一冊の本

死なないでいる理由     鷲田清一

ここ数年間の間に書いたものをまとめた著作。哲学がなぜ現代に必要なのかをわかりやすく説いている。
何もかもが他者によって見えない領域に追いやられた現代。出産、病気、死、さらには日々の食料の調達さえもが、ベールの中にある。他の生き物を殺して食べなければ、生存できないという事実すら、ぼくたちはもう忘れている。
さらに他者が遠いだけでなく、自己の存在感も今や危うい。自分でなくてもできることが、目の前に山積している。だからこそ、恋愛にぎりぎりの可能性を見いだしたいとする若者は多い。
なにもかもが見えてしまうような気分をどこで断ち切るのか。哲学の可能性を高度消費社会の中に見ていく。実に刺激的な本だった。(2003年7月12日)

絢爛たる影絵 小津安二郎     高橋治

高橋治といえば、作家としては有名ですが、かれが松竹の監督だったということは知りませんでした。
著者が小津組に参加したのはただ一度だけだったそうです。しかし、その強烈な個性には一目置かざるを得ませんでした。
つまり高橋は小津安二郎をそばで見るという希有な経験を実際に持った人なのです。巨匠の名をほしいままにし、日本映画に君臨した人間の横顔を、この本は実に丹念に追いかけています。
俗に大船調と言われるローアングル、長回し、家族愛などというジャンルを生み出したのが小津安二郎です。
日本の代表的な監督は誰かと問われたら、黒澤明よりも小津のことをあげる人も多いようです。ことにフランスでは、その哲学的な表現技法に愛着を持つ人々が多いと聞きました。
映画を勉強する人は必ず、この技法を学ぶことなしに先へ進むことは許されません。
彼の代表作「東京物語」「麦秋」などにからめて、原節子との関係など、詳しく述べられています。
映画の好きな人にとっては垂涎の本といえるでしょう。(2003年5月22日)

梅原猛の授業 道徳     梅原猛

これは以前出版された『梅原猛の授業・仏教』の続編です。『仏教』の内容についてはエッセイの欄に書きました。
さてこの本では、以前と同じ洛南高校付属中学3年の生徒に向けて、実際に行った授業を採録しています。
一言でいえば、道徳を失った日本民族の悲しみを述べた本だと言えるでしょう。そしてそこから復活するために、どのような戒律を守らなければいけないのかについて詳述しています。
梅原さんは道徳の根元は、母の愛だといいます。子供を立派に育てようとする無償の愛が、最後は人を救う可能性に満ちていると説いています。
宮沢賢治や夏目漱石に触れながら、実にわかりやすく、噛み砕くように説明しています。
さらによりよく生きるための感謝や哀れみの心、創造や努力の必要性も述べています。
この本を読むのは容易いことですが、実行することの難しさは、想像以上のものがあります。
しかし強制されない真の意味での道徳が、今こそ必要な時ではないでしょうか。
(2003年5月13日)

百年の孤独    ガルシア マルケス

不思議な読後感のある本です。ドンキホーテを連想する人もいるでしょう。ぼくには何か神話を語り聞かせてもらっているような印象がありました。
登場人物はホセ・アルカディオ・ブエンディアとその妻、ウルスラです。彼らの住む場所が村から市になり、そしてたくさんの子孫を生み、苦難の旅の果てに、最後は消滅していきます。
ウルスラの目に映ったあらゆることが、ここでは語られ記述されます。壁の土を食べる女もいれば、チョークで円を描き、母を近づけようともしない大佐もあらわれます。
著者は82年にノーベル文学賞を獲得しました。彼の作品の中でも、この小説は中核をなします。代表作『族長の秋』と並んで、是非一度は中南米の小説に触れてみてほしいものです。
とにかく日本人には全く考えられない世界です。たくさんの子孫の名前が、皆アルカディオであることから、そこに輪廻の構造をみてとる人もいます。(2003年3月18日)

海鳴り     藤沢周平

藤沢周平の作品はどれを読んでも、思わず唸らされるものばかりです。この小説も長いものですが、ちっともだれる箇所がありません。
紙問屋の新興商人として生き馬の目をぬくような厳しい世界を駆け抜けてきた主人公新兵衛は、50歳に手が届く直前になって自分の人生を振り返ります。
そこで自分はいったい何のために生きてきたのかと自省するのです。
岡場所の女と心中未遂を起こす息子。妻との冷たい関係。
偶然のことで同業者の人妻おこうとの関係ができてから、そこで心いやされる日々を送る彼は、逢い引きを同業者仲間に嗅ぎつけられ、ゆすられ、やがては殺人にまで至ります。
このあたりの筆遣いは見事という他はありません。
それぞれの家庭の中にまで踏み込んで、外からは見えない人間関係の冷たさ、不安をこれでもかというくらい描き出していきます。
そして最後の逃避行。ここで読者は彼らの未来に幸多かれと祈らずにはいられなくなるのです。(2003年3月16日)

冬の女たち     久世光彦

味わいの深い随筆です。副題に「死のある風景」とあるとおり、多くの死がここでは語られています。記憶の中に残っている死者の横顔。作家の思い出。本の話。テレビ、映画、演劇…。
彼のたどってきた人生の中で、人の死に遭遇することの意味は深いものでした。どれほど「死への想念」が自分がを磨き上げたのかということをじっくりと語っています。
また自分の人生にとって老いということがどういう意味を持つのかについても書き込んであります。
詩の心を持っている人です。細かい言い回しの中に、色鮮やかな風景が見えます。
山川登美子の歌、「わが死なむ日にも斯く降れ京の山 しら雪たかし黒谷の塔」などを引用する目は、末期の諦念に満ちています。(2003年2月22日)

半落ち     横山秀夫

「殺人です。女房を殺したと言っています」一本の電話がW県警を揺るがします。
自首してきたのは、梶聡一郎警部。書道の達人で、温厚、生真面目な人です。 取り調べに当たった県警本部捜査官・志木和正を前に、梶は犯行事実を完全に認め、供述をはじめます。白血病で息子を亡くし、アルツハイマー病と診断された妻と二人暮らし。自身が壊れていくことに絶望する妻に請われて扼殺・・・。
警察官の犯行ということで県警本部は緊張するものの、事件は犯人の自首、自供により“解決”したはずでした。
しかし事件後の空白の2日間をめぐって警察と検察が対立します。
感想を一言だけ書くとすれば、最後の謎解きが少し物足りません。一番よく書けているのは、新聞記者の心情をあらわした部分でしょうか。
この作品は昨年もっとも売れたミステリーの中の一冊です。
やはり高村薫が恋しいです。あの緻密なストーリー展開のうまさは他の追随を許しません。どうしてミステリーを書かなくなってしまったのでしょう。
彼女の初期の名作『マークスの山』が全面改稿されて、近々出版されるそうです。本当にすごい作品だと思った記憶があります。
合宿中、ずっとむさぼり読みました。(2003年1月21日)

パーク・ライフ    吉田修一

不思議な読後感があります。去年芥川賞をとった作品ですが、まさに現代の都会を描いています。偶然知り合った男と女は互いの名前も知りません。場所は日比谷公園。彼らにはこの場所でアノニムな人間として、ただ互いの存在を確認するだけです。
スタバのコーヒーがあえていえば、彼らをつなぐ小道具と言えるかもしれません。他の登場人物といえば、気球を真っ直ぐあげることに熱中している老人だけです。彼はこの公園を空から見たらどのようにみえるのかということだけに執着しています。
何の事件も起こらないまま、ただ時間がすぎ、最後に女は頓狂な声をあげて、男の前から消えます。ただ「私、決めた」と叫んで、雑踏の中へ吸い込まれていくのです。彼女が何の決断をしたのかはついぞ説明されることがありません。
これが都会だといってしまえば、それまででしょう。しかしなんと微かな関係の中で生きていかなければならないのか。
それが不思議な読後感として、いまだに尾をひいています。(2003年1月5日)

