森有正先生のこと 栃折久美子 筑摩書房 2003年9月

栃折久美子さんといえば、一つの時代を作り出した装丁家です。次々とすばらしいデザインの本が書店に並びました。
その彼女がパスカルの研究家で哲学者でもある森有正とこのようなつきあいをしていたとは全く知りませんでした。
と同時に今まで、大変に難しい文章ばかりを書いていた森有正が一気に別の人間としての生きた横顔を見せてくれました。それがとても嬉しいです。
大学生の頃、フランスに対する憧れを漠然と持っていました。フランス語を習いにアテネフランセにも通いました。
同時に日仏学院の通信添削も受けました。
全て転部するための一環でもあったのです。

それまでの生活から抜け出したいという焦りもありました。
その時に読んだ『遙かなノートルダム』や『木々は光を浴びて』といったタイトルの本は明るかった。希望にみえました。

その著者と装丁家とのつきあいというのが実にユニークです。森有正は2度結婚し離婚しています。その後、60歳をすぎてからの話です。
先生に対する尊敬がまず大前提。そこから不思議な魂の交感が始まります。森有正という人は実生活においてはかなり破綻していた人かもしれません。
ものを管理するということがうまくできない。物忘れをし、どこへしまったのかも思い出せない。パリと東京を往復しつつ、大学で授業もします。
その聴講をさせてもらい、さらに生活の細々とした手伝いまでします。

日本にマンションを買う。秘書になってもらえないか。あらゆる雑務を全てぼくの人間関係ごとこなすことができるのはあなたしかいない。そこで装丁やルリユールの仕事をしてはどうか。
仕事場にして、寝泊まりもできるようにすればいい。
遺産の分配も考えている。あなたにお金を残してあげたい。

2人の会話が実に楽しいです。尊敬と敬愛が混じった豊かな会話です。
しかしその時間もやがて消えます。
森有正はある日、突然亡くなってしまいます。
そこまでを全て、栃折さんは冷静に見ていたのではないか。
文章にはある種の静謐さがこもっています。

もう一度、森有正の文章を読み直したいと思います。
彼と一番親しかった作家、辻邦生ももういません。
歳月は容赦ない。
あらためて、そう感じました。

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