が増えた。ベトナム戦争の頃とは全く状況が違う。
ところで国家にはさまざまな制度がある。そのうちの一つが年金だろう。
社会保険庁は11日、1999年末時点で調査した国民年金加入者の実態調査結果をまとめた。それによれば保険料免除者が443万人で、滞納・未加入・保険料免除を合わせると国民年金加入対象者の内3割以上が保険料を払っていないのだという。
特に若い世代を中心に公的年金への不信感が高まっている。景気低迷の影響で保険料の負担感が重くなっていることも原因のようだ。保険料未納が増えれば年金財政は悪化する。制度の見直し議論が高まるのは必至であろう。
というより誰も国を信頼していない。年金なんて幾ら払ったってもらえるわけないと考えている人がいかに多いことか。この未納者の数はそのいい証拠である。
急速な少子、高齢化の進展のため、1975年にはおよそ7.5人の現役で1人の高齢者を支えていたのが、現在はおよそ4人の現役で1人の高齢者を支えている。2025年には2人で1人、2050年には1.5人で1人を支えることになると推計されているのだ。これでは、取られるだけとられて、いざその時になったら後の祭りということにもなりかねない。
若い世代に潜む公的年金制度に対する不信感の広がりは一つの驚異でもある。大げさに言えば、国家の崩壊にもつながりかねない。
国が信用できないとなったらどうするのか。結局、自分で保険に入るか貯蓄するしかない。事実若い人の間には、今この傾向が強いようだ。学生の間は支払い猶予の特典をつけたにもかかわらず、有効に機能していないのである。
日本はこれからどうなるのか。今まではまがりなりにも、国民皆保険システムを成り立たせてきた。しかし財源は底をついている。年金ももう破綻目前である。国を信頼するのか、あくまでも個人の力量で生きていくのか。難しい選択の時代に入った。

2002-09-06(金)

噴水

日本人は噴水をあまり好まない。試みに自分の庭に噴水を造ってみたいかと生徒に訊いたところ、一人も手をあげなかった。なぜ日本人はそれほど噴水に親しみを感じないのか。
理由は簡単だ。
水は高いところから低いところへ流れるのが自然だからである。日本人は自然にさからってまで、水を空高く噴き上げることに抵抗を覚えるのだ。まさに「行雲流水」の世界である。
よく言われることだが西欧人は自然を自分の好きなように変形する。丸い庭も四角い庭もお好みのままだ。しかし日本人はそうした人工の匂いを嫌う。自然の中に丸や四角はないからである。ありのままの形にこだわるというのがあくまでも日本人の「自然」なのだろう。
かつてスペインを旅した時、アルハンブラ宮殿を見学したことがある。グラナダはイスラムの支配していた都である。彼らは治水の名人でもあった。宮殿の中を流れる水のみごとさは彼らの技術力の高さを想わせた。四角い庭を縦横に水が細く流れる。確かにその姿は可憐で美しかった。
しかしこれと似たような形のものを日本人が作るかといえば、それはやや疑問である。
やはり滝から筧を通じて庭や、鹿おどしに流れる水は、自然をそのままに模したものでなくてはいけない。そういうものしか日本人は受け付けないのである。
このことは料理にも通ずるだろう。西洋や中国の料理に比べて、日本料理くらい素材を大切にするものはない。ことに季節感は、日本料理の神髄である。
無理に味をつけることなく、素材の持つ味をいかにひきだすか。料理人の腕はその一点にかかっている。まさに日本人の美意識が試されているのである。
今世界中で日本料理がもてはやされる理由の最大のものが実はここにあるといってもいい。フランス料理はソースに全生命をそそぐ。中国料理は火力が命だ。しかし日本の料理は、一見すると何もしていないかのように見える。
しかしそこにこそ、日本料理の原点がある。手をいっさい加えていないかのように見せて、その実、たった一杯の椀にあらゆる味のエッセンスをこめる。だし一つだすために、どれほどのエネルギーを費やすことか。
日本人の本質はその自然観によく出ているといえよう。どこまで研究しても、興味のつきない面白いテーマである。

2002-09-06(金)

一病

一病息災という言葉がある。本当に昔の人はうまいことをいったものだ。一カ所、身体の具合が悪いことで、むしろ人間は自分の調子に敏感になる。無理をしなくなるし、体調とよく相談することも知る。あまり元気で病気をしたこともないという人の方が、むしろ突然重い症状にかかったりするものだ。
ぼくも以前急にめまいを覚え、吐き気がして動けなくなることがあった。あの時はやっとの思いで医者に駆け込んだのを、よく覚えている。それ以来、低血圧症だということを知り、あまり調子の悪いときには、点滴をしてもらったりもしている。
俗に言う男の更年期らしい。
幸いここのところ、いいサプリメントを服用していることもあって、体調はすこぶるいい。以前ならだるくて仕方がないような状況でも動くことができる。
それもあってつい先日、保険を一つ解約した。今さら死んでたくさんお金をもらっても仕方がない。むしろ突然の入院などに備えて、差額ベッド代をもらえる方がいいと考え直したからだ。
人生は何があるか分からない。つい先刻まで元気だった人が、いつの間にか彼岸へ旅立つこともある。かつて『徒然草』を書いた兼好法師は遠くに見える干潟にもやがて波がやってくると述べた。
ひたひたと死が近づいてくることをふだんは、だれも気づかずに生きている。まさに「沖の干潟はるかなれども、磯より潮の満つるがごとし」なのである。
生の内側に死があるという死生観を持つことで、人の視野は以前と全く違うものになる。700年も前の随筆が、今も生きている所以である。
病も考えようによっては悪いことばかりではないのかもしれない。

2002-08-26(月)

明るさ

不安な時代である。一寸先が読めない。もう10年も不況が続いている。これまでの安定した経済成長が、ここへきて崩れてしまった。もう日本に未来はないのではないかという気分にもなる。
しかし世界は広い。
明日の食事のことをたえず考えていなければいけない国が、3分の1以上もある。だがそれならば、日本人は幸せかとなると単純にそうはいかない。他者に比べれば確かにそうかもしれない。しかし実感は違う。
明日のことがわからない。かつて池田内閣の所得倍増論の頃は割合に単純だった。とにかく働けば給料があがり、三種の神器が揃い、皆幸せだった。日本人はチームワークで働くのが得意だから、経済活動に関する限り、黙々とやってきた。極端に言えば、政治は政治家にまかせておけばよかったのである。
その果てが現在の機能不全である。高速道路の破綻などいい例だ。瀬戸内海の島に3つも橋がかかる。これも必要、あれも必要という計算は、採算を度返ししたものばかりである。案の定、大赤字になった。
現在、国民一人あたりの借金は600万円ある。今日生まれたばかりの赤ちゃんもこれだけの借金を背負っている。
行政改革は必至だ。しかし遅々として進まない。おそらく誰がやっても簡単にはいかないだろう。権益がからめば、だれも仕事を手放さない。そんなことはあたりまえだ。省庁の名前がかわったからといって、公務員の数がへる訳ではない。リストラできないからだ。
ぼくが改革の担当者だったら、それこそやけになって占いでもしてみたくなる。昔なら亀の甲羅か。今なら、さしずめ占星術だろうか。
だが占いで未来がわかれば安いものだ。そうでもしなければ、やっていけないほど、難しい迷路に入り込んでいる。
今、中国の方がずっと明るい。もちろん貧しい人たちは依然としているが、それでも昔より格段にいい。かなり自由に発言もできるようになった。生活物資も豊かになった。それに都会に行けば、お金を稼ぐチャンスも増えた。外国資本がどんどん入ってくる。ひょっとするといつか自家用車が買えるかもしれない。
それも遠い夢ではない。
人間は未来があれば、いつだって幸せになれるのだ。
すぐに訪れる環境破壊なんて、今は二の次である。

2002-08-26(月)

まもなく9月になる。忘れもしない昨年の9月11日。あの日から世界は変わった。人々の価値観に大きな変化が現れ始めた。
世界に対するアメリカの意識は現在も微妙に変化している。一言でいえば対立の構図を少しづつやわらげる方向へ向かっている。
もちろん政治はそれほど単純なものではない。イスラエルとパレスチナは泥沼から抜け出すための方法を見いだせないままだ。アメリカの立場も難しい。
ハリウッド映画からも、戦闘やテロに関するものがかなり消えた。以前なら、アメリカに対するテロに敢然と立ち向かう主人公が活躍するストーリーのものが多かった。爆発シーンも壮大なスケールだった。しかし今、人々は戦うことに疲れている。現実に世界の富を象徴した高層ビルが崩れるのを見た人たちは、もうスクリーンの上で同じことを味わいたくない。
まさか、あのビルが壊れるとはだれも思わなかっただろう。ほんのわずかの外壁だけを残して、もののみごとに消滅した。あの映像は21世紀最初の悲劇として、誰の胸にも刻まれたものと思われる。
そこで対立に疲れた人々がどこへ向かうのか。それを即断することはできない。しかしあの時点から我々に守るべきものがあるとすれば、それは家族や友人というかけがえのないものであることに気づいたことだろう。
もっといえば人間の生命かもしれない。
ところで韓国では今映画産業が盛んである。新しいブームが起きている。企業もそこへたくさんのお金をつぎこみ、個人もファンドをつくってインターネットなどを使って投資している。おそらく今までにない新しいタイプの映画がこれから続々と登場することだろう。
ハリウッドが作れなかったある意味で東洋的な感性の作品がうまれていくに違いない。インド映画でもなく、日本映画でもない、新しい韓国の映画である。
なんとなく新しい「和」の時代に入る予感がする。
対立の構図に人々は疲れすぎた。
そのことを韓国の映画人たちは肌で感じている。