ローマ人の物語 Ⅳ~Ⅴ     塩野七生

おそらく著者が最も力を入れて書いたユリウス・カエサルの章をやっと読み終えました。なにしろ大部なので時間のない人にとっては、なかなかの労働でもあります。しかしカエサルに対する塩野さんの思い入れはなみなみのものではありません。
彼が本当の意味で活躍を始めたのは40才を過ぎてからでした。執政官に就任したのが41才。それからガリア戦役が始まります。
不屈の人だと思います。特に美食を好むわけでもなく、着飾ることもありませんでした。ついにガリアを平定した直後、彼は元老院から最終勧告を受けます。ポンペイウスとの長い政権闘争に入るのです。
51才の時、ついに賽は投げられたという名文句ととともにルビコン川を渡ります。細い川ではありますが、ここを武装して渡ることは、国家に対して反逆を試みるという重罪でもあったのです。
その後ポンペイウスを破り、いよいよ終身独裁官に就任した矢先、元老議場の回廊で、マルクス・ブルータスらによって暗殺されてしまいます。
55才、3月15日でした。
その後、彼の遺言は次の英雄を生み出します。アントニウスと戦うことになるオクタヴイアヌスがそれです。ついにクレオパトラは自死し、皇帝の時代に入っていきます。
これほどに詳しい歴史が語られるのは、カエサルの『ガリア戦記』さらにキケロの存在があるからです。親しい友人でありながら、その政治的立場は正反対でした。それがこの紀元前1世紀のローマを見事にうつしだしてくれているのです。とにかく面白い本です。全15巻になる予定とのこと。まだ道のりは遠いですが、一歩づつ進んでいきたいと思っています。
これだけ先見性のある人がどれだけその後の歴史に登場したのかということを考えるだけでも面白いかもしれません。
今月、同じ筆者の『痛快ローマ学』という本が集英社から出され、これはもう8万部を売ったそうです。何が人々をローマにひきつけさせるのか。これも興味深いテーマです。(2002年12月22日)

ローマ人の物語 Ⅰ~Ⅲ     塩野七生

前から読みたいと思っていた本でした。友人がとにかく面白いからと勧めてくれていたのです。しかしとにかく巻数が多いのにちょっと恐れをなしていました。
しかし読み始めたら、こんなに面白い本はありません。久しぶりに夢中になれる本を手にしたというのが実感です。とくに前半ではハンニバルとスキピオ・アフリカヌスの戦いが圧巻です。
はるかピレネーの山並みを越えて、ローマを目指す将軍に対し、スキピオの戦略も見事なものでした。援軍を期待できないハンニバルはどう戦ったのか。当時、象が戦車代わりになったというのも新鮮でした。
著者は本当にイタリアに強い憧れを持っています。これだけの本を書くにはどれだけの古典を読まなければならなかったのか。想像にあまりあります。
さて、いよいよ第4巻まで来ました。シーザーの登場です。
ローマは一日にしてならず。まさに至言だと思います。この本を読んでイタリア旅行をしたら、全く違った風景が見えるのではないでしょうか。(2002年11月20日)

ひとりごと      市原悦子

本当にこのタイトルにふさわしい本です。彼女が時に応じて語った事柄を、そのまま纏めたものです。俳優座の養成所に入った頃の話から、俳優座を経て、3年のブランクの後、早稲田小劇場の鈴木忠志と出会うまでが第一部です。
また稽古がどういうものであり、本番との違いがどこにあるのかも示しています。その他、数多いテレビや、映画の話にも興味がつきません。
真剣勝負の演技がどういうものか、さらに彼女にとって芝居がどういう位置づけにあるのかということも書き込んであります。
マンネリにならないよう、いつも気をつけていることなど、どの部分を読んでもつい頷いてしまいます。(2002年10月4日)

摂    皆川博子

時代小説を多く書いている作家、皆川博子が珍しく、舞台美術家、朝倉摂の話を書きました。といってもこれは小説ではありません。彼女の目に映った美術家の姿をありのままに綴ったものです。
朝倉摂は芸術院会員であった父、朝倉文夫に反逆し、早くからその引力圏を抜け出します。ニューヨークでの仕事は好評を博し、その後日本へ帰ってきてからは特に蜷川幸雄とのセッションが代表的なものです。
ぼくもセゾン劇場での芝居の前に、彼女の話を聞くチャンスを持つことができました。実に気さくで話しやすい人です。しかし芯の強さを感じさせました。
何にも感動する心を養うことが大切だと彼女は主張します。美しいものへの憧憬の中から、朝倉摂は自分の世界を紡ぎ出していったのだと思います。
ジャンル分けを超えたところから出発しようとした彼女の生き様がとてもよく描かれています。舞台美術の写真もすばらしいものばかりです。(2002年9月3日)

子供の社会力   門脇厚司

子供の世界が大きく変化しています。テレビは今や空気と同じです。小さな頃からテレビと過ごし、子守をさせられてきた子供たちには我慢する力がありません。
さらに個室にこもり、ゲームに熱中し、携帯、パソコンという機器に囲まれた生活は、他者との関わりをますます狭めています。親も仕事に忙殺され、社会との接点たりえなくなりつつあります。少子化も子供同士の関わりを弱めています。
また近年、理解不可能な事件も多発しています。他者に対する想像力が持てない世代の増加傾向はとまりません。
著者はこれらの子供たちに何が欠けているのかをさぐりました。そのキーワードが彼の造語でもある「社会力」です。人と人の間に入り、そこでもまれ自分の役割を見いだしていく作業をしない限り、これからの日本に未来はないと断言しています。
大人の責任が想像以上に強いと再認識しました。今の子供たちが落ち着いて先生の話を聞けないのは、当たり前だと納得せざるを得ませんでした。(2002年8月28日)

晏子   宮城谷昌光

春秋時代の中国を舞台にした小説です。斉の国を治めた親子、晏弱と晏嬰の二人に照準があてられています。天下の名相と言われた晏嬰がどのような環境の中で成長したのか、斉の国をやがてまかされるようになった理由は何かという点に作者は注目しました。
『晏子春秋』、『春秋左氏伝』、『史記』が主な出典です。しかしこの書物にも書かれていない部分は、全て宮城谷さんの類いまれな想像力の産物です。
司馬遷が『史記』に描いた晏嬰の行動はたった二つだけでした。それは下巻に描かれた越石父(えつせきほ)を囚人の境遇から救った話と彼の御者の妻が夫に離婚を申し出たというものです。
晏弱、晏嬰はいつも天と語ります。正しいのかと。もし天にさからう行いをして富や地位を得ても、それは儚く短いものだからです。つねに礼を失わないということが、晏子の一生でした。荘公の凶事に際しても、反逆者たちの目前で最も手厚い悲しみの表現を行いました。泣哭を終え、三度躍り上がるという三踊をしたのは晏嬰だけだったのです。
天をいただくこと。それが晏嬰の生き様でした。それ故に、繰り返される政争の波を潜り抜け、最後まで名宰相たりえたのだと思います。
彼のすさまじさは、いかなる運命にあおうとも少年の心が作り上げた節義を貫き通したという点です。
最後まで一気に読みました。(2002年8月22日)

かずら野    乙川優三郎

つい先日、直木賞をとったばかりの作家です。「時代小説大賞」をとった頃から一躍注目され始めました。現代小説には書けない世界が確実にあるのを実感します。
子供の頃育った千葉の風景が目に焼き付いているのでしょう。
この作品にも銚子が出てきます。作品は主人公の菊子が辿った数奇な運命を主軸に構成されています。途中で何度も苦しい状況から逃げられる可能性を得たにもかかわらず、一人のそれも愛情をそれほど抱けない男との生活をひきずって生きていく女が主人公です。
菊子は足軽の子として生まれ、商家に妾として売られます。自分の身を知り、それに抗うこともせず、時の流れの中を懸命に生きていくという彼女の生き様は、時に息苦しいほどです。
人のさだめというものをどうしても、考えずにはいられませんでした。(2002年8月18日)

編集者の学校     Web現代編

とにかく面白い本です。編集という仕事のつらさも楽しさもこれを読めば、全てわかります。ここに登場する編集者たちは、皆一騎当千の強者ばかりです。
特に最初に出てくる冬幻舎社長、見城徹の話は必見です。その他、田原総一郎、嵐山光三郎、佐高信、本田靖春など、どの人の話にもついついひきこまれてしまいます。
編集をする人間、ルポを書く人間に共通するのは、飽くなき好奇心です。自分で現場に行くこと、そこで見ること、話を聞くこと。何度でも疑うこと、考えること。
ファックスとメールで仕事をしたい人は、絶対に編集の世界には入れません。分厚い本ですが、一気で読めます。(2002年8月17日)

日本国債   幸田真音

日本が抱えている債権問題をそのまま、真正面から取り上げた小説です。買い手がつかなくなるという「未達」の状態を想定し、そこに政治がからみます。
トレーダーたちの生態が生き生きと描かれています。大蔵省の管理に耐えられなくなった彼らが、意図して作り出した「未達」も、実は裏で糸を引く真犯人にのせられた行動だったのです。
謎の事件を追う中で活躍するのは、チャットとメールです。刑事と女性トレーダーの関係を軸に話が進んでいきます。
作品を上梓するたびに、筆力が確実にあがっています。最初の頃からみると、格段に内容が複雑です。
ちなみに筆名の真音(まいん)とは、「買った」という時の合図、マイン(私のもの)から来ています。
国債を扱った経済小説がそれほど多くないだけに、一読の価値があるでしょう。リスク・ヘッジの考え方が理解できると思います。(2002年7月8日)

