人間の条件 立岩真也 理論社 2010年8月

 著者の本をはじめて読みました。社会学者ですが、その切り口は通常のそれではなく、生存学とでも呼べるものです。
発想の基本は能力主義を根本原則とする社会に対しての疑問です。つまりできる人間はその対価として、財を得てよいのかということです。ここでいう「できる」というのはあらゆることに対する能力をさします。
計算能力しかり、技術、言語、身体能力、IT技術…。およそ人間が扱う能力に差があるという紛れもない現実の中で、それにみあった対価を得るということが、果たしてどこまで許され、認められているのかという、いわば近代文明の根本原理を根底から見つめ直そうという本です。
もとよりこの本が「よりみちパンセ」シリーズの一冊になっているということは、対象が小学生高学年から高校生くらいまでをイメージしているものなのでしょう。
難しい表現をなるべく使わないようにしているため、かえって内容はより本質に粘り強くせまろうという様相を呈しています。
障害者という概念を一方において、能力が異なるということが、そのまま許される社会があるという事実をどう捉えたらいいのかということについて、熱く語っています。
近代の原理はまさに能力肯定のベクトルとパラレルです。そこでは能力を持つ者がより高い富を得るという図式がとられてきました。
しかし本当にそれほどに能力の差があるのかといえば、それはほんの僅かな環境がなしたものといえる側面も多々あります。
それならば財を均一に分配するということが、どの程度可能であるのか。そこには必要性といった曖昧な表現でしか捉えられない、個々の内面というものが存在します。この人にとって不可欠なものが、他者には不要ということだって、かなりの確率で存在するわけです。
そうした意味で、どのような社会が最も人間として、無理なくしかし心楽しく過ごせる場であるのかということを、自分の頭で考えようとした本だということができるでしょう。
著者の思考過程に忠実な軌跡をたどれる人であるならば、相当な若年齢の者でも読破は可能だろうと思います。
しかしここには、どの型が最も良いのかというテーゼはありません。それこそが真の社会を作り出すことの最も難しい側面を表現していると言えなくもないのです。
消費をすれば右肩あがりで生産も伸びていった時代はとうに終わろうとしています。また高齢化という表現も使い古された感がありますが、筆者はあと50年すれば、高齢化という表現であらわされる社会は終わりをつげ、ほどよいバランスのとれた国が、そこに顔をあらわすと述べています。
これも面白いユニークな視点だと思いました。
読み進むうちに、彼の思考回路が次第に自分の中に入ってきます。するとなんとも難解な言葉の回廊がつながってみえる楽しみもまた見えてくるのです。
近代への根本的な疑問。それがこの本のテーマそのものなのです。
この本はある方に勧められました。このような機会を与えていただいたことに心から感謝申し上げます。

シェアする

フォローする