2002-08-21(水)

ダブチ

マックではダブルチーズバーガーのことを「ダブチ」というそうである。はじめて聞いた時、「タブチくん」を連想した。いしいひさいちの漫画である。しかしよく考えてみると、日本語くらい縮めるのに向いた言葉はない。
かつて韓国の評論家、李御寧氏は日本の文化をさして『縮み志向の日本人』という本を書いた。彼は俳句、短歌、庭などを一瞥すれば、何でも縮めて喜ぶ日本人の性癖がよく見えるという。なるほど、そう言われればそんな気がしないでもない。
舞台俳優、加藤健一とかつて話をしたことがある。その時、周囲の誰もが彼のことを「カトケン」と呼んでいた。確かにこれは短くていい。「カトキチ」という食品メーカーもあった。きっと社長の名前を縮めたものだろう。
しかしどこの国だって、短縮したいという欲求はあるに違いない。寒い国ならば、よけいに口を開きたくない。きっと日本だけに限ったことではないはずだ。
最近では時短などといって労働時間を縮める会社も増えた。労働省の外郭団体には時短を促進するための天下り機関まであると聞く。
どのくらい効果があるのか知らないが、この不況の中だ。放っておいても勝手に時短なんかするだろう。働きたくても仕事がないのだ。それなのに数千万円ものお金を数人の理事に払っているという。まったくばかばかしくて、開いた口がふさがらない。
さて日本語の話だ。
近年の携帯の普及は日本語の構造そのものをかえつつある。おしまいに絵文字ぐらいならまだかわいいものである。メールの末尾には「ね」「よ」「さ」などの表現がつく。そうでもしないと、文が紋切り型になって冷たい事務的な印象をもたらすからかもしれない。
もっと言えば、会話の表現が痩せている。美しい表現に対する意識が希薄になった。余情がない。
これは文学の衰退と関係があるかもしれない。日本語の本がこれだけ売れるのも、危機感を抱いている人が多い証拠だ。
ぼくたちが気づいている以上に今、言葉はますます寂しい方向へ向かっている。

2002-08-21(水)

携帯

これも数日前のNHKの放送である。中国に売り込む携帯電話の話だった。
一言でいえば、中国市場のリサーチを何もせずに行ったとしか思えない杜撰さだった。あれでは一台も売れないだろう。NECは少し甘く見すぎていたのではないか。中国人の好む形、大きさ、内容、どれにも合致していない。案の定、売り込み先からけんもほろろにつきかえされた。
中国での携帯の伸びはすさまじい。価格が月収の3倍もするのに皆競って買う。モトローラやサムスンなどかなり以前からこの市場を有望視して参入したが、日本は国内需要が伸びたこともあって、あまり熱心ではなかった。
しかしここへきて国内も一段落の感がある。そこで中国へという訳だ。しかし事前のリサーチはものを売り込むときの鉄則である。
相手のニーズを知らずに何かを売ろうなどというのは、マーケティングの常道をはずれている。さすがの営業マンたちも中国市場を知らなすぎた。さっそく他社の商品をさぐらざるを得ない。中国では日本と違ってショーウィンドウに入れたまま、ものを売る。気軽に手にとって性能を試すというのとは全く違う。販売形態に対する認識も欠けていた。
それにiモードもまだ十分に浸透していない市場なのである。そのうえ、大きさ、厚み、色が彼らの好みの大半を占める。コンテンツだけではない。その下調べもできていなかった。
数ヶ月前、ぼく自身、NECの本社を訪れたことがある。その時にはもうかなりリストラが進んでいる最中だった。ワンフロアからごっそりと人がいなくなっていた。
上階にあるトレーニングルームや医務室、労働組合の部屋を見た後、ふとエレベーターに目がとまった。中に椅子が置いてある。重役用のエレベーターだという。その瞬間、昔三越の社長だった岡田茂がつくったという専用エレベーターを思い出した。
今、こんなことをしていたら負ける。
NECは慌ててディズニーとソフトの契約を結び、さらにカメラ付きの携帯を日本とほぼ同時に売り出すことにした。やっと商戦に参入できる下地を作ったのである。それでもまだ厚いと指摘され、9月までにスリム化しなくてはならない。
過去の成功体験が全く役に立たない。
あのNECにしても、中国をなめていたのである。

2002-08-21(水)

35

先日、西アフリカの国の一つ、シエラレオネから来ている青年と話をする機会があった。彼は内戦を体験し、まさに弾丸の下を潜り抜けて日本にやってきた経験を持つ。
故国の話を聞いているうちに、ぼくはなんだか悲しくなった。
生まれてから5歳になるまでに、3分の1以上の子供達が死んでしまうという。
日本では全く知られていないが、この国は紛れもない世界最貧国である。平均寿命も35歳と世界で最も短い。あたりまえの話だが、長生きをする人たちも中にはいる。しかし幼児の死亡率があまりにも高いため、統計をとると、このようになってしまうのだ。
10年以上続いた内戦のため全国民が飢餓に苦しんでいるところへもってきて、マラリア、肺炎、下痢などの感染症が全くコントロールできず子供達はただただ死んでいく。近年はさらにエイズの蔓延が追い打ちをかけた。生まれてきた子供のうち35%が、5歳になる前に死ぬというこの数字は、日本の約100倍も高い。世界最悪である。ちなみに日本で5歳までに死亡する人の率は0.4%と言われている。
何がこの国に内戦をもたらしているのか。
理由は一つ。ダイヤモンドである。この国には豊富な地下資源が存在する。なかでも、ダイヤモンドが一般市民への残虐行為で世界的に非難された反政府ゲリラの資金源になっているのである。
ダイヤの原石には大きく分けて産業用と宝石用がある。シエラレオネから産出されるのは高値で取引される宝石用が大半だ。ダイヤモンドがなければ内戦はもっとはやく終結していたに違いない。
豊かな国の思惑にひきずられた代理戦争の様相もそこには垣間見える。
今年はサハラ以南と呼ばれるザンビア、マラウィ、ジンバブエなども大変な干魃で、作物がほとんど収穫できないという報道もされている。いつも犠牲になるのは子供たちだ。
青年は澄んだ目をしたまま、
「日本人はいいです。身の危険ということを知らなくてもいいから。明日の命を考えなくてもいいから。明日の食事のことを心配しなくてもいいから」と言った。
ぼくはその瞬間、何も返す言葉がみつからなかった。

2002-08-21(水)

平面

数日前にNHKで放送された松下電器の話は大変興味深かった。かつての巨大メーカー松下になぜ最近ヒット商品が生まれないのかという特集だった。一言でいえば大きくなりすぎた。かつての事業部制の悪いところばかりが残り、社員の意識が硬直化した。
松下幸之助の生きていた時代は作れば何でも売れた。これを俗に水道方式という。蛇口から飛び出す水のようにたくさんのものをつくれば、飛ぶように売れたのである。
系列店も効果があった。しかし今や、家電は量販店の時代である。かつてのような系列店は機能しない。地域コミュニティが全国で崩壊しつつある今、義理で近くの電気店にものを買いにいくのは高齢者だけである。
しばらく前、ソニーが平面ブラウン管のテレビを発売しシェアを伸ばしていた直後の話である。販売促進会議に持ち込まれたのは、旧態依然とした球面ブラウン管のテレビであった。その席上、技術者たちは球面の方が見やすいと主張したのである。現実にソニーの平面テレビが売れているのにもかかわらず、彼らの意識はまだそこにとどまっていた。
これでは負ける。ガリバーが裸の王様になった瞬間である。
ところで家電の最大消費国は現在、中国である。彼らのニーズにあった安いものをつくらなければ生き残れない。パナソニックのブランドなど、怒濤の経済成長の前ではひとたまりもないのである。
上海の量販店社長は松下の提示した冷蔵庫を見て、これでは売れないといい、すぐに形をかえるよう指示した。明日までに金型をつくりなおし、新しいものをつくれるのか。そこまで要求される時代になった。売る側がメーカーを選ぶ。できなければ潰れていくだけだ。
おそらくどの企業も同じ場所にいると言っていいだろう。
渦中の日本ハムもよほどの意識改革をしないと雪印の二の舞になる。創業者に名誉会長という名をつけただけで、非難が集中している。会社は一代限りだ。子供に譲ろうとすると、必ず似たような風通しの悪さになる。松下もダイエーもみな同じ過ちを犯した。
ホンダ、ソニーにはやはりそれだけの眼力があった。

