身体的物語論 蜷川幸雄 徳間書店 2018年5月

蜷川幸雄が亡くなって2年。
歳月の過ぎ去るのは早いものです。

彼はどういう演出家だったのか。
いつも時代の匂いを嗅ぎまわっている人でした。
Tシャツ1枚になっても、汗をかいていた
そういう意味で、静かな演劇をつねに標榜した平田オリザとは対極をなすのかもしれません。

亡くなる前に行ったインタビューが冒頭の部分です。
もう満足に動けない。
それでも意識だけは舞台、客席を自在に移動できると彼は述懐します。
さぞや、もどかしい日々だったに違いありません。

しかし全体をみて取ろうとするとぎすまされた意識は尋常のものではないです。
それはこのインタビューを読んでみればすぐにわかる。
つねに時代の風の中にいなければ、と自戒をこめて生きていたような気がします。
それが全てだったのかもしれません。

後半の章でハムレットの死後、王になるフォーティンブラスについて編者、木俣冬のまとめた文章が大変に興味深いです。
年老いた人の劇団、若者の劇団、プロの俳優の中を右往左往しながら、つねに新しい役者を探していたのです。
どんなフォーティンブラスが次の世紀を担いうるのか。

新しい感覚を持った資質のある人間はどこにいるのか。
その発声はどうであるべきなのか。
大声で叫べばいいわけではありません。
聞こえないくらいの囁き声を要求したこともありました。

今までに鈴木忠志、つかこうへい、蜷川幸雄などの芝居を見ながら、たくさんのことを学んできました。
演劇はどこへ向かっていくのか。
状況をひりひりと嗅ぎ取るタイプの演出家は、不条理すら資本の論理に組み込もうとする時代の圧力にどう抗っていくのでしょう。

僕らの能・狂言 金子直樹 淡交社 2018年3月 

今年出版されたばかりの本です。 若手から中堅が中心。 現在活躍している人たちへのインタビューで構成されています。 能や狂言に対する愛情の深さがこれでもかと伝わってきて息苦しいほどです。 それだけ今日、彼らの背負っている現実が重いのです。 かつてのように日常生活の中に謡や能が浸透しているわけではありません。 様式美に支えられた歌舞伎のように心地よくやさしい演劇でもない。 どちらかと...

新訳風姿花伝 観世清和  PHP研究所 2013年12月

今までに何度も読んでいます。 そのたびに新しい。 そのことに驚かされます。 著者は31歳で観世宗家を継いだ能楽師です。 特に訳が難しいというのではありません。 ただ自らが舞い、謡う立場にいる人だけに、その言葉に裏付けがあるのです。 実際、芸道の厳しい道を歩いていなければ書けないことばかりです。 読んでいると、息苦しくなります。 父親左近は「なんのために能を舞っているのか」と...

森有正先生のこと 栃折久美子 筑摩書房 2003年9月

栃折久美子さんといえば、一つの時代を作り出した装丁家です。次々とすばらしいデザインの本が書店に並びました。 その彼女がパスカルの研究家で哲学者でもある森有正とこのようなつきあいをしていたとは全く知りませんでした。 と同時に今まで、大変に難しい文章ばかりを書いていた森有正が一気に別の人間としての生きた横顔を見せてくれました。それがとても嬉しいです。 大学生の頃、フランスに対する憧れを漠然と持っ...

君たちが知っておくべきこと 佐藤優 新潮社 2016年7月

副題に未来のエリートとの対話とあります。 これは灘高校の生徒と膝詰めで話し合った対話集とでもいったらいいのでしょうか。 ユニークな構成の本です。 筆者は一種の焦りを持ちながら、エリートと呼ばれる彼らに信頼をおこうと必死になっているように思えました。 日本では選良に与えられた義務という発想をあまり声高に語りません。 しかしヨーロッパではごく普通にノブレス・オブリージュという言葉を使いま...

夫・車谷長吉 高橋順子 文藝春秋 2017年5月

上梓されたばかりの本です。 通勤途中も読みふけってしまいました。 車谷長吉については、あちこちに書いた記憶があります。 彼の文体に惹かれ、何作も読みました。 やはり『赤目四十八瀧心中未遂』の持つ特異な風景は魅力的です。 その作家がどのようにして、詩人高橋順子と所帯を持つようになったかについては興味がありました。 自己韜晦と顕示欲の強い車谷の文章だけでは、本当のところが見えなかったか...

桜田門外ノ変 吉村昭 新潮社 2010年2月

偶然の機会に恵まれて読了することができました。 『大黒屋光太夫』に続いて、職場の女性に貸していただきました。 吉村昭の小説はかつて『海も暮れきる』と『破獄』を読んだだけです。 そういう意味で、大変に貴重な時間でした。 視点はただ一つ。 水戸の下級藩士の家に生まれた関鉄之介の目を通して描かれた井伊暗殺の全貌です。 水戸学といえば、尊皇攘夷。 太平洋に面した広い海岸線を持っている土地...

N女の研究 中村安希 フィルムアート 2016年11月

N女という表現にとまどいました。 非営利法人に転職していく女性のことです。 それまでの報酬を捨て、高学歴の彼女たちがなぜ…。 民間セクターと行政セクターとの溝を埋めるため、つなぎ役になりたいとする彼女たちへのインタビューで全体が構成されています。 基本的に肩肘張らずにやっているのがいいなと思いました。 彼ら以前にNPOを立ち上げた世代の人たちとは明らかに違っています。 慈善団体から...

みかづき 森絵都 集英社 2016年10月

長編です。小説すばるに足かけ3年連載したものをまとめたものです。 文学的な香気というものからはやや遠いものの、多くの読者を得られるだろうと思います。 それは内容がまさに現代の教育の実情をえぐっているからです。 塾というものの草創期から今日までの様子が伏線です。 ストーリーの根幹をなすのは大島一族のそれぞれの物語。 家族というものがどのような内実を含んでいるのかということが中心です...

脊梁山脈 乙川優三郎 新潮社 2013年4月

復員兵である主人公の心の軌跡とでもいったらいいのかもしれません。読後感がこれだけ爽やかな小説は久しぶりです。しかしそれはけっして明るいものではないのです。主人公に絡む2人の女性。一人は奔放な画家であり、もう一人は芸者です。 伏線には木地師と呼ばれる人々との出会いがあり、どこへ読者を連れていこうとしているのか、最初はとまどうばかりでした。 しかし読み進むにつれ、戦争の焼け跡からどのようにして自我...