ホームレス作家    松井計

ぼくたちにはほとんど無縁だと思われている生活を描いたものです。文体が少し硬いです。しかし筆者の心の状態はとてもよくわかります。人間が最後まで捨てられないもの。それは自尊心です。プライドがなくなった瞬間から、人はモノになっていくのでしょう。
とにかく夜の東京を歩き回るシーンが多いのに驚きました。歩く以外にすることがないのです。誰にでもすぐ隣に潜んでいる危機のように感じました。幻冬社が出版に応じてくれなかったら、彼は今頃凍死していたかもしれません。
著者はいいます。一番嬉しかったことは、人間として普通に扱ってもらった瞬間だと。かつての仲間達がこの作品には大勢登場します。そのスタンスは皆がみな違い、人間の襞の複雑さを垣間見せてくれます。
小説ではありません。感情は書き込まれていますが、あくまでもルポです。(2002年7月2日)

文鳥    夏目漱石

なんということもない話です。しかし不思議なエロチシズムと哀愁があります。最後に死んでしまう文鳥を見ながら、望みもしないのに勝手に籠の中に押し込め、結果として殺してしまった自分を作家はじっと凝視します。
漱石の味わいはこうした短編にあるのかもしれません。『夢十夜』などとあわせて、一読を勧めます。(2002年6月28日)

私も英語が話せなかった   村松増美

日本における同時通訳の草分けです。アポロ宇宙中継や、サミットなど国際会議の通訳をこなし、その正確さには折り紙がつけられています。事務員として勤めたGHQで公式通訳になれたことが、著者の人生を大きく変えました。その後日本生産性本部の駐米通訳になり、活躍の場が一気に増えました。この本を読むとどのようにして、英語をマスターしていったのかがよくわかります。
著者にはこの他にも、『だから英語は面白い』(サイマル出版)や、つい最近出版されたばかりの『とっておきの英語』(第一線同時通訳者の秘蔵話・毎日新聞社)などがあります。
人間本当に好きなことなら、どこまでもやれるという証明のような本です。(2002年6月17日)

我が愛する詩人の伝記    室尾犀星

詩人が詩人のことを描くとこのようになるという典型的な作品です。北原白秋、高村光太郎、萩原朔太郎などの横顔を実に生き生きと描き出しています。
堀辰雄、立原道造、釈迢空などどれも本当の詩人ばかりです。
彼らの感性の糸がいかに細く切れやすいものであったのかを知ることは、決して無駄ではないはずです。
かつて犀星の故郷金沢を訪ねたことがありました。犀川のほとりにたてられた彼の「杏」の詩碑は、あまりにも哀しいものでした。私生児として生まれた犀星は故郷を想いながら、しかしその地にとどまることができなかったのです。(2002年6月3日)

古代への情熱   シュリーマン

ドイツに生まれたシュリーマンの人生は、その前半生が商人としての富の蓄積、後半生がまさに夢の実現と二つに分かれています。幼い頃に読んだホメーロスの叙事詩は彼にトロイアの実在を確信させました。
どうしても自分の手で歴史を発掘したいという信念から、シュリーマンは古典ギリシャ語をはじめとして10カ国語を覚え、エーゲ海を目指します。藍、オリーブ油、綿花の取引は折からの南北戦争で彼に莫大な富をもたらしまた。
1868年、46才の彼はいよいよトロイアの地を目指します。ホメーロスの歌『イーリアス』が現実のものになろうとする瞬間でした。
専門の考古学者と対立を繰り返しながらも、自分の信念を貫き通し、ついに多くの遺跡や出土品を発見したその姿には地中海文化全体に対する深い愛情を感じます。(2002年5月18日)

北京大学三カ国カルチャーショック     近藤大介

著者は講談社の社員です。何でもみてやろうの精神で北京大学に一年間留学しました。この本には現代中国のさまざまな側面が示されています。
最初に彼が身につけたもの、それは他ならぬ交渉術でした。
全員が寄宿舎に入る条件下では、まず部屋の確保から始めなければならなかったからです。日本人と韓国人がここでも大変面白いつばぜり合いを演じます。留学生の数はこの二つの国が他を圧倒しているのです。
中国では末端の人間といくら話をしても無駄なことが多いようです。いきなり主任クラスの懐に飛び込んで、とにかくいい部屋をくれと交渉することがポイントなのです。
①相手の言うことは聞き流し、まずは自分の主張を叫ぶ。
②窮した時は合わせ技、逃げ技、泣き技を使う。
③相手に少しでも弱みがあれば、方向違いでもいいからそこをつく。
なんともものすごいものです。
ところで韓国人も自己主張に関しては一歩もひけをとりません。
この本を読んでいると、日本人はどういう民族なのかということが、大変によく理解できます。主張戦士の中韓両国人に対して、日本人は子供のように幼く見えます。
この他、大学生たちの勉強ぶり、キャンパス周辺の食べ物屋、娯楽から恋愛、さらには日本人留学生を取り巻く麻薬事情まで、実に興味深い内容にあふれています。(2002年5月1日)

上野千鶴子が文学を社会学する   上野千鶴子

社会学者に文学は理解できないという風評があると聞きます。しかしこの本を読んでいると、その認識が誤っていることにすぐ気づかされます。
特に佐江衆一の『黄落』という老人介護を主題とした作品とそれ以前に書かれた有吉佐和子の『恍惚の人』との対比がみごとです。
さらに江藤淳の『成熟と喪失』という評論にからんで、小島信夫『抱擁家族』、島尾敏雄『死の棘』、安岡章太郎『海辺の光景』の中に潜む母親的なるものの変質について、わかりやすく語っています。
ジェンダー論の立場からは、「連合赤軍とフェミニズム」という章が面白いです。また全体を通じて最もユニークだったのは文体とジェンダーとの関わりでした。幸田露伴、樋口一葉から山田詠美まで、その文体に関する性差について、大変興味ある論考がまとめられています。一昨年の暮れに出た本ですが、色あせていません。(2002年4月19日)

演技でいいから友達でいて   松尾スズキ

劇団「大人計画」は今若い人たちに大変人気があります。5月に行われる下北沢本多劇場での公演もチケットが完売だと聞きました。
ラサール石井、野田秀樹、吉田日出子、中村勘九郎などとの対談はなかなかに興味深いものです。つい最近出たばかりの本ですが、なぜ松尾という人が今の人気を得るにいたったのかという秘密を知るには絶好のものでしょう。
想像以上に彼の眼は醒めています。
ちなみに、こういう類の本が岩波から出るというのも一つの驚きではあります。(2002年4月7日)

未来への記憶   河合隼雄

著者が自分の半生をごくわかりやすい語調で語った自伝です。高校教師になるつもりで勉強しているうち、心理学に興味を持つようになります。そこで教壇に立ちながら、京大大学院へ通いました。後にフルブライト奨学金を得て渡米。さらにそこの先生の薦めもあってスイスへ留学します。ユング研究所での本格的な、学究生活に入ったのです。
ロールシャッハテストや箱庭療法、日本神話をもとにした研究論文の話など、話題はつきることがありません。
しかし彼を本当の意味で育てたのは、河合家の家族構成にあったと思います。男ばかり6人兄弟の環境は、人並み以上に教育的なものでした。父親、母親もなかなかに面白い傑出した人物です。その中で切磋琢磨しながら成長していく過程はみごとなものです。
心理学に興味を持つ人への入門書としても格好のものです。(2002年3月28日)
イギリスはおいしい 林 望
この本が日本エッセイスト・クラブ賞をとったのは実に10年も前のことです。しかしいつ読んでも面白い本です。イギリス人がいかに味覚音痴かというところからはじまって、しかしやはりおいしいものもこの国にはあるという結論に至るのです。
著者の鋭い視線が文化のあらゆる面に向けられています。特にケンブリッジでの食事の様子などは実に優雅で、しかもユーモラスです。
このエッセイから、リンボウ先生の活躍が始まったと思うだけで、ちょっとわくわくしてきます。書誌学者としての仕事のかたわら、『イギリスは愉快だ』などの続編が次々と出版されました。肩のこらない、しかしユーモアと含蓄に富んだいいエッセイです。(2002年3月9日)

日本権力構造の謎   K・V・ウォルフレン

著者はジャーナリストして長い間、日本に関心を持ち続けてきました。その証として書き上げられたのがこの本です。ここには現在問題になっている官僚制のあらゆる問題点が示されています。
明治維新以降、機能した形での官僚制はもう過去のものです。今のままこの体制を維持していけば、日本が世界から孤立するのは時間の問題でしょう。というよりもう現在孤立しかかっています。
彼の本には『人間を幸福にしない日本というシステム』という類似書もあります。また9月のテロ以降書かれた『日本ワイド劇場』では官僚の現状維持路線が経済の面から完全に破綻しつつあることを論じています。
毎日、新聞をにぎわしている外務省問題も氷山の一角にすぎません。危機の中で政治的に国民が成熟し、覚醒していく以外に、残念ながら解決の道はないのかもしれません。(2002年2月23日)