2002-08-17(土)

百均

100円ショップを百均と呼ぶそうである。雨後の筍のように増えた。最近はダイソーの他にキャンドゥというライバル店も出現して大いに気を吐いている。一口に100円ショップといっても、その品揃えは6万点あるそうだ。ちょっと信じられない。こんなものが100円で売れるのかという意外性が大切だとそれぞれの会社の社長は言う。
どこへいっても結構客が入っている。いくら買っても合計のたかは知れているところがミソか。500円で30分は遊べるワンダーランドということかもしれない。
デフレの時代、安いものはたくさんある。しかし欲しいものはそれほどない。だが何も買いたくないわけではない。購買意欲は依然としてあるのである。
そこへ登場したのが百均の店である。一度に100万個単位で発注すると聞いた。品揃えをたえずかえなければ飽きられる。そこである程度売りきりの形態をとるものが多い。あとからあれが欲しいといっても、どこにもなかったりする。だから逆に面白いのかもしれない。
下着から鍋、ネクタイ、傘、パンプス、ジュース、飴、化粧品、印鑑にいたるまで、何でも揃っている。
若い人が圧倒的に多いのかと思って店をのぞくと、結構熟年世代も混じっている。買いたいけれど、買うものはないという構図のなかで、実に面白い商売を展開している。
町田にはダイソーのギガストアもある。以前はダイエー傘下のスーパーだったところにパソコンショップが入り、それも潰れて百均になった。
こうしてみるとまさに100円ショップは時代を象徴している。
ところでいつになったら飽きられるのだろうか。4000億を一度に売ったユニクロのように閑古鳥が鳴き始めるのか。まだ百均に未来はあるのか。
少しも予断は許されない。

2002-08-17(土)

余る

ものが余っている。先日もチェーンの古本屋へ行った。通称「天」と呼ばれる本の頭の部分をグラインダーにかけ、きれいにする。そして並べる。数週間のうちに売れなければ、百円にする。全てマニュアル通りである。この店にいると、立ち読みをしている人の多さにも驚く。大勢の人がコミックの棚に張り付いている。
これが戦略だ。コンビニも外から見えるところに雑誌を必ず置くが、それと同じようにたえず人を留めようとしている。パチンコ屋が入り口付近の台の出球をよくするのに似ているといえないこともない。
とにかく一度入った客を逃さない。そのための策が立ち読み解禁である。これは昔の古本屋の商売とは全く逆である。ついでに買わせるという手法だ。最近は新刊本の店にも椅子を置くところがでてきた。
そうでもしなければ買ってくれない。とにかくものが余っているからだ。また飽きたら売りにきてくれと店内にはアナウンスがこだましている。
同じ会社の系列にはもっと大がかりなものを売る店もある。いわゆるリサイクルショップがそれだ。ステレオ、パソコン、楽器などがたくさん並んでいる。今や小型化の時代に取り残されたステレオを処分しようとすれば、かなりの費用がかかる。この店へ持ち込んでしまえば、逆に小遣いがもらえる。もちろん買取値は以前より格段に下がった。
電気製品の回収が義務づけられてから持ち込まれる商品の数が増えたからである。それでも金を払うより、少しでも入った方がいい。だから客は増えた。
彼らがまた何かを買っていく。コンピュータなどジャンク扱いのものでも結構売れる。インターネットだけしかやらないなどと、目的を特化すればまだまだ使えるからである。
そこで儲けが生まれる。近頃は古着や、日常品にも食指をのばし始めた。ものが余る時代の商売だ。毎日がフリーマーケットというところだろうか。
最近は車で不要品を集めて回っている商売もある。オートバイなども引き取る。洗濯機、テレビなども対象だ。彼らがその回収品をどのように処理してお金にかえていくのか。その跡を追いかけるだけでも、現代という時代がみえてくるはずである。
ちなみに古着は大半が東南アジアやアフリカに流れていく。特に喜ばれるのは学校体育用のジャージである。こんなに丈夫で着やすいものはないということか。以前アフリカへ行った時、先生が女の子の名前の入ったジャージを着ていた。漢字が一つのデザインに見えるらしい。古着の流れもまた見逃せないものの一つである。

2002-08-07(水)

猛暑

東京はこの100年間で平均気温が3度上がったそうである。しかしぼくの実感からすれば、本当に暑くなったのはここ10年ぐらいだ。それまでの90年にほぼ匹敵するくらいの率である。
エルニーニョだ、いや、ヒートアイランドだと言っているうちに、気温はぐんぐん上昇した。かつて35度なんていう日が続くことは滅多になかった。お年寄りに訊いてみればすぐわかる。
きっともう元には戻らないだろう。これからも地球の温度は上がり続けるに違いない。仕方がないから人間は暑さを避けるためにエアコンのスイッチをいれる。
悪循環である。
少し前は夏になったらデパートへ涼みに行った。あるいは会社にじっとしている方がよかった。しかし今では全ての部屋がエアコン完備だったりする。寝るときも湿度は何%で温度は何度に決めているなどと、宣言する子供まであらわれる。家がホテル並みに快適になった。だから部屋にこもる。
人間は自然環境を少しでも自分の都合のいいようにあわせて生きてきた。その結果が今の状況だ。薬もたくさん作った。かなりの副作用を覚悟して。そのあげく高齢化社会になった。人生80年時代をどう生きたらいいのか、誰にも見当がつかない。
頭が呆けて動かなくなっても、人は生きなければならない。年をとるほど恥をかくことも増える。親子や夫婦の関係も今までとは随分違ったものになっていくだろう。
しかしこの現象はまだ始まったばかりである。いずれ老人だけで暮らすホームが日本中の至る所にできるはずだ。いや、もうかなりのスピードで建築ラッシュは始まっている。介護保険がそれに拍車をかけた。
それでなくても少子化時代である。誰がそんなにお金を払うのか。
みんな先延ばしである。
だから地球が少々暑くなったってどうってことない。そのうち、なんとかなるんじゃない。みんな知らんぷりだ。
高速道路代だって気温だって年々、上がる一方なのである。

2002-08-07(水)

ジョホールバルという地名を知っているだろうか。マレーシアの一番端にある都市だ。ここは隣国シンガポールとの接点でもある。
シンガポールくらい不思議な国はない。淡路島ぐらいの広さの土地しかないのに、世界の経済を動かしている。噂には聞いたことがあるはずだ。ガムを噛んでいても罰せられる国である。
とにかく街並みが美しい。インド人、中国人、マレー人などがみな高層マンションに混ざって住んでいる。これも国の方針である。医療やインターネットに対する考え方も実にユニークで面白い。
おそらく世界中でもっともインターネットの普及に力を注いでいる国ではないか。情報がお金になることを熟知している国でもある。
しかしその大国にも弱点がある。
それが水だ。ほとんどをマレーシアから買っているのである。いわゆるジョホールバル水道と呼ばれているものだ。国境をバスで通過するとき、海の中に大きなパイプが通っているのを目にする。これがまさにシンガポールの生命線なのである。
最近その水道代を大幅に値上げするとマレーシアが通告した。これにはシンガポールも黙っていない。背後にはさまざまな問題がある。
もちろん政治的な駆け引きの要素が強い。
シンガポールでは島の半分の地区が貯水池を持たない。また新たに貯水池を作るスペースも残っていない。政府はいつもマレーシアとの関係を気遣っている。契約が切れたときに供給が断たれるのではないかと心配なのだ。というのも経済の成長でマレーシア自身、水の消費が拡大しているからである。
仕方がないから、シンガポールも海の水を飲み水に変えるための研究を始めた。しかしこのプラント建設には莫大なお金がかかる。
だからマレーシアの顔色をいつも見ていなくてはならない。
マレーシアがシンガポールに水を配給する協定は、1961年に99年間の契約を結んだ。これによって現在ジョーホール州はシンガポールに毎日、9億1千万リットルの未処理水を売り、1億3千万リットルの上水を買い戻している。
いくらでも雨の降る日本。
水を買いながら、命をつなぐシンガポール。
これほどに国情というものは違うのである。

2002-08-03(土)

