落語の国の精神分析

ある大学の入試問題に、精神分析家、藤山直樹の『落語の国の精神分析』が出題されていました。
以前読んだ記憶があるものの、その大部分を忘れていたのです。
あらためて、じっくりと文章を読むにつれ、事実を正確に描写するというのはこういうことなのだと実感した次第です。

落語には何かを演じようとする自分と、見る観客を喜ばせようとする自分の分裂が存在する。
それは「演じている自分」とそれを「見る自分」の分裂であり、世阿弥が「離見の見」として概念化したものである。(問題文より)

落語という話芸のユニークさはこうした分裂のありかたに、もっと言えば、そうした分裂を楽しんで演じている落語家を見る楽しみが、落語というものを観る喜びの中核にあるのだと思う。(問題文より)

多くの観客の前で噺家は期待の視線にさらされます。落語家はつねに孤独です。観客の立場にたって、自分を冷静に見ながら、なおかつ登場人物の中に自分自身を投影していかなければいけないのです。
演者はネタの中に出てくる人物たちにその瞬間同化します。登場人物たちがお互いに何を語るのか知らないというのが基本の設定です。
それでいて、噺家本人はその全てを掌握していなければならないのです。

つまり観客の前で自己分裂を続ける存在こそが、噺家そのものなのです。

その他者性こそが落語の命なのでしょう。そこに観客は不思議な味わいを感じます。ギャグもくすぐりも生きてくる。落語家はお客でもあり、登場人物でもあり、そして他ならぬ彼自身でもあるのです。
だからこそ苦しく難しいのに、悪魔的な魅力にひかれ、翻弄されていくのだと思います。

難問でした。
解答は全て100字前後で説明するものです。
ちなみに第一問は「落語家の自己はたがいに他者性を帯びた何人もの他者たちによって占められ、分裂する」とはどういうことか説明せよ、というものです。
さてぼくの解答は何点とれたのやら…。

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