一古書肆の思い出  反町茂雄

この本を読んだのはもう10年近く前です。しかしその印象は今も大変鮮やかです。なんといっても古書の世界に魅せられた人間だけが持つ香気に満ちた本です。ぼくは最新刊が出るたび、すぐに本屋へ走りました。
筆者は神田神保町の一誠堂で修行を積み、その後、古書肆弘文荘を開業します。店を持たず、目録だけで仕事をしたのです。日本中に眠る国宝級の書籍だけが相手の商売でした。あらゆる古典に通じていなければできない難しい商いです。なかには一冊が五百万、一千万するものもあったといいます。研究者との交友にも大変深いものがありました。
とにかく読んでいて楽しい本です。これほど古書の世界は奥が深いものだとはそれまで全く知りませんでした。彼にとっては天職といってもいい仕事だったと思います。天理大学図書館に納めた多くの書物は今も静かに眠っていることでしょう。現在は文庫本・平凡社ライブラリーで読むことができます。(2002年2月17日)

日本の喜劇人   中原弓彦

中原弓彦こと小林信彦が、日本の喜劇人を全て網羅し、まとめようとした渾身の作品です。晶文社は時に記念碑的な仕事を発掘します。かつては植草甚一の存在を世に問うたこともありました。
著者はスラップスティックスに収斂される喜劇人やエノケン、ロッパなどを中心に浅草、新宿、さらには関西にまで取材範囲を広げています。彼の近作『おかしな男、渥美清』もその流れの中にあるといっていいでしょう。
喜劇人というのは、どうしてその存在が哀しく見えるものなのでしょうか。ぼくが子供の頃にみた多くの人たちが、ここには登場します。現在は文庫でも入手可能です。(2002年2月12日)

センセイの鞄    川上弘美

昨年の谷崎賞受賞作です。谷崎賞というとどうしても遠藤周作の代表作『沈黙』のイメージがあるので、最初少し違和感がありました。ストーリーはほとんどありません。年老いた退職教師と教え子との疑似恋愛の話です。(あるいは真実の愛かもしれませんが)
読みながら何度か内田百閒の『阿房列車』を想わせるところがありました。しかしこの作品が軽みというレベルまで達しているのかということになると少し疑問です。『蛇を踏む』以来彼女の作品を読んだのは2作目ですが、現代の小説がどこへ向かおうとしているのか、かなり考えさせられました。(2002年2月8日)

ソウルの風景    四方田犬彦

南北首脳会談、金大中大統領のノーベル賞受賞にわいた2000年の韓国。その渦中に滞在した5ヶ月間、著者が見た風景をそのまま描いています。映画「JSA」についての話題、また光州事件の現場を訪れ、そこでかつての友人と再会した時のこと、さらに日本の文化(映画、音楽、アニメ、小説など)がどのように、韓国の人々の奥深くに届いているかも検証しています。
著者は元従軍慰安婦問題についても過度な緊張をせず、集会に行き、彼らと食事をし、考えたことをごく自然な形で書こうと努力しています。
時々刻々と変化する韓国という国の横顔を、20年前の記憶と対比させながらまとめていこうとする真摯な姿につい時がたつのを忘れてしまいました。読み応えのある本です。(2002年1月25日)

絵画放浪     窪島誠一郎

信濃デッサン館のことは以前から気になっていました。私財を投じて建てた美術館という話に興味をひかれたからです。村山槐多や関根正二などの絵画やデッサンなどが中心だそうです。
著者は様々な職業を転々とした後、ちょっとした絵画収集が発端となって画商の道に入り、その後画家論などを雑誌に発表するようになりました。その経緯が詳しく語られています。自分の限界を冷静に見ているところに大変共感させられました。
また戦時中3歳の時に生き別れになった父親が、実は作家の水上勉であったということも人生の不思議を感じさせる話です。これは今から十数年前、大きなニュースになりました。ちなみに窪島は養家の姓だということです。(2002年1月13日)

母と神童    奥田昭則

今や、世界的なバイオリニストになった五嶋みどりとその弟、龍の二人を育て上げた五嶋節の物語です。かつては自分もバイオリニストになることを夢見たものの、結婚により挫折。しかしその子供達に夢を託して離婚の後、渡米をします。
みどりは母の言うことには絶対服従をする子供でした。鬼になることを自分に誓った節は最もすぐれた先生に出会うために、あらゆる自分の欲望を抑えます。そのすさまじさはまさに想像を絶するものです。指の間に割り箸をはさんで、小さな手を無理にでも開くレッスンまでしたのです。
競争社会のアメリカでジュリアード音楽院に入学し、様々な奨学金を受け、篤志家から名器ストラディバリウスまで借りて、練習を続ける姿には、驚きさえも覚えます。
バースタインとの出会いや、みどり教育財団設立までの経緯など、実に面白い話ばかりです。なお、五嶋みどりには『雨の歌』という自伝もあります。これも是非読んで欲しい本です。 (2001年12月21日)

対話のレッスン    平田オリザ

現在『青年団』という劇団を主宰し、さまざまな機会を捉えてはワークショップを開いています。現在は桜美林大学でも演劇学を教えています。
さてこの本の中で、ぼくが一番興味を持ったのは日本人が一番苦手だとしている対話についての部分でした。なかでも話し言葉はそこにいる人々が発話者とどういう関係にいるかということによって、全く様相が違ってくるという点です。
演説、談話、説得、指導、対話、挨拶、会話、反応、独り言とその種類は多岐に渡っています。 特に不特定多数を相手にする演説と、ごく親しい友人の間でとりかわされる会話の差などを考えてみれば、よく理解できるのではないでしょうか。
またフランスで彼の戯曲を翻訳して上演した時の感想なども、言葉の構造の違いを感じさせ興味深いです。
「ら抜き」言葉の未来や、文末にネ、サ、ヨなどをつける会話やメールのやりとりの意味など、滅多に考えたことのないテーマがたくさん網羅されています。(2001年12月12日)

春秋山伏記     藤沢周平

庄内弁は京都弁と東北弁との合体したものだそうです。なかなか面白い表現がたくさんあります。「めじょげねの」(かわいそうだね)とか「もっげたの」(恐縮です)とか、ぼくも初めて聞いた時は全くわかりませんでした。
縁あって庄内生まれの人と暮らすようになり、何度もこの言葉を聞いているうちに、いつの間にか親しみをもつようになりました。
この本は全編の会話が庄内弁によって書かれています。出羽三山の山伏信仰をモチーフにしていますが、主人公はあくまでそこに住む東北の人々です。村の中に起こるさまざまな問題を、彼らがどのようにして解決していったのかを詩情あふれる筆遣いでまとめています。藤沢は本当に文章を書くのがうまいです。(2001年12月7日)

シエナ幻想    饗庭孝男

シモーネ・マルティーニの絵が好きで、引き寄せられるように著者はイタリアの古都シエナを訪れます。「アッシジから一度乗り換えてトスカーナ地方の町に着いた時、うっすらと夕焼けが始まっていた」という書き出しのこの本は、彼の持つ感受性の豊かさを余すところなく伝えています。
彼は丘の上に立つ町が好きだといいます。なぜなら丘は天上の星と地上の星との間に位置しているからです。坂をのぼるにつれて次第に見える世界が、夢想と憧憬と生の浄化を果たしてくれるのです。文章は硬質ですが、心洗われます。
ぼくは大学時代、饗庭先生のゼミを2年間とりました。その間に様々なことを学びました。あえて言えば文学の面白さと怖さでしょうか。静かな人です。友人と何度か家にお邪魔しました。後年、どうしてもシエナに行きたくて、イタリアへ飛びました。本当に美しい町です。石畳の続くあの風景が今も忘れられません。(2001年11月24日)

指揮官たちの特攻    城山三郎

筆者がどうしても死ぬ前にこれだけは書いておきたいと言ってまとめた本です。指揮官たちが特攻隊として散華していった軌跡を実にていねいに追いかけています。
城山三郎は自分が彼らに憧れた軍国少年であり、海軍特別幹部練習生であったという事実から出発しました。いわゆる「お涙ちょうだいもの」の安っぽさは微塵もありません。眼は澄んでいます。それだけに読むのがつらいです。
わずか20歳ほどの若者達が、敵艦隊に体当たりし散っていくという光景は、何を意味するのでしょう。自分の命を省みずに突撃する若者達はどのようにして生まれたのでしょうか。
城山は自分の死期が近づいているという自覚の中で、この本を書きました。静かですが、鋭い怒りに満ちた本です。(2001年11月16日)