59

マックの話である。ハンバーガーが昨日から59円になった。さすがの藤田田会長も敗北したとの観測が巷を流れている。65円の時は平日だけだった。今回はずっとである。もうデフレは終息したと言って、80円に戻した途端、客が離れた。
消費者というのは薄情なものである。今日は売り上げが2割戻ったという報道があった。さて明日はどうなるのか。本当のことを言えば、マックにはもう飽きつつあるのではないか。でもつい惰性で寄ってしまう。習慣というのは恐ろしい。
マックは日本人の味覚を変えてしまった。子供は今も喜んで食べている。かつて、銀座三越の一階に第1号店を出した頃とは隔世の感がある。
さてこうなったら、ロッテリアも対抗しなくてはならない。あっという間にセットで300円になった。牛丼も安くなる。松屋も吉野屋も下げざるをえないだろう。どこまでいくのか。最後は体力のない企業が倒れる。デフレはどこまで続くのだろうか。際限のない袋小路に入りつつある。
しかしまだ消費税は上げられない。とうとう健保は3割になった。税金だってもうすぐだ。足りないのだから、どこかでとらなければやっていけない。
日本は「社会主義国」である。介護も健保も失業もすべて国が面倒をみる。としたら税を上げざるを得ない。アメリカではどの州でも10%を超えている。日本もすぐにそうなる。消費税とはそういうシステムの税金なのだ。
ところで今日、目黒の雅叙園が倒産した。あれだけのところでも潰れる。きっとああいう御殿のようなところで結婚式をやるのは、トレンドではなくなったからだ。今はしゃれたレストランでやるカップルが多い。
雅叙園にはぼくも何度か呼ばれて行った。豪勢な和風トイレが気に入っていたのだが、誠に残念である。
今、若者の感覚は確実に変化している。似たような感じの結婚式場は青息吐息だろう。結婚適齢期がなくなった上、業者のお仕着せにはなかなかのろうとしない。
それぞれの感性で選ぶ「手作りの」式にもっぱら傾斜している。
さて59円を安いとみるのか、別にどうってことないのかと感じるのかによって、マックの未来は決まりそうだ。
藤田商店の看板からそろそろ脱却し、次の世代にバトンタッチする必要がでてきた。

2002-08-03(土)

Q

つい先日「Q」という文字はどうもよろしくないと書いた。あれから「Q」が頭の中に棲みついて、なかなか出ていかない。そこで今回はもっといい「Q」はないかと考えることにした。
かつて、倉橋由美子は「Q」という文字をよく使った。どこか「?」に通じるところがあるのだろう。文字通り問いかける文字だ。
『スミヤキストQの冒険』などという小説を読んだことがあるだろうか。もう『パルタイ』の作家も年をとった。文学者の運命を想うことしきりである。
さて次に突然、邱永漢のことを思い出した。彼こそがまさにお尋ね者の「Q」だ。ぼくは実は彼の密かな読者なのである。
日本ではあまりお金の話ばかりをする人を好まない。この点は中国人とは正反対である。彼らは何か珍しいものをもっていたりすると、それはいくらでどこで買ったのかということを、しきりに気にする。
邱さんはその文化を見事に日本に移植させた。彼は直木賞をとった作家でありながら、実業家でもある。いくつ会社を持っているのか知らないが、日本と中国、台湾の企業の橋渡し役を演じている。
彼のアドバイスで中国に進出した日本の会社は数知れない。
中国はつい最近WTOに加盟したが、それまでは商習慣もなにもなかった。品物だけ受け取って代金を払わないということもよくあったし、契約という概念がないから、平気で決まった額をまた値切り始めた。
これには日本の企業もずいぶんと泣かされたものだ。
ところで著作を読んでいてわかるのは、実によく世界をみていることだ。年に何度あちこちを飛んでいるのかしらないが、ちょっとしたビジネスチャンスを確実にものにしている。中国と台湾だって政治上のタテマエと関係なく、もう離れられないということを先刻見抜いている。経済が地下茎で深くつながってしまっているからだ。
『常識の破産』(経済界)を読むと、まさにこれからの日本の正念場が見える。今までの常識が何も通用しない時代の到来だ。嘘だと思うなら、ご近所を見回してみるといい。過去の常識は何一つ通用しない。その最大のものは会社は潰れず、給料は年々上がるというものだ。今時、ずっと同じ会社に勤められると信じている人はどれくらいいるのか。
おそらく起業家の時代がくるだろう。ベンチャー・キャピタルも動く。お金が集めやすくなった。ただし実力のない会社はすぐに消える。本当に厳しい世の中になった。
彼の説く論は至極まともなものである。ぼくは邱永漢の未来予想図にどうしても反論することができない。
ところで邱さんは『もしもしQさんQさんよ』というコラムをインターネット上で毎日書いている。読みたい方は『ほぼ日刊イトイ新聞』から入れるのでご参照あれ。これも大変面白い。77歳にして、この気力である。
大いに見習う必要があるのではないか。

2002-08-03(土)

昔ふたたび

昨日はなんだか、昔批判になってしまった。どうも気分がよくない。身体のどこかにやっぱり「昔はよかった」と言えという異分子が潜んでいる。
まず昔はシステムがない分、のんびりしていたという説から考えてみよう。確かにその通りだ。本当にのんびりしていた。ITなどというものも光通信も携帯電話もなかった。
ついでに言えばテレビもなかった。だからよく外で遊んだ。親と話した。兄弟でじゃれた。食事はいつも家族一緒だった。父親が床柱を背に座るという構図が明確にあった。
儒教の規範もまだ生きていた。年寄りを大切にするのは当たり前だった。平均寿命が今ほど高くなかった。だから老人問題も年金の枯渇も医療費の増額も考えなくてよかった。もちろん消費税もなかった。お金のある人から、税金をとっていればそれでなんとか賄えた。
それよりなにより、人々が純朴だった。情報がなかったからである。ある種の人間だけに独占されていた。マスコミが今ほど発達していない状況の中で、ものを知ることは大変な努力を要した。
もっとも知らなくても生きていけた。愚民政策とまではいかなくても、それに近いもので完結していた。さらにいえば、人々の宗教に対する意識が今よりも純朴だった。大げさに言えば、多くの人は宇宙につながっていた。自分を強く主張するというのでもなく、自然の中に溶け込んで、そのまま生き、そのまま死んだ。生死はごくありふれたことであり、誰もが目の前でそれを見た。
今のように深く背後に隠そうとする意志は働かなかった。
それにひきかえ、現代はすべてこの逆である。
地域コミュニティがほぼなくなった。それだけに子育ては最大の難問になった。「お天道様がみている」という力学が今働かない。そのことから派生する問題のなんと多いことか。
今地球はすべてつながっている。お金も情報も毎日、国のレベルを超えて動く。国家の意識も希薄になりつつある。世界を相手にしなければ生きていけない時代だ。
そう考えてみると、やっぱり昔はのんびりしていてよかったのかもしれない。
さて、昔と今。どっちがいいんだろう。
なんだかわからなくなってきた。

2002-08-02(金)

昔はよかったというのは、年齢を重ねた人の決まり文句である。しかし本当にそうか。昔はそんなによかったか。
そう訊かれると、ちょっと不安になる。インフラの整備は遅れ、街は汚かった。雷が落ちればすぐに停電し、川は氾濫した。道路はでこぼこで、舗装も満足にしてなかった。デパートも薄汚れていたし、商品の数は少なかった。宅配便もなく、チッキと呼ばれる駅留めの荷物を取りに行くしかなかった。
車は高く、誰も自分が将来それに乗るなどとは考えもしなかった。
地下鉄は未整備で、どこへ行くのも大変だった。大阪までの出張などといわれれば、泊まりがけの大仕事だったのである。電話回線は少なく、連絡をとるのも容易ではなかった。風呂のある家は少なく、銭湯に通わなければならなかった。
ことほど左様に何もかもが不便だったのである。これでも昔はよかったと言えるのだろうか。
それに比べて、現代はすべてこれらの裏返しである。そう考えれば、話は簡単だ。
しかし人情は昔の方があった、という人もいるだろう。確かにかつては人の関係が濃密だったのかもしれない。それは社会のシステムが、今よりコミュニケーションを必要としたからだ。スーパーがない時代、誰もが個人商店へものを買いにいった。きっと少しは話もしただろう。時にはまけてもらうこともあったに違いない。
現代のようにすべてカードで決済できたら、話ははずんだだろうか。
また学歴社会の構図は今よりも強くはっきりしていた。中学へ行くということすら、考えない人が多かった。生まれた家の状況で、ほとんど未来が決まっていたのである。むりに学校へ行きたいといえば、それは親不孝になった。自足するというより、親も想像力に欠けていたのである。というより、それだけの情報量しかなかった。
人はほとんど生涯に移動ということをせず、生まれた場所で生活し、そのまま死んだ。それでも昔はよかったのだろうか。
一般的に言えば、システムについていけない人間は、過去を振り返る以外に方法をもたない。老いるということはまさにそれを意味するのだろう。
もし昔はよかったと言い始めたら、社会の状況に適応できなくなった兆候とみていいかもしれない。そんなに昔だって楽ではなかったのだ。風呂に入るのだって薪をくべ、石炭に火をつけた。煙突掃除は厄介な話だった。
ただひとつだけ言えるのは、情報が少ないだけに人々は自足することを知り、親や親族を代表とする地域コミュニティが世界のすべてであったということだ。
それをよかったというのなら、確かにそれは一つの価値の体系ではあったと思う。親は今よりもずっと信じられていた。
それに空気も今よりはずっとずっときれいだった。これだけは確かである。

2002-08-02(金)

「 e 」

世の中はまさに「e」の時代になった。なんにでも「e」がつく。少し前、山手線を「e電」と名付けて挫折したものの、他はなんとか頑張っている。
特に「e感じ」というのがいい。日本語の「いい」と「e」の相性がことのほか良好なようで、まずはご同慶の至りである。というわけで、最近あちこちのキャッチコピーに「e」が登場する。考えてみれば、こんなに日本語のセンスとうまくかみあったアルファベットは他にないのではないか。
一方、ダイヤルQ2などというアヤシイ内容に使われた「Q」などはさしずめ悲劇の文字だ。おばけのQ太郎ぐらいでひっこんでいれば、こんなことにはならなかっただろうに。
もっとも世の中は文字だけで動くわけではない。いくら「e」の字面がいいといっても悲劇はあちこちで起きている。ITバブルが言われだして久しい。一時ネット長者などという不思議な人種も出現した。が、あっという間にしぼんでしまった。むしろバブルが激しかった分、あとの不況は悲惨だ。半導体の文字は今や不況とセットである。
ところでネットはあくまでも仮想の世界だ。だから実の世界がよく見えないという弊害を持つ。「ユニクロ」のブランドで一躍、名を馳せたファースト・リテーリングの柳井社長は「ネットでものを売るのは店で売るよりずっと難しい。というのも消費者がパソコンの前に座らなければならないからだ」と言っている。
アマゾン・ドット・コムの赤字も莫大なものと聞いている。仮想書店はいくらでも店を広げることが可能だ。しかし在庫のルートは確実にキープしなければならない。それに気まぐれな客が相手である。彼らの姿は全く見えない。
また100円ショップで日本中に店を広げたダイソーの矢野社長はいつも客の顔を見ていなければ、不安で商売ができないと言う。昔、引き売りで培ったノウハウの基本は、100円で仕入れたものを100円で売っても、いいものを誠実に扱っていれば、次第に儲けは出るというものだ。
これは「e」の考え方と重なるのか、そうでないのか。
どうやら「いい感じ」などと喜んで、電車の吊り広告をのんびりと眺めている場合ではなさそうである。

2002-07-23(火)

明暗

明があれば暗がある。これが人生だ。明るい部分をことさら強調することで成功する人、あるいはその逆の人。
メディアに関わっている人間達は、いつもそのことばかり考えている。タレント、歌手、俳優をどう売り出すか。そのイメージ戦略に頭をひねる。
かつては松田聖子の「明」と中森明菜の「暗」がよく比較された。松本隆の世界にはスイートピー、風、瑠璃色、青空などのイメージがふんだんに登場した。その結果、久留米から出てきた少女は実在のそれとはまったく違う存在になった。
それは幸か不幸か、今もずっと続いている。
聖子が明るければ明るいほど、明菜も売れた。あの頃はまだ構図が単純だった。
それ以前の時代の山口百恵も同様だ。生育歴が暗ければくらいほど、まぶしいスポットライトによく映えた。
さて現代はどうか。そんなに話は簡単ではない。というのもこの国は豊かになりすぎた。今は「明暗」より「天然」が跋扈している。かつての貧しさがなくなった中から出てきた若者には、我慢や暗さは微塵もない。
そこでメディアは「明暗」の構図をきっぱりと捨てた。
今さしあたって、新しいコンセプトはない。管理を諦めたからだ。つまり「天然」の奨励である。ある程度の物珍しさがあってもいい。飽きられたら、それで終わりにすればいい。
つまり人間の回転がはやまったのである。それだけ単純な時代になった。いつも「素」のままの自分でいい。
「計算は勝手にしなさい。ただし間違えたら消えるだけだよ」
プロデューサーは全て自分である。
ますます実力が必要な時代になった。

2002-07-23(火)

業界

いつだったか、どこかの大学の先生が近頃の学生は、と苦言を呈していた。すなわち最近の若者は業界用語を使いすぎるというのだ。
かんじゃう、かぶっちゃう、話をふる、マジなんかは今や当たり前である。芸能人がテレビで喋っている表現を、そのまますぐ口にする。きっとかっこいいと思うのだろう。軽い口調と言葉のノリがなんとなく今という時代に馴染むのかもしれない。
しかし元々業界用語などとというものは、素人に知られてはならない一種の符丁なのである。特にお金にからんだ話を客の前でする時は、どの世界でも隠語を使う。
噺家の世界では、1はへい、2はひき、3はやま、6は真田の紋からさなだなどと言う。ご祝儀が中心の世界では、ご贔屓筋の前でお金の話をあからさまにはできない。そこでこんな表現を使うのだ。
マンダラや風などというのも落語界ではごく常識である。
あんまり客をいじるなよ、といえば、からかいすぎるなということになる。甘い客だといえば、よく笑う雑作もない客のことだし、うすいといえば、客の入りがわるいことをさす。
あるいは元々定価のなかった下駄や草履を商いする人たちは、客の前でダイマルとかカタリとかいう数字の隠語を使いながら、商売をしたものなのだ。
ちなみにお寿司屋さんは今でもピンとかゲタとか数字を符丁で言う。
ことほどさように、他人に知られたくないことをひっそりと語るのが業界用語なのである。どさまわりなどというのも佐渡をひっくりかえした表現なのは、ご承知の通りである。特に芸の世界では言葉を反転させたり、短くする傾向が強い。まじなどというのは全くの隠語なのだ。
つまり大声で話すのにふさわしい表現ではないのである。
業界をなめてはいけない。いっぱしの通をきどってその気になると、手ひどいしっぺ返しを受けることになる。

2002-07-23(火)

化ける

俗に化けるという。大化けともいう。同じ人間が急に成長することをさす。よく芸の世界で耳にする表現だ。「あの人はほんとによく化けたねえ」などという使い方をされる。
つい先日もテレビを見ていたら、この台詞が飛び出してきた。関西落語の第一人者、桂米朝が歌舞伎座公演を最後に、もう大きな舞台には出ないことに決めたという。完璧主義者の芸人は、自分の芸が弱るのを嫌う。かつて桂文楽が国立小劇場でとちって以来、ぷっつりと高座にあがらなくなったのは有名な話だ。
米朝師匠もその伝にもれずというところか。
さて彼の話に飛び出してきたのは、他ならぬ弟子、桂枝雀の話である。
あんな死に方をする必要はなかった。
今でも時々この人の落語を聞く。その破調は他の人の追随を許さない。枝雀は心から米朝に憧れた。一時全く同じ型で咄をしたこともある。しかし師匠をこえられないことに、聡明な彼はすぐ気づいた。
これが芸の厳しさである。どんなに稽古をしても、同じ間(ま)を演じることはできない。盗むのだ。じっと高座に座る師匠の間を盗むのである。
どんな名人にも芸は教えられない。枝雀は挑んだ。しかしだめだった。
そこから必然的にあの破調が生まれた。だが憧れは強かった。なんとかして米朝の気品を自分のものにしたい。しかしできない。最後はその焦りが自殺につながったと思う。
できる人間には自分の限界もまたよく見えるのである。
米朝は「枝雀が生きていてくれたら、もう一度大化けしたのに」と悔やんでいた。自分の芸を本当に伝えてくれるのは、枝雀しかいないと考えていたのだろう。期待が大きかっただけに、悔しさも募る。
化けるということを簡単に考えてはいけない。
それは命がけの大仕事をする覚悟と対なのである。

2002-07-21(日)