ステージの光の中から    仲道郁代

芸術家の中でも特にピアニストというのは不思議な仕事です。一度打鍵したら衰退していくだけの音をたよりに世界を構築していくのです。仲道さんは自分がステージに立つ瞬間の話をいくつも書いています。その緊張と喜びはすぐに聴衆に響いていくそうです。
シューマン、ショパン、ドビュッシー、モーツァルトなどの音楽が、彼女にどういう意味を持つのかについても詳しく演奏家の視点からまとめられています。
うまく弾くことと間違えないことの差は紙一重だといいます。しかしそれは全く別のことなのです。(2001年11月4日)

海も暮れきる    吉村昭

いったんはエリートコースを歩んだものの、やがて酒に溺れ、最後は小豆島の寺男として死んだ尾崎放哉の物語です。荻原井泉水の主宰する俳誌『層雲』の同人でもあった彼は、妻に見捨てられ各地を転々としました。そして最後に辿り着いたのが小豆島の西光寺だったのです。
この地で放哉は自由律俳句をたくさんつくりました。
「足のうら洗へば白くなる」
「とんぼが淋しい机にとまりに来てくれた」
放哉は酒を飲まなければ、実に穏やかな人間でした。しかしいったん酔いがまわると、手がつけられなくなってしまったのです。
やがて不摂生がたたったのか、喉の痛む日が増えました。咽頭結核でした。
四国はお遍路の通る土地です。寺にも時折彼らが蝋燭代をおいていきます。放哉のわずかな収入源でした。しかしそれさえも滞る日が続きます。様態は日増しに悪化し、やがて臨終を迎えます。
彼が最後につくったという句はあまりにも有名です。
「はるの山のうしろからけむりが出だした」
享年42才。一人の男の死でした。放哉は種田山頭火と並んで、現在も大変人気のある俳人です。その彼の生き様がこの小説には実にみごとに描かれています。
吉村昭は丹念に史実を調べ、正確な物語を書いています。彼には4度刑務所を脱獄をしたという伝説の人物を描いた『破獄』などもあります。これもあわせて読んで欲しい傑作です。(2001年10月22日)

道草    夏目漱石

漱石の作品は今や完全に古典になってしまいました。明治は遠くなったのです。しかし彼が考えようとしたことは今も全く古びていません。特に知識人の苦悩ということに関連して、『三四郎』『それから』『こころ』などとともに『行人』『明暗』なども読んで欲しいです。
また漱石その人については、彼の妻鏡子が書いた『夏目漱石の思い出』が出色です。躁鬱質の大変気むずかしい人であったことがよく分かります。弟子への態度と妻へのものがまるで違うことに驚かされます。
彼の出自に関しては自伝的要素の濃い『道草』が最適でしょう。塩原の家に養子に出され、その後も養父から金をせびられる様子は、漱石の背景をよく語っています。漱石は一生、金に苦労した人でした。
『我が輩は猫である』は当時の高等遊民の愉快な世界を想わせて楽しいです。しかしその背後に『道草』の世界があったことを忘れてはなりません。『彼岸過ぎまで』は娘の死を一人の父親の視点から書いていて、読んでいても大変つらいものです。(2001年10月16日)

終わりなき伝説    有沢創司

日本を代表する企業、ソニーの社長であった大賀典雄の生涯を描いた本です。彼は芸大の声楽科出身という異色の人でした。大賀が卒業証書を手にした時、時の社長、井深大はいきなりソニーの嘱託になってくれと切り出したのです。出社する必要は全くないから、とにかくソニーの人でいてくれと井深は言いました。
大賀は音について一家言を持ち、つねにソニーに対して投書を続けた面白い学生でした。その彼に井深はずっと奨学金を出し続けたのです。声楽家として次第に名を馳せていく大賀を、ソニーは長い間、ひたすら待ち続けました。このあたりが東京通信工業と言われていた時代から持っている、この会社のポテンシャリティーの高さといえるかもしれません。
やがて大賀は声楽家になることをあきらめ、ソニーに入社します。その後彼はCDの規格を定め、どうしても第九シンフォニーが入る長さにこだわりました。この時のフィリップスとの長い交渉も全て彼が担当しました。
そして次にゲームへの進出をします。任天堂と全く違う、いわゆるCDタイプのソフトを開発し、今日のプレステの原型を作り上げました。
飛行機の操縦をし、帝王カラヤンの死を看取ります。その信頼関係が、今日のCBSソニーの基礎を作り上げました。
最後にはそれまで全く腹心でもなかった出井伸之に次期社長職を委ねます。彼の統率力を見込んでのことでした。一読するだけでその人柄の魅力にひかれることは間違いありません。(2001年10月5日)

詩への架橋    大岡信

大岡信は朝日新聞に長い間『折々の歌』を連載しました。日本の歌を詩人の感性で取り上げたこの仕事は、現在全て岩波新書に収録されています。
ところで本書は彼が青年時代、文学とどう関わっていったのかということを示した自伝です。彼の親しんだ詩がいくつもあげられていて大変参考になります。旧制高校時代の様子が見事に描かれています。大岡は早熟な少年でした。
また歌人であった父、博に対する敬愛の念にも心打たれます。いい友人にも恵まれました。小説家日野啓三はその代表です。今までにこの新書を何度読み返したかわかりません。詩人の魂が伝わってきます。(2001年9月17日)

手鎖心中 井上ひさし

井上という人は怖ろしい才能の持ち主です。もちろん勉強家ですが、そんなことはおくびにも出しません。彼がこの作品で直木賞をとったのはもうはるか以前のことです。「他人に笑われ、他人を笑わせ、最後にちょっぴり奉られもしてみたい」という井上ひさしの真骨頂を示した作品です。
うまいというのが読後感です。ぼくは彼の笑劇全集も大好きです。たくさんのエッセイも読みました。苦しい少年時代があったからこその現在なのでしょう。
本当に勉強家です。頭が下がります。なんだかつらい時、彼の作品を読むと人間がいとおしく思われてなりません。(2001年9月16日)

鴎外の坂     森まゆみ

鴎外を論じた評論には『鴎外・闘う家長』という山崎正和の名著があります。これはぜひ読んで欲しい本の一つです。
また鴎外の小説作品は本当にそれぞれ味わいがあり、どれも飽きることがありません。しかしその中でもぼくはことに『雁』が好きです。ここにはずっと他人の思惑の中でしか生きることのできなかった日陰の女の悲しみがにじみ出ています。
著者は鴎外を巡る女性の中で、『雁』のモデルといわれる児玉せきについて詳述しています。最初の妻、登志子と別れ、二度目の妻、荒木しげを娶るまでの間、いわば妾のような立場におかれた人です。身分、門地が低いということで正妻になることは許されませんでした。それが明治という時代だったのです。
津和野藩典医の長男として生まれた森林太郎の生涯は出世を運命づけられた一族の縮図そのものでした。
著者は下町を中心とした地域季刊誌を発行しています。彼女は鴎外の住んでいた団子坂、三崎坂、無縁坂の周囲を歩き、その住んでいた場所を一つ一つ確認しました。明治の東京を彷彿とさせる力作です。(2001年8月18日)

算聖伝 関孝和の生涯    鳴海 風

関孝和といえば、江戸時代の最も有名な数学者です。以前から興味が大変ありました。和算というのは代数学の方程式理論や微積分の研究をさします。その彼がキリスト教と深い関係にあり、キリシタン屋敷と呼ばれるところで10数年間も少年時代を過ごしたことは全く知りませんでした。
将軍家宣に可愛がられ、新しい暦をつくるべく努力をする姿には頭が下がります。キアラという宣教師に牢の中で習った数学が、彼の一生を形作ったのです。オランダ人の娘アプリルとの恋など、読み応えのある小説です。(2001年8月7日)

あの娘は英語がしゃべれない    安藤優子

テレビキャスターとしてよく知られた安藤さんの留学生活を描いた本です。高校時代に家を飛び出して、単身アメリカへ乗り込んだ時の心細さが、冒頭から共感を与えます。彼女のステイした家の大きさは、これがアメリカだというものでした。敷地の中に湖があり、地下にはプールがあるという豪華な生活の中で、彼らの暮らしは質素そのものです。
子供達は18才になると家賃を払わされます。もちろん学費もローンを組み後で返済することになります。彼女の起こす失策やドタバタは、いい意味で健康なアメリカの横顔に満ちています。(2001年8月3日)