ミミズ

別にミミズの生態について詳しく書こうというわけではない。元々そんなことはどうでもいい。というより好きじゃない。あんなもの、どこかで勝手に生きていればいい。
昔釣りに行った時、餌に使った。ちょんぎれと父に言われ、実に閉口したことがある。
あれを手で千切るというのはかなりの覚悟を要する。日常性が見えないからである。どうも親しみが持てない。というより、あまりにグロテスクだ。
昔「蛇、長すぎる」の名言を残したルナールではないが、「ミミズ、非日常的すぎる」というところか。
ところがこの環形のしろものが、このところの暑さで、毎日歩道をのたうち回っている。あちこち徘徊しているうちはいいが、しばらくするとあえなくダウンする。最後は干からびてしまう。道路のいたるところに残骸が残る。
どうもこの干からびたミミズというやつは、曰わく言い難いものである。ちょっと想像力を働かせれば、自分の将来像にも重なる。毎日次から次へとやいのやいの言われ、とうとう別天地へ出てはみたものの、結局通用せず、またまた干からびる運命に弄ばれる仕儀と相成るわけである。
そう考えてみると、同情に値する存在ではないか。昔はあんなに元気だったのに、会社をかわってからどうもね、などと人に言われ、やっぱり飛び出すんじゃなかったと後悔しても、もう後の祭りなのである。
しかしこのケースはまだいい方だろう。もっと多いのはリストラだ。こっちは有無を言わさぬ勢いである。願わくば、干からびたミミズにならないように、いつも軽いフットワークを持っていたいものである。
しかし言うは易く行うは難し。
これがなかなかに厄介なのだ。

2002-07-21(日)

ユニフォーム

高校野球の季節になった。毎年たくさんのドラマが生まれる。
彼らの夏は短い。母校のためにグラウンドを駆け回る姿には熱いものがある。
だがプレーを見るたびに、野球のユニフォームというのは不可思議な形のものだとつくづく思う。他の競技にはない独特の格好をしている。なんといって形容していいのか、よくわからない。ただじっと見ていれば、これは野球をするためのものなのだとすぐに実感できる。実に不思議な造形物だ。
試みにあれをサッカーやバスケットのジャージと取り替えてみたらどうか。
なんとも間が抜けている。赤や青のジャージを着たり、短パンをはいてグラウンドを駆け回ったのでは絵にならない。やはりあの恰好でなくてはいけない。もちろん安全上の配慮もあるのだろう。しかしそれだけでもない。ある種の美学に貫かれている。
最近は時折6時間目になると、あの姿で授業を受ける生徒もいる。着替えの時間が勿体ないのだろう。なんとも不思議な構図である。ああ、この生徒は野球部なのだと誰からも認知される。幸せなのか、不幸せなのか。
坊主頭だってそうだ。もちろん長髪の生徒もいるが、野球といえば、もっぱら主流は坊主である。その反対がサッカーであったりするのも面白い。バスケット部が全部坊主頭だったら、その試合はやっぱり不気味である。
一度試みに何か別のユニフォームで試合をするのもいいかもしれない。赤いジャージや、青いジャージの甲子園があっても楽しそうだ。
人間は形から入るものなのか。
剣道だってやっぱりジャージじゃ絵にならない。

2002-07-07(日)

マンディ

水浴びのことである。
マンディの季節がまたやってきた。毎朝起きたら、まずこれをする。お湯では目が覚めない。冷たい水に限る。
以前マレーシアの家に泊めてもらって以来、やみつきになった。向こうの国ではまずお湯を浴びるという習慣がない。
朝起きたら、大きな瓶にためておいた水をすくって、ざぶりとやる。実にすがすがしい。汗が一度に流れ落ちる。これを大体一日に5回以上はやる。暑いと思ったらざぶりである。
とにかく暑い。一年中30度以上はある。それにむっとするような湿気だ。だから家の床はみなタイル張りである。涼しくて気持ちがいい。
大人も子供も一日中、水を浴びている。だから難しい衣装は身につけない。すぐに脱げるものである。短パンにシャツが一番簡単でいい。
大家族主義だから、たくさんの人が同じ家に住んでいる。親類縁者もよく顔を出す。近所の人もちょいちょい寄っていく。いちいち相手の都合を訊いたりはしない。持ちつ持たれつの社会ができあがっている。
日本も昔はそうだった。しかしいつの間にか変わってしまった。今じゃ喫茶店に入って注文する飲み物まで、お互いにメールでやりとりして決めるという。ちょっと寒気のするような本当の話である。
マンディが終わる頃、ぼくの夏も終わる。
もう神無月が目の前に迫っているのである。

2002-07-07(日)

サンクチュアリ

今のマンションに引っ越してもう8年。月日のたつのは早いものだ。
あまり詳しく書くのは憚られるが、結構ここが気にいっている。その理由の一つにウグイスの鳴き声がある。とにかく毎日鳴く。今時、ホーホケキョが聞こえる場所に住めるということだけでも幸せというべきだろう。
ウグイスは実にのどかな声で、一日中鳴いている。なぜ鳴くのか。妻と話し合った。しかしよくわからない。連れ合いでも探しているのだろうか。求婚中なのか。いずれにしても、とにかくいい声だ。
ぼくの部屋からは濃い緑の森が見える。そこにたくさん住みついているらしい。なかにはちゃんと鳴けないのもいる。焦っているのか、未熟なのか、実に頼りない声をだす。
しかしそれも愛嬌である。コジュケイなどもよく鳴く。これはピッコヒョイピッコヒョイと聞こえる。
バード・サンクチュアリとはよく言ったものだ。自然公園などへ行くと、水場などを作って鳥を呼ぶ仕掛けができている。しかし天然の森はそんなことをしない。ただ木が生い茂っているだけである。きっとたくさん餌があるのだろう。彼らはそこが住みやすいということを知っているのだ。
鳥がたくさんいるということは、人間にとっても心地がいい。事実、森の近くへ行くと、爽やかな香りがする。自然の醸し出す香りだ。オゾンなのだろうか。吸い込まれていくような、懐かしい匂いだ。
吹き抜ける風も違う。涼やかで適度な湿り気を持ち、それでいてやさしい。
今日の朝もホーホケキョで起こされた。
誠にいい気持ちである。
「ちょっと得したみたいな気分ね」
妻がぽつりと呟いた。

2002-07-07(日)

ちゅら島

友人の奥さんは那覇市の出身である。夏になるととにかく快調なのだという。暑くないといけない。東京が熱帯夜になる頃、すこぶる調子がいいらしい。
それほど人は故郷をひきずるということか。
ちゅら島、沖縄は本当にいいところだ。のんびりする。
しかし現実にはそんな悠長なことばかりも言ってはいられない。失業率の高さは日本一である。しかしそれでも沖縄はいいところだ。
『ナビィの恋』をみれば、そのことがよくわかる。「牛しか、おらんよ」といくらお爺さんが呟いても、離島に若者がやって来る。
去年放送された『ちゅらさん』の影響も強かったに違いない。沖縄料理への関心も高まった。チャンプルーも随分作られるようになった。長寿の秘密も語られた。それらはいわばスローフードへの誘いでもあった。
なんでも忙しく食べるだけが人生ではない。もっと時間を味わえ。もっと人生を楽しめ。このメッセージがはるか南の島から届くたび、都会であくせくしている人達はあせった。
さんしんの音を聞きながら、泡盛を飲んでいると、それだけで時間が止まるのを感じる。沖縄は濃密な土地なのだ。その濃さが魅力なのである。誰にも声をかけずにものを買って、レジで払うという都会の生活。その真反対に沖縄はある。
ウチナーグチと呼ばれる独特な方言。民謡。歴史。そのどれもが沖縄への入り口である。家の形をした墓を見ながら、桟橋まで風の吹く中を歩いた。
竹富島は静かだった。
マングローブの林をボートで走った。
石垣島は花でいっぱいだった。

今日、ふとしたことから沖縄料理の店を訪ねた。
無性にあの島へ行きたくなった。

2002-07-05(金)

野暮

今風にいえば、ダサイということか。
広辞苑によれば「洗練されていないこと。風雅な心のないこと。無風流」とある。
野暮だと決めつけられるのはあまり心地いいものではない。人間失格を宣言されたようなものだ。おまえはダサイなあと言われて喜ぶ人が果たしているだろうか。
しかし野暮の方がもっと感覚は複雑である。風采、風貌よりむしろ内面に絡む。つまりその人間の全人格をあらわす表現なのだ。
正反対の位置には垢抜けるというのがある。こうなるともう芸術のようなものだ。あの人は垢抜けているね、というのは最高の褒め言葉である。
無論、金離れもきれいでなくてはいけない。やたらに使ってもダメ。使わなくてもダメだ。必要な時にさっと出す気構えがいつも必要である。また高級なものを身にまとえば、それでいいというものでもない。さりとて汚い恰好はもっといけない。とにかく気品を感じさせなければいけないのである。
また風雅の心がなくてはいけない。風流を愛するものだけが、かろうじて野暮にならずにすむのである。つまり芸術に通じていなければいけない。しかしそれをひけらかしてはいけない。音楽や芝居のことなんか、何も知らないというような顔をしていることだ。
しかし時に鋭い批評を試みることがあってもいいだろう。
それともう一つ。諦めるという感情を忘れてはいけない。あまり理屈をこねる人を粋とは言わない。しかし何も考えないのはもっといけない。相手の立場に立つ心のゆとりが大切だ。勿論男女のことは言わずもがなである。
喋りすぎるのもよくない。言葉遣いで品性がわかる。
そうそう、こんなことをいつまでも書いてるようではいけない。これこそが野暮の極みだ。
そう考えたら、なんだか急に頭が痛くなってきた。

2002-07-05(金)

井戸

最近、とんとみかけなくなった。危ないからである。それにどうも身体によくないらしい。消毒しなければ飲めないくらい地下水も汚れた。
今じゃ、スイカを冷やすなんていう芸当もできない。もちろんお化けに会う楽しみもなくなった。
井戸の中を覗くだけでなんとも言えない恐怖感があった。明らかに違う空間だった。顔をちょっと出すだけで頬がひんやりとした。穴の底にたまった水が黒々と見えた。難しく言えば、そこは非日常的空間だったのである。
もちろん今だって地方へ行けば井戸を使っている家もあるだろう。都会から消えたというだけのことである。しかしなんとなく寂しい。
確かに蛇口をひねれば水は出る。だが同じ水なのだろうか。いや、そんなことはない。温度もミネラルの含有量も全く違う。今ならさしずめ大枚をはたかなければ手に入れられない代物だ。
水道の水なんて薬臭くて飲めないといっては、わざわざ高い水を買っている。
井戸水はうまかった。
それは天然の命だったのである。

2002-07-05(金)

ラーメン

たかがラーメン、されどラーメンである。巷ではどこの店が一番うまいかなどという雑誌がよく売れている。ラーメン行脚の番組も実に多い。中には武者修行ものなどもある。一言も喋らない怖い師匠の前で、皆が黙々とラーメンをつくっては案の定、怒鳴られている。
とにかくラーメンは奥が深いのだ。
こだわり始めたら、水から鶏から豚から野菜から、はては部屋の温度まで気になるものらしい。もちろん麺は自家製に限る。怖い店主は客が喋ると睨みつけたりもする。なんでも気が散るらしい。クーラーも客のことを考えて設置している訳ではない。ひたすら麺のためなのである。
横浜ラーメン博物館に勤める某氏は、高校時代から日本中のラーメンを全て食べ尽くそうと心に誓ったという。これも半端ではない。今でも一日に5食は食べるそうだ。ちょっと味見をするだけで、店の内装から親父さんの顔までが浮かんでくるのだとか。彼を通といわずして誰を通と呼ぶのか。
さて、人が並んでいれば、ちょっと寄ってみるかと思うのもまた人情というものである。しかし人がどんどん並ぶようになれば、当然どこかに心の奢りが出る。必然的に作りは雑になる。味が落ちる。その結果客足が絶える。
この繰り返しが世の常である。テレビで話題の店だって、本当にうまいのはそう幾つもない。
この業界はまさに戦国乱世である。立地も大事だ。どこに最初の店を持つかは、経営者にとって最大の関心事である。客層しかり、回転率しかり。初期投資しかり。気になることは山ほどある。
だからこそ、たかがラーメン、されどラーメンなのである。

2002-07-02(火)

アナウンス

世の中にはいろいろと不思議なことがある。
その一つがあの車掌の声である。どうしてあんなに鼻声なのか。まさかいつもあの調子で話しているとは思えない。電車に乗ると突然、あの声になるのだろうか。
かつてバスに車掌の同乗している時代があった。今よりずっとのんびりした頃の話である。いわゆる「田舎のバスはおんぼろ車」という歌にもある牧歌的な時代の話だ。あのアナウンスも確かに鼻声だった。
恰好がいいと思っているのか。それともさる筋からそういう指導があるのか。はとバスに乗って昔、東京一周を試みたことはあるが、あんな声ではなかった。とすると路線バスや電車に特有なものなのだろうか。もちろん全部が全部というわけじゃない。最近はテープに入った見事なのもある。しかし気になるのである。
かつてヨーロッパを旅した時、一番驚いたのが、全くアナウンスのないことであった。これは実に静かである。ただしぼんやりしていると乗り過ごしかねない。突然駅に着くと、ドアが開く。そしてすぐに閉まる。この繰り返しである。ステップが離れているから注意しろとか、暑かったら窓を開けて車内の換気をせよなどとおせっかいなことは言わない。
無言の行である。
だから必然的に注意深くなる。乗り過ごしてはたまらないからだ。よく言われることだが、これこそが個人主義というやつなのだろう。
しかしその反対にアナウンスをずっとされて閉口した記憶もある。ギリシャでエーゲ海クルーズの船に乗った時のことだ。3カ国語でやられて実にまいった。それに長い。あっちこっちの島の説明から始まって、停泊する時間まで、次々とアナウンスが入る。フランス語、ドイツ語、英語の順だった。
寝ることもかなわず、ひたすら語学の修練にいそしんだものである。とするとギリシャには個人主義がないということか。
いずれにせよ、アナウンスはその国の文化である。
あのへんな鼻声だけはやっぱり御免こうむりたい。

2002-06-28(金)

ザリガニ

何があんなに面白かったのだろう。一日中、ザリガニ捕りをした。小学校の高学年になってもまだやっていたのである。
遠くの田圃までかなり歩いた。まだ東京にも広い田園があったのだ。今日はでかけるとなると、朝からちょっと興奮した。あんな気分はもうなかなか味わえない。
ザリガニはいくらでもいた。しかし餌が必要である。
蛙だ。大きな蛙をまず泥だらけになってつかむ。これが一仕事だった。しばらく格闘の後、やっとのことで手に入れる。
あの頃はなんでもなく蛙がつかめた。今同じことをやれと言われても、ちょっとご遠慮申し上げる。どうもあのぬめぬめとした感触がダメだ。なぜだろう。随分自然から遠ざかってしまったものだ。我ながら情けない。しかし今、ぬめぬめは全くよろしくない。
さてこの蛙を八つ裂きにする。足を引っ張ってちょん切る。それから皮を剥く。なんて残酷なことをしたことか。しかしこれが一番の餌なのだ。
足の先をひもに結わえ付けて、棒に結ぶ。これで準備万端というわけだ。あとは片っ端から田圃につっこんでは釣る。面白いようによくとれた。指を挟まれないように注意する。途中で蛙を取り替える。やっぱり新鮮な方がザリガニはよく引っかかるのである。
獲物を次から次へとビニール袋に入れて、意気揚々と引き上げる頃はもう夕暮れだった。
しかしあんなもの、どうしようもない。食べることもできない。結局あの後、どうしたのだったか。よく母があきれていた。
それでもザリガニ捕りは我が生涯最高のイベントであった。
今、そう断言できる。

2002-06-26(水)

水虫

まことに厄介な虫である。夏になると俄然元気になる。今までいろいろな薬をつけた。ちょっとの間はいいが、また痒くなる。かゆいという感情は痛いのと違って、ちょっと手に負えない。
痛ければ、すぐに薬を飲むか医者に駆け込む。しかしかゆいのはなんとかなるんじゃないかという淡い期待を抱かせる。それだけにかえって長びくのだ。
ぼくも20年以上悩んだ。だいいち、この国の気候が悪い。
足の裏まで痒くなる。思い出しただけで、不愉快になってきた。しかし誰を責める訳にもいかない。
かつて勤めていた会社の近くに、古い薬局があった。もうかゆくてたまらんと訴えると、店の主人がやおら、いい薬がありますといってチューブを手にもたせてくれた。
信用して使ってみたが、翌年また再発した。皮膚科にも行った。軟膏を小さな容器に入れてくれた。その夏はなんとかもったが、やはり翌年ぶりかえした。
白癬菌のエネルギー、推して知るべしである。
さてそこへ現れたのが、ぼくの妻だ。まあ騙されたと思ってこれを試してみてよ、とおもむろにとり出したのが中国は4千年の秘薬である。さっそくつけてみて驚いた。とにかくしみるのしみないの。
痛いのである。とにかく痛い。妻はぼくのことを心配してこの秘薬を3本も中国旅行のみやげに買ってきてくれた。孔子廟、兵馬俑よりまずは水虫退治なのである。その日からぼくは痛みと痒みの間でのたうちまわった。足はぼろぼろになった。
而して痒みはそれ以来皆無である。
やはり中国4千年の知恵はすごい。
嘘だと思うなら、教えてあげるぞ、諸君。
これは(本当の)実話なのである。

2002-06-26(水)