歩兵の本領    浅田次郎

この小説を読んでいて、浅田次郎という人は本当にいろいろな経験をしているなと感心しました。これは中にいた人間にしか絶対に書けないものです。ソ連がまだ仮想敵国であった今から、30年ほど前の自衛隊の内側が描かれています。一言でいえば軍隊の世界です。それは娑婆とは明らかに違います。
作品としては「脱柵者」と「歩兵の本領」が一番面白かったです。自衛隊という組織の本質をそれぞれの短編は鋭くついています。やめようとする人間に対しての複雑な感情が、階級と在籍期間という矛盾した関係の中から色濃く見えてきます。(2001年7月25日)

新宿鮫風化水脈    大沢在昌

新宿鮫は魅力的なシリーズです。最初なんとなく手にとりましたが、それ以後は意識的に読むようになりました。『毒猿』『屍蘭』も面白いですが、直木賞を受賞した『無間人形』がいいです。
キャリアでもある鮫島警部は完全な一匹狼です。何度も死に瀕しています。晶という無名だったロック歌手も今ではメジャーになり、鮫島は彼女との距離をどうとればいいのか悩むようになりました。
覚醒剤、拳銃、外国車盗難密売、売春、蛇頭。この小説に出てくるものは全て現在の日本が抱えている裏の社会の横顔です。(2001年7月20日)

にしむくさむらい    別役実

別役実の戯曲にはベケットの影響が色濃く反映されています。
サミュエル・ベケットの代表作『ゴドーを待ちながら』は圧倒的な影響を現代演劇に与えました。いつまでたってもやって来ないゴドーとは誰なのか、今でも論議の的です。
ところで別役の初期の作品『赤い鳥のいる風景』『象』『黄色いパラソルと黒いこうもり傘』にはベケットの主題とした「不安」が頻繁に出現します。
『象』に登場する夫婦は、おにぎりの食べ方一つをとってみても、常に形而上的です。詭弁といってもいい台詞の重なりの中で事実は大きく変容し、新たな現実がそこに生まれます。これがある意味で別役の戯曲におけるディアレクティクということが言えるでしょう。もちろん、そこに本当の意味での事実の変化はありません。あるのはあくまでも我々の内部における「もう一つの事実」だけなのです。
彼の作品は全て三一書房から出版されています。読んでいるうちに別役の戯曲だけが持つ不思議な魅力に引きつけられるはずです。なかでも『にしむくさむらい』と『あーぶくたったにいたった』はぼくの大好きな芝居です。(2001年7月17日)

水辺のゆりかご    柳美里

柳美里(ユウ・ミリ)がどのようにして作家になったのか、いやそれ以外の道はあり得なかったということを自伝的に書いた本です。在日韓国人として生まれた彼女の家庭は既に崩壊していました。高校一年で中退し、東由多加のひきいる東京キッドブラザースに入団します。しかし役者になることができず、座付き脚本家となり、その後作家に転身していきます。
こんな生き方をする人間が今でもいるのかと思わずにはいられません。学校ではいじめに会い、母とは絶縁、父は行方不明のまま、青春時代を終えます。
彼女は昨年の1月、未婚の母になりました。その出産までの様子は『命』というルポルタージュにおさめられています。東は昨年4月に癌で亡くなりました。その彼と最後は一緒に暮らしながら、それでも別の男性の子を生みます。この人はどこまでも自分の人生を破壊しないではいられないのかもしれません。最相葉月や町田康の奥さんとの交友には心あたたまるものがあります。(2001年7月14日)

近代能楽集    三島由紀夫

この戯曲は演じられることよりも、むしろ読んでもらうことを主眼に書かれたのではないかと思う時があります。それほどにこの芝居は難しいのです。何がかといえばそこにリアリティーをもたらすことがです。今までに何度も見ていますが、本当に良かったと思えるだけの質のものに出会っていません。むしろ読んだ時の衝撃の方が強いです。『鹿鳴館』などの方が芝居としては演技しやすいのかもしれません。
三島はたくさんの神話を持っています。『仮面の告白』はやはり必読書でしょう。彼が学習院の中学の頃書いたという作文の冒頭はあまりにも有名です。「私は夕な夕な窓辺にたち、椿事を待った」とあります。「椿事」とは何であったのでしょうか。もうその頃から幻想が彼の身体の中には巣喰っていたのかもしれません。(2001年7月8日)

ミュージカルの時代    扇田昭彦

著者は日本を代表する演劇評論家です。主に新劇と呼ばれるジャンルの作品を見続けています。朝日新聞記者として、寺山修司、唐十郎、つかこうへい、別役実、鈴木忠志などの芝居を批評してきました。また最近では平田オリザ、野田秀樹、三谷幸喜などの芝居に対する劇評があります。
とにかく芝居が好きで、そこから精神世界を築き上げたという印象の強い人です。岩波新書には『日本の現代演劇』があります。これは本当によく書けている本です。今の日本の演劇状況が十分理解できます。
さて本書はミュージカル批評のムックです。88公演が載っています。これを読んでいると日本のミュージカルの着実な成長ぶりがよくわかります。こうしている今も大好きなミュージカルの曲が次々と思い浮かんできます。(2001年6月30日)

ストロベリーロード    石川好

アメリカがもっとも輝いていた1920年代と1950年代。この黄金期のアメリカに住みたい、と多くの日本人が望みました。この作品は実際カリフォルニアに住んだ日本人青年を描いた自伝的な小説です。
しかし、ここには黄金期のアメリカで憧れの豊かな生活を楽しんだ青年の話は出てきません。出てくるのはどこまでも続くイチゴ農場とそれを毎日摘むだけの単調な生活です。広大な、というよりアメリカの大地そのものが描かれています。
兄を頼ってアメリカに渡った日本人青年が、ハイスクールに通いアメリカの社会に接しつつ、日本人移民社会というアメリカのなかの異世界に住むのです。この作品ぐらいアメリカの農業社会の横顔をうまく描き出したものはありません。著者はコールドウェルの『タバコロード』をかなりを意識して書いています。現在評論家として活躍している著者が若い日々をどう過ごしたのかを知るのには最適です。なかに出てくる不思議な英語が、ひどく懐かしく感じられてなりません。ぼくの大好きな本です。(2001年6月28日)

アルジャーノンに花束を  ダニエルキイス

書店組合が読者を対象にしたアンケート「心が揺れた1冊の本」でこの本が『赤毛のアン』や『星の王子様』などをおさえて第1位に輝きました。幼児の知能しかない主人公チャーリーが脳外科の手術で天才に変わるというのが、そのストーリーです。ただし頂点をきわめたところから次第に知能はまた下降線をたどります。
最初は間違いだらけの綴りを日記に書いていたチャーリーは、次第に知能を上げ、周囲の誰にも理解できない中枢神経に関する理論までを理路整然と述べ、幾つもの言葉を操るまでになります。彼に手術を施した医者のレベルを遙かに超えてしまうのです。そこからチャーリーの孤独が始まります。かつて彼を馬鹿にしていじめていたパン屋の仲間達は去り、知的障害センターのキニアン先生も、あなたと私との間には差がありすぎるといって、逆に愛の告白を受けようとはしません。
人間にとって本当の幸せとはなにかという大きなテーマをつきつけた名作です。人は学ぶことで時に友や親を失うのかもしれません。
この作品には戯曲版もあり、かつて劇団「昴」と、桐朋短大演劇科の卒業公演をそれぞれ観たことがあります。特に主役チャーリーはよほどの力がないと演じ分けられません。しかし桐朋の小さな舞台で見た主人公は出色でした。
著者には他に『24人のビリーミリガン』という多重人格者を扱った小説があります。こちらは実話です。早川書房はダニエル・キイス文庫を創刊しました。(2001年6月21日)

天女舞う国ベトナム    片岡利昭

ここ1ヶ月の間にベトナム関係の本を何冊も読みました。その中でこれが一番今の状況を的確にあらわしていると思います。筆者は鉄鋼関係の商社マンです。4年半のベトナム駐在で現地事務所を立ち上げました。
特にベトナムでビジネスをすることの難しさを、わかりやすく具体的に書き込んでいます。世界の常識が通用せず大変苦しんだにもかかわらず、やはりこの国が好きだという筆者の言葉には重みがあります。東洋出版から今年の1月に発行されました。(2001年6月20日)

言葉の海へ    高田宏

日本で最初の国語辞典「大言海」がどのようにしてできあがったのかということを描いた作品です。ウェブスターに匹敵するだけの辞書を明治政府は欲しがっていました。言葉が国の要だということを当時の文部官僚達も知っていたからです。
その重責ある仕事を任されたのが言語学者、大槻文彦でした。この本は彼がどうやって言葉を集め、辞書をつくっていったのかということを丹念に書き込んだ本です。著者はかつてエッソ・エナジー叢書の編集者でした。この作品が事実上の処女作です。(2001年6月19日)