柴又

柴又といえば寅さんである。しかし渥美清がこの世を去って、かなりの月日が流れた。噂によれば、柴又の駅前には梅宮辰夫の辰ちゃん漬けの店があったそうな。それが今年の3月、とうとうマックになった。
帝釈天の真ん前じゃないので勘弁しようということに、町ではなったらしい。柴又だっていつまでも寅さんだけではやっていけない。若者はとにかくマックなのだ。ついでにおだんごを買っていってくれれば有り難いということか。
矢切の渡しへ遊びにいったのはもう随分昔のことだ。あの頃は本当に寅さんが暮らしているような町並みだった。
ちなみに映画の中で寅さんはマックを食べたことがないという。確かに似合わない。システムの匂いがいかにも不釣り合いだ。
マックはマニュアル管理の店である。
コンピュータに所番地を打ち込むだけで、すぐに収益が計算できるソフトまで自前で作っている。
アルバイトもBクルーになると10円時給があがると聞いた。何段階もの階段をあがって、トレイニーからトレイナーになる頃には随分と給料もよくなる。わずか10秒でハンバーガーができる。オニオンスライスは乾燥したものを、袋から出し水につけて戻す。
なんともすごい店だ。
藤田田恐るべし。
この人の名前を知らない輩は明らかに業界のもぐりである。

2002-06-26(水)

通勤で毎日バスに乗る。最近車窓の風景がめまぐるしく変わっている。道路が拡張されつつあるのだ。ちょっと前にあった家があっという間に立ち退き、更地になっている。どんな家がそこにあったのか、少しも思い出せない。あれほど毎日見ていたのにである。
人間の記憶力なんて実にあやふやなものだ。昔あった家が消えて、そこに立派な街路樹が植えられている。広い敷地の家だった記憶があるのに、剥き出しになると案外狭く、こんなものだったかとあきれてしまう。ついこの前はバス停の正面に駐車場が出現した。
あるいはセットバックしたところに、新しいファミレスができる。道路沿いはまさに建築ラッシュだ。古くからあるお寿司屋さんは道の反対側にできたマンションの一階に入った。
『方丈記』ではないが、昔からある家なんて、それほどあるわけじゃあない。去年建てたのや、ちょっと前に建てなおした家が混在している。生徒だってそうだ。3年たてばみな卒業していなくなってしまう。まことにあっけないものだ。
駅前の家具屋もあっという間になくなってしゃれたコーヒーショップになった。道路に面した椅子に坐って今日もカップルが囁きあっていた。
毎日出会っているたくさんの人間も、どんどん変化しているのだろう。同じ顔ぶれがいつもバスに乗っているわけではない。
年々歳々人同じからずである。
そう考えると、なんだか不思議で不思議で仕方がない。

2002-06-24(月)

ひばり

美空ひばりというのはへんな名前だ。最初にこの芸名を聞いた人はぎょっとしただろう。
わずか10才たらずの子供である。おかしな声で大人の歌をうたったりすれば、サトーハチローのように、真っ向から否定する人もいたに違いない。
「悲しき口笛」「港町13番地」。一度ぐらいは聴いたことがあるのではないか。どれも子供の歌ではない。最初の頃のはどう考えても背伸びしすぎている。
しかし大衆はその波に乗った。折りしも日本は負けたのだ。価値観の逆転は、美空ひばりが生き抜く場所を作った。
「右のポッケにゃ夢がある、左のポッケにゃチューインガム」という歌詞が戦争に飽きた人々の心に共鳴したのだろう。
しかし嫉妬もまたこの人の周囲には多かった。ショーの最中に、同い年の女性から塩酸をかけられたりもした。家族運にも恵まれず、弟はやくざの組織に出入りした。母親がいなかったら、どうなっていたか。まさに一卵性親子の誕生である。
今をときめく歌手、小林幸子は同じレコード会社からデビューし、すぐに第二のひばりと言われた。しかしひばりの母親の一言で以後の活動ができなくなった。
「この会社にもう美空ひばりはいらないのね」
上層部は青くなって、すぐに小林の宣伝活動をやめた。それから彼女の長い下積み生活が始まったと言われている。
ひばりの歌はいいが人間は好きじゃないという人も多い。とにかくアクの強い歌手だ。芸能の世界のこと以外は何も知らない。山口組組長との付き合いも彼女にとってはごく当たり前のことだった。河原者という表現がこれほどぴったりくる人はいない。
明らかにこちら側の人間ではなかった。
最後に歌った、「川の流れのように」は彼女にとって幸運なうたであった。これを歌わないで死んだら、随分違う印象になっていただろう。「愛燦々」もそうだ。小椋佳のものともまた味わいが違う。
この2曲がひばりを救った。
今はこの歌を聴きたくてしょうがない。
もう彼岸に旅立ってから14年が過ぎた。

2002-06-24(月)

親指

親指が今ほど必要な時代はない。毎朝、通勤電車の中で大活躍をしている。先日も前に立っている女性の手元を見るともなくみていた。今はやりの二つに折れる携帯である。とにかく動きがすばやい。時々絵文字を出して選ぶ。そのテンポがいい。スピードも並々のものではない。
どうやら朝の通勤が大変で、車内が蒸し暑くてかなわないと訴えているらしい。本当に必要なの、そのメールと思わず声に出しなくなった。
いつの頃からこんなに人はたえずコミュニケーションをとるようになったのか。不安なのか。それともひとりぼっちの恐怖。
来ればやはり返事をしないわけにはいかない。となると半永久的に続く。
もちろんぼくの授業中にも鳴る。すいませんと言って生徒は慌てて切る。しかしこっそりと机の下で返事を打っていたりする。どんなにつまらない授業をうけているのかというエールの交換だろうか。中には堂々と携帯を机の上に置いている生徒もいる。
確かに便利ではある。
しかし便利だがよくないものが、この世の中には増えすぎた。

2002-06-24(月)

むかつく

世の中、なんでもむかつくですませてしまう輩が多い。全てとは言わないが、無礼な若者も多数みかける。携帯に向かって話しているのを聞いていると、語彙が貧弱なんていうものじゃない。悲惨である。これにちょーがつけば、もう鬼に金棒だ。
1分ごと彼らは手当たり次第にむかついている。
ちなみに辞書によれば、むかつくとは胃の中のものを吐きそうな状態とある。それほど若者にとってつらい世の中になったということか。
しかしよくみていると、むしろ周囲の方がむかついていいような状態ばかりである。みんな我慢しているのだ。それなのにコンビニ前にたむろした連中は彼らだけで勝手にむかついている。
他人のせいにすればおさまる時代は幸せだ。年をとれば、そんなことも言ってられない。
つい先日も鳶職になった卒業生がきた。在校中はおなじみのつっぱりだった。いつだって学校なんかやめてやるという顔をしていた。しかしいろいろあったのだろう。実にすがすがしいいい顔をしていた。
友達の親の紹介で、今度はしっかりした棟梁につけるかもしれないとのこと。成績証明書を取りに来たのだった。人間はこんなにいい顔になるものなのだとしばし見とれてしまった。在校中のたえずむかついていた顔はいったいどこへいったのか。
人間やはり他人の飯を食わなければだめである。問わず語りに、金銭のトラブルや、先輩とのいざこざがあったことなどを話してくれた。
「先生の家、今度行くからさあ」と本当に嬉しそうに呟く。
「学校がこんなにいいところだとは思わなかったよ、俺」
「ほんとに卒業してよかった。友達がいなかったらどうなってたかわかんない。みんなホントすっごくあったかいよ」
若者だって捨てたもんじゃない。
そんなことはよくわかっている。

2002-06-24(月)

ジェル

ジェルボールペンとの相性が悪い。今までに何度もいろいろなメーカーのを買ったが、どれもよくない。一番使いやすいのは直液型の水性ボールペンだ。何本買ってもジェルはよくない。
きっと中のねばねばしたインクがうまく芯のボールにからまらないのだろう。ある時、本当に頭にきて、とあるメーカーの消費者苦情処理係に電話した。その時出てきたのは、かなりの年配で、嘱託の人のようだった。しかし開発に携わっていたことはありありとわかり、ジェルに対する熱意だけは感じられた。
しかしダメなものはだめなのである。この商品には未来がないとぼくは言い切った。こんなものをいくら出しても、消費者は買わないと断言したのである。
実はそのメーカーの万年筆を以前に買ったことがある。これにも腹を立てた記憶が蘇ってきたので、この時の怒りは二重に重かった。もちろん、ペンはその後取り替えてもらった。しかしそれでもインクがとぎれてダメなので、違うもっと高額の商品と取り替えてもらったのである。この時はさすがに妻もあきれていた。
どう考えてもあの7千円のペンは欠陥商品である。
まあ、それはいい。ここはジェルの話である。いろいろと改善点についてアドバイスをしたのがよかったのか、その後会社からボールペンのセットが送られてきた。何でも開発したばかりの新商品だというふれこみであった。
しかしやっぱりインクが出ない。ちょっとの間は書けるが、すぐにかすれてしまう。
あれからジェルはやめた。まったくおかしなペンである。
今でも人が使っているのをみると、ヘンな気がする。

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