ボヴァリー夫人    フローベール

「ボヴァリーは私だ」という筆者の台詞はあまりにも有名です。ぼくは大学時代に一度読んだだけだったので、最近読み直してみました。その結果、ああ、こんなことはいつの世にもふんだんにあるとしみじみ感じました。
エンマという主人公の奔放さは現代ではごく当たり前のことです。なんの違和感もありません。しかしそのことを当時描くことには大きな障害があったはずです。フローベールはなぜここまで人生の縮図を描きたかったのでしょうか。むしろそこにぼくの今の興味があります。(2001年6月17日)

立原正秋    高井有一

立原正秋は今でも多くの読者を持っています。代表作『薪能』などを読むと、独特の清涼感があり一種の心地よさを感じます。しかしその出生には多くの秘密がありました。この本はなぜ立原が日本の美にあれほどこだわったのかということを、友人高井有一が一つ一つ解きあかしていったものです。
その結果、さまざまな真実が浮き彫りになりました。ぼくは立原の文学が狭い領域のある種の美意識に貫かれ過ぎていることを時にうるさく感じます。しかし時々懐かしさを覚えて読み直すことがあるのです。自分でも不思議でなりません。(2001年6月17日)

文化人類学への招待    山口昌男

筆者は実に多才な人です。その上、怖ろしいほどの博識です。ぼくはこの本から随分さまざまなことを学びました。市立公民館での連続講演をもとにして、岩波新書におさめたものです。トロブリアンド諸島での首輪交換や、カナダインディアンのポトラッチなど興味あることがらをたくさん取り上げています。
最後に講座を聴講した大江健三郎のコメントも載っています。これを手始めにして、中村雄二郎の『魔女ランダ考』などを読むといいかもしれません。(2001年6月17日)

砂の女    安部公房

安部公房の中核をなす作品です。人間の不安を砂のイメージでからめとりました。砂の持つ無機的な感覚が、人間存在の卑小さをよく象徴しています。この小説は勅使河原宏によって映画化されました。岸田今日子演ずる女の横顔に現代の不安が描かれています。武満徹の音楽もユニークなものです。
彼は戯曲もたくさん書きました。『棒になった男』『友達』などは機会があったら是非見て欲しいものです。安部公房ははやく死にすぎたと思います。彼はノーベル賞を手に入れる資格を十分に持っていました。(2001年6月4日)

山の郵便配達    彭 見明

現在、岩波ホールで上映中の映画の原作です。まだ映画の方を見ていないので映像についての明確なコメントはできませんが、なんともゆったりとした内容です。映画化されてから原作が読まれるようになったようです。長い間山の中を巡り歩き郵便配達をしてきた父とそれをじっと見守る息子。
ぼくはやはり息子の視点に自分がたっているのを感じます。いかにも中国の小説です。時間が本当にゆるやかに流れています。他の作品では「南を避ける」と「愛情」が味わい深いです。現代中国の様子が巧みに描かれています。(2001年5月14日)

兄弟     なかにし礼

『長崎ぶらぶら節』での直木賞受賞は記憶に新しいところですが、彼の事実上のデビュー作はやはり『兄弟』です。この作品はなかにし礼がどのようにして、作詞家としての地位を築き上げたのかということと並行して、本当の意味で無頼の兄を持った苦悩が描かれています。大陸浪人という言葉がかつてありましたが、まさに彼の兄はそれにあたります。
「兄貴死んでくれてありがとう」という言葉には万感の思いがこもっています。弟の稼ぎを何億円と使い、それでも兄は平然としていました。冒頭で鰊を網ごと投機の対象にするシーンは圧巻です。また石原慎太郎には『弟』という石原裕次郎についてまとめた小説があります。これは逆に兄が弟に対して持ち続けたコンプレックスによって貫かれている点が興味の尽きないところです。
文章はなかにし礼のほうがしっかりしています。兄への思いがぎっしりとつまっているだけに、読んでいても息苦しいです。いずれにしても肉親を描くのは作家にとって本当につらいことです。(2001年5月7日)

神の子どもたちはみな踊る     村上春樹

神戸の大地震に啓示をうけてまとめられた短編集です。どの作品も全て大地が揺れるイメージで書かれています。なかでも「かえるくん、東京を救う」が大変愉快でした。彼は想像以上にペシミストだと思います。
『ノルウェイの森』や『ダンスダンスダンス』の頃とは少し違っています。最近では地下鉄サリン事件にあった人にインタビューを試みた『アンダーグラウンド』やシドニーオリンピックのルポ『シドニー』など、関心の領域を広げています。
ノモンハン事件を扱った三部作小説『ねじまき鳥クロニクル』は問題意識の変化をはっきりと感じさせます。(2001年5月2日)

英語できますか?    井上一馬

新潮選書は地味なシリーズですが、いい本を揃えています。ヒット作はなんといっても江藤淳の『漱石とその時代』でしょう。これは彼が自殺する直前まで書き続けられました。ところで井上一馬にはたくさんの翻訳書があります。以前ぼくの職場にいた方の同級生とのことで、親近感をずっと持ち続けていました。とくに英語の学習法について、この本にはなかなか味のあることが書いてあります。
英会話学校にすぐ行ってもだめとか、ラジオやテレビの英語番組はこう使えとか、少しレベルは高めですが、なるほどと納得させられます。とくに自分でその日あったことなどを英語でしゃべる訓練をつむというのは、恥ずかしがり屋で失敗を嫌う日本人にとって究極の技かもしれません。(2001年4月30日)

iモード事件     松永真理

リクルートから転職し、全く何も知らない世界で、iモードをつくりあげました。最初にしたことは黒澤明監督作品「七人の侍」と同じようにまず、戦士を集めることでした。NTTドコモの社員とは思えない異色の技術者や宣伝マンと一緒に、開発室をつくり、パケットという思想を生み出します。さらにコンテンツを次々と生み出し、今日の標準をつくりあげました。
内容がとにかく面白いです。やはりゼロから何かをつくりあげていくために必要なものは飽くことのない熱意なのかもしれません。(2001年4月27日)

月山     森 敦

東北の持つ力はこの作家の中に凝縮されています。実に不思議な人生を生きた人でした。旧制一高で横光利一と知り合い、その後『酩酊船』を書きましたが、ふっつりと消えてしまいました。これは18才で書いたとは思えない早熟な小説です。彼の肉体には出羽三山の信仰がしみこんでいます。
その語り口調は独特で、味わいがありました。月山での十日あまりの講話もしみじみとしています。放浪の作家です。数学と哲学に踏み込んだ著作『意味の変容』もあります。そこでは曼陀羅の世界を読み解いています。また『我逝くものの如く』には彼の死生観が如実にあらわれています。(2001年4月26日)

枯木灘    中上健次

この小説は中上健次の代表作です。圧倒的な力があります。路地という概念を持ち込み、熊野の地に宿る神との交感を描きました。彼の一生はあまりにもはやく、しかも強烈でした。亡くなって既に十数年。しかし那智に代表される土地の持つエネルギーを語った彼の力は衰えることがありません。『鳳仙花』は母との関係、『木の国・根の国物語』はルポ、その他『岬』など数多くの小説があります。
かつてこれほどの膂力をもつ作家は日本にいませんでした。現在も彼の地位を脅かす書き手はあらわれていません。(2001年4月26日)

世に棲む日々    司馬遼太郎

かつて萩を旅した時、向こうの辻から高杉晋作や久坂玄瑞が飛び出してくるような錯覚にとらわれました。雰囲気のある本当にいい町です。松下村塾は神社の中にちょこんとたっていました。本当に小さな建物です。しかしそこには教育者、吉田松陰がいました。だからこそ俊秀が彼を慕って集ったのです。
この作品は幕末に生きた青年たちの熱気に溢れています。狂おしい時代の波が、彼らを育てました。司馬遼太郎の筆は、遠い時間を経て、実に冷静です。しかしそこには熱がこもっています。それが何よりの魅力です。蒙古、中国を扱った小説『韃靼疾風録』なども面白いですが、やはり彼の真骨頂は幕末ものにあります。
『龍馬がゆく』『最後の将軍』『翔ぶが如く』などいずれも、躍動感にみちた小説といえます。彼の日本観について述べた本、『この国のかたち』には独特な切り口があります。(2001年4月25日)

羊の歌    加藤周一

何度読んでもすばらしい本です。最初なにげなく読み始めてもつい内容が豊かなので引きずり込まれてしまいます。これは評論家、加藤周一の自伝です。彼がどのような環境の中で、今日の彼自身を作り上げたのかが、明確に理解できます。
祖父とその周辺の人々。父母との関係。また友人というものをもたなかった青春時代。はじめて級友を家に招待したときの話など、それだけで小説になります。学問をする環境とはどういうものなのか考えさせられます。(2001年4月24日)

源氏物語    瀬戸内寂聴

この日本を代表する名作の現代語訳はいろいろな作家が試みました。与謝野晶子、谷崎潤一郎、円地文子、橋本治……。なかでも瀬戸内訳は癖がなく、大変読みやすいです。十巻ほどになりますが、源氏のなくなった後、宇治十帖などの記述にも味わいがあります。
『源氏物語』をとにかく通読したい人に最適です。(2001年4月21日)

毛沢東の私生活    李志綏

毛沢東はすでに伝説中の人物です。中国共産党をひきいて延安まで長征した時の様子はエドガー・スノー『中国の赤い星』で読むことができます。しかしこの本の中の毛沢東はその時の彼とは何もかもが違います。まさに権力を握った人間はどう変化するのかという、悲しい実験の結果を見るようです。
筆者は彼のそばにいた侍医です。アメリカに亡命し、この本を書きました。中国では今でも読むことができません。(2001年4月21日)

旅する巨人   宮本常一と渋沢敬三 佐野眞一

日銀総裁であった渋沢敬三と民俗学者、宮本常一との交友をあたたかく見守り、どれほど宮本が日本中を自分の足で歩き通したのかにスポットをあてた本です。晩年になるまで定職をもたなかった彼を背後で支えた渋沢の態度にも頭が下がります。
なお、宮本常一には名著『忘れられた日本人』があります。この本は日本人のあり方を知るために絶好の本です。(2001年4月21日)

自由への長い道    ネルソンマンデラ

南アフリカをアパルトヘイトから救った人の伝記です。アフリカ民族会議青年同盟創設に深く関わり、27年間の懲役刑をうけました。しかし不屈の闘志で最後まで耐え、デクラーク大統領と並んでノーベル賞を受賞しました。
人間は信念の前にここまで強くなれるのかということにあらためて驚きを覚えます。長いものですが、少しも飽きることがありません。(2001年4月21日)

豊かさとは何か     暉峻淑子

1989年に岩波新書から出された本です。今でも再版を重ね続けています。この本が出てから、「豊かさ」というキーワードが一気に広まりました。しかしこの時提出された問題は、現在も日本人の本質に深く関わっています。
バブルがはじけて後、日本人の考え方は大きく変わりました。何が本当に豊かなのかということを誰もが真剣に検証するようになったのです。大学入試小論文に何度も出題されました。結論のでない本当に難しいテーマです。(2001年4月19日)

司令の休暇     阿部昭

父親を描くことは息子にとって、結構きついことです。特に男の子は父親を乗り越えていく宿命を背負っているからです。これが女の子の場合は全く違います。萩原葉子の『蕁草(いらくさ)の家』などを読んでいると、父朔太郎との蜜月時代を感じます。それは森鴎外と森茉莉、幸田露伴と幸田文、立原正秋と彼の娘、壇一雄と壇ふみとの間などにも見られる光景です。
さて、この作品はかつて偉い軍人だった父、しかし今はなんの役にもたたない、ただの老人となった父と息子との関係をつづっています。作者の内圧が高い分、内容は凝縮されています。安岡章太郎にも父親を扱ったものはありますが、それよりも心情は言葉にあらわせない分、深いです。(2001年4月18日)

高丘親王航海記    渋澤龍彦

最晩年の作品です。渋澤龍彦と言えば、サドの翻訳などで有名ですが、小説はあまり書きませんでした。つねにペダンティックでグロテスクな世界を好んだ彼が、最後にたどりついたのが、この小説世界です。不思議な生き物たちが登場しますが、違和感はありません。むしろ懐かしい気分になります。
細い川をたどっていく親王の姿は、どこか陶淵明の書いた『桃花源記』にも通じる華やかさに満ちています。(2001年4月17日)

髪の環    田久保英夫

ぼくが大きな影響を受けた作家です。ある意味で職人肌の小説家でした。その扱う世界は大変狭いのですが、心理描写は細かくその精神世界は広かったのです。矛盾しているかのようですが、これが実感です。小説を読んだ後はいつも、人間が全く別の形に見えました。どの作品も特異な心理描写によって貫かれています。
『海図』や『しらぬひ』、また彼の初期の『触媒』など、いずれもいい小説です。新作が出るたびに、ページを開くのが楽しみでした。しかし残念なことに昨日、亡くなってしまいました。これからも限られた読者に愛され続けると思います。(2001年4月15日)

現代口語演劇のために    平田オリザ

著者は静かな演劇の代表として、劇団「青年団」を率い現在も活躍を続けています。以前からこの劇作家は面白い存在でした。特に高校時代には自転車で世界旅行をするため、わざわざ定時制高校に入ったという変わり種です。その時の様子を書いたものも同じ晩聲社から出版されています。
新しい演劇のあり方を模索したという意味で、彼のワークショップなどの様子を知ることができます。ぼくも平田の芝居を何作か見ていますが、いずれも不思議なほど静謐な舞台でした。(2001年4月14日)

ナニワ金融道   青木雄二

ぼくにとって大切な本です。コミックのジャンルに入るのかもしれませんが、ここに描かれているのは、金銭にからむ人間の欲望です。カネの前に、いかに人間が無力なものかを、これでもかといった調子で暴いていきます。著者のエッセイはこの漫画が世に出て以来、たくさん出版されています。ほとんど読んでみましたが、トーンはいずれも同じようです。
なかでは『突破者』で一躍有名になった宮崎学との対談本などが大変興味深いです。しかしどのエッセイよりも、この作品はよく描けています。主人公灰原の行動パターンには圧倒的なリアリティーがあります。(2001年4月5日)

女が学者になる時    倉沢愛子

筆者は日本におけるインドネシア現代史の学究です。しかし彼女が今の立場になるまで、どれほど困難だったのかをこの本は示してくれます。途中ベトナム、アメリカ留学を経て、離婚。その後またジャカルタに戻っての研究生活、再婚。
内容の厳しさに比べて、この本を読んでいると、不思議なくらい読後感が爽やかです。それは彼女の生き方にいつも一本芯が通っていたからではないでしょうか。草思社の本としても骨太のものです。(2001年4月3日)

コンセント     田口ランディ

ネットでデビューした作家。なかなか新しい感覚で読ませます。今の時代だからこそ、このような作品が受け入れられるということでしょうか。「コンセント」というキーワードに現代との接点を感じます。彼女のエッセイがこのところいくつも出版されています。
村上春樹にはないストーリー展開の強さがあります。しかし文章力は格段に村上春樹のほうが上です。後半のモノローグはもう少し押さえた方がよかったかもしれません。(2001年3月27日)

ジャコメッティとともに    矢内原伊作

ジャコメッティは20世紀を代表する彫刻家です。あの細い独特の造形を一度見たら、忘れることはありません。パリのアトリエを訪れた留学生、矢内原は、そこでこれから起こることを全く予感できませんでした。それほど出会いは衝撃的だったのです。一枚の肖像画を描いてもらうために、矢内原は毎日彼のアトリエを訪れます。しかし絵は完成しません。
真摯に対象と向き合う芸術家は、何度もキャンバスを白く塗りつぶしてしまうのです。しまいには彼の妻と懇ろになる矢内原。しかし芸術家はそのことに腹をたてることもなく、むしろ喜びさえします。この本はぼくにとってとても大切なものです。しかし筑摩書房はなぜか再版をしていません。現在は絶版です。(2001年3月26日)

異邦人    カミュ

高校生の時代に読んだ作品です。20世紀を代表するといわれ、必死で挑戦しました。時間があったので先日、もう一度読み直してみました。細かい部分は忘れていましたが、時代の気分は確かによみがえってきました。ムルソーという太陽と死を具現化した主人公の気分が、なんとなく今の時代にあっているかもしれません。
殺人よりも、むしろその後の審判の部分に、今はよりリアリティーを感じます。サルトルとあわせて、大学の授業で習ったころが懐かしいです。「シーシュポスの神話」を先日、授業で行いました。難解です。(2001年3月25日)

蝉しぐれ     藤沢周平

藤沢周平の作品はなぜか懐かしいです。今まで歴史書と言えば司馬遼太郎の本ばかりでしたが、藤沢の本を読むようになって、この懐かしさがたまらなく好きになりました。一言でいえば、哀しみがあります。人として生まれ、死んでいく運命に対する穏やかなまなざしがあります。それが今の自分の心境にあっているのでしょうか。
この「蝉しぐれ」は丸谷才一が秋山駿にぜひ読めといって勧めたといいます。山形県鶴岡の風景が随所にでてきます。蝉の鳴き声がこれほど心地よく響く作品はありません。ここには青春と恋と人の哀しみが宿っています。(2001年3月23